捕捉
探知に全力を費やしつつ、藪の中を駆ける。
現在地も目的地も、何一つとして解らない。ただ、あの建物は国境を監視するための詰所だったらしく、周囲に人の気配は感じられなかった。そうなるとあの女兵士は、増援を求めて人里に向かっているということだ。
他人との接触は極力避ける必要があることに加え、国境沿いの街は軍備が整っていることが多い。事をすぐにでも終わらせなければ、兵が押し寄せることになる。
先のことを想像し、どうしようもなく心が逸る。もっと範囲を広げ、効率的に追跡をしなければならない。
石柱を生成し体を持ち上げ、高所から魔力を飛ばす――何らかの異能を使っているのか、この短時間でサファは遥か遠くへと進んでいた。移動距離が尋常ではない。俺の体に問題が無かったとしても、相手の方が圧倒的に速いようだ。
何から何まで逆風だな。
状況が悪過ぎて、笑いが込み上げる。笑っている場合ではない、そう己の中の冷静な部分が言う。
身体強化を使い可能な限り速度を上げ、必死で距離を縮める。只管に気配を追いかけていると、不意にサファが足を止めた。
「……チッ、別動隊がいたか」
考えてみれば当たり前のことだ、たった四人で国境沿いを警備し切れる訳がない。巡回で外に出ていた奴もいれば、交代要員だっているだろう。向こうの街道で武装した兵が五人、サファと合流してしまった。
これ以上の接近は危険だと判断し、息を殺して繁みに身を伏せる。サファが連中に何やら訴えかけると、その中の一人、鎗を持った男が俄かに顔を上げた。
ああ……油断したな。
背筋が冷えるような双眸が、俺を射抜いている。魔術による隠身をしていなかったとはいえ、この距離で気取られるとは。
ただ立っているだけだというのに、相手からの圧を感じる。これは、自身を武に捧げた強者の気配だ。
男は鎗を地面に突き立てると、よく通る声で警告を放った。
「私は教国第五警備隊所属、ハルネリア・コスパディス・スライである! そこに潜んでいる者に告ぐ、速やかに姿を現したまえ!」
存在感に分厚さがある……ルーラやジグラ殿に近い力量の持ち主だろう。一人だけでも厄介なのに、部下もいる状況で物証を強奪することは不可能か。
どうあれ、居場所が割れているのに隠れている意味は無いな。
俺は素直に繁みから這い出し、くっ付いた葉を払いながら男と向き合う。そうしてお互い視線を外さないまま、声の聞こえる距離まで歩み寄った。
「素晴らしい反応だな。余程名のある武人と見える」
「警備兵複数を相手に単身で凌いだ君こそ、油断ならぬ男のようだ。……所属と目的を明らかにしたまえ」
部下が死んだことは察しているだろうに、相手からは怒りを感じられない。冷静さを保ったまま、こちらから情報を引き出そうとしている。
問答無用で襲ってきたならまだやり様はあるのだが、迂闊に隙を晒すような手合いではない、か。
「所属なら、その女が持っている組合員証を確認すれば解るだろう。目的は穢れに関する知識と技術の習得だ」
サファを棒で指し示すと、ハルネリアは彼女から証と短剣を受け取り、暫く具に眺めていた。やがて気が済んだのか、俺へと二つを投げ渡す。
「……良いのか?」
「構わん。クロゥレンといえば、王国の名家ではないか。教国と王国の間には貴人の扱いについて取り決めがある」
あの僻地を名家と呼ばれる日が来るとは思わなかった。込み上げる苦笑を噛み殺し、俺は周囲を警戒する。配下の連中が動き出す気配はまだ見えない。
俺の微妙な心情を感じ取ったのか、相手は咳払いと共に鎗を握る手を緩めた。
「……ひとまず話を戻そう。そういった目的であれば、普通に首都へ向かえば済む話だ。何故私の部下を殺した?」
「一人目については、尋問中にいきなり殺されそうになったから、だな。その女や一緒にいた男二人については……まあ、脱出の際の障害になりそうだったから、としか言えない」
ここに至っては誤魔化すような事実も無いため、俺は正直に白状する。
ハルネリアはサファに向き直ると、顎をしゃくって問いかけた。
「尋問を行っていたのは誰だ?」
「ええと、その、グァルネです」
「グァルネに尋問をさせることは禁じていた筈だ。お前達は何故その程度のことも守れなかったのだ?」
疑問の声と共に、ハルネリアの腕が艶めかしい軌道を描く。一瞬の後、サファの喉には鎗の石突が突き立っていた。彼女は大きく目を見開き、激しく咳き込みながら仰向けに倒れる。
……何が何やら解らないが、上官が命令を無視する部下を罰した、といったところだろうか?
「前線の危機を報せた部下に対し、随分と無体な真似をするな」
「指示に従わない軍人には教育が必要だ。……先程名前の上がったグァルネという男は、少々素行に問題のある男でね。尋問中に相手を過剰に痛めつける悪癖があるため、我々は彼を処断すべく現地へ向かっている途中だったのだよ」
「そんな人間を国境に配置するなと言いたいところだが……対応中の事案だったなら已むを得ないか」
グァルネとやらが危険視されていたのは当然のことだろう。奴は他人に対して、あまりに攻撃的だった。外部からの来客が多い場所にいれば、問題を起こすことは想像に難くない。
そしてもう一点解ったこと――どうやらハルネリアは、石碑の破壊について聞く前に俺と接触したようだ。聞いていたのなら、穢れを危惧して俺に鎗を向けたに違いない。
汚染者だと知られていないことは好都合だ。ただまあそれはそれとして、残る二人を殺したことについては言い訳が出来ないように思う。
「で、責任者であるらしいハルネリア殿は、俺の処遇をどうするつもりかな?」
相手には大義があるし、俺も自分が許されない立場だとは承知している。お咎め無しだなんてことは有り得ない。
意図を読めるなら一発喰らっても良いかと、敢えて腹に隙を作る。しかしそれを見ても、ハルネリアは鎗を揺らすことさえしなかった。誘いに気付いていない訳ではなく、最初から攻撃する意図が無いようだ。
淡々としているというか……どうにも相手の得体が知れない。
ハルネリアは僅かに目を伏せ、隙を見せぬまま語る。
「尋問を行っていたのがグァルネだったなら、そもそも適正な業務が行われていなかったということだ。それはこちらの不手際なので、フェリス殿を処罰することは出来ない。しかし、行き違いがあったとはいえ、そちらが我が国の人間を殺害したこともまた事実だ。そうだな……警備兵の減についても早急な対応が求められることだし、フェリス殿はこのまま私と共に首都へ行き、上官へ経緯を説明していただけないだろうか」
そうきたか。
提案の形を取ってはいるが、実際のところ選択肢は一つしか残されていない。相手がハルネリアだけならまだしも、やり合っているうちに誰かは逃げてしまうだろう。そうなれば教国が本気を出し、今度こそ国際問題に発展する。
――うん、今回は負けだな。ここで殺されるよりマシと信じて、話に乗るしかあるまい。
「いずれ首都には行くつもりだったし、それは構わない。到着まではどれくらいかかるものなんだ?」
「途中で休憩を挟むとして、大体一週間といったところだな。ただし、あくまでこれは我々がいつもの行軍速度で進んだ場合だ。事態は急を要するので、君の歩調に合わせてはいられないかもしれない」
ここで初めて、ハルネリアの口元に嗜虐的な笑いが浮かんだ。考えられるのは……強行軍に付き合わせて俺を苦しめたいだとか、そんなところか。
軍人として規範には従う。かといって部下を殺された恨みが消える訳ではないし、ただで済ませるつもりも無い。決められた枠の中で、最大限己の我侭を通そうとする――当たり前の意識だ。
ああ……良かった。
内心で安堵する。悪意を以て、俺を咎めようとする者がいた。そしてこの瞬間、相手がようやく人間らしさを見せた。
強力な敵と対峙するにあたって、負い目を抱えたままでいたくはなかった。しかし、これなら俺も気兼ねなく行動が出来る。
「まあそちらも都合があるんだろうし、好きにしてくれ。俺は単についていくだけだ。……ああ、ただちょっとお願いがある」
「何だね」
「あそこで失敬した装備が少し大きくてな。正直走り難いんで替えが欲しい」
詰所にいた男達と俺とでは、体格に差があり過ぎた。服については諦めるとしても、靴はどうにかしたいところだ。
俺の要求を聞き、軍人達が明らかに殺気立つ。ハルネリアも眉を跳ね上げた。
「……こちらの装備を強奪しておいて、よく言えるものだな」
「首都へ急ぐのは俺の都合じゃないんでね。ついてきてほしいのか、そうじゃないのか、どっちなんだ?」
俺達は互いにとっての被害者であり加害者だ。相手に瑕疵が無いのならともかく、いずれ仕掛けてくるであろう相手に、遜る必要は無い。相手の迂闊な行動を牽制するためにも、ここで弱気は見せられない。
……とはいえ、ハルネリアが俺の要望に応える理由も無い訳だがな。
問われて平常心を取り戻したのか、『観察』を起動しても相手の表情は読めなくなっていた。
「残念ながら、食糧の補給以外で寄り道をする予定は無い。そこで合う物が無ければ諦めていただこう」
「そうか。なら、裸足の方が走り易いな」
俺は即座に靴を脱ぎ、配下の一人へと投げ渡す。受け取った男は、何故か唖然とした表情をしていた。
「返すよ。先を急ぐんだろう? 早速行こうか」
「フェリス殿は……貴族でありながら、そのような姿を晒すのか?」
「不格好とは思わないね。教国の雄大な大地を感じるよ」
見えないだけで『玉魔』の称号は残っているらしく、足裏から整った流れを感じる。
人はさておき、土地は素晴らしい。心からそう思う。
俺が本気だと悟ったらしく、ハルネリアは若干戸惑いを見せた。
「そ、そうか……そちらが良いのなら、構わない。首都はこの道の先だ」
指差した方に向けて、ハルネリアが鎗を担いだまま駆け出す。
さて、どうなることやら。
俺は素足の感覚を楽しみながら、置いていかれないよう全力で地面を蹴った。
今回はここまで。
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