到着
首都を出発して五日が経過した。
ほぼ無休で歩き続け、ようやく目的地へ辿り着いた。暗い顔の門兵達に会釈をし、拠点となる宿へと向かう。
使節団は南東の、カイゼンとの国境沿いで作業に従事するという。俺を含めた部隊は、その手前の町に滞在することに決まった。
俺の監視役を務めるのは、サファと呼ばれたあの女――恐らくは、命令無視に対する懲罰という意味合いがあるのだろう。
「……ハァ、どうして私が監視なんて……」
何度目かの愚痴が煩わしい。
出発からここまで反省の色はまるで見られず、サファは世の不幸を一身に背負ったような声を出し続けている。
「嫌なら帰ったらどうだ。お前がいなくても誰も困らん」
「残念ながら、私は伝令として大事な書類を任されているの。情報伝達がどれだけ重要なものか、貴方には解らないでしょうね」
得意げな顔がこちらに向けられる。知った風なことを、と鼻で嗤ってやる。
伝令が重要であることは疑うべくもないが、司令部の意図はそうではなかろう。粛清される寸前だった奴に、大きな仕事を任せる筈が無い。現地にわざわざ行くのは面倒だから、雑用を押し付けたという程度ではないだろうか。
この調子では、その書類にもどれだけの価値があることやら。
「そんなに大事なら、お前は先を急いだらどうだ? 監視なら他にもいるだろう?」
「フン、交代要員と合流したらね。貴方は精々、ここで無駄な時間を過ごしていなさい」
「そうさせてもらえるなら、こっちもありがたいね」
適当な相槌を打ちつつも、内心では相手の発言を否定する。監視が外れたらすぐにでも祭壇を探しに行く、俺はそう決めていた。
サファは何か怪しいものを感じているのか、こちらの鞄を掴んで離そうとしなかった。
……相手をするのも億劫だ。
話を打ち切り周囲に目を遣ると、町中には兵がちらほらと混じっていることに気が付く。話がどう伝わっているのか、誰もが厳しい視線でこちらを眺めていた。
俺が兵を殺したからか、それとも使節団が何かやらかしているのか。いずれにせよ、あまり良い印象は持たれていないらしい。
まあ、どちらであっても大差は無い。俺はアーウェイ殿に求められたからここにいるだけで、教国に対する執着は既に失っている。協力を求められても何をすれば良いか解らないし、友好的な関係を築けないのなら、手を引くことすら考慮の上だ。いっそこの状況を利用して、町を出る策を考えるのも面白い。
無責任だと言われようと、元は教国の問題なのだ。たとえそれで立場を失っても、どうでも良い。
――今後社会と交わっていけるかは、かなり怪しくなっている。
誰がどれだけ真相を知っているかも解らない以上、俺が汚染者であることはいずれ広まってしまうだろう。アーウェイ殿は友好を語ったが、一方的にこちらの弱みを握っている者が、それを語ること自体空々しい。彼が悪人ではないとしても、俺が相手を信じられない。
ただ、どうやって俺を処理するつもりだろう?
……ああ、前線に送り込んで、そこで汚染されたことにするという手もあるな。むしろ、汚染者が首都を闊歩したという事実はその方が否定し易いのか。
こんな簡単なことを見落とすとは。やはり、あの短い時間で結論を急いだのは失敗だった。
そんなことをつらつら考えていると、後ろから手を引かれた。
「ちょっと、フェリス!」
「ん、どうした?」
「何を呆けているの。宿はあそこ、通り過ぎてるよ」
「ああそうか。すまん、考え事をしていた」
振り返れば、宿の前で交代要員らしき女性が訝しげな顔を晒している。あの人は……ミーディエン殿達の治療に当たった陽術師か。
俺は来た道をすぐさま戻り、彼女に会釈する。
「大変失礼しました。数日ぶりですね、フェリス・クロゥレンと申します」
「ハナッサ・メイア・カークスです。先日は仲間を救っていただき、ありがとうございました」
「いえ、急場でしたので荒い治療となってしまいました。あの後を引き継いだのでは、苦労なさったでしょう」
穢れが解消されたからといって、抉られた肉は戻らない。まして、俺の陽術では血を止める程度が精一杯だった。彼等を万全の状態にまで回復させることは、容易な作業ではなかっただろう。
相手から感じる雰囲気からして、不可能ではなかったとは思うが……そういう意味では迷惑をかけた。
謝罪に対し、ハナッサ殿はこちらへ手を差し伸べつつ、僅かに唇の端を持ち上げる。
「あの状況で急場を凌いでいただいただけで、こちらとしては充分です。原始的ではありましたが、なかなか面白い治療法だったと思いますよ」
原始的ねえ……本職からすれば、そんな評価にもなるか。俺としても否定する要素は無い。
ただまあ言動からして、こちらに好意的な感情は持っていないことは解った。ならばそれなりの対応をしよう。
俺は向けられた手を握り返し、笑みを返す。
「流石に本職の陽術師に及ぶ程の腕前はありませんからね。なるべくお邪魔にならないよう、控えておりますよ」
「お手並みを拝見出来るかと思いましたが、残念ですね。こちらとしても客人に無理強いをするつもりはありませんので、ひとまずごゆっくりとお過ごしください」
そうしてハナッサ殿は宿の扉を開き、俺達を素直に招き入れた。俺は案内された部屋に荷物を置き、ひとまず腰を下ろす。
さて、大した遣り取りではなかったが、情報量はそこそこにあったな。
部屋に備え付けの湯飲みに冷水を注ぎ、一息で飲み干す。蒸れた体を手で扇ぎながら、考えをまとめにかかった。
まず第一に、現場の人間は俺の介入を拒んでいる。そうでなければ、到着した時点からあんな空気にはなっていない筈だ。これがアーウェイ殿の意図なのか、その他の第三者によるものなのかはさておき、いずれ俺を活躍させないことには意味があるのだろう。
しかし、自力で王国と交渉すると面倒事は増えるのに、連中を押し付けるのではなく俺を排除するよう動くとは何が狙いだ? 別に働かなくて済むのなら、俺としてもそれに越したことはない――ああ、もしかして報酬の穢れ祓いが惜しいのか?
確かに、他国の人間へ貴重な品を与えることに対して、抵抗を持つ者がいてもおかしくはない。
俺が結果を出せなければ、法外な報酬など支払う必要は無い。それどころか、ここで頑張れば穢れ祓いが自分の元に転がり込むことだって有り得る。可能性としてはありそうだ。
もうアーウェイ殿から短剣は受け取っているのだが……これは交渉の手札として使った方が便利かもしれない。
そして第二に、教国兵と使節団の関係性について。これはどうやら、想定よりも悪いものではないらしい。
もし本当にどうしようもない状態なのであれば、俺を利用して状況を改善しつつ、手柄だけは確保する方向で頭を使う筈だ。なのに現場から遠ざけるということは、まだどうにかなる段階で状況が止まっているということだろう。
正直なところ、上位貴族の横暴は理解し難い形で発揮されるため、今安定しているとしたらそれはただの偶然だ。
俺はそういったものを回避するために協力を求められている訳だが、現場から求められてもいないのに、出しゃばるのはどうかという気がしている。これについては流れに身を任せるとしよう。
取り敢えず今はそんなところか。後は、抜け出す余裕があるかどうかだな。
少し宿の周囲を確かめるべく、身形を整える。
廊下に出て玄関へ向かうと、サファとハナッサ殿が何やら打ち合わせの最中だった。
「お出かけですか?」
「食事を摂ろうと思いまして。この近くに店はありますか?」
「アンタ、そんな勝手な真似を……」
非難の声をあげようとしたサファを、ハナッサ殿が止める。
やはり。
読みがある程度合っていれば、俺のことは放置するだろう。予想通り、そして都合の良いようにハナッサ殿は動いてくれる。
「玄関を出て左に進むと、緑色の看板を掲げた建物があります。宿は食事を出しませんので、何か食べたければそちらの食堂へどうぞ。鑑札をお渡しするので、代金は軍に請求するよう言ってください。……ああ、お酒は出ませんので、その点だけはご容赦を」
「普段から飲まないので、お気になさらず。食事が出るだけでもありがたい話ですよ」
頭を下げると、サファは苛立たしげにハナッサ殿から鑑札を奪い、俺に投げつけた。
うーん、二人の間で連携が取れていない。ハナッサ殿が明確な意図を持っているのに対し、サファは反射的に俺に嚙みついているだけ、という印象を受ける。全員が同じ方向へと歩いている訳でもないのか。
こちらの希望とハナッサ殿の目論見は一致している。となると、サファをどれだけ早く前線へ送り込めるかが課題となる訳で、この点については協調出来るだろう。
俺は敢えてハナッサ殿とだけ目線を合わせ、苦笑を一瞬だけ見せてから外へと向かった。どれだけ意図が伝わるかはさておき、サファへの隔意くらいは察してくれると期待する。
こういう腹芸が苦手だから、貴族としての活動を避けていたのにな。
我が事ながら呆れてしまう。
それでも面倒ではあるが、この展開は悪くない。サファの出発まで我慢して、その後は町を脱出しよう。それまでは、降って湧いた休暇を楽しむべきだ。
俺は食堂を通り過ぎ、町の様子を確かめて回ることにした。
今回はここまで。
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