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服を発注してから十日、待ち望んでいた報せがようやく屋敷へ届いた。
御用聞きと思しき少年は何故か緊張した面持ちで、背筋を伸ばし俺と相対している。
「あ、あのっ、大変お待たせしてしまい、申し訳ございませんでしたッ! 店主がこちらへ直接納品に伺いたいとのことなのですが、ごっ、ご都合は如何でしょうかッ」
失礼の無いようにと気負い過ぎた結果、少年は却って失礼な態度になっている。病人がいる場所で騒々しいし、唾もそこかしこに飛び散っているので勘弁してほしい。
……さて、何をどうしたものだろうか。
手縫いに時間がかかることくらい承知していたため、こちらから催促はしていない。むしろ十日なら早いとすら思っている。
別に怒るつもりもないのに、こうも委縮されると対応に困ってしまうな。
ともかく、家主でもない俺が人を招く訳にはいかないため、訪問は断ることにした。
「あー……取り敢えず、落ち着きなよ。今日中に俺が店へお邪魔するから、店主殿にはそう伝えておいてくれないか?」
「畏まりました、必ずお伝えします! それでは失礼します!」
お駄賃を渡そうと思ったら、その前に少年は勢い良く頭を下げ走り去ってしまった。俺は行き場を失った硬貨を掌で転がしながら、今の遣り取りが何だったのかを考える。
彼とは初対面の筈……ああ、コアンドロ氏の所業が、一部の人間には伝わっているのか?
多くの奴隷が訪れ、そして正気を失う謎の屋敷。ともすれば怪談の類であり、少年が怖気づくのも無理は無い。コアンドロ氏が富裕層であるというやっかみも含め、不穏な噂の一つも立っているのだろう。
実際のところ、悪評は噂どころか歴とした事実なのだが……周囲に目をつけられていると考えれば、防衛力を奪ったのは拙速だったかもしれない。
まあそれも、コアンドロ氏が自分で行ったことの結果、か。
女性の安全は気がかりであるにせよ、俺が悩むべきではないだろう。そう頭を切り替え、外出の準備をする。そうして少年が店に着いたであろう頃合いを見計らい、曇り空の下に踏み出した。
外はやけに湿度が高く、肌がべたつく感じがしている。見上げれば雨が降りそうな雲行きだ。
下ろし立ての服を濡らしたくないなあと、天気を気にしているうちに店へ到着した。
「ごめんください」
「いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました。ご足労をおかけしてしまいましたな」
「いえいえ。人を招いて良いものか、判断がつかなかっただけですよ。コアンドロ様はご多忙のようですしね」
「あの方は色々な場所で活躍しておりますからなあ。ああ、立ち話もなんです、奥の部屋へどうぞ」
招かれた先、俺は前回と同じ部屋で歓迎を受ける。着席と同時に茶を勧められ、一口啜れば仄かな甘みが口中に広がった。
人心地ついてから、俺達は早速本題に入る。
「さて完成品についてですが……まずは一度、試着なさいますか?」
「そうですね。正直、軍服は窮屈なので、すぐにでも着替えたいところです」
「そういった服は見栄えを良くするため、あちこちに芯地を入れますからな。私から見てその服は身頃に合っていないように思いましたので、依頼品は動き易さを重視して仕立てました。こちらが現物になりますので、あちらの衝立の陰でお着換えをお願いします」
そう言って手渡された服は、かなり柔らかい生地で仕上げられていた。
……はて、頑丈であるようにとお願いした点については、一体どうなったのだろう。
店主殿なら大丈夫だとは思うものの、触った印象では強度に不安を覚えた。俺は衝立に隠れた瞬間、こっそり生地に爪を立てる。
「おお? これはまた、面白い生地を使いましたね」
「お解りいただけますか」
店主の忍び笑いが聞こえる。なるほど、この出来栄えなら、自信を持って客に出せる筈だ。
尖った爪で引っ搔いてみても、服の表面には傷一つ付かなかった。それどころか、爪の方が負けて少し削れているにも拘わらず、この服は軍服よりもずっと柔らかい仕上がりとなっていた。
……いや、靭性に優れているだけではないな。袖を通してみれば肌着のように軽く、体を捻っても動きを阻害しない。その上で、通気性まで確保されている。
こんなに着心地の良い服は初めてだ。
「これは一体、何で出来ているんです?」
「ふふふ、他国の方はあまりご存知ではないかもしれませんな。それこそカイゼン工国が誇る最上の繊維、カサージュです」
ああ、これがカサージュか!
いやはや素晴らしい、この特性なら師匠が欲しがるのも当然だ。厚みが無くてもしっかりとした強度を持ち、引っ張ってもちゃんと元に戻る。この存在を知っていれば、義腕に是非とも使いたいと思うだろう。
「噂には聞いておりましたが、実際に見るのは初めてです。大変興味深い素材ですね」
「でしょう? 実のところ、まとまった量を手に入れるのに手間取りまして。針仕事よりもそちらに苦労してしまいました」
大変だったと訴える割に、店主殿の声は心做しか弾んでいる。その理由は何となく察しがついた。
「希少な生地に鋏を入れるのは、楽しかったですか?」
「ええ、実に。あんなに面白い時間はそうそうありません」
「解ります。手に入れた素材を好きなように扱うのは、作業の醍醐味ですよね」
良品になるか粗悪品になるか、その第一歩を決める瞬間には堪らないものがある。多くの職人が、俺達に共感してくれることだろう。
どんな顔をしているか反応を窺うと、店主殿は悪戯な笑みを浮かべて拳を掲げた。俺も笑って同じように返し、衝立から出て全身を晒す。
さあ、総評だ。着ている俺としては百点でも、作者の目線だとどうだろう?
店主殿は頭から足までを何度も確かめ、やがて満足げに頷いた。
「うん、軍服よりは自然な感じになりましたな。少し動いていただけますか?」
「解りました」
俺は指示されるがままその場で軽く跳び、屈んだり、肩を回したりを繰り返す。前に着ていた私服よりも、関節の可動域が広がった気がした。
色んな姿勢を試せば試すほど感心してしまう。これは一流の仕事だ。
服の値付けは解らないが、素材自体の価値と仕立ての出来とを考慮すれば、二百万でも安いくらいだろう。滅茶苦茶な旅程で技術を学び、どうにかコアンドロ氏の依頼をこなしただけの甲斐はあった。
「動いてみて違和感はありませんか?」
「全くありません。着ていて非常に楽ですし、このまま眠っても疲れないでしょうね。今までに着た服の中でも最上です」
「お気に召していただけたようで安心しました。久々に本気の仕事が出来て、こちらとしても良い経験になりましたよ」
お互い出来に満足しているので、微調整は無し、ということで話は落ち着いた。後は金額と支払い方法について詰めるだけだ。
「支払いはコアンドロ様がするということだったので、私は何も聞いていないのですが……普段はどのようになさっているんです?」
「こちらの言い値を、そのまま受け入れてくださいますね。費用の明細を用意してありますので、お手数ですがあの方にお渡しください。この度はご注文いただき、まことにありがとうございました」
店主殿は頭を下げると、軍服や木札といった一式を袋に入れて仕舞い、まとめて俺に返してくれた。
そうして受け取る瞬間、不意に彼は俺の手首を掴み、耳元に口を寄せる。
「帰ったらすぐに、コアンドロさんに渡してください。間違いが無いか、お客様も中身を確認して構いませんので」
「……? 畏まりました、確かにお預かりいたします」
一瞬だけ不穏な空気を見せた相手に、俺は表情を変えず応じる。そのままありふれた遣り取りを交わしてから、店を出てすぐ物陰に身を潜めた。
俺も中身を確認して構わないというのは、絶対に確認しろということだろう。
空気を読んで袋を開けると、一番上に引き千切ったらしい紙片がそっと乗せられている。小さく畳まれたそれの中には一言、軍部に動きあり注意、とだけ記されていた。
馴染みの職人と思いきや、店主殿はコアンドロ氏の配下だったのだろうか? 戦えそうには見えなかったし、あくまで調査や工作の担当? 何にせよ、最後の最後で煩わしい案件が出て来たものだ。
首都内の奴隷や住人で人体実験を繰り返していたコアンドロ氏は、当局にずっと監視されていたのだろう。どうやら連中はここ数日の動向から、屋敷の様子が変わったことを察したらしい。
今まで異様な雰囲気を放っていた存在が急に大人しくなったとして、周囲にはそれがどう映るのか。事態が好転したと思うのか、良くないことの前触れと考えるのか――どうあれ国防の担当者なら、決して楽観視はすまい。
……これは俺の読みが甘かったな。
カイゼン国内の情勢を考慮せず、コアンドロ氏から防衛力を奪ったのは早計だった。彼が裁きを受けるのは仕方無いとしても、女性の安全は確保しておくべきだった。
国を相手にするつもりはないし、どれだけ猶予があるか解らない以上、すぐにでも逃げる相談をすべきだろう。談笑する時間があったのだから、まだどうにかなると信じるしかない。
そう結論付けた頃合いで、懸念していた通り雨が降り始める。
クソ、折角良い気分だったのに、散々だな。
溜息を吐いて空を睨む。とはいえ、嘆いてばかりもいられない。俺は降り注ぐ雨で傘を作り、濡れないよう屋敷へと駆け出した。
今回はここまで。
9/10に拙作「クロゥレン家の次男坊」5巻が発売しておりますので、よろしければお手に取っていただけると幸いです。
そして、仕事に一区切りがついたので、来週はちょっとお休みをいただきます。次回更新は29日の予定です。
ご覧いただきありがとうございました。