別離
時折訓練を挟みながら、とにかく教国を目指す。
技術の習得にも目的地への到着にも、時間がかかることは解っている。焦って雑に行動した方が結果としては損になる。精神修養が日課となり、心を乱すことが減った。
暗くなり過ぎないように、明るくなり過ぎないように。心のゆとりを保つため、唇は笑みの形で固定する。
――笑えなくなったら人間は終わりだよ。
得体の知れない老人ではあったが、コアンドロ氏の発言には示唆があった。
顔を作るということは、人目を意識するということだ。他者を省みなくなれば、俺は穢れを撒き散らすだけの存在となるだろう。そうなったら自死するしかない。
遠くない未来を想像し、漠然とした不安が身を包む。落ち込まないよう呼吸を整えた。
「……体の調子はどうだい?」
「そんなにしんどくはありませんね。こんなものじゃないでしょうか」
気遣わしげな声に、思考が浮上する。振り向けば、メリエラ様が俺に浄化をかけているところだった。
体表近くの穢れが剥離し、消失していくが……正直なところ効果は乏しい。連日の魔術行使によって、充分な魔力を確保出来ていない所為だ。回復薬の手持ちが無い以上、休息以外に取れる術は無い。
「辛くなったら言いますから、メリエラ様はお休みください」
「しかし、フェリス君はどうなる!」
「今日明日で破綻するような状態はありませんよ。今回復しておかないと、魔獣の対処も出来ません。ご自分でも解っているでしょう?」
……なまじ俺の汚染が見えてしまうだけに、メリエラ様の方が先に窮したか。まあ、穢れが日々濃度を増していることは、自分でも理解出来ている。進行を止められないのは、自分の不手際だとでも思っているのだろう。
諦めて見捨てたりせず、心を砕いてもらえるだけで俺としては充分だ。あまり背負い込み過ぎて、自衛も出来ないほど消耗されてしまうと、そちらの方が困ってしまう。現状だと咄嗟の動きが出来るか怪しいので、余裕がある内に休んでもらいたい。
メリエラ様が躊躇ったまま休もうとしないため、俺は嘆息して陰術を使用する。多少眠くなる程度の軽い魔術でも、疲れている相手にはよく効いた。程無くして、彼女は背もたれに体を預けて目を閉じる。
ごゆっくり。
メリエラ様がしっかり眠ったことを確認し、俺は獣車を止める。休憩がてらモーネン達に餌を与えていると、遠くから迫ってくる気配を感じた。
――ようやく来るか?
数日前から、何者かがこちらを監視していることには気付いていた。恐らく、俺達が出奔したために放たれた追手だろう。対応としてはおかしなものではないが……さて、相手は国なのかカッツェ家なのか。
敢えて隙を晒すように、モーネン達と戯れる。背中の凹凸を撫でて楽しんでいると、土煙を立てて獣車が目の前に止まった。御者台から二人の男が飛び出し、こちらを挟み込むように陣取る。
やる気に満ちた禿頭と、顎髭を生やした生真面目そうな中年。顔に覚えがある……カッツェ邸の応接室にいたな。
「よう坊主、こんな所で立ち止まってどうした?」
「休憩中ですよ、お気になさらず」
半笑いで冷やかすように、禿頭が距離を詰める。一方、顎髭はその場で構えたまま、淡々とこちらの様子を窺っていた。いきなり襲い掛かるのではなく、会話から入るだけの礼儀はあるらしい。
立ち振る舞いからすると、顎髭の方が出来るようだ。その反面、禿頭ほどのやる気は感じられない。
面倒だな。両者とも脅威というほどの相手ではないにせよ、『観察』に割り振る魔力が惜しまれる。
どうしたものか……消耗したくはないし、殺せば後に影響する。適当に場を濁せないか考えていると、禿頭は不意に腕を組んだ。
「ふぅん……年の割には落ち着いてやがるな。なあ坊主、取って喰おうって訳じゃないんで、ちょっと教えてくんねえか。メリエラ殿はなんであんな無茶苦茶をしたんだ?」
なるほど、その質問はメリエラ様が起きている場ではし難いだろう。そして、サイアン殿は約束通り本当に口を噤んだようだ。
会話で乗り切れそうな雰囲気を感じる――いや、俺が攻撃的になっていただけかもしれない。まずは話を聞くべく、思考を戦闘から切り替える。
穢れのことを伏せたまま、どうにか相手を納得させられる言葉を探していると、顎髭が不意に首を傾げた。
「おや……? 少年。君、体を病んでいるのか?」
「……いやまあ、そんなところです」
どれだけ平静を装ったところで、顔色の悪さまでは誤魔化せなかったのだろう。体調不良を指摘されるとは新鮮だと思いつつ、俺は曖昧な笑みを浮かべる。
余計な説明をしなくて済むため、その気付きは都合が良い。
禿頭は質問を止め、怪訝そうに顎髭へと視線を遣る。顎髭はそれに首肯で返すと、俺に小瓶を投げて寄越した。
「これは?」
「鎮痛剤だよ。多少魔力を回復させる作用もあるから、辛くなったら飲むと良い。……本当は、メリエラ殿が寝ている内に真意を確認しようと思ったのだが、間近で君を見て大体のことは解った」
こちらを見詰める瞳に光が集まり、青く輝いている。俺の『観察』のような、目を使う異能か。
魔力をかなり消費しているようだが、一体何が見えている?
「いきなり人に異能を使うとは、不躾ではありませんか?」
「カッツェ邸での君達の態度だって不躾だったろう。一方的に咎められる謂れは無い」
原因が俺にある以上、それを言われると弱いな。
ひとまず反論しないでいると、顎髭はこちらの態度に満足したように頷く。
「そうだ、悪いようにはしないから安静にしていたまえ。私が診る限りだと、君に残された時間は少ない。だからこそ、陽術に秀でた教国へ急ぐことにしたのだろう?」
「否定は出来ませんね。……ところで、私達を処分しに来たのでしょう? やらないのですか?」
己の主君に対しては、『殿』ではなく『様』を使うだろう。ならば、彼等はカッツェ家の人間ではない。この状況で国の人間が動いたということは、事業の邪魔をした人間を処罰するのが目的だと考えられる。
俺の質問を、禿頭は鼻で笑った。
「ハッ、ほっといたってお前死ぬんだろ? そんな挑発には乗らないね」
「挑発したつもりはありませんよ。それが仕事なら、確実な方法を選ぶだろうと思っただけです」
「本気でやるなら不意討ちを選ぶさ。俺達は上に対して、理由が説明出来るならそれで良いんだ。大体にして……お前、城で近衛とやり合ったことあるだろ? 連中と戦える人間と、真っ向勝負なんてしたくもねえ」
……? ああ、中央に滞在していた時、ガルドと訓練場で遊んだか。お互い本気ではなかったし、あれを基準にしたなら過大な評価だな。
ともあれ、やる気が無いならそちらの方が楽だ。
「見逃していただける、と」
「見逃す以前に、君と敵対する勇気は無い、ということだね。君にとってはそうでなくても、我々にとって近衛は強大な戦力なのだよ」
戦闘を避けたいのは本音、しかし真意は別、という感じがする。ただ国の意向がどうあれ、今更こちらの対応は変わらない。
折角のご厚意だ、素直に甘えるとしよう。
「然様ですか。私としても、お二人と争いたい訳ではありません」
「そうしてくれ。事情は解ったし、俺達は一度戻るよ。やることも出来たしな」
「おや、何か手間を増やしてしまいましたか?」
敵ではないのなら、敢えて仕事の邪魔をしたくはない。
問いかけに対し、顎髭は僅かに躊躇ったように見えた。それを見て、禿頭は何故か呆れたように鼻息を漏らす。
「教えたって良いんじゃねえか?」
「しかし」
「コイツ等が自分で招いた結果だろう。そこまで気を遣うことじゃないと俺は思うがね」
何だか嫌な物言いだ。とはいえ、これは聞いておくべきだと直感が叫んでいる。
カイゼンで得た宝石を禿頭に投げ渡すと、相手は満面の笑みでそれを懐に仕舞い込んだ。
「いやあ、何だか悪いねェ?」
「貴重なお話を伺うのですから、対価は必要でしょう」
「素晴らしい心掛けだな。まあここまでしてもらったんだ、説明はしてやろう。……実はな、ワイナ嬢は領地を誰かに押し付けてでも、教国に行くつもりだ」
「はあ?」
内容に正気を疑う。カッツェ家にはワイナだけで、それ以外の子供はいない筈だ。誰かって他に誰がいる?
俺の混乱を余所に、禿頭は話を続ける。
「俺達だって、運営が安定している領地を乱したい訳じゃない。ワイナ嬢が行くならメリエラ殿には戻ってほしかったんだが……坊主の体調だとそれも無理だろう? こうなった以上、頭に血が上った娘を説得しなきゃいかんって訳だ。それとも、死ぬ覚悟でお前がメリエラ殿を説得するか?」
耳から脳に浸透した言葉が、精神を掻き乱す。
――メリエラ様が領地を、我が子を愛すればこそ下した決断を、無下にするつもりか。
腹の中で渦巻いた穢れが、感情に併せてうねり始める。
駄目だ、溢れるな。鎮まれ。彼等を責めるな。
役職上、自分の不在が許されないことなどワイナは承知しているだろう。そうと理解した上で領地を蔑ろにするなら、彼女に統治者の資格は無い。
となると、選択は一つだ。
「大変有意義なお話でした、ありがとうございます。……メリエラ様の説得はしません。昏睡をかけるので、そちらで連れて帰ってください」
「ほ、本気かね!? 治療する人間がいなくて、君はどうするのだ!」
メリエラ様の離脱が痛いのは事実だが、かといって消耗し切った現状ではいてもいなくても大差が無い。ならば、彼女にとって少しでも得がある選択をするべきだ。
「私とカッツェ領とで釣り合いが取れますか? こちらのことは気にせず、お役目を果たして下さい。それと……次に顔を見たら容赦しないと、どうかワイナ様に」
知らず、僅かに感情が溢れる。伝言を頼んだ瞬間、禿頭と顎髭は揃って表情を硬直させた。額から汗が噴き出し、膝を震わせている。
ああ、いけない。精神修養の成果が。
一度瞼を下ろし、深呼吸を繰り返す。再び目を開くと、彼等は先程よりも俺から距離を取っていた。怯えさせたい訳ではない、このまま逃げられる前に事を済ませよう。
「少々お待ちください。メリエラ様をお連れします」
俺は獣車に戻り、眉を詰めて眠るメリエラ様に陰術を重ねた。恨まれるかもしれないが、これでカッツェ領が損なわれる方が、後悔は大きくなる。ここまでが幸運過ぎただけで、後のことは自分でどうにかするしかない。
膝を折り、伏してメリエラ様に頭を下げる。
今まで本当に、ありがとうございました。どうか俺のことなど忘れて、領地に専念してください。
脳裏にワイナの顔が過ぎり、胸が苦しくなった。
来週は私用のためお休みします。
次回は2/18の予定です。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。