忍び寄るもの
最初の印象が良くなかっただけで、話してみると意外と周りに気を遣っている。現状の評価はそんな感じだろうか。同年代の少年たちに比べれば、目上に対しての態度が余程こなれている気はする。
それは多分、貴族として生きてきた時間と、職人として生きてきた時間が、巧く彼を成長させてきたからだろう。我侭でもなく、謙虚でもなく。自分というものを持ちつつも、ある程度抑えた生活をしていなければ、ああいう態度にはならないのではないか。
医者として予後観察の必要があるという話になった時は気が重かったが、今はそう悪くもないと考えている。
少なくとも、退屈はしていない。
指先ほどの大きさから丁寧に育て、今では掌くらいになった魔核を転がしながら、そう嘯く。
彼ほど簡単に大きさや形を変えられはしないものの、やればやっただけ変化していく様は、徐々に愛着へと繋がった。魔核はかつて遊び道具だったのだと彼は言ったが、なるほど、飽きない人ならばこれで遊んでいられるだろう。
どうしても魔力量が必要になるので、普通の子供なら途中で投げ出すと思うが。
「さて……」
「ん、時間ですか」
「そうね。私はもう行くけど、無理しないのよ」
「承知しております」
笑い合って別れる。今日と明日は久し振りの休日だ。ビックスから監視の指示が出ているとはいえ、一日中一緒にいることを強要されている訳ではない。私にだって自分の時間は必要だし、彼が仕事を投げ出すとも思えない。多少ならば目を離しても大丈夫だ。
何をして過ごそうかと、心を躍らせて町を歩く。久々に外食するのも良いかもしれない。
そうしてあれこれ考えていると、ふと、少し離れたところで人が騒いでいることに気付いた。何人かの集団が輪になっている。穏やかではない雰囲気に、足を急がせる。
「……何だってこんなことに……」
「いや、あれは流石に……」
内容が解らない。
軽く飛び跳ねて、人垣の向こうに目をやる。慌ただしく上下する視界の中に、倒れた人と、血溜まりが見えた。
「どうしたの!?」
「ああ、シャロットさん、丁度良かった! 今人をやるところだったんだ! メルジのヤツが魔獣にやられちまったんだよ!」
メルジさんは伯爵領守備隊の中でも、戦える方の人だったはずだ。人をかきわけて輪の中に踏み込むと、太腿を大きく切り裂かれ、苦しげに呻くメルジさんが倒れ伏していた。
持っていた手ぬぐいで傷口を抑えつけ、『鎮静』を発動する。出血が止まらない。
「誰か手を貸して! 私の代わりに傷口を抑えて!」
私の叫びに、立ち尽くしていた何人かが協力に名乗り出る。守備隊の人間がこんな大怪我をするようなことは、今までほとんど無かったはずだ。
改めて傷口を眺める。厚手の下履きを苦にもせず、骨が覗くような深さまで斬られている。記憶の中にある、魔獣から負わされたどの怪我とも一致しない。
冷や汗が浮かぶ。
私で、対処出来るか?
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四日が経過し、流石に俺も感覚を取り戻してきた。他人に教えながらの作業でも、意外と滞りなく進められている。
柄の部分の装飾は終わり、刀身も長さは確保出来た。後は性質変化で頑丈さと柔らかさの両立をして、最後に刃付けをして終了である。丁寧にやるなら後三日といったところか。
進捗も出来映えも悪くない。もしバスチャーさんに会うのが遅れるようであれば、その間は魔力を込め続けて靭性を高めたりしていれば良いだろう。
標準的な仕上がりまでの時間がいまいち解っていなかったりするのだが、七日ならまあ許されるだろう。いずれにせよ滞在期間を考えれば、そう悠長にしていられる訳でもない。
よし、今日も地道にやりますかね。
「フェリス殿、おりますか!?」
肩ならしで柔軟をしていると、ビックス殿が息を切らして部屋に駆け込んで来た。俺は半端な姿勢で止まったまま、何事かと首を捻る。
「そりゃいますけど、どうしました?」
「シャロットが呼んでおります。うちの守備隊員が魔獣に襲われ負傷しました。別室におりますので、手を貸していただけませんか」
休みだと出て行ったかと思えば、あっという間に出戻りか。シャロットさんも気の毒に。
しかしそういう事情であれば、行かざるを得まい。呼ばれるがまま、階下の一室へ二人で走る。中へ飛び込むと、必死で魔力を練り続けるシャロットさんと、横になりながら虚ろな目で天井を睨む男性がいた。
出血量が多いのか、男性の顔色が拙いことになっている。しかし、シャロットさんの腕ならばある程度の処置が出来ていてもおかしくはないはずだ。何が起きている?
「フェリス君、魔力を、魔力を補って……ッ」
淡く輝く治癒の魔術が、薄い膜となって傷口を覆っている。酷く真っ当な術式だ。しかし、傷口はそれを無視するかのように、まるで変化を見せない。
その光景に、どこか馴染みのある印象を受ける。
「……ちょっと待ってください」
違和感を覚え、『観察』を使用。目を凝らすと、骨の周りに微かな靄が確認出来た。なるほど、馴染みがある訳だ。かなり巧妙に隠されているが、陰術による呪詛だな。
「シャロットさん、治癒を止めてください。そのままだと治りません」
必死になって傷口を抑える彼女の手を、どうにか引き剥がす。血で滑る傷口に指先を突っ込み、陰術をかき消した。巧みな魔術ではあれど、それほど強いものではないのが幸いだった。この程度なら簡単だ。
「……うん、良し。シャロットさん、今度は効くはずです。行きますよ」
俺が何をしたのか解っていないらしく、彼女は戸惑っていた。それでも、ぼんやりともしていられない。血に塗れた手を取り、俺はその上から活性を発動させる。我に返ったのか、彼女は治療を再開してくれた。
ゆっくりと、傷口が修復されていく。
「ああ……ッ」
シャロットさんの口から歓喜の声が上がる。しかし、傷を塞いだだけで、失われたものが補われる訳ではない。状況は依然として予断を許さない。
「ビックス様、造血剤の在庫はありませんか? 無ければ……そうだな、ミジュの葉っぱでもいいんですけど」
「造血剤は今取りに行かせている。ミジュならこの屋敷にもあったな」
「すり潰したヤツを飲ませてください」
聞くや否や、ビックス様は走り出して行った。
ミジュはとんでもなく苦酸っぱく、気付に使える。血を増やせないなら、意識を失わないようにしてもらわなければ。
ああクソ、こんなことになるなら、母上の講義をもう少し真面目に受けておくべきだった。俺の知識は、転生前に受けた救命講習の内容がせいぜいだ。『健康』があれば自分のことはどうにかなったので、他人のことをどうすれば良いか解らない。挙句、俺の陽術は甘く採点しても中級者の枠を出ない。
シャロットさんも呪詛を相手に無駄な魔力を消費しているため、息が上がってしまっている。
それでもやはり、専門家の力が要る。
この患者をどうにか出来ないのなら、シャロットさんをどうにかするしかない。
弱めの水弾で、患部と自分たちの血を拭う。彼女の背中に手を回し、そちらでも活性を使う。単純に負担が倍になるが、魔力量だけなら俺は自信がある。
「シャロットさん、まずは息を整えてください。傷口の呪詛は払いました。血も止めました。次はどうします?」
普通に考えれば不足した血を補うしか無いし、そういう魔術が存在することは知っている。或いは、造血剤が間に合えばそれでも良い。
先のことを考えていると、シャロットさんは一度きつく目を閉じ、大きく見開いた。
「残念だけど、私には造血の魔術は使えない。ビックスが薬を持ってくるまで、繋ぐしかないわ」
「じゃあそれまで繋ぎましょう。何をすれば?」
「体温が下がるのを防ぎたい。温められる?」
ふむ、ならばこれか。
患者の体の下にお湯で水壁を作る。足は高くした方が良いと思い出し、段差を後付で追加した。今更かもしれないが、やらないよりは良い……のではないだろうか。
「次に、呼吸。風魔術は?」
「使えますけど、水ほどではないです」
「余裕があるなら、口元に空気を送り込んで。ごめんなさい、私は活性の維持で精一杯……!」
謝るほどのことでもない。風を束ねて管にし、口元に流れ込むよう空気を注ぎ込む。まだ自力で呼吸しているようだし、手助け程度と考えるべきだな。
呼吸、呼吸か……ということは酸素だよな。空気から酸素だけを選別出来るか? いや、あまり濃度が高いのも駄目だったか。そもそもの原因が出血であるなら、鉄が必要なのか?
状況を改善する策が思いつかない。取り敢えず現状を維持するべく奮闘していると、扉の向こうから力強い足音が聞こえてきた。
「ミジュと造血剤が届いたぞ!」
「ビックス、造血剤を先に!」
「解った!」
ビックス様は水に茶色い粉末を混ぜ、患者の口に流し込んだ。飲み込む力はあるか?
口元から漏れる液体がじれったく、魔力による操作で無理矢理胃の奥へ押し込む。抵抗する力が無い所為で、体内まで容易に魔術が及んだ。ミジュは……折角飲ませた薬を吐き出してしまう可能性があるな。今は保留だ。
暫くそうやって薬を体内に入れ、呼吸をさせ、活性をかけ……というのを繰り返していると、患者の顔色にようやく赤みが差してきた。経口投与の薬が即効性を持っている辺り、いかにも異世界だなと場違いなことを考える。
「落ち着いてきた……か?」
「難しいところはどうにかなった、と思うわ」
二人とも汗だくで肩を上下させている。緊張感が続いているうちは良いが、そろそろ限界だろう。
「今のうちに少し休憩を取ってください。維持だけだったらある程度はどうにかなります。特にシャロットさんは魔力を回復させてください」
「解ったわ。今だけお願い、すぐに戻るから」
冷静さが戻ってきたか、特に躊躇うことなくシャロットさんは患者から手を離し、部屋を出て行った。ビックス様も俺の言葉に従って、一礼して後に倣う。
あの二人のことだから、回復剤を飲んだらすぐに帰ってくるのだろう。正直俺も一人は不安なので、そちらの方がありがたい。
溜息をつき、改めて状態を確かめる。
骨が見えるほどの傷はもうだいぶ塞がって、太腿には微かな線が残るばかりだ。
「うーん……」
思い出してみる。俺が部屋に入った時は、傷口の修復は出来ていなかった。切断面は綺麗なものだったし、一撃でやられたと見るべきだ。
伯爵領守備隊の採用水準は知らないが、領主お抱えの部隊が弱兵ということはない。触れた感じ体は鍛えられているし、彼は武術強度をちゃんと伸ばしている人間だろう。
そんな人間を一撃で戦闘不能にし、回復阻害の呪詛を残す魔獣。少なくとも、俺の知識には該当する魔獣はいない。
「厄介だな」
足元を見下ろし、床が血塗れなことに気付いて顔を顰めた。これでは動くに動けない。
立ち尽くしたまま、正体の解らない相手を想像する。
――伯爵領に、一体何が出たんだ?
作者の医療知識は結構適当です。文中にある、失血時に足を上げる「ショック体位」というのは実在しますが。
ということで、今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。