交渉
ミーディエン殿の言う通り、穢れの有無が解る陽術師が帰って来たのは翌日のことだった。
これでようやくお役御免だ。いかにも魔術師といった感じの女性に情報を引き継いで部屋に戻ると、今度はアーウェイ殿が俺を待っていた。
「……おや、どうしました?」
「お疲れ様。そろそろ仕事が終わるだろうし、食事はどうかと思ってね」
言われて、半日食事をしていないことを思い出す。
なんと気配りに満ちたお方なのだろうか。寝ようかと思っていたが、用意があるならいただきたいところだ。
「ああ、ありがとうございます。丁度腹が減っていましてね」
「なら良かった。今温めるから、少し待ってくれたまえ」
お誘いに従い、椅子に座って汗を拭いていると、アーウェイ殿は持ち込んだ鍋を火にかけた。香草のそそる匂いがする――唾液を飲み込んで、落ち着かない腹を押さえた。
アーウェイ殿は苦笑を嚙み殺して、俺に具沢山の汁物を差し出す。
「客人に重労働をさせてしまったな」
「あれくらいなら大したことではありませんよ。ただ、陽術師を常に一人は配置しておくべきだ、とは具申させていただきます。死者が出なかったのは、幸運が重なっただけのことです」
今回は穢れの量が少なかったため、俺の陽術でもどうにか間に合った。もし、あれよりも汚染が進行していたり、兵達の傷が深かったなら、とても対処出来なかっただろう。
しかしアーウェイ殿は、俺の忠告に対し首を横に振った。
「耳が痛い話だな。……とはいえ、今は民の治療にも人手が必要だし、ここで手を抜く訳にもいかん。浄化を担当する部隊には注意してもらうしかない」
まあ、国で通用する人材など簡単に育つものではない。望んだだけ増員されるのなら、誰もこんなに苦労しない、という声も解る。
「……あくまでこれは部外者の意見です。従わなければならない、というものではありません」
「いや、尤もな意見だと思うよ。特に教国において、陽術師の育成は喫緊の課題だ。王国に技術を提供するのは、育成の感覚を掴むという意図もあるのだよ」
汁物に入った肉を啜りながら、相手の話に頷く。
教育とは非常に難しいものだ。まだ手探りだと言うのなら、色々試してみることにも意義はあるだろう。連中が役に立つのなら、どうとでも使ってほしい。
「……使節団をどうするか、方針は決まったのですか?」
「うむ。彼等は穢れ祓い……もっと言えば我が国の陽術が目的ということなのでな。南東の汚染地区の手前で、まずは補助をしてもらうことにした。前線に出して混乱を招く訳にはいかんが、現実を理解してもらわないことにはどうにもならん。まずは穢れの何たるかを見てもらおうと考えている」
「賢明ですな」
一番大変な現場に迷惑をかけず、かつ仕事を覚えられそうな場所、となるとそれくらいしか選択肢が無い。割と穏便な判断だし、何より気を抜けないというのも状況として良い。
必死な者は、覚えるのも早いものだ。
メリエラ様からすれば実力不足であっても、国内の精鋭を集めた――ということにはなっている。本気になれば、意外な力を発揮してくれるかもしれない。
ただし、不安な点はまだ残っている。
「少々気になったのですが……身内の治療すら覚束ない現状で、彼等のお守りをどうします?」
「外部の協力者として、やはり君の協力を仰ぎたいと言ったら? もちろん、仕事に見合うだけの報酬は出そう」
前回あれだけ言ったのに、まだ俺に期待するのか。
確かに、王国の礼儀や作法を知る俺がいた方が、教国としては楽になるだろう。ただ、俺の生活に金が不要だということは、カイゼンで既に証明されている。数百万程度を貰ったところで、実家への仕送りとなるだけだ。
「正直なところ、あまり気乗りはしませんね。一応、具体的な額を先にお伺いしても?」
「金銭に興味は無い、といった様子だな。君の要望に合いそうなものとなると、祝福された武器はどうだね。穢れ祓いを使えるのだろう?」
それはまた、随分と思い切ったな。
邪精の権限を誤魔化す意味では、持っていても困らないが……というか、アーウェイ殿は祝福された武器の処遇を決める権限があるのか?
相手の地位を何となく察し、俺は考え込んでしまう。ただ、この態度を不満の表れと受け取ったのか、アーウェイ殿は悲しげに目を伏せた。
「ふむ、これでもお気に召さないかね」
「いいえ、報酬としては破格だと思います。しかし以前にもお話しましたが、私は使節団に対して良い感情を持っておりません。取り分け、責任者に関しては因縁があります。私を起用したら平和には終わりませんよ」
メリエラ様の娘が相手であっても、容赦はしないと決めた。まあアレでも次期領主だ、積極的に命を奪うことは無いにせよ、敵対するなら躊躇するだけの理由も無い。他の連中についても同様。
使節団が全滅してもその事実を飲み込めるか?
全てを許すだけの気概を持ってもらわないと、この話は承諾出来ない。
なのにアーウェイ殿は諦めず、身を乗り出して尚も言葉を重ねた。
「それならこういうのはどうだ? 先の報酬に加え、君が石碑を破壊したことを不問にする、というのは」
「……ふむ?」
――とうとうその事実を掴んだ、か。
まあ王国との国境に意識を向ければ、すぐに解ることではある。サファという兵士だって生きているのだから、彼女から話を聞いたのかもしれない。むしろ、今まで触れられなかった方がおかしいという気さえする。
どうやら人間のフリをしていられる時間も、そろそろ終わりらしい。
室内に緊張感が漲る。石碑の機能を知っていれば、俺がここにいる異常さも当然に解る筈だ。提案を蹴れば俺は人界から弾き出され、受け入れても弱みが残り続ける。
どちらを選んでも、状況としては詰んでいるな。
「悪い話ではないだろう? 彼等と直接接触させるまではしない。それでも嫌かね」
「接触が無ければまだどうにか、ということにはなるでしょう。なりますが……アーウェイ殿は、何故そうも私に拘るのです? この国にとって当たり前の接遇をすれば、それで良いではありませんか」
それ以前に、何故俺を生かすような真似をする?
睨んでみても、アーウェイ殿は決して目を逸らさなかった。
「自覚が無いようだな。武器の数が少ないということもあるにせよ、穢れ祓いを使える人間はそもそも少数なのだ。充分な魔力を持たぬ者が扱えば、あれは生命力を吸い上げてでも効力を発揮しようとする。道具には相応しい持ち主がいるのだよ」
そこではない、そうではないだろう。
答えを先送りにされ、体に力が入る。しかし感情が揺れ、却って冷静になったのか、お互い汚染に触れないことには意味があると気付いた。
明言さえしなければ俺は人でいられるし、相手も汚染者を招き入れたという事実を伏せていられる。特に軍部にとって、汚染者に前線を突破されたというのは汚点でしかない。
弱みを抱えているのは、俺だけではない……?
駄目だ。判断を急がなければいけないのに、考えがまとまらない。これは絶対に何か見落としがある。
それでも、ここで拒否する選択だけは取れない。
「そこまでの価値が、私にありますか?」
そちらからすれば、殺してしまった方が早いのでは?
果たして、裏を読んだかのようにアーウェイ殿は首を横に振る。
「私の目には、君は大変魅力的に映る。人力による聖域の発露を達成したのは、現状では君だけだ。君には他の者には無い何かがある。奇跡の体現者とその研究者――我々くらい、友好的であったって良いではないか」
友好を求めるなら厄介事を押し付けるなと言いたいところだが、かなり思い切った報酬を出そうとしていることも解る。それはアーウェイ殿なりの誠意とも言えるだろう。
……これ以上は引っ張れないな。
状況的に乗るしかないとはいえ、恐らく何処かに落とし穴はある。絶対にある。かといって報酬を引き出そうにも、何も欲しい物が無い。
いや、一つだけ布石を打っておくか。
「そこまで言うなら、お引き受けしましょう。ただし先程仰っていただいたように、直接の接触はしません。加えて、もう一つお願いがあります」
「何だね?」
「今後は私の単独行動を認めてほしい、ということです。別に監視がついていても苦ではありませんが、場合によっては相手を殺さないために、独断で現場を離れることは有り得ます。そういう時、私は監視がついてこれなくても無視すると思います」
「……なるほど。まあこちらとしても、国賓を死なせることは避けたい。その場合は元々の意向通り、君には現地周辺の浄化を手伝ってもらうことにしよう」
良し、通ったな。
祭壇の位置さえ掴んでしまえば、後はどうなっても構わない。むしろこうなった以上、教国内に居続ける方が弊害は大きくなるだろう。流れ次第で社会との繋がりは切れてしまうとしても、飼い殺しにされるよりはずっとマシだ。
なるべく穏便に、かつさっさと要件を済ませて逃げてしまおう。
「ありがとうございます。なら、細かい点を詰めましょうか。お時間をいただいても?」
「私は問題無いよ。君こそ、眠らなくても大丈夫かね?」
「懸念を残したままだと安眠出来ませんから」
我ながら空々しい言葉だ。きっと、この懸念が消えることは無い。
それでも、やらかしたことも含め、俺が自分で選んだことだ。
行動には責任が伴う。今後どう生きて、どう自分の居場所を作っていくのか――真面目に考えるべき時が来た。きっとそれだけのことなのだ。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。