目的
誰がどういう結論に至ったのか、その確認はしなかった。争いに巻き込まれて精神を乱せば、暴発の可能性が増えてしまう。そういった懸念を排除するべく、俺は獣車を夢中で走らせた。メリエラ様は外へと首を出して、背後のカッツェ領を見詰めている。
夕日を浴びて、樹々や建物が赤く染まり始めている。食事の支度をしているのか、数本の煙が静かに立ち昇っていた。
穏やかでありふれた、何てことのない日常だ。
メリエラ様が丹精に今まで作り上げてきた、平和な街並みだ。
あの時……どういう選択肢が、一番適切だったのだろう。不意にそんなことを考える。
教国に行っても行かなくても不利益があるとして、俺だったらどうしていた? 娘や領地に愛着があるからこその判断だろうが、普通はもっと迷う筈だ。すぐさま答えを出す必要があったとはいえ、あの決断力には畏れ入る。
「……私は一人でも大丈夫ですし、今から戻っても良いんですよ?」
「ふふ、気にしているのかい? なぁに、自分で言い出したことを違えるつもりはないよ」
返答からは悔いを一切感じられない。こういう強さを持っているからこそ、貴族は侮れないのだと再認識する。
ただ現実的な問題として、メリエラ様が国の事業を放り出して出奔したという事実は覆しようが無い。後で責任を取って引退するとしても、周囲の目は厳しいものになるだろう。そして原因が俺にあり、彼女と行動を共にしている以上、クロゥレン家も立場的には同じだ。或いは、俺が唆したと見る向きだってあるかもしれない。
こうも大勢が悪いのであれば、打開策は一つか。
「メリエラ様、確認です。連中を出し抜いて、最短最速で穢れ祓いの技術を習得する……これが第一の目標ということで構いませんね?」
「勿論だとも。彼等を足手纏いと切って捨てたのだから、それくらいやってみせねば格好がつくまい。何より、私達のどちらかが技術を得られなければ、結局は君の命が危ないよ」
「そうなんですよねえ」
貴族的なあれこれよりも、そちらの方が問題として大きい。計画の成否は俺の生き死にに直結しており、失敗した時は本当に終わりが待っている。
――こんなことで死んでいられない。
目的意識が合致したところで、メリエラ様はふと首を傾げた。
「そういえば……フェリス君はどの属性が得意なのかな? 陽術は不得手と聞いたことがあるけれど」
「私は地術、水術、陰術です。うちの当主と逆ですよ」
「へえ、多才だねぇ! ワイナに使った水術は確かに見事だった、アレが出来る人間はそういないよ。地術と陰術も同程度ということかい?」
「大体似たようなものだと思います」
そう答えると、メリエラ様は腕を組み楽しげに頷いた。
「素晴らしい。それじゃあ、私とは違った形で穢れに挑むことも出来そうだね」
「と言いますと?」
「おや、考えたことはなかったか。これは個人的な推察なんだけど……陰術は穢れと相性が良いんじゃないかな?」
確かにそれはそうだ。陽術が正を扱うのに対し、陰術は負を司る。そして、穢れは生命力を減衰させるという特性を持っている。
俺は当初、似た要素を持つ二つを混ぜ合わせ、敵の機能を極端に低下させるという運用を考えていた。賭場で試してみた限りだと、消費の割に効果的な手札だとも感じた。
使いこなせれば、これは格上にも通じる新たな武器となる。
――ただ結局のところ、強力過ぎて使いどころが限られるのに、使わない間は汚染が進行するという問題は解決出来なかった。
「仰る通り、陰術と穢れの相性は良いですね。簡単に混ざりますし、攻撃手段としては優秀です。しかし……それをどうします?」
「陽術であれば穢れを打ち消すことになるとして、陰術を使っての制御は出来ないのかなと思ったんだよ。たとえば、体外に放出した穢れを拡散しないようその場に留めておけるなら、周囲に影響を出さない形で君自身の汚染を止められる」
……なるほど?
穢れが外に漏れないように、という意識ばかりで、敢えて放出しようという発想は無かった。
体内にあって悪いものなら、外に出してしまおう。触れていないものから侵食はされない。どちらも当たり前のことだ。何も難しいことは言っていない。
完全に頭から抜けていたな。追い詰められている時こそ、思考は簡潔であるべきだったというのに。
「そうか……そうですよね。黙って耐える以外にも手はあった。こんな単純なことを見落としていたとは……」
「限界に至っていないから、そのまま続けられると思ったんだろうね。周囲を巻き込まないようにしているのは、君の美徳の表れだろう」
「いや、単に視野が狭いだけでしょう」
まるで俺が優しいかのような発言は止めてほしい。曖昧に首を振り、メリエラ様の発言を否定する。
ともあれ、今の遣り取りにはかなりの発見があった。進むべき方向性が解り、目の前が啓かれた感じがする。加えて今なら何か起きても、対処出来る人間がいる。
「早速ですが、少し試してみても構いませんか? 放出する量は絞りますので」
「そうだね。もう少し進むと水場があるから、そこでやろう。私も浄化の訓練をしておきたいしね」
出発してから数時間経っているし、車を曳く獣――モーネン達にも少し疲れが見られる。休憩の意味でも、丁度良い頃合いだろう。
指示された方向に進んでいくと、背の低い樹々に囲まれた小さな溜池があった。俺は車から降りて、モーネン達から装具を外し楽にしてやる。解放される否や、彼等は膝を畳んで水を飲み始めた。
早くカッツェ領から離れようと、走らせ過ぎたかもしれない。何となく悪い気がして、俺はおやつの木の実を鞄から取り出す。
「ふふ。頑張ってくれたご褒美かい? モーネンも久々に思いっきり走って、楽しかったみたいだね」
「そう……ですか? 何だか怠そうにも見えますが」
木の実を口元に持って行くと、モーネンは緩慢な動作で舌を伸ばし、一粒ずつじっくりと味わい始めた。がっつく程ではないにせよ、おやつ自体は好んでいるらしい。
訓練後の疲れ切った新兵を思い出させるが……聞けばモーネンは走っている時以外、一ヶ所でじっとしていることの多い生物だということだった。まあ無理をしていないのであれば、それはそれで構わない。
さて。気を取り直して、練習に入ろう。
モーネン達を自由にしておき、俺達は距離を取って向かい合う。メリエラ様はすぐ問題に対処出来るよう、早々と手に光を溜め始めた。こちらも深呼吸で己を落ち着かせ、『集中』を起動。抑え込もうと意識しなければ、穢れは呼気に混じって溢れ出す。
可能な限り薄く、ともすれば勝手に消えかねない程度の濃さを目指し――かつ、慣れ親しんだ陰術を行使する感覚で。式場で引き寄せることは出来たのだし、直接触れていれば操作は簡単だ。問題は俺との接触を遮断すること。
顔の周囲に纏わりついた穢れを、己から切り離すべく宙に漂わせる。
「いける、か? 悪くないですよね?」
「ああ、今の所は問題無い。このまま慎重に!」
この程度の量を扱うだけで、大変な作業になっている。こめかみを汗が伝い、不快感が募る。こんなことで気を散らしている場合ではない。
汚染されていない魔力で穢れを覆い、霧散しないよう固定する。焦らず、丁寧に力場をまとめていく。それがどうにか形になろうとした時、メリエラ様が拳を振るって塊を消し飛ばした。
「あれ、どうしました?」
「時間をかけ過ぎたね。侵食が始まっていたよ」
ああ……なるほど、角度的に見えていなかったようだ。対応してくれて助かった。
手を使っていなくとも、俺と魔力は繋がっていた。魔力が汚染されてしまえば体に逆流してしまうため、これでは意味が無い。やはりコアンドロ氏のように、遠隔で穢れを操作しなければならない、ということか。
幸い前例があるのだから、実行は可能な筈だ。それに、汚染が進むまでは多少時間がある、ということも解った。
まあ、一回で成功するなんて都合の良い話ではある。徐々に慣らしていくしかないだろう。
考え込んでいると、メリエラ様が小さく笑みを零した。
「うん、良い顔をしている。表情が明るくなったね」
「だとしたら、助言をいただいたお陰です。やるべきことが見えてきました」
穢れに対する理解をもっと深める。陽術を磨き、陰術を極め、生き延びる可能性を増やしていく。まだまだ学ぶことは幾らでもある。
諦めていたつもりはないが、多少後ろ向きではあったのかもしれない。辛気臭いのは駄目だ。真っ当な思考がやがて剥奪されるのならば、気力を維持しなければすぐに持って行かれてしまう。
「魔力に余裕があるなら、このままお付き合いいただけませんか?」
「そうだね。モーネン達もまだ休みたいだろうし、続けようか」
再びメリエラ様が手に魔力を溜め、光を作り出す。迅速で無駄の無い、綺麗な魔力の流れだ。あれくらい出来るようになれば、俺も陽術への苦手意識が減りそうなものだが……まだ先は長いな。
時間はまだ残されている。お手本はこれから何度も見せてもらえるだろうし、今はこの贅沢な環境を享受しよう。
滲む汗を拭い、俺は改めて穢れを吐き出した。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。