非人
大変お待たせいたしました。
――死んでいない?
暗闇の中で目を醒まし、真っ先に考えたことはそれだった。穢れは不思議と安定しており、思いの外意識もはっきりとしている。周囲を見回せば、どうやら屋内にいることだけが解った。
何がどうしてこうなった?
重ねた分厚い毛布の上で、俺は横になっているらしい。焼け焦げた衣服は剥ぎ取られたようで、簡素な寝間着に換えられている。
「……自己確認」
フェリス・クロゥレン
武術強度:
魔術強度:
異能:「観察」「集中」「健康」
称号:「忌者」「不浄」「邪精」
穢れの影響なのか、強度は見えなくなっている。まあこれについては、前世に戻っただけのことだ。自分を数値化出来ないからといって、生活上で困る訳ではない。
むしろ問題は称号の方だ。
自分の肉体を意識すると、現状が感覚的に解ってしまう。だって心臓が動いていない。代わりに胸の中心を穢れが占有し、全身を駆け巡っている。
どうやら俺の体は生命活動を維持するため、人間であることを放棄したようだ。恐らくは『健康』と精気によるものなのだろうが……上位存在にとって、俺の生存は不可欠ということなのだろうか?
意志とは無関係に踊らされている気がする。あの苦痛に耐える日々はなんだったんだ。
こうなると、むしろどうすれば死ねるのかが解らなくなってくる。
頭を抱えていると、奥の方で扉が開く音がした。
「……起きたか」
低い男の声だ。暗がりなので、相手の顔はよく見えない。
恐らく近隣の住人と思われるが、取り敢えず何が起きたのか訊いてみるべきだろう。
「お邪魔しております。助けていただいた、のでしょうか?」
「そういう訳でもない。巡回していたら、国境沿いから煙が上がっていたんでな。そこで気を失っていたお前を連行したまでだ。……あそこの石碑を破壊したのはお前か?」
なるほど、器物破損の容疑者として捕縛された訳か。
話からすると、相手は教国の兵士なのだろう……あれほどの防衛機構を破壊したとなれば、死罪は免れまい。刑罰を下されたとて死ねるかはさておき、この時点で真実を話す選択肢は無くなった。
俺が警戒して黙り込んでいると、男は不意に肩を竦め、少し離れた椅子に腰かける。
「……王国側から入って来たなら長旅だろうに、獣車にはかなりの物資が残っていた。加えて、現場に残されていた獣車自体も上等なものだった。この状況下でも焦ってはおらず、余裕が見られる。立場のある人間の立ち振る舞いだ――お前貴族だろう?」
「だとしたら?」
「返答が無いから、推察を述べているだけさ。貴族だとしたら、一兵卒の手に負える相手じゃない。王国にお帰りいただいた後、上に賠償を求めるよう進言するだけだ」
素直に信じられる発言ではないな。
家のことが頭を過ぎる……始末すべきか?
そう迷った瞬間、男の手が翻り額から頬を斜めに切り裂かれた。挙動が素早い――僅かに見えた武器の形は、鎖鎌か? 随分と珍しい得物を扱う。
血と共に噴き出した穢れを、俺は敢えて抑えず部屋の中に漂わせた。
「物騒なことは考えるべきじゃないな」
「何を考えようと俺の自由だろう」
口元へ垂れ落ちた血を舐め取る。
無難な対応は止めだ。相手は警告のつもりかもしれないが、むしろ挑発と俺は受け取った。
相手の視線は穢れを捉えていない。ならば武術強度は秀でていても、魔術強度はそれほどでもないということ。
「やる気か? ここで戦えば、すぐに俺の仲間が集まるぞ。今のうちだ、素直に白状しておけ」
「有象無象が集まったところで何になる。大体にして、もう動けやしないのにどう対応するつもりだ?」
再び飛んできた鎌を掌に刺して止め、更には握り締めて封じる。それと同時、男の体内へと穢れを侵入させた。唐突にやって来た眩暈によって、相手は床に倒れ伏す。
「……あ、な? な、何だこれは? 何をした?」
「教国の兵士だからといって、全員が穢れに敏感な訳ではないんだな。勉強になったよ」
穢れは体への影響も大きいが、何よりも意識に作用する。耐性の無い人間ではまともに立つことすら出来まい。
自分が汚染されたことを悟り、男の表情が歪む。
「き、貴様……汚染者かッ。何故正気を保っていられる!?」
「お前とは体の出来が違うだけだ。さて、終わりだな」
こうなった以上、情報収集は後回しにするしかない。踵で首を圧し折り、相手の息の根を止める。確かに死んだと確認してから、室内に存在する全ての穢れを体内へと回収した。
戦闘終了と同時、受けた傷はすぐさま修復されていく。『健康』は変わらずに機能しているようだ。
久々に、真っ当な行動が出来た気がする。何一つとして異常は感じられない。あんなに苦労していたのに、最早思いのままに穢れを制御出来てしまう。相手を汚染することも、逆に汚染を引き受けることも、今となっては自由自在だ。
穢れを源泉とする者――これが邪精の在り方か。
生存という面では、恐らく俺にもう教国の技術は必要無いだろう。魔力と精気と穢れと――三者が混ざり合い、体の一部として当たり前に馴染んでいる。ただ、邪精としてこのまま生きるなら、人界に俺の居場所は無いということになる。
やはり首都を目指して、知識だけでも手に入れるべきか? いや、それともすぐに領地へ帰るべきか。
すぐには目的を決めかねる。ひとまず、ここを脱出してから考えるべきだろう。
さて。
このまま逃げようにも、獣車に置いていた荷物は見つからなかった。大半は放置しても構わないのだが、鉈と棒と……特に家紋入りの短剣は放置出来ない。家に繋がる物は後に響く。
管理する側の手間を考えると、わざわざ荷物を分けて置くことはあるまい。自分で加工した物なら、俺の魔力が含まれているため所在が解る――意識を『集中』し、探知の範囲を広げた。
そう広い建物ではないらしく、お目当ては近くの場所にあった。ただ厄介なことに、その部屋には兵が三人ほど控えている。体はまだ本調子ではないし、慎重に動く必要があるだろう。
俺はなるべく静かに部屋を抜け出し、廊下を真っ直ぐに進む。そして、無骨な扉の前で足を止めた。向こう側から施錠されているらしく、押しても引いてもまるで動かない。
両手を壁に当てて精神を集中させる。魔力を遮る素材ではない、ならば対処は可能。
微かな隙間から錠前に干渉し、腐食させる。風術で音を抑えてから体当たりすると、脆くなった金属は呆気無く砕け散った。ここまでは上出来だ。
問題はここからか。
先の男は俺を超える武術強度の持ち主だった。あの男と同程度の兵が複数となると、流石に正面からぶつかるのは避けたい。魔力は回復しきっておらず、武器も無い今、どうすれば連中を突破出来る?
……ここはやはり奇襲か。
俺は三人がいる部屋の前で立ち止まり、隙間から毒霧を流し込む。すると中の気配がすぐさま攻撃に気付き、警戒態勢へ入ったことが解った。
想定よりも遥かに行動が早い。だが、こちらへと逃げて来るのならやり易くはある。
「おい、息を止めろ! 外へ出るんだ!」
味方に注意を促しながら、男が扉を蹴り破る。接敵――片足立ちの不安定な瞬間を狙って、俺は相手の腹へと水弾を叩き込んだ。後ろに吹き飛んだ体を追うように、そのまま室内へと飛び込む。
残った相手の武器は……男は短剣、女は棍棒か。
「敵襲! サファ、お前は逃げろ!」
突き出された短剣の切っ先が目の前を通り過ぎる。当たらぬよう下がった隙に、サファと呼ばれた女の兵は、壁を破壊して外へと出て行ってしまった。
逃がす訳にはいかないにせよ、目の前の男を無視して追うのは困難だ。
これはしくじったな。時間をかけていられなくなった。
「貴様、いきなり何をする!」
ありふれていて、かつ真っ当な批難だ。君に一切非は無い。
申し訳無いとは思いつつ、無駄な遣り取りを避け強引に前へ出る。振り下ろされた短剣を敢えて肩で受け、そのまま骨で引っ掛けて止めた。激痛と共に溢れ出た血を使い、相手の体へ呪詛を放つ。
どうせ死なせてもらえないなら、いっそ体を道具として利用する。意識せずとも穢れを制御出来るようになった分、使える魔力が増え一気に状態が楽になった。
男二人を手早く昏倒させ、深呼吸を一つ挟む。顔を上げれば、女の姿はもう見えなくなっていた。
嫌な展開ではあるが、相手の魔力は覚えたことだし、追跡は可能だろう。それよりも、増援が来る前に所持品を探さなければならない。
部屋の片隅に積まれた物資を全て引っ繰り返し、まずは床に広げる。鞄、棒、鉈。金と食料は後回しだ。
そうして何度も全体を見返した結果――組合員証と、家紋入りの短剣が持ち去られていることが発覚した。
焦りよりも先に、諦めが体を包む。それはそうだ、不審者の身柄に繋がるような証拠品など、真っ先に確保されて然るべきだ。
俺は已むを得ず男の一人に水を浴びせ、尋問に取り掛かる。
「おい、起きろ。サファとやらは何処に向かった?」
「うぇ、げほっ。はは、言う訳が無い……お前が捕まるのも、時間の問題だ」
「そうか、残念だ」
最初の男と違い、交渉次第では彼等を生かしても良かったのだが、どうやらその余地は無いようだ。ならば物証を奪い返せると信じ、目撃者を消すしかない。
せめてもの配慮として、苦しまぬよう一撃で終わらせてやろう。
俺は男達の頭を鉈でかち割り、大きく溜息を吐く。それから装備を剥ぎ取り、寝間着と交換した。
……誰かのためではなく、単なる自己保身のため二人の男を殺してしまった。選択肢が無かったとはいえ、堕ちるところまで堕ちた感がある。
事が露見すれば、教国だけでなく王国でも問題になりそうだな。いや、冷静になって考えてみると、これが原因で戦争になる可能性も有り得る。前世でそんな事件があった筈だ。女の追跡を済ませたら、むしろ首都を避けカイゼンへと抜けるべきか?
悩む時間すら惜しい。まずは動くしかない。
持てる限りの荷物を抱え、俺は何処ぞへと消えた女の魔力を辿った。
今回はここまで。
今後についてですが、まだ身辺が安定していないため、まず生活を優先させつつ投稿を続ける形とさせていただきます。
お待ちいただいている方々にはご迷惑をおかけします。申し訳ございません。
ご覧いただきありがとうございました。