献策
基地へ戻り、そのまま応援と一緒に洞窟へ挑戦するのかと思ったら、俺は待機を命じられてしまった。恐らく穢れの濃度が高過ぎたため、足手纏いを同行させる余裕が無いのだろう。
武器を貸してくれれば、それなりに体裁を保った形で働けるとは思うが……まあ、それは高望みというものだ。第三者にあんな重要な道具は渡せないし、たとえ渡されたとしても、要らぬ注目を集めることになる。
祭壇が絡んでいる以上、こちらは疑われない程度に隠れて動かなければならない。迂闊な真似をしてしまったことだし、暫く目立つ行動は自粛すべきだ。
まずは魔力を回復するためにも、体を休めよう。
自室から出るなというお達しだったので、取り敢えず俺は寝台に腰をかける。そのまま目を薄く閉じ、ゆっくりと呼吸をした。
一人落ち着いた環境で、すっかり変わってしまった体の機能を再確認する。
普段なら四肢に魔力を巡らせるところを、敢えて穢れで代用する。量を増減させても、外に漏れてはいない――どうやら、まだ俺は人界にいられるようだ。
一時間ほどかけて、気になる点を丹念に潰した。
そうして作業を終え、食事をどうするか考え始めた頃、不意に扉が叩かれる。
「失礼、フェリス殿はおられるか?」
「……おりますよ、どちら様でしょう?」
廊下に顔を出すと、そこには立派な髭を蓄えた老人が、背筋を伸ばして俺を待ち構えていた。軍人ではないらしく、ゆったりとした法衣に身を包み、穏やかな笑みを浮かべている。
所作というか、態度の端々に優雅なものを感じる。教国は貴族制ではなかったと思うが、それに近い立場の貴人なのだろう。
お互いの視線が絡み、ほぼ同時に頭を下げる。
「お休みのところ申し訳無い。私は教国で穢れの対策を研究している、アーウェイ・サナク・ノクスと申す。貴殿が聖地を目撃したとの話をミーディエンから聞き、こうしてお邪魔した次第だ」
「フェリス・クロゥレンです。その件であれば、時間はありますので構いませんよ」
気になるなら調査をすれば良いと進言したのは俺だ。当事者に話を聞きに来るのは当然の展開である。
ひとまず老人を中に招き入れ、一つだけ用意されている椅子を勧めた。
「ううむ、客人に提供する部屋としては簡素過ぎるな。過ごしていて気になることは無いか? 何か要望があるなら用意させよう」
「いえいえ、寝床もありますし、食事も提供されておりますので、特に不便はありません。お気遣いなく」
長居をするつもりもないのに、あれこれ家具を揃えても無駄になってしまう。
それに、一応俺は刑罰として労役を強いられている立場だ。あまり贅沢をしては周囲に示しがつくまい。
返事に対しアーウェイ殿は自身の髭を撫でると、地術で机と椅子を生成した。
「粗末な出来だが、私も調書を作りたいのでね。差し支えなければ、これはそのまま使ってくれ」
「……ありがとうございます、それでは失礼して」
向かい合って座ると、アーウェイ殿は机に紙を広げ、真っ直ぐに姿勢を正した。
「うむ、始めようか。まず今回の探索で、君がどのような行動を取ったか教えてくれ。時系列に沿った形で頼む」
「畏まりました」
出発前の準備段階から、順番に記憶を並べていく。洞窟までの道中に異常は無かったか、入り口の雰囲気はどうであったか、中の様子は?
様々な質問に素直に答え、ここに帰還するまでを説明し終えると、アーウェイ殿は一つ頷いた。
「ミーディエンの報告と大きな差は無し、と。ふむ……フェリス殿は若いのに、随分と穢れに詳しいようだ。今回の訪問のために勉強したのかね?」
「いえ、最低限のことは幼少期に教わりました。周囲に陽術師が多いもので」
「珍しいな。王国は穢れの発生頻度が極めて少ないだろう。あまり必要の無い知識ではないか?」
……そうなのか? いや確かに、言われてみればそうか。
国を出るまで、穢れを目にすることなど無かった。工国での遭遇だって、術式が破損していた所為だ。祭壇がある土地では、上位存在によって既に基本的な対処が為されている。
むしろ、祭壇があるのにこうも汚染が頻発する教国の方がおかしい。
「うちは母と姉が、そうした意識が高いようでしてね。領地の存続に影響する要素は、なるべく排除しておきたかったのでしょう。しかし……先程のお話ですが、教国は何故、穢れが他国と比べ発生し易いのでしょう?」
「それは我が国の成立がそうだから、としか言えないな。生活圏を広げるため、汚染されていた土地を浄化し、切り拓いていったのが我々の祖先だ。元々そういう土地を利用している訳だから、再発もし易いのではないかな。ただ……汚染されている土地は、魔獣による被害が少ないという利点もあるからね」
ああ、なるほど。そういう意味なら、確かに王国は魔獣による被害が多い。どちらがより厄介なのか、それは人によって判断が分かれるところだろう。
思わぬところで建国の歴史を知ってしまった。勉強になるなあ。
「戦う相手を選んだ訳ですね。これは興味深い」
「恐らく祝福の存在を知って、先人も穢れの方が与し易いと思ったのだろうな。完全な浄化が果たされたなら、そこは人間にとって安全な土地になる。だからこそ、聖地の発生条件を特定することは必要な作業なのだ。……これで回答になったかな?」
「ええ、大変面白いお話でした」
クロゥレン領もまだまだ開拓すべき土地を残しているため、他者の実体験は参考になる。俺が為政者になることは無いにせよ、こうした流れは覚えておくべきだろう。
一人で感心していると、アーウェイ殿は何故か疲れたように目を伏せた。
「随分と勉強熱心な若者だ。……いや、だから穢れを感知出来るだけの魔術強度を持っているのか。貴殿のような者が、使節団の一員であったならなあ」
「……何かありましたか?」
「先程、国境沿いの街に使節団が到着したと報告があったのだが、どうやら物資を無償で寄越せと住民に無理強いをしたようでな。早々に問題が発生している。……フェリス殿、同じ王国民として彼等を制御してほしいと言ったら、それは可能かね?」
……教えを乞う身だというのに、連中は馬鹿なのか? そもそも、責任者であるワイナは何をしているんだ?
国内の有力者を集めたという話だったし、貴族に我慢しろという方が酷だったか?
脳の奥が絞られるような痛みを発する。
「残念ながら、私は継承権を持たない地方貴族の次男坊に過ぎません。忠告をするくらいなら可能としても、それで止まる相手ではないでしょう」
「では、何か対策となる案は?」
当然の主張をしても、引き下がってはくれないか。
俺に言っても仕方の無い話だし、そもそも対策を考えるのは教国の仕事だ。それでも敢えてこちらに振るということは――調書の作成など単なる建前で、これがアーウェイ殿にとっての本題だったのかもしれない。
俺という人間を信用出来るのか、手元に置くだけの意味があるのかが試されている。連中も余計なことをしてくれたものだが……これで価値を示すことが出来るなら、展開的に悪くはない。
さて、どう立ち回るのが正解だ?
使節団に気を遣う必要は無い。やらかした連中が野垂れ死ぬことになろうと、別に心は痛まない。自身の利益を追求するとして、どうするのが最善だろう。
「……今回、王国からの使節団を受け入れることで、教国に齎される利益は何ですか?」
「基本的には金銭だな。加えて、この国では採れない幾つかの石材について、今後は取引をするという話になっている」
「石材は別の伝手を頼ることにして、使節団の受け入れをしないという選択は?」
「もう国内へ入っているのにか? 今更無理であろうよ」
石材が欲しいだけなら、使節団を拒絶し、ヴァーチェ伯爵家を直接紹介するという方法もあった。その手を選べないなら、邪魔者には消えてもらった方が早いな。
「然様ですか。それなら首都へ向かう道中で、実地指導を行うというのは如何です? 元々、彼等の目的は穢れの対策を学ぶことです。軍部は国賓を現場へ連れて行くことに抵抗があるようですが、今後を考えれば、どうしても経験を積んでもらう必要はあります。まずは、監督者の指示に従う、という基本から学んでもらいましょう」
「ふむ、体感してもらえば話が早い、と。とはいえ、彼等へ危険が及んだ場合はどうする?」
使節団の身を案じるかのような発言だ。しかし実際のところ、アーウェイ殿が気にしているのは王国本体の動向だろう。
「その時は、彼等が忠告を無視して逸ったことにすれば良いでしょう。国策で動いている以上、使節団だって結果を出さねば帰れない。理由は幾らでも作れますよ」
「本気かね。知人が汚染されるかもしれんのだぞ?」
「それを解決するために来たのです、勉強になるではありませんか」
そして身の程を知れば、横柄な態度を取ることだって無くなる筈だ。
アーウェイ殿はこちらを探るような視線を向けると、やがて溜息を吐いた。
「本気で言っているのだな。何がフェリス殿をそうまでさせる?」
「連中の問題行動は今に始まった話ではない、とだけ言っておきましょう。それで、どうなさいますか?」
国家間の関係性を悪化させたくないなら、強硬策は控えた方が良い。しかし、それでは相手を増長させるだけだ。釘を刺すなら今だと思う。
俺は既に出せる手札を晒した。
髭を指先で弄びながら、アーウェイ殿は黙って思考をまとめている。
今回はここまで。
ご覧いただき、ありがとうございました。