さよなら以外のお別れをしよう
誤字脱字報告、まことにありがとうございます。
コアンドロ氏の話に乗るかどうかはさておき、カイゼンでやるべきことは全て終わった。欲しかった知識も技術も身に付かなかったという口惜しさはあるが、奴隷を買うことで最低限の目標は達成出来ただろう。
報告の内容を考えると、少し気が重い。回り道をした挙句、足を踏み外した感がある。我ながら下手を打ったものだ。
取り敢えずメズィナ氏には申し訳無いが、帰郷を急ぐべく、人材や物資をまとめてもらうことにした。
「ははあ、コアンドロさんから何か依頼でもあったかな?」
「ええ、まあ。教国でちょっと実地調査をしてもらえないか、という話でして」
詳細を省いたからか、メズィナ氏はただ頷いて、細かく追及してこなかった。元軍人が依頼する調査ということで、踏み込まない方が良いと判断したのだろう。
こういう距離感は素直に好ましい。
肝心なところに触れないよう、慎重にメズィナ氏は続ける。
「しかし教国となると、カイゼンから向かった方が圧倒的に早いのではないかね? 王国からだと、下手をすれば二か月はかかるぞ」
「そうなんですよね。そこは正直悩みました」
話が出た段階で、俺も地理的なことは軽く調べた。カイゼンからであれば、教国は平地を真っ直ぐ進むだけの気楽な道のりだ。翻って王国から向かう場合は、再度カイゼンを経由するか、未開拓の険しい山を突っ切るかの二択となる。時間と労力の、どちらかを犠牲にしなければならないだろう。
……しかしそうと解っていても、今回ばかりは帰らざるを得ないと判断した。
「仰る通り、王国へ帰還するのは手間ではあります。とはいえ、私も当主の指示で国を出ている身ですから、独断で動く訳にもいかないのです。奴隷のことも報告しなければなりませんし、この際一度戻ることにしました。うちの領地は王国でも端にあるので、知らずに行けるような場所ではありませんしね」
「なるほど、宮仕えというのも難儀なものだね。とはいえ話は解ったよ、支度を急がせよう」
メズィナ氏は下男を呼び出すと、あれこれと指図し溜息を吐いた。段取りを狂わせたことに謝意を示すと、彼はゆっくりと首を横に振る。
「責めている訳ではないから、気にせんでくれ。それだけの金は貰っているのだ、要望があるなら申し付けてほしい」
言いつつもそのまま一度目を閉じて、メズィナ氏は眉の辺りを強く揉む――何やら疲れているらしい。
「何かあったんですか?」
「おっと失敬、お客様に気を遣わせてしまったな。……いやでも、君は知っておいた方が良いのか?」
その口振りから察するに、また狩猟組合が悪さをしているようだ。今後奴等と接触する気は無いにせよ、メズィナ氏に被害があるなら俺も無関係ではない。
半ばうんざりしつつ、先を促す。
「うん……実のところ、狩猟組合の件でちょっと厄介なことになっていてね。今回の一件で多くの人間が抜けた訳だが、後任の人事が確定しない所為で、食肉の流通が一部滞っているんだよ」
連中は何処まで祟るつもりなんだ。上層部が潰れたくらいで、体質は変わらなかったか?
不快感に反応し、体内で蠢く穢れを宥めすかす。
ともあれメズィナ氏の本業は奴隷商人なのだから、肉に左右される要素も少ない気がするが……首を傾げる俺に、相手は苦笑して返す。
「奴隷を抱えているということは、それだけ食糧の消費量が多いということだろう? 肉以外の食べ物はあるし、餓える訳ではないにせよ、やはり満足度が変わってくるからね」
「そういうことですか。解決の目途は?」
「困っているのはうちだけじゃないから、抗議が殺到しているみたいだよ。まあその対応でまた遅れが出ているようだが、一応、迅速に流通を戻すという回答はあった」
迅速に、ねえ?
狩猟組合を信じられない俺には、その場凌ぎの発言としか思えない。反面、コアンドロ氏が状況を放置するかと言われれば、それもまた違う気がする。
どうあれ、少し時間を稼ぐべきだな。
「そちらの作業が終わるまでは暇ですし、適当に狩って来ましょうか?」
どうせ俺が買った奴隷にだって、道中の肉は必要だ。加えて、お世話になったモナンさんへ、何かしらのお礼をする必要もあるだろう。
メズィナ氏は俺の提案に目を輝かせ、頬を紅潮させた。
「おお、ヴァクチャよ……君、私の養子にならないか? 娘と結婚するのでも良いぞ」
「ありがたいお話ですが、謹んでお断りいたします。……割と好きにさせてもらってますし、実家のことは結構好きなんです」
「何と惜しい。君がいれば、我が家は安泰だろうに」
「元が王国民ですし、それは無いでしょう。突っ張って生きるのも、なかなかに面倒なものですよ」
今回のことでよく解った。ただ生きていくだけなら、俺は他人と交流する必要が無い。気に入らないものを徹底的に潰して、好ましい環境を作るくらいなら、いっそ身を離した方が楽だ。そんなことに執着するよりも、美しい思い出を抱えたままこの地を離れたい。
優しくしてくれた人がいた。笑い合って、語り合って、とんでもなく美味い飯をご馳走になった。
その記憶があれば良い。
「……随分と苦労したようだね。我が国のことながら、王国に直接立ち向かう勇気も無い癖に、寄って集って個人を虐げようとは見苦しいものだ」
「背景も知らずに、呑気な顔をしていた私にも問題はあるんでしょうがね。国が変われば常識も変わる、勉強にはなりましたよ」
やはり、こういったことは実際に経験してみなければ解らないものだ。師匠の危惧とは違う形だったが、俺が迂闊だったことに変わりはない。穢れのこともあるし、他者との接触は最低限にすべきなのだろう。
僅かに気分が沈む――体内でまた不快感が蠢いたため、密かに『健康』へと魔力を回した。
……穢れが感情に左右されることが増えたな。こうなると気晴らしが必要だ。鬱憤晴らしも兼ねて、早速狩りに出よう。
「さて、お互い作業があるでしょうし、そろそろお暇しますよ。肉は何でも良いですか?」
「種類は任せるよ、今はとにかく量があれば嬉しい。報酬は後で支払おう」
「差し支えなければ、魔核か道中の物資でお願いします」
金が無くても生きていけるし、その気になれば幾らでも稼げる。ここ暫くの生活で、色んなものへの執着を失ってしまった。
メズィナ氏は何処か悲しげに眼を伏せる。
「多くの金を受け取ったというのに、更に施しを受けてしまうとはね」
「他意はありません、儲けたと思ってくださいよ」
「儲けはしても、これは私の望む商売ではないのだよ。……能力が高いというのも考えものだな、君はもう少し欲を持った方が良い。拘りが無いのはある種の美点かもしれないが、欲を満たしてこそ人生には潤いが出るものだ。まあ、私は己の欲に従った結果、こんなに立派な腹になってしまったけどね」
そう言って、メズィナ氏は自身の丸い体を擦った。おどけた調子で誤魔化していても、彼の発言には心からの気遣いがある。
自分で言うことではないが、こうして心配してくれる人がいるうちは、まだ大丈夫だ。
俺は体の力を抜き、唇を緩める。
「……ご心配無く。私にも、やりたいことは色々とあります。事が済んだら荒事から離れ、腰を据えて職人仕事をしたいのです」
師匠の腕以外にも、作ってみたいものはまだ沢山ある。しかしそれも、穢れへの対処を身に付けてからだ。そうでなければ、まともに注文を受けることすら出来ない。
今こうして耐えているのは、自分のため、将来のためだ。
俺の答えに満足したのか、メズィナ氏はふと苦笑を滲ませた。
「そうか……なるほど、まだ枯れてはいないようだね、失礼した。気が向いたら、箱や装飾品以外の物も見せてくれ。君の作品を取引出来る日を心待ちにしているよ」
「ありがとうございます。状況が落ち着きましたら、是非」
真っ当な取引が出来るお客様は、こちらとしても大歓迎だ。必要な物があったら、真っ先にお声掛けいただきたい。
どちらからともなく笑い合い、俺達は握手を交わす。何を作るとも、幾ら払うとも決めない、ただの予約だ。それでも、注文があれば俺は全力を尽くすだろうし、彼も適正な支払いをしてくれるだろう。上得意が一人出来たのなら、カイゼンでの不毛な時間も報われる。
さて、少し長く居過ぎてしまった。この後は狩りの他に、モナンさんやバンズィさんの所にも顔を出さなければならない。あちらも肉が確保出来ているか解らないし、俺がいなくなってからについても、話を詰めておく必要があるだろう。あの人の腕なら俺の肉に拘る理由は無いが、店で使われている以上影響は出る。
いざ去るとなると、意外と忙しい。
そして、辞去する前に一つ確認事項が残っていたと思い出し、慌てて振り返る。
「すみません、聞き忘れていました。準備にはどれくらいかかりそうです?」
「奴隷達はすぐに動かせるとして、物資の面で三日は貰いたいな。……ああそうだ、明後日にでも送別会を開こう。君もモナン達に挨拶するだろう?」
「ええ、この後行こうと思っていました。そうしていただけるのでしたら、当日を楽しみにしています」
丁寧に頭を下げ、改めて部屋を出る。扉を閉める瞬間、メズィナ氏はにこやかな笑顔を浮かべ、手を振っていた。俺も隙間から顔を覗かせ、同じようにして返す。
……あと三日か。
不快なことも多かったが、結果的には良い形で落ち着いた気がする。最後の一線で、かろうじて俺は恵まれた。偏見無く接してくれる人間はありがたいものだ。
後は、この感謝を形にせねばなるまい。
柄でもないが、久々に清々しい気持ちで、俺は狩り場へと足を向けた。
本章はこれにて終了。
次回はいつものように登場人物一覧となります。
ご覧いただき、ありがとうございました。