難関
誤字脱字報告、まことにありがとうございます。
「……ここか? ここだよな?」
荒い息を抑えて、地べたに腰を下ろす。冷水を口に含み、乾いた舌を潤してやる。
町を抜け出して何日経っただろうか? 地脈の流れを辿り続けて、ようやくそれらしい場所を探り当てた。目の前には、岩の塊が幾つも並んだ不自然な光景が広がっている。何処となく規則的な配列――何より森の中だというのに、ここだけ木が生えていなかった。
割と雑な隠し方だ。とはいえ、わざわざこの岩を退かそうとする者はいないだろうから、このやり方も間違いではないのだろう。
さて、どうしたものか。
地中を進めば楽だとしても、術式をうっかり削ったらアレンドラの二の舞だ。なるべく慎重に崩していくしかないと判断する。
俺は手始めに近くの岩に触れ、通り道となる大まかな方向を定めた。そうして、自分が入り込めるだけの隙間が出来るよう、岩の端を試しに削る。
特区のように、魔力を遮断する素材という訳でもない、か。そこそこ抵抗はあるものの、魔力の残りさえ気にしなければどうにかなりそうだ。
……負担は大きくても、なるべく急ごう。終わったら国境を抜け、今度はコアンドロ氏と接触し、汚染の拡大を止めねばならない。やるべきことは幾らでもある。
やがて日が暮れ、そして明ける頃になって、俺はどうにか作業を完遂した。
たった半日の作業で、手足が震えてしまっている。疲れた体を休めるため、岩の隙間で地虫のようになりながら、一度横になった。
目的地が近いからだろうか、かつて工国の地下で、穢れに塗れながら作業した記憶が蘇る。祭壇絡みではロクな思い出が無いと気付き、苦笑してしまった。
いや、祭壇と限らず、俺はいつだってやらかしてばかりだな。
つい先日だってそうだ。他者に噛みついたところで何にもならないのに、余計なことを言ってしまう。荒んでいるから、これ以上酷くならないようにと王国を追い出された筈が、人当たりは悪くなる一方だ。
俺はきっと増長している。自戒、自戒と念仏のように繰り返しているうち、意識が遠ざかっていった。
急激な眠気……いや違う。
脳の奥にある自分を司る何かが、地の底へと引き摺られていく。工国で祭壇と接続した時に似た感覚だ。
祭壇から血管のように張り巡らされた魔力の経路を隈なく調べるように、急速に視界が移動する。前回よりは速度が穏やかなため、どうにか認識が追いついている。
ただ、これはどうなんだ?
想像していたよりもずっと広い土地を管理しているようだが、何処も彼処も荒地ばかりで物寂しさしか感じない。穢れが発生していながら、そのままになっている場所も散見された。
不遜を承知で言えば、教国は工国と比べて祭壇の造りが甘い気がする。あちらは術式さえ破壊されなければ、河の流域全体を浄化するだけの機能を備えていた。翻ってこちらは人間がある程度動いてやらないと、穢れがその土地に残ってしまう。祝福はあくまで道具に浄化の力を与えるだけで、穢れを減じるものではない。
上位存在の意図が云々というより、作り手自体が違っている。そして、両者には明確な技量の差があった。そんな印象を受ける。
……巡回が終わり、意識が現世に戻って来た。閉じていた目を開き、呼吸を整える。
管理されている範囲内では、大きな問題は起きていない。とはいえ、先の視点の中には人里が含まれていなかった。敢えてそこだけ省いている訳ではないなら、国境沿いに祝福は与えられない、ということでもある。
ならばきっと、汚染は長引くだろう。
やはり急ごうと思い決め、匍匐前進で入り口を目指す。暫くすると、岩の隙間の奥にある洞穴にどうにか行き着いた。中は思いのほか広く、棒を振り回しても支障が無い程度の幅は確保されている。
まずは明かりを生み出し、『集中』と『観察』を起動する。王国の祭壇には隠し通路があったし、ここも同じ仕様が無いとは限らない。目を凝らして前方を睨み、そして、反射的に鉈を抜いた。
「……ッ!?」
踏み出そうとして、宙に浮かせていた足を下ろす。羽音と共にこちらへ迫る影を、横薙ぎの斬撃で弾き飛ばした。
何だ、今のは甲虫か?
確信は持てないが、とにかく硬い。刃を立てていたのに相手を斬れなかった。しかも、探知を使っても気配を感じ取れない。
明らかに不自然な存在だ。ここの祭壇は管理者ではなく、守護者を置いている?
唐突な戦闘のお陰で、一気に頭が冷えた。
水の糸を自身の周囲に張り巡らせ、慎重に歩を進める。急がなければならないが、そうも言ってられなくなってしまった。
そうした焦りの隙を縫うように、今度は複数の羽音が響く。
「チッ、鬱陶しい!」
前後左右から迫る敵を糸に引っ掛け、動きを止める。正体が甲虫であることを確認し、今度は腹に水弾を撃ち込んでやった。甲殻以外は脆いのか、地面に叩きつけられた虫達は動かなくなった。念のため鉈で一匹一匹を丁寧に潰して止めを刺すと、中からは鈍色に輝く体液が飛び散る。
……見た目は水銀、臭いは石油か。機械仕掛けに見えるものの、思い込みで攻めを限定しない方が良いだろう。
取り敢えず、対処そのものは難しくはない。問題は残りの数と、気配を読めないところだな。
その後も散発的な襲撃を受けつつ、俺は探索を続ける。特に変化の無い一本道を進み、どれだけ歩いたか解らなくなった頃、やけに広々とした空間へと到着した。
天井に穴が開いているのか、ここだけ光が降り注いでいる。だからこそ、周囲の異様な状況はよく目立っていた。
……道中で散々嫌がらせをしてきたあの甲虫が、無数の屍を晒している。加えて、国境沿いで俺を焼いた防衛機構が、砕けて横倒しになっている。そしてその傍らでは、どす黒くも艶めかしい巨躯が静かな寝息を立てていた。
俺はすぐさま後退し、全力で気配を殺す。意に反して声を漏らしそうな喉を、両手で必死に押さえ込んだ。
――龍だ、初めて見た。
恐らくこの世で最も強靭で、かつ希少な生物の一種。王国でも数える程しか目撃されていない脅威と、何故こんな場所で出会ってしまう?
相手は眠っているだけだというのに、肌が粟立っている。体が戦闘を拒否していると、簡単に自覚出来た。
避けて通りたいが、もう一度あの空間へ進むことすら躊躇われる。もし気付かれた場合、逃げられるかすら解らない。
なら、放置して撤退するか?
しかしここを塒にされると、工国に続き教国の祭壇まで破壊されてしまう。かといって、俺程度で勝てる相手ではない。
いや待て、落ち着け。
最初は状況を確認するところから始めるべきだ。
混乱する己をかろうじて宥め、慎重に龍を視界に収める。『観察』に全力を費やし、何か打開策が無いかと必死で探る。
まず……油の臭いに紛れて解らなかったが、仄かに血の臭いが混じっている。となると龍は負傷しており、体を休めているということになる。何故怪我をしているのかは気になるが、それは本筋ではない。
次、微々たる量ではあるものの、龍はどうやら汚染されている。皮膚の内側から穢れを感じる辺り、汚染された生物をそうと知らず食べた、といったところか。何年後になるかはさておき、俺が手を下すまでもなく、相手はいずれ死ぬだろう。
暫く時間を使っても、朗報はこれしか見つからなかった。
唯一勝ち筋があるとすれば、俺の穢れも併用して一気に汚染を進めることくらいか。ただ、それに気付いた龍がこの場で暴れ回り、祭壇も俺も潰されるという可能性も高い。進んでやりたい賭けではないな。
何かが起きて勝手にどうにかならないだろうかと、逃避気味に願う。
勿論そんな奇跡は起こらず、時間を使い過ぎた所為で、展開はむしろ悪い方向へと向かった。龍は身じろぎをすると、両目を開いてこちらの姿を捉えた。
鼻息だけで顔が歪むほどの風を感じる。生物としての格が違うのだと、嫌になるほど理解出来てしまう。
「……く、ふふ、ッ」
行き過ぎた緊張が精神をおかしくしてしまったのか、笑いが止まらなくなってきた。
もう不意討ちは使えない。相手は動かないまま、こちらの反応を窺っている。敵対行動を取った瞬間、成す術もなく殺されるような気がした。
この状況で何が出来る、何が――
考えても何も浮かばない。
俺は諦めて武器を仕舞い、両手を挙げた。
「その先に行きたいんだけど、通っても良いかな?」
言葉が通じるかなんて解らない。交渉が可能な相手とも思っていない。でも、何も手段が無い。
無抵抗を示して待っていると、果たして、龍は体を億劫そうに持ち上げ隅に寄った。
通じた? いや、
「っぶねえ!」
翻った尾が地面を叩き、岩の欠片がそこら中に飛び散る。慌てて左に身を傾けると、散弾が俺の裾を切り裂き、彼方へと消えていった。
期待感はあったが、まあ当たり前に駄目か。
こうなった以上、覚悟を決めよう。
嘆息一つで棒と鉈を組み合わせ、薙刀にして構える。幸いにして、通路はあの巨体が入り込めるだけの余地が無い。どうしても無理なら逃げるとして、今はとにかく頑張るまでだ。
下がりそうになる脚を殴りつけ、震えを抑える。もうこうなったら、勝てる勝てないではない。お互い平和でいられる道を蹴ったのは相手だ、ちっぽけな俺にだって矜持がある。
封じ込めていた穢れを開放し、前方へと押し流す。ついでに陰術の毒も混ぜ、龍の優位を削りにかかる。
「グゥ?」
魔力強度が低いのか、ヤツは何も感じていないらしい。それとも俺の魔術なんて気にするほどでもないか?
呑気な声を上げやがって、絶対に後悔させてやる。
泣きそうになりながら歯を食い縛り、怖気づいた己を必死に鼓舞した。
7/16に拙作「クロゥレン家の次男坊」の書籍版4巻と、コミカライズ版の2巻が同時発売されます。
もしよろしければお手に取っていただけると幸いです。
ということで今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。