飛翔
龍が大半を潰していたのか、謎の甲虫に襲われることもなく、暫くは落ち着いて横になることが出来た。
手足は激しく痛み、魔力はほぼ空っぽでも、歩けるくらいには回復した。俺は石で杖を生成し、龍の亡骸を横目に洞穴の奥を目指す。目的地までかなり近いところにいたのか、式場にはすぐ到着した。
構造としては特区と然程変わらない。何となく黙って場の中心を見ていると、かつてと同じく書架が降り注いだ。
一連の儀式が終わり、俺は祭壇へと歩み寄る。そこにあった一冊の本を捲ると、中から光が溢れ出し、視界を白く染めた。
――アレンドラ・ズ・キセインを排除せよ。
作業完了。
判定が下ると同時、俺の体内に光が浸透し、先の戦闘で負った傷が癒されていく。枯渇しかかっていた魔力も補填され、何一つ苦痛の無い、万全の状態にまで体が復元された。
どうやらこれが、あの仕事の報酬らしい。ただ正直なところ、邪精となった体はそのままだし、今更としか思えなかった。
まあ振り返ってみると、あの一件の報酬は水精から与えられたものであり、祭壇からは何も受け取っていない。その場で支払いが無かったから勘違いしていただけで、依頼自体は成功という扱いになっていたのだろう。
……何も無いよりはずっと良い。怪我が無ければ、すぐに町へ戻ることだって可能だ。
しかし、そんな内心の不満を読み取ったのか、祭壇は更に輝きを増して俺の内奥へと侵入してきた。
無理矢理に流し込まれる激痛という名の術式が、内臓や血管へと焼き付けられていく。そして、脳へ関連する知識が直接刻み込まれる。
あまりの衝撃に足が縺れ、地面に倒れ伏す。折角治療された体の節々から、次々に血が噴き出した。
痛い、熱い、何をされている?
全身を火で炙られているようだ。混乱する頭を両手で握り締め、必死に耐え続ける。
やがて処理が終わると、俺は与えられた権能とその意味を、完全に理解させられていた。
……穢れ祓いに加え、祝福を自在に発生させられるようになっている。さっきの回復は施術前の準備で、こちらが本当のご褒美か。
俺はふらつく頭を振って立ち上がり、天井へ穢れ祓いを空撃ちする。武器を介するよりも少ない魔力で、術式は簡単に発動した。
……なるほど。
与えられた知識と、実際に使用した感覚から、穢れ祓いの正体に納得する。浄化とどういう差があるのかと思っていたが、そもそもの目的が違うらしい。
浄化は穢れだけに限らず雑菌等にも効果を発揮し、清潔さを保つ効果がある魔術だ。毒素を打ち消すような使われ方が一般的だろう。
翻って穢れ祓いは、実際には穢れを消していない。
これは上位存在達のいる世界へ穢れだけを送り込む、転送とでも呼ぶべき魔術だ。穢れが消えたと感じるのは、対象が別の場所に移ったから、ということのようだ。
危険な要素を世界から排除するために、こんな構文になっている訳ではあるまい。むしろ、上位存在は何か必要があって穢れを集めているのではないか、と思う。
疑問は尽きないが、どうせ遣り取りをする手段も無いし、答えは解らないままだろう。拙い陽術を使うよりは効果的だと、割り切って使っていくしかない。
取り敢えず教国が俺に出せる対価が、いよいよもって無意味になった。事実としてはそれだけだ。
「さて……」
処理が終わったため、取り落とした本を改めて手に取る。他の任務にどういったものが残っているか、これについても確認しておかなければならない。
流し読みでどんどん頁を捲っていくと、有効期限を過ぎてしまったのか、記憶にあるものが幾つか抹消されていた。逆に、新しく追加されているものもある。
その中でも特に気になるものが二つ。
百八十四、カイゼン工国アディンバ地区から穢れを除去する。
残り時間、五千八百二十三日。
百八十五、カイゼン工国アディンバ地区にある祭壇を修繕する。
残り時間、五千八百二十三日。
アディンバは恐らく、河守達が管理していた土地のことだろう。修繕は無理でも、除去は今なら容易にこなせる気がする。
河守を滅ぼしたのは俺だし、事後処理くらいはやるべきなのだが……正直なところ、作業が億劫になっていることを、どうしても否定出来なかった。
上位存在への恩義のため、これまで懸命に働いてきた。恩は返しても返しきれないものだ。やる気の有無で判断すべきではないことくらい、充分に解っている。
……しかし、そろそろ考え方を変えるべき段階なのではないか。
あの件については、王国が事業を立ち上げてまで頑張っている。俺が横から手や口を出したところで、また揉めるのが関の山だ。どれだけ気になったとしても、人に任せることを覚えた方が良い。
誰かの代わりなんて幾らでもいる。自分がやらなければ、なんて発想が増長の表れなのだ。
祭壇絡みの仕事を続けるにせよ辞めるにせよ、冷静になるために少し時間を置きたい。今やるべきは、コアンドロ氏を止めることだけ。こればかりは同族である俺が対応する。
だからちょっとだけ、勘弁して下さい。
そう心で述べて頭を下げると、祭壇はぼんやりと明滅した。
……容赦してもらった、ということで良いのだろうか。はっきりしないものの、こんがらがっていた思考を整理したら、気持ちは大分落ち着いた。情報収集を済ませ、俺は後ろを意識しないように式場を出る。
取り敢えず、ここでやるべきことはやった。すぐにでも帰ろう。
さてどう帰ったら早いだろうと悩みながら、そのまま龍の死体がある場所まで戻る。この空間であれば、天井も無いし上から出られる――来た道を戻るより良いかと考えて、ふと足を止めた。
見上げる程の龍の巨躯。その体内に職人を目指して以来、長年注いできた数年分の魔力がまだ活きていると感じた。
この亡骸も、壊れた相棒達も、全ては俺の物だ。莫大な資源をそのまま放棄したくない。
コレ、どうにかならないだろうか?
色々な物が惜しくなって、冷たい鱗に手を当てる。
欲求に身を任せ、龍をありったけの穢れで汚染する。そして魔核に残っている魔力を燃料に、反魂を発動。大した抵抗感も無く、あっさりと魔術は成功した。
龍は濁った両目を薄く開き、戸惑ったようにこちらを見詰めている。
「……グッ、グッ」
苦しそうな声が断続的に響く。喉に詰まった武器が邪魔で、巧く動けないらしい。薙刀を縮めて気道を確保してやると、安堵したように相手は鼻息を漏らした。
反応がやけに大人しい。感情を縛っている訳でもないのに、妙に従順だな?
「どうした、やる気を無くしたか」
だとしたら俺と同じだ。
急な心変わりが気になって、龍の頭へと魔力を伸ばす。そうして相手の過去を探ってみると、負傷の原因から諦めた理由まで、全てが詳らかになった。
まずはある日の龍の主観――細長い棒を持った小さい生き物が、木陰で動き回っている。視界の端をうろうろしているため、鬱陶しく思って爪を振るうと、逆に脇腹を抉られてしまった。この場所は危険だと判断し、空へ飛んで逃げる。
続いて今日の出来事――体を休めていると、先日と似た生き物が現れ、何故か自分に水をかけ始める。傷口の痒みが増し、とても不愉快な気持ちになる。
ここまで見た段階で、あまりに龍が哀れになって魔術を止めた。
……原因、ファラ師と俺だな。
間を置かず、立て続けに痛めつけられたことで、龍は人間に恐れを抱いてしまった。本当は自分の方が優秀な種族であるのに、芽生えた苦手意識はどうしようもなかったようだ。
「俺はさておき、あの人から逃げたのは正解だったのになあ。運が悪い奴だ」
鼻先を揉みながら、不幸な龍を労う。死に物狂いで戦った相手だが、いざ内情を知ってしまうと、とても恨む気にはなれなかった。
害される心配が無いと解ったのか、龍は心做しか高い声を漏らし、鼻で手を押し返してくる。甘えてくれているのは、反魂のお陰で傷が塞がり、痛みを感じなくなったからかもしれない。
「なあ。お前、自分でも死んだって解ってるだろう? もう少し時間をやるから、俺を乗せて飛んでくれないか?」
鉈と棒を分解して魔力を還元すれば、たとえ格上の存在であっても暫くは動かせるだろう。無理矢理に制御することも出来るが、それよりはある程度を任せてしまった方が消費は少ない。
返答を待っていると、事をあまり深く考えなかったらしく、龍はすぐ提案を受け入れた。
「活動限界を一年は伸ばせると思う。それから先は解らないけど、出来る限りは頑張るよ」
「グルゥ」
大袈裟な依頼ではないからか、龍は俺に従うことについて、特に思うところは無いようだ。俺としても移動手段にさえなってくれれば、それ以上望むことは無い。
話がまとまったので、俺は広い背中へと攀じ登る。水の帯で体が落ちないよう固定し、空を目指すよう魔力で合図を出すと、反動と共に視界が急上昇した。
「……ははっ、これは凄え」
穴から外へ飛び出せば、夕日に照らされた森林地区が鮮やかな橙に染まっていた。強烈な風を浴びながら、彼方へ逃げ去っていく鳥の群れを見下ろす。多幸感で胸がいっぱいになり、溜息が漏れた。
これが龍の見る世界。
あまりに広く、あまりに美しい。
暫し景色に見惚れていると、龍から何処に行けば良いのか、という疑問が伝わってきた。我に返り、俺は国境沿いへと意識を向ける。
「空を飛ぶのは初めてなんでな。最初はゆっくり進んでくれ」
「ググッ?」
初めてだと言っているのに、何故か龍は力強く翼を開いて宙返りを決めた。痛みを気にせず飛べるのが、楽しくて仕方が無いようだ。
まあ、気持ちは解る。空中遊泳は俺も楽しい。
「もう好きにしてくれ。これからよろしく頼む」
「グルッ、ギィアァアアア!!」
歓喜の咆哮が大気を揺るがす。その勢いのまま、一直線に空を駆けた。
活動報告にも書きましたが、書籍版6巻(最終巻)の作業があるため、2週間ほどお休みをいただきます。
ご了承ください。
ということで今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。