白状
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予想通り、母娘の争いは長引いていた。攻撃力よりも回復力の方が高い二人だ、どちらかの魔力が切れるまで、これは終わらないだろう。
その間に俺は椅子と机を拵え、ゆっくり茶を啜ることにした。対面には、異常に気付いて駆け付けたサイアン殿がいる。
「フェリス殿、止めずともよろしいのですか?」
「さて、メリエラ様は何か狙いがあるようですので、こちらでは何とも。私も急に連れ回されたので、状況がよく解っていないのですよ。そちらは……メリエラ様かワイナ様か、どちらかになるかの確認ですか?」
「いや、メリエラ様は自分から辞退しましたので、ワイナ様に決まりでしょう。カッツェ家内部の争いがどうなろうと、こちらで関与はしません」
まあ、勝手に飛び出して勝手に戦っているのだから、それはそうか。
となると、サイアン殿がやって来たのは、単なる安否確認といったところだろう。攻撃が繰り出される度、彼は体を強張らせている。俺が見る限り、まだそこまで心配する状況ではないが……荒事に慣れていないようだ。
無理して来ない方が良かったのではないだろうか。
「しかし、よく戦闘に気付きましたね?」
「昔から耳は良いのです。ここまで荒れているとは予想しておりませんでしたが」
「なるほど。因みに、あの二人に確執があるといった話を聞いたことは?」
「特にそういった話は無かったかと。いや、これを見る限りでは、我々が知らなかっただけかもしれませんね」
貴族はこうした醜聞を嫌うというのに、それを気にするだけの余裕が今の二人からは感じられない。
ワイナが振り回した細剣が、メリエラ様の鼻梁から下を切り裂く。割れた鼻を治すより先に、メリエラ様は貫手を相手の脇腹へと突き刺した。
相手の攻撃を体で受け止める音が響く。空気が血生臭い……厳しい攻めが増えている。
そろそろ準備をするべきかな。サイアン殿が二人を見詰める表情も険しい。
「……フェリス殿、先程の質問を少し変えます。いざとなったら彼女等を止められますか?」
「難しいことではありませんよ。サイアン殿も落ち着かないでしょうし、いい加減頃合いですね」
意味の解らない展開に翻弄されたまま、というのも愉快な話ではないし、何より付き合うのも飽きた。カッツェ家の援助があれば状態が安定するとしても、何かある度に揉めるようでは先に進めない。
俺は火花を散らす二人の間に、徐に入り込んだ。
「ッ!? フェリス殿、どういうつもりです!」
「まだ気は済みませんか? サイアン殿が心配しておりますよ」
「これは私達の問題です。邪魔をしないでいただきたい!」
その『私達の問題』とやらに振り回され、周囲が迷惑しているのだろうに。
威嚇のために振るわれた細剣を、俺は敢えて防御せずまともに受ける。刃が鎖骨に突き刺さり、穢れが静かに溢れ出した。それが見えているメリエラ様が、ようやく我に返る。
「止めろ、フェリス君を傷付けるな!」
「母上が招いた事態です。フェリス殿、怪我をしたくなければ引っ込んでいなさい!」
穢れを前にこの反応――ワイナには見えていないようだ。取り敢えず彼女も不適格者であることを確認し、俺は『健康』で傷口を塞ぐ。
「怪我をしたい訳ではありませんが……ワイナ様。母君の責任を問うのなら、ご自身の過ちも飲み込む覚悟は出来ているのですよね?」
今制御を手放せば、カッツェ領を汚染することも出来る。ただそれは、稚気の代償としてあまりに酷だろう。
代わりに俺は精気を解放し、無数の水帯をワイナの周囲に巡らせた。四方から殺意を向けられて、彼女は唾を飲み込む。
「な、なに、この魔術は……?」
「サイアン殿。ワイナ様が死亡した場合、已むを得ないことだったと証言をお願い出来ますか?」
「承りました」
何が来ても対応出来るよう、魔術を待機状態にする。俺の行為はあくまで反撃だ。相手が退くならそれで終わり。
暫く待っていると、ワイナは細剣を地に落とし、両手を挙げた。
「……参りました。フェリス殿に手は出しません」
「ご理解いただけたようで幸いです」
ここで無駄に争いたい訳ではない。俺は説明を求めているだけだ。
戦意を失った二人を、俺は先程作った椅子へと招く。全員に冷やした茶を勧めると、メリエラ様だけがそれに口をつけた。
「美味い。運動の後にこれは嬉しいね」
「お代わりもありますよ」
「いただこう」
戦闘が終わり、切り替えが済んでいるのは俺達だけらしい。サイアン殿とワイナが黙って茶器を見詰めているため、俺は一人で話を進める。
「……それで、随分と妙な展開でしたが、結局何がしたかったんです?」
「そのことかい。うーん……サイアン殿、あまりよろしくない話が混ざるので、適宜聞かなかったことにしてもらえるかな?」
「はっ、私ですか? いえ、そう申されましても……内容によりますとしか」
サイアン殿の立場であれば、そう返答するしかあるまい。ただ、正直であることが正しいとも限らない。
ここをしくじると後が大変だ。俺は念のため、サイアン殿に選択肢を与える。
「聞かなかったことに出来ないなら、聞かない方が良いと思いますよ。貴族の内緒話がどういうものか、中央で働いている貴方ならご存知でしょう」
サイアン殿は中央の関係者であっても貴族ではない。今後の態度次第で、メリエラ様は彼を消すことも考えているだろう。何となくそういう顔をしている。
俺が僅かに圧をかけると、サイアン殿は暫し目を閉じて、最終的には席に残った。
「内容によっては仕事の成果に関わりますので、聞かずにいることは出来ません。ただ、何を聞いても黙っていることにします」
「賢明です。それではメリエラ様、続きをどうぞ」
「ふむ……まあ良いか。取り敢えず前提として、今回の事業は巧くいかないだろう?」
「そうでしょうね」
俺が汚染されていると誰も気付かない以上、参加者の力量不足は明らかだ。彼等が一端の陽術師になるためには、数年単位の修業が必要となる。とはいえ、参加者が一人増えただけで苦言が出るような予算で、そんな長期間の遠征は出来ないだろう。
事情を知らないワイナが、遣り取りに待ったをかける。
「ちょっと待ってください、何を言っているんです? 資金もあるし、人材もこれだけ揃っているんですよ。むしろこの計画は、かなり準備されたものじゃないですか?」
「その人材が問題なんだよ。国内で上位に位置しているとしても、それで大丈夫だなんて誰も保証していないだろう? 魔術強度4000程度じゃ、入り口に立ててすらいないんだ」
「なら、それを指摘して改善を求めれば良かったでしょう!」
それもまあ真っ当な意見だ。ただし、あまり現実的ではない。
メリエラ様はワイナを横目で眺め、疲れたような溜息を漏らした。
「国が主導で取り組む事業計画を、子爵家程度の発言力では変更出来ない。それに、自分の力量についてある程度自信のある連中が集まっているから、言ったところで理解を得られないよ。だから……参加して失敗を押し付けられるのか、事業から逃げて誹りを受けるか、私はすぐに決める必要があった」
……ああ、ようやく筋書きが見えてきた。
責任者という立場を黙って押し付けられた以上、失敗した場合に結果を背負わされることは目に見えている。なら、カッツェ家としては不参加という形を取り、飛び出した当主の尻拭いでワイナを領地に縛りつけてしまおう、という目論見か。これなら計画が失敗して連中が戻る頃には、メリエラ様はその責任を取る形で引退しており、カッツェ家への非難は最低限に抑えられる。
なるほど――悪くはないが、事に当たってメリエラ様からは一つ視点が抜けていた。
「理解は出来ますし、面白い判断だとも思います。ただ、ワイナ様が事業に対して本気だったなら、そのやり方では反発されるだけでしょう?」
「……うん、そうだね。私としても、ワイナがそこまで入れ込んでいるとは予想していなかったんだ。あまりに血相を変えて走って来たものだから、これはやらかしたと思ったよ。説明もさせてくれないし」
「それはッ! ……カッツェ家にも、今まで作ってきた立場というものがあるでしょう」
自身の行動で話がややこしくなったという自覚があるのか、ワイナは途中で声を抑えた。しかし、怒りを抑え切れていない。
そうだよなあ……記憶が確かなら、ワイナは俺の一歳上だ。その年齢で当主代理の役割を与えられ、懸命に職務をこなしていたら、身内が仕事の邪魔をしてくるのだ。怒るのも当然だろう。
行き違いはあったものの、どちらを責めるという話ではないな。今回はお互いに狙いがあって、単に言葉が足りなかっただけだ。
「ワイナ様。貴女は職務に対して熱心で、かつ誠実な方だ。それは大変素晴らしい資質です。なので次からはそれを活かせるよう少し立ち止まって、相手の話を聞くようにしてみませんか? 確かにメリエラ様は配慮が欠けていたかもしれませんが、悪意があって行動していた訳ではないのです」
「……はい。今後は、意識してみます……」
こちらを睨んでいる――納得はしていないと態度が言っている。それでも、俺に勝てないということは実感したのだろう。ワイナは不承不承頷いて口を噤んだ。一方で、サイアン殿は目を細め考え込んでいる。
汚染の話をすれば説明は簡単だったが、余計な責任を増やす訳にもいかないし、俺にはこういう形にしか出来なかった。問題が解決した訳ではないにせよ、ひとまず聞くべきことは聞いたと思うしかあるまい。後は各々がどうするか、しっかり考えた上で決めるべきだ。
誰がどういう判断をしても、俺はその決定を尊重する。
だからせめて、無闇に争うことは無いようにと内心で願った。
今回はここまで。
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