服を求める
意識不明だった女性が目覚めるまでに、大体半日ほどかかったらしい。
医者を手配したところ、当然ながら暫く安静という話になったため、コアンドロ氏はつきっきりで看病をしている。
俺はその隙を突いて、敷地内の穢れを全て回収した。そして今後の動向を探るべく、改めて彼との会談に臨んでいる。
「……これはまた、随分と綺麗に掃除したものだ」
「そちらの女性を再び汚染する訳にはいきませんからね。念入りにやらせていただきました」
まあ、これが建前だということは、コアンドロ氏も気付いているだろう。俺は女性の身を案じている訳ではなく、相手から攻撃手段を奪いたかっただけだ。
たとえ二人がどれだけ不便になったとしても、人形すら使わせるつもりはない。僅かでも穢れが残っていれば、彼にはそれを増やし、活用するだけの力がある。
半ば挑むようにして場を眺めていると、コアンドロ氏は苦笑しつつ頷き、女性は不安そうに口を噤んでいた。
「そう構えることはない、君は儂の悲願を叶えたのだ。目的が達せられた以上、あの研究からは手を引こう。……人形の代わりなら、誰かを雇えば済む話だしな」
「ええ、是非そうしてください。蓄えは充分あるでしょうし、こういう時こそ使うべきですよ」
常に制御が必要な人形より、目端の利く人間を揃えた方が余程健全だ。女性と共に歩みたいなら、これからは日の当たる場所で生きなければならない。
遠回しにそう伝えてやると、コアンドロ氏はふと身動きを止めた。
「そうだ、金と言えば……君に報酬を支払わねばならんと思っているのだが、何か望みはあるかね? 研究成果だけでは不足だろうし、また奴隷でも用意すべきかな?」
ああ、確かに、報酬の話は途中で止まっていたか。しかし奴隷ねえ……悪くは無いが、気乗りしないな。
人材は欲しくとも、クロゥレン領までの移動が大変なのは身を以て知っている。またあの苦労をするくらいなら、金か物でどうにかしてほしい、というのが本音になるだろう。
値段に拘らなければ、必要な物は一応あるにはあるのだが。
「ううん……報酬については、少し考えさせてください。今欲しい物となると、魔核と服くらいしか思いつきません」
「流石に慎まし過ぎるというか、それでは対価として釣り合わんな。とはいえ、欲しいのならば用意はさせよう。魔核は一箱で足りるかね?」
「取り敢えず、それだけあれば充分です。でも正直、優先したいのは服の方ですね」
地元の有力者の家に、他国の軍服を着た人間が訪れている、という構図はあまりに不審だ。要らぬ注目を浴びるだけだし、女性も俺の格好に緊張しているようなので、すぐにでも着替えてしまいたい。
コアンドロ氏はしんどそうに立ち上がると、手近な机から木札を引っ張り出し、俺へと投げ渡した。
「服であれば、懇意にしている職人がおる。大通りに『緑の蔓』という店があるので、店主にそれを見せると良い。君が通っていた食堂の近くだから、場所はすぐに解るだろう」
俺とモナンさんとの交流も調査済み、と。
敢えて口にする辺り、何かあるのかと警戒してしまうが、こちらを見詰める視線に裏は無いようだ。穢れが抜けた反動で、単純に疲れているのかもしれない。
濁った目からは相変わらず意図が読み切れず、若干の迷いが生じる。
……いや、たとえ俺という監視がいなくても、女性を置いて勝手な真似はしないか。安全弁があると信じて、ここは素直に提案を受けよう。
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、早速行ってみます」
邪魔者がいては、彼女も落ち着いて休めないだろう。俺は屋敷を出て、そのまま店へ向かうことにする。
――久々に歩くカイゼンは、非常に穏やかな空気が流れていた。
穢れなんて知らない子供達が、空き地を無邪気に走り回っている。母親と思しき女性が、それを微笑んで見守っている。そして、塀を修理している男性が、額の汗を拭いつつ槌を振るっている。
当たり前の日常に溜息が漏れた。
この光景を前に、俺が守った平和だ、と胸を張るのは不遜だろうか。
まあ、勝手にやったことで褒められようだなんて、増長でしかないだろう。ただ、実際に成果を目にした気分は悪くない。頑張った甲斐はあったなと、知らず踵が弾んだ。
暗い事件が続いていた所為か、久々の休息に俺は浮かれているようだ。途中で我に返り、自重すべく歩を抑える。
しかし、ゆっくり散歩を楽しもうとしたものの、そこから数分で目的地には辿り着いてしまった。落ち着いた雰囲気がある建物の軒先に、コアンドロ氏の言う『緑の蔓』という看板が掲げられている。
「ごめんください」
扉を開けて中に入ると、立派な髭を生やした中年が、熱心に鋏の手入れをしていた。彼は僅かに顔を上げると、俺の姿に気付き人懐っこい笑顔を覗かせる。
「いらっしゃいませ。……教国の軍人さんとは、珍しいですな」
「いや、これは軍人さんから譲り受けただけで、私自身は一般人ですよ。そういう誤解を受けるので、新しい服が欲しいと思いましてね」
俺が懐から取り出しだ木札を手渡すと、彼は軽く目を見開いて髭を撫でた。どういう関係性なのか、明らかに先程とは顔つきが違っている。
「これは大変失礼いたしました、コアンドロさんのご紹介でしたか。ご注文を承りますので、こちらへどうぞ」
やけに慇懃な男の案内に従い、俺は奥の部屋へと移動する。そこには色とりどりの生地が、傷まぬよう丁寧に管理されていた。
店主には並々ならぬ拘りがあるのか、在庫は虹を模すような配色で並べられており、眺めているだけでも興味深い。
「おお……見事なものですね。これだけでも一つの作品になる」
「お解りいただけますか」
「ええ、勉強になりますよ」
いずれは鋏を入れる生地で遊ぶ――これは素材を素材として楽しむという、彼の美意識の表れだ。職人としての我のようなものが垣間見えて、眠っていた感性がくすぐられる。
こうして己を磨きながら生きていきたかったのだと、かつての熱意を思い出す。今、手元に魔核が無いことがどうにも惜しまれた。
「お客様も創作をされるのですか?」
「そうですが、何故?」
「何と言いますか、視線が普通とは違う気がしましてね。服を求めて来店される方はいらっしゃいますが、素材を見て勉強される方はそうそうおりません。ふむ、指先が綺麗ですし……あまり道具を使わないお仕事ですね。魔術系の加工でしょう?」
まさにその通り。たった数秒の短い遣り取りで、よくそこまで読み取れるものだ。
どうやら彼は、俺より秀でた観察眼を持っているらしい。しかも魔力の流れを感じないため、これは異能ではなく、長年の経験によるものなのだろう。
「正解です、私は魔核加工の職人をしております。とはいえ最近は別件が忙しくて、なかなか仕事に打ち込めずにおりますがね」
「はっはっは、誰しも巧くいかない時はあるものです。私も若い時はお得意様の家を回らされるばかりで、針すら持たせてもらえませんでした。大事なことだと解っていても、焦りはありましたねえ」
瞳の奥が一瞬険しくなった辺り、彼も相当苦労したようだ。それでも、こうして笑い話にしているということは、内心で納得も出来ているのだろう。
やるべきことと、やりたいことと――俺は自身の境遇について、まだ折り合いがつけられそうにない。
そんなこちらの様子に、店主は柔らかく微笑んだ。
「迷っておられるようですな。別件とやらは、そんなに大変なのですか」
「大変……まあ、そうですね。店主殿とは違って、私の抱えている仕事は創作とも営業とも全く関係が無いのです。ただ、人命に影響を及ぼすこともあるので、迂闊に投げ出す訳にもいかず」
「……ふうむ、お客様は責任感が強過ぎるのかもしれませんな。世の中、自分でなければ出来ない仕事なんて、案外少ないものです。どうしても嫌なら止めたって良いし、或いは後任を探すというのも手ではありませんか?」
なるほど、後任か。
祭壇の存在を広めないようにと、そればかり意識していたため、代わりだなんて考えもしなかった。しかし、受託者だの御使い様だのという呼び名があるということは、俺以外にも祭壇を扱う者がいたという証左ではないか。
……この辺の情報について、水精なら何か知っているかもしれない。彼女達がどうなっているのかも気になるし、近々ザヌバ特区へ向かってみよう。
「後任を探すという発想はありませんでした。ありがとうございます、視野が狭くなっていたようです」
「いえいえ、私は当事者ではないので、勝手な話をしたまでですよ。お客様なら、いずれご自分で気付かれたでしょう。……いや失礼、前置きが長くなってしまいましたな。それではご依頼について、まとめていきましょうか」
「よろしくお願いします」
俺が机に手をついて頭を下げると、店主殿は快活に笑って生地の見本を取り出した。触れて確かめるよう促されたので、幾つかを指でなぞってみる。
滑らかで繊細なもの、厚みがあり頑丈なもの、柔らかくよく伸びるもの……他にも様々な種類があり、好奇心を刺激される。
「さて、まずは用途からお伺いしましょうか。コアンドロさんからの紹介となると、夜会ですとか、そういった会合に出席されるのですか?」
「いえ、そういった予定はありません。旅装をお願いしようと思っているので、頑丈で汚れが目立たないものを希望します」
「畏まりました。だとすると、こちらの生地など如何でしょう?」
流れるような手捌きで、机上の生地が次々と入れ替わる。説明も細やかで解り易く、服を仕立てようという意欲を強く駆り立てられる。
……いや、本当に凄いな。
コアンドロ氏が薦めるだけはある。久々に、一流職人の技術を堪能した。
やはり俺も職人として生きていきたい、改めてそう認識する時間だった。
今回はここまで。
ご覧いただき、ありがとうございました。