治療
指示を出す者がいないまま、何だかんだで二日が過ぎた。アーウェイ殿はあれっきり顔を見せず、今日も待機だろうかと飽きを感じ始めた頃、ハルネリアが部屋を訪れた。
「フェリス。君は穢れの感知が得意だと聞いたが本当か?」
「得意という程ではないが……まあ、解るには解るよ」
「そうか。ならば、少し手を貸してほしい」
やけに焦った様子だったため話を聞くと、洞窟の浄化に向かった軍人が魔獣に不覚を取り、重傷を負ったとのことだった。
大変なのは解ったが、それで俺に何が出来るのかと内心で首を捻る。
「医者か薬師はいないのか?」
「現在待機中の薬師は浄化が出来んのだ。安全が確保されていないのに、負傷者へ近づける訳にもいかん」
「穢れ祓いを使えば済むだろうに」
「詳しくは説明出来ないが、そう出来ない事情があるのだ」
事情とは何だと反射的に言いかけたところで、ふと口を噤む。アレは魔力壁で遮断出来る力だ、使ったところで絶対ではない。教国としてもその欠点は承知しているのだろう。
ここで素直に納得したら、何故気付いたのかという話になる。ならば――
「俺に詳しいことは説明出来ないが、とにかく穢れの有無は知りたいという訳だな?」
「そうなる」
「……まあ、取り敢えずはやってみよう。重傷者がいるんだろ? 場所は何処だ」
突っ込めない内容なら、突っ込まないに限る。
俺は追及を止め、相手を促す。ハルネリアもすぐさま切り替え、俺を連れて目的の部屋へ向かった。
中に入ると、そこにはミーディエン殿含め、四人の兵士が暗い表情を並べて床に座っていた。ミーディエン殿は程々の負傷で済んでいるものの、他の面子は出血が激しく、かろうじて座位を保っているだけで目が虚ろだ。
「おいおい、穢れを云々言う前に血は止めてやれよ。薬くらいあるだろ」
「もし汚染されていたら、止血など無意味だ。……その時は徒に延命するのではなく、ここで死んでもらわねばならん。苦しませないのも慈悲の一つなのだ」
「お前は何を言ってるんだ? 血を媒介にして穢れが広まる可能性だってあるんだぞ、止血は自分達の安全のためにも必要だ。それと、コイツ等を生かしたいのか殺したいのかはっきりしろよ」
汚染されるのが嫌なら、そもそも何故中に入れたのか、という話になる。部屋に招いてから治療を悩むなんて、対応があまりに半端過ぎるだろう。これでは助かるものも助からない。
かつて母が、医療従事者の不足を嘆いていたことを不意に思い出した。素人がこんな風に訳の解らんことをするから、いざ治療の段になって医者が困るのだ。
嘆息し、何から手をつけるべきかと考えていると、ミーディエン殿は決然と顔を上げる。
「汚染者の回復が望めない場合、安楽死をさせるよう隊では推奨されているんだ。ハルネリアを責めないでやってくれ。そして……フェリス、君なら汚染の有無が解ると言ったのは私だ。我々の中で助かる者はいるだろうか?」
「何を深刻そうに。全員助かるよ」
とはいえ実のところ、全員が僅かながら汚染されてしまっている。穢れを抜き取って、穢れ祓いを撃ってもらえば済む話ではあるのだが……ハルネリア以外に余力がある者はいないようだ。
「ハルネリアは穢れ祓いを使えるのか?」
「……その物言い、汚染者がいるということか。誰だ?」
「誰だと問われたら全員だ。ああもう面倒臭えな、ちょっと汚染されたくらいでいちいち大袈裟なんだよ。穢れ祓いを使えるのか? どうなんだ?」
「念のため持ち出して来てはいる。しかし」
しかし、の後が続かない。本音としては仲間を生かしたくても、俺には詳細を言えない、か?
つくづく軍人だな。部外秘を漏らさない――職務に忠実だが、この場では無能だ。
まどろっこしくて嫌になる。俺はハルネリアの懐へ飛び込み、反応を許さず腰の短剣を奪い取った。他に何も持っていない以上、祝福された武器はこれなのだろう。
「なっ、貴様!」
「決断出来ないんだろう? 邪魔だ、引っ込んでろ」
下段蹴りでハルネリアの足首を払い、転ばせる。武術強度は俺より高いのだろうに、油断し過ぎだ。
俺はすぐさま奪った短剣に魔力を込め、穢れ祓いをまず一発撃ってみる。室内に眩い輝きが満ちるも、居並ぶ面々の穢れは僅かに削がれた程度だった。生物が無意識に外部へ漏らしている魔力が、浄化の勢いに抵抗している。零距離で光を浴びているのに、俺の体内も落ち着いていた。
こうして使ってみるとよく解る。正直、穢れ祓いはあくまで場に作用するものであり、あまり使い勝手の良い力ではない。
ミーディエン殿は光に顔を顰めながら、呆然と声を漏らした。
「……平気、なのか?」
「ん、魔力消費のことか? この程度なら十回撃っても問題無い。それより、助かりたいならあまり緊張するな。浄化に対して身構えるから、体内に効果が浸透しないんだよ。気張らずに力を抜いてくれ」
「解った。どうか、部下を助けてやってくれ」
助ける、ねえ……この期に及んで、ハルネリアの方針に従う必要は無いよな。
人命優先なら、やはり傷の処置を先に済ませた方が良い。
「少し染みるぞ」
水帯を生成し、全員の体を洗浄する。そうして、我ながら不細工な陽術で傷口に活性を打ち込んでいく。応急処置により概ね血が止まったと判断し、俺はハルネリアを引き起こした。
「ぼんやりするな。造血剤と食事を持って来い」
「……一人で処置するつもりか?」
「心配なのは解るが、お前がいたからって何が出来るんだ。俺しかいないんだから、一人でやるしかあるまいよ」
穢れの感知も出来ない、治療も出来ないのではいたところで仕方が無い。当人は軍規に従っているだけなのだろうが、場にそぐわない行動をされる方が困ってしまう。
俺はハルネリアを外へ追い出し、負傷者達に向き直った。
「やれやれ……。なあ、ミーディエン殿。陽術師は何処に行ったんだ? 魔術による穢れ祓いもあるんだろう?」
メリエラ様の浄化は、俺の体内の穢れをかなり削ることが出来ていた。ああいう優れた魔術師がいれば、こうも慌てる必要は無い筈だ。
ミーディエン殿は静かに首を振ると、何処か諦めたように告げる。
「国の南東側で穢れによる被害が増えているため、最近は人が出払っていることが多くてな。明日には誰かしらが戻る筈なんだが」
頭の中に地図を浮かべる。……教国の南東というと、カイゼンとの国境側だな。
――石碑による防衛に穴がある、或いは魔力消費が多過ぎて対応が間に合わなかった? どういう理由にせよ、汚染された生物が国境を越えて入り込んでいるのだろう。
理由を察し、俺は顔を顰める。
「貴女はさておき、残る三人は放って置いたら明日まで保たないだろうな。いない者を頼る訳にもいかないし……ミーディエン殿、ちょっと試したいことがある。恐らく大丈夫だとは思うが、ひとまず指示に従ってくれないか」
「それは構わんが、何をするつもりだ?」
「……穢れに対して効果を発揮するのは、陽術ばかりとは限らない、という話だな」
今から行う処置はあまり気の進まない方法だが、邪精の権能を使うよりは、まだ誤魔化しが利くだろう。無駄な注目を浴びることになるとしても、こんな状況でやれることなど限られている。幸い、重傷者三名は半ば意識を失いつつあるため、無駄に騒がれることもない。
「……何をするつもりか、見届けさせてもらうぞ」
「見るのは許す。ただし、絶対に途中で止めるなよ。あと、この方法を広めてはいけない」
一つ頷くと、ミーディエン殿は重たげな体を引き摺って、部下達の前に座り込んだ。
俺は三人の目を塞ぎ、それから全員の体内に残る穢れを慎重に探る。内臓まで汚染されている者はいない。大体の被害は腕や背中など、体表近くに留まっていた。
うん、これならそう手間はかからないな。
「歯を食い縛れよ、行くぞ!」
声を張り、自身に気合を入れる。
俺は全員の傷口を一気に凍結させ、そのまま短剣を走らせる。負傷者の苦悶の声を無視し、汚染された部位を容赦無く抉り取った。そうして体内に残った穢れが無いことを確認し、改めて陽術で傷を塞ぐ。
床は石材――このまま進めよう。
地術で床を変形させ、先程摘出した血肉を一ヶ所にまとめる。中心に火を投げ入れて焼却し、最後に穢れ祓いを放って作業を終わらせた。
室内に俺以外の穢れは無し。素人による外科手術だったが、不愉快な臭いがすること以外は成功した。
ミーディエン殿は傷口を手で押さえながら、呆けたように呟く。
「……穢れの気配が消えた。やったのか?」
「ああ、これで終わりだよ。後は薬を待とう」
「……なるほど、この方法を広めるな、か。穢れを正確に把握出来る君以外、こんな真似は出来ないだろうな。死者が増える」
そう。そして、陽術師であればそもそもこんな真似をする必要が無い。
これは不出来な俺の、悪足掻きのようなものだ。それでも、人命救助が出来ただけマシではあるだろう。
「まあ死にはしないとしても、後遺症は残るかもしれないな。そこは俺には何とも出来ないんで、ちゃんと診てもらってくれ」
「解った。――今日は本当にありがとう、助かったよ」
「礼なら、また探索に連れて行ってくれ。俺はそれだけで充分だ」
手を振って返すと、ミーディエン殿は次第に目を伏せ始めた。出血や緊張の所為で、消耗が激しいようだ。頭が微かに揺れている。
「もうすぐハルネリアも戻る。無理しないで、今はゆっくり休め」
「ああ、そう、しよう」
返事が途切れがちになっていく。間も無くして、各々から安らかな寝息が聞こえるようになった。
硬い床で眠らせるのも忍びないと、俺は水術で寝台を作り、全員を静かに横たえる。
……殺してばかりの癖に、今日はよくやったじゃないか。
久し振りに頑張って働いた。自分の仕事に満足し、俺は大きく息を吐いた。
今回はここまで。
来週は休日出勤が予想されるため、お休みです。
ご覧いただきありがとうございました。
2025/3/15 一部訂正