疑念
誤字脱字報告、まことにありがとうございます。
己を奮い立たせたところで、やれることなど限られている。とにかく重要なのは、通用する手段を如何に探るかだ。
「グルル……グアゥッ!」
周囲の空間全てが震えている。いや、震えているのは俺か?
牽制でも威嚇でもないただの一声で、通路が軋みを上げている。あまりの騒音で鼓膜が痛む。大きいということはそれだけで充分な脅威だ。
それでも、音を遮る訳にはいかない。
相手の挙動を察知するためには、耳も使っていかなければならない。已むを得ず、『健康』へ魔力を回して対処した。
とにかく離れながら、麻痺毒と穢れを交互に放ち続ける。何度も体を揺さぶられて、次第に鬱陶しくなってきたのか、龍は苛立たしげに腕を振るった。
通路と部屋を繋いでいる壁が、その一撃で簡単に抉り抜かれる。予想よりも間近を通過した爪先に、思わず声を漏らした。
間口を広げられた――ならばもう少し相手の攻めは伸びる。
大きく一歩下がり、相手から逃げつつ弾を連射。出血しているのならと、麻痺から糜爛に毒の種類を切り替える。それ程の影響は無いとしても、傷口が沁みたら愉快ではあるまい。
果たして、龍はもどかしそうに体をくねらせ、脇腹を地面に擦りつけ始めた。こちらからは陰になっていて見えないが、恐らくはあそこが傷口だろう。
こうもあっさり弱点を教えてくれるなんて、少々頭が足りていない。
俺は相手の全身を濡らすように水を飛ばし、それを媒介にして毒を流し込んだ。敵の大声で視界が更に揺れ、膝から崩れそうになる。
……駄目だ、怯むな。こんなことで足を止めていられる状況じゃない、一手誤れば全てが破綻してしまう。
こちらの優位は閉所であるということのみ。今順調なのは、龍が本気じゃないからだ。
深く呼吸をし、大袈裟なくらいの距離を保ちながら、執拗に同じ個所を攻め続ける。毒か穢れか、どちらかが通用すれば事態が好転する。
そう信じて夢中で魔力を振り絞っていると、不意に龍の手が地面を握り締めた。
嫌な予感に突き動かされ、咄嗟に石壁を生成。直後、超高速で放たれた岩塊が防壁をあっさりと打ち砕いた。破片が頬を切り裂き、血が口元へ流れ落ちる。それを舌先で舐め取って水分を補給した。
……頭が足りていないというのは訂正しよう。
投石――ヤツは人の嫌がることをよく解っている。
遠距離攻撃という点でも厄介だが、俺にとっては周囲を破壊されるのが一番困る。安全な場所が減り、かつ祭壇の機能が停止するとなれば、ここに来た意味が失われてしまう。
どうするべきだ?
今のやり方では時間がかかる。かといってここで退けば、以後祝福が発生せず教国が終わる可能性がある。
なら前に出て戦うのか? 国の存亡を背負って?
冷静な自分が、無茶だと発想を否定する。反面、もう考えるのが嫌になって、突撃を求める自分もいる。
進むか戻るか、思考が鬩ぎ合っている。引き延ばされた時間の中で、龍が再びその手を地面に突き立てた。
迷っている暇は無いな。
覚悟を決め、深呼吸をする。二度目の投石を薙刀で斬り払い、身を沈めて前に出た。
我ながら無謀な選択だとは思うが、龍が本気で暴れたら通路は崩落するだろう。逃げ切れる気がしないなら、少しでも広い場所を目指す。
入り口からこちらを覗いている顔に武器を叩きつけ、部屋の中へ飛び込む。多少皮が切れた所為か、龍は首を振って低い唸りを上げた。
……こうして間近で見ると、やはりでかい。牙薙を遥かに超える巨躯だ、存在感があまりに違う。
ともあれ、感心してもいられない。
龍は頭を上に伸ばすと、大口を開けてこちらに噛みついてきた。
魔力と精気を全身に巡らせ、異能も全力で起動。斜め上から迫る首を、横っ飛びで回避する。
じゃれるように何度も首を突き出してくる龍を、そのまま走り回ってどうにかいなす。空振りで風が渦を巻き、汗が一瞬で冷えた。
……速いが反応は間に合う。反撃となると、もう少し慣れが必要だな。
「グルル……ガァッ!」
咆哮からの噛みつき、右手、噛みつき、左手――狭いからか、或いは獲物が近いからか、尻尾は使ってこない。攻め手は単調で、殺意というより食欲で動いているようだ。後は、多少遊んでいる感もあるか?
若く、経験の浅い個体だと判断。こんな奥地で休んでいたくらいだ、退屈はしていたのだろう。
その余裕が命取りだ。
古くから、こういう時に取るべき手段は決まっている。問題は俺が緊張していることだけ。
相手の動きにも慣れてきた。正面からの噛みつきに合わせ、呼吸を整える。牙を剥き出しにして迫る龍の大口に対し、俺は身を前に投げ出した。
「一寸法師の気分だね」
背後で牙が噛み合う硬質な音が響く。体がでかい分、俺が収まるだけの余地があるとは思っていた。
生臭い口中に侵入し、体を涎で濡らしながら、がら空きの喉に薙刀を突き立てる。
「~~ッ!?」
声にならない悲鳴と共に、龍が激しく体を捩る。薙刀の持ち手にしがみついて、俺はどうにか投げ出されないように堪える。喉からの出血も相俟って、海の中にでもいるようだ。
手応えはあった。それでも、まだ足りない。
俺は牙の裏側を蹴って、刃先をより深く沈める。渾身の力を込めて腕を前に出し、ついでに毒と穢れをありったけ体内へと流し込んでやった。
死ね、早く死ね、死んでくれ。
こっちの気力が尽きる前に。
恐らく、時間としては数秒――そこで龍が壁に頭を叩きつけたのか、衝撃で俺は外に吐き出された。地面に転がり、慌てて起き上がろうとして違和感に気付く。
右半身が動かない。
「……チッ、やらかしたな」
腕と太腿の骨が砕けている。龍の膂力で壁に叩きつけられたなら、結果としては当然だ。挙句、薙刀は相手に刺さったままで、武器まで失われてしまった。
そして、どうすべきかと迷う間もなく、眼前が鰭で埋まる。
「グ、……あッ!?」
龍がのたうち回った所為で、暴れた尾が掠ってしまった。左腕の肉を抉り取られ、傷口から血が噴き出す。
頭を揺らされてしまい、急激な眩暈が襲ってくる。懸命に術式を組み、俺は地面を動かすことでどうにか龍と距離を取った。
そこら中に身を叩きつけて、相手は薙刀をどうにか抜こうとしている。その様をぼんやり眺めながら、俺は異能を『健康』だけに切り替えた。
今のうちに追撃したいが、もうまともに動けない。やれることは魔力操作だけだ。
……ああ、でも魔力が使えるなら。
俺は龍を睨みつけ、その喉奥にある筈の武器と己を接続する。相手の動きが激し過ぎて、なかなか巧く加工出来ない――それでも、少しずつ刃先を伸ばしていく。
龍のしなやかで上質な筋肉が、薙刀に抵抗しているのを感じる。くぐもった悲鳴が大きくなっていく。
慎重な作業によって緊張が高まり、唇が震えた。単に出血の所為かもしれない。
何でこんなに頑張っているんだっけ?
根本的なところがもう解らない。
とにかく相手を殺さなければという義務感に駆られ、必死で魔力を送り込む。魔核を徐々に肥大化させ、喉の隙間を埋めていく。
岩の欠片が飛んできて、顔や体に突き刺さる。死があまりに間近過ぎて、痛みも恐怖も感じなくなってきた。
どれだけの時間が経っただろうか。気付けば龍はほぼ動かなくなり、思い出したように四肢を痙攣させるようになった。穢れを操作すれば、その痙攣すらも自由に止められる。
俺でも制御出来るくらい、汚染が進んだらしい。
……戦闘不能に陥るまで、相手の方が俺より少しだけ早かった。ただそれだけのことで、勝ったとは到底言い難い。
両腕と右脚は暫く使用不能。薙刀も大幅に変形させてしまったし、もう復元は難しいだろう。失ったものがあまりに多過ぎるが、命だけはかろうじて残すことが出来た。
まあ、巧くいった方か。本来なら戦闘にすらならない相手を、地の利と運でどうにか凌ぎ切ったのだ。
「グッ……グッ……」
苦しげに呻きながら、龍はこちらに視線を向けている。まだ相手の心は折れていない。流石、あの巨体に見合うだけの生命力はあるようだ。
俺は地面に寝転がったまま、ヤツの心臓を穢れで掌握する。そうして完全に止めを刺し、ようやく全身の力を抜いた。
こんな場所で休んでもいられないが、どうにも体が動かない。祭壇を守るためとはいえ、あまりに無茶な真似をしたものだ。
ただ……無茶は承知の上で、どういう対処が正解だったのかと、今更ながら考える。
人里から離れているし、受託者であることを伏せている以上、誰かの協力は求められなかった。ならば教国を見捨てて、自分のことだけを考えれば良かったのだろうか。でもそれで祭壇を壊されたら、河守達のように異能を奪われていたかもしれない。『健康』を失くしたら俺はきっと死んでしまう。
だったら……選択肢は無かったんだな。
うん、俺は正しかった。
賞賛も無く、利益も無く、本来なら逃げるべき戦いだった。それでも使命のために立ち向かったのだと、強引に自分を納得させる。
しかし――本当にそれで正しかったのか?
上位存在に対し、盲目的に従うことが受託者の在り方なのか? 死にかけてまで戦う意味は? 生きて可能性を繋いでこそ、価値があるのでは?
自分で勝手にやったことなのに、後悔が頭を過る。俺でなくても、もっと適任がいるだろうに。
色々な考えが頭に浮かんでは消えていく。
駄目だ、止まれ。今は疲れているだけだ。
誤魔化しきれない――生まれ変わって初めて、俺は自分の存在に疑念を抱いた。
今回はここまで。
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ご覧いただき、ありがとうございました。