喧嘩
人任せで済む旅は楽だ。全てを手配してもらい、翌朝にはカッツェ領へと到着した。
そのまま応接室へ通されたため、俺はメリエラ様の隣に大人しく控える。そこそこ広い部屋ではあるが、俺含め十人もいるとなると、流石に圧迫感があった。
俺に対する反応は様々――不審がる者もいれば、軽く会釈する者もいる。周囲の様子を窺っていると、不意に神経質そうな男が立ち上がり、躊躇いがちに口を開いた。
「参加者が増えるとは聞いておりませんでしたが、メリエラ様、そちらは?」
「彼は今回の一件を報せてくれた、フェリス・クロゥレン君だ。彼も穢れの調査のため教国に行くということだったので、どうせなら一緒にどうかと誘ってみたのだよ」
「……勝手な真似は止めていただけませんか。こちらにも予算というものがあるのです」
うん、そりゃあそうだよな。
どうにか抑えてはいるものの、彼の口調は若干荒くなっていた。いきなり段取りを狂わされたのだから、不満を抱くのも理解出来る。特に、資金の余裕が無ければその思いは一入だろう。
とはいえ、ここで揉めても仕方が無い。そもそも人の財布に頼るつもりはないため、俺は会話に割り込ませてもらう。
「フェリス・クロゥレンと申します。急なお話で混乱されていることと思われますが、私に関する経費は考慮しないで下さい。金銭面でご迷惑をおかけする訳にはいきませんので」
彼はこちらに向き直ると、視線を幾分和らげる。
「醜態をお見せしました。私は中央から派遣されている、サイアン・フェーヴと申します。フェリス殿を邪険にする訳ではないのですが、旅程を管理する者として、勝手を許す訳にもいかないものでして」
貴族家当主を真っ向から注意していた割に、サイアン殿はすぐさま頭を下げた。礼儀を持ちつつも仕事については曲げない……この態度には好感が持てる。
まあ、元より無理を強いているのはこちらの方だ。どんな態度を取られようと、文句を言える立場ではない。
「そちらも準備をしていたでしょうし、当然のお言葉かと。お邪魔になるようであれば私は失礼しますので、お気になさらず」
正直なところ、支援の有無に拘わらず行くことは決まっている。単独で動くとなれば、巻き込む人間が少ないという考え方だってあるだろう。この場の決定は俺の行動に何ら影響しない。
俺が同行を即座に諦めると、メリエラ様は悩ましげに髪を掻き上げた。
「そうか……已むを得ないね、サイアン殿の意見は正しい。国の金を私の我侭で浪費する訳にもいかんし、邪魔者は去ろうか」
「えっ?」
サイアン殿の戸惑いを余所に、メリエラ様は俺の手を引いて席を立った。そのまま全てを無視して、一気に屋敷の外まで出てしまう。部屋の中が酷くざわついていたが……大丈夫だったのだろうか? いや、このやり方は絶対に禍根を残すよな?
メリエラ様は、何故か爽やかな表情で笑っている。
「あんなことを言って良かったのですか? 今からでも戻った方が……」
「アッハッハ、気にすることはないよ。前から疑問に思っていたことがあったんだけど、さっき答えが出た。残念ながら、あの面子で教国に行ったとて意味は無い」
「それはどうして?」
あの短い遣り取りの中に、計画が失敗しそうな要素は何かあっただろうか?
断言する理由が解らず、俺は首を捻る。
「解らなかったかい? 簡単だよ、君が多量の穢れを抱えていると、あの部屋の誰も気付いていなかった。陽術の素養があると言っても、その程度では役に立たない」
……ああ、そうか。
考えてみれば、ジャークも祭壇内部まで踏み込んでおきながら、穢れを知覚出来ていなかった。逆にアレンドラは俺を見た瞬間、異常を察知し警戒態勢を取っていた。
穢れを祓う以前の問題だ。素質についてはさておき、今現在、彼等は最低限の水準を満たしていない。そして、それを真っ正直に告げたところで納得しないだろう。察していない人間に、敢えて俺の状態を教える理由も無い。
「有能な人間を集めた、と聞いておりましたが」
「要求水準が近衛に入るより厳しいから、仕方無いのさ。因みに私は、魔術強度が5000を超えた辺りで穢れを何となく感じ取れるようになった。安定を求めるなら5500以上は欲しい。自分で言うことじゃないけれど、そんな人材はなかなかいないよね」
「少ないだけで、いるにはいますよ。それを知っていたら、グラガス隊長に同行を頼むという手もありました」
展開の勢いに流され呆けていた頭が、徐々に覚醒を始める。いや、体調が安定しているから、『観察』に回る魔力が増えたのかもしれない。
とにかく、今更クロゥレン領には戻れないからこそ、メリエラ様は伏せていた情報を明らかにした。
確信――メリエラ様は俺に拘っている。ただ、役人の心証を悪くしてまで俺に拘る必要があるのか、それが解らない。少なくとも、カッツェ家から誰も参加しないとなれば、この地に人を集めた意味は薄れるだろう。
メリエラ様が抜けた場合、ワイナが代わりに参加せざるを得まい。しかし、そうなると領地をどうする? 他にやれそうな人間がいるのか?
次々と疑問が浮かぶ。しかしそれを口にする前に、薄く笑んだメリエラ様の細い指が俺の唇を塞いだ。
「質問には後で答えるから、少し待っていておくれ。もうすぐあの子が釣れるんだ」
ということは、狙いはワイナか。
奔放なメリエラ様と貴族的なワイナ……彼女等の仲が悪いだとかそういう話は聞いていないが、性格的に合っていない気はする。俺がワイナの立場なら、距離を置いているだろう。
これは拙ったな。
道中で献身的に浄化をかけてもらっていたため、警戒心が緩んでいた。目の前にいるのは、親しげな顔をしていてもあくまで他人だ。久々の団体行動で、当たり前の距離感が掴めていなかった。今更ながら、魔力を惜しんで『健康』ばかり使っていたことを後悔する。
厄介なことになったものだ。いざという時は己を空に射出して、この場を脱出しよう。
相手を出し抜くことを考えながら、屋敷の方角を眺め続ける。すると程無くして、誰かがこちらへと駆け寄って来るのが見えた。肩までの長さの髪を後ろにまとめ、真っ白い法衣に身を包んだ女性だ。彼女は俺達を発見すると眦を吊り上げ、まずはメリエラ様へと鋭い跳び蹴りを放った。対してメリエラ様は、蹴りを手の甲であっさりと受け流す。
どうでも良いことながら、滞空時間が長く、空中の姿勢が美しいと思った。
「……母上は、一体何をしているのですかッ!」
着地と同時、甲高い怒声が響き渡った。敵意と魔力を漲らせながら、ワイナ・カッツェが拳を握る。
そこそこ出来るように見える……流石に、俺が相手をする必要は無いよな?
全てが面倒になり、俺は気配を殺して背景に徹する。メリエラ様はそれに気付き、僅かに苦笑を滲ませた。
「短気だなあ。別に私が参加しないからって、道程に問題はあるまいよ」
「カッツェ家は今回の計画において、まとめ役を求められているのです。だからこそ、皆様がここに集まっているのですよ!? 当主が勝手な真似をしたら、示しがつかないでしょうッ!」
「まとめ役と言われてもねえ……そういう指示があった訳でもないし、深読みし過ぎじゃない?」
昨日の話を聞く限り、面子の勧誘をしたのは父上のようだが、人員を選んだのは中央だろう。集団の中で役割を求めるなら、それは明確にしておくべきだった。言質を取られたくなかったのか、自主性に任せたのか――どういう理由があったにせよ、前提がしっかりしていない所為で各自の思惑が入り乱れている。
……まあ取り敢えず、双方の言い分は理解した。ただ、俺は巻き込まれただけで、事の正否を判断する立場ではない。
「深読みだろうと何だろうと、客人に対して失礼があったことは事実です。貴女の主観はどうでも良いので、今すぐ彼等に謝罪をしてください!」
だから母親の行動に対して、ワイナが暴れても止めたりはしない。
俺は後ろに下がり、すぐさま二人から距離を取った。それと同時、踏み込んだワイナが右腕を真っ直ぐに伸ばす。袖口から細剣が飛び出し、メリエラ様の肩を抉った。
「へえ、長剣じゃないんだ? お前にしては変な武器を使うね」
「貴女に勝てるなら、何を使ったって良いんですよ」
ゆったりとした服の中に、鎖のついた細剣が戻っていく。暗器とは……ワイナらしくないと言うより、貴族らしくない。ただ、私闘に作法などあって無いようなものだ。本人が言う通り、まずは勝ってこそだろう。
対してメリエラ様は嘲笑うような鼻息を漏らし、傷付いた肩を軽く回した。素手で殴る、という意図があからさまに見える。
「前よりは頭が柔らかくなったね。ただ、あまりその武器に慣れていないんじゃないか? 狙うなら首を狙わなきゃ」
「殺しはしません。床に額を擦りつけて、彼等の許しを請うて下さいッ」
希代の陽術師を相手に戦闘不能狙いとは、随分とまた呑気な話だ。自身も陽術を扱うのだから、特性くらいは把握しているべきだろうに。
「代わりにお前が謝ったって良いんだよ?」
ああほら、もう傷が治っている。
抉られた方の腕で、メリエラ様が素早い突きを放つ。ワイナは腕を交差させ、拳をどうにか受け止めた。追撃も反撃も無く、双方は距離を取って構え直す。
戦闘中に傷を治せる連中が、相手を殺さないようにやり合っている……これは長くなるな。
こっそり抜け出した方が良いだろうか?
何故こんな戦いを見せられているのだろう、そう思いながら、俺は大人しく観戦に回った。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。