嗤う闇
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四日後。
面会の約束は、思いの外早く取り付けられた。装飾品を懐に抱え、俺はコアンドロ氏を訪ねる。
メズィナ氏が言うだけあって、閑静な住宅街の中でも、屋敷は一際立派で馬鹿でかいものだった。しかし奇妙なことに、規模に反して使用人の気配はあまり感じられない。金は幾らでもあるだろうに、管理するのに最低限の配置しかしていないようだ。
真昼間だというのに、風の音しか聞こえない――それが殊更に不安を煽る。
何を恐れる。強者の気配は感じない、俺に及ぶだけの者がいるとは思えない。
唾液を飲み込み、扉を叩いた。すぐさま入り口が開き、中から髭を生やした執事が顔を覗かせる。この男からも、コアンドロ氏と同じ怪しい空気を感じた。
何だ? 何が俺を警戒させている?
疑問はあれど、立ち尽くしてもいられない。拳を握り締め、笑顔で挨拶する。
「失礼、フェリス・クロゥレンと申します。コアンドロ様と面会の約束をしているのですが」
「ああ、お話は伺っております。旦那様がお待ちです、ささ、どうぞお入りください」
勧めに従い中に入ると、遣り取りを聞きつけたのか、コアンドロ氏が丁度奥の部屋から出て来るところだった。俺は居住まいを正し、細心の注意で以て一礼する。
「お邪魔しております。先日はご対応いただき、ありがとうございました」
「ああ、よく来てくれた。年寄りの暇潰しに付き合ってもらうのだから、むしろこちらが礼を言わねばなるまいて」
相変わらず、態度だけは好々爺のものだ。腰が低い訳でもなく、かといって横柄でもない。地位のある人間の振る舞いとしては、本来は好感を持って然るべきもの。しかし、俺の感覚は未だ彼を忌避すべきものとして捉えている。
このまま穏やかに、何事も無く事が済めば良いが……果たして。
相手の反応を窺っていると、コアンドロ氏は床に杖を突き、曲がった背を真っ直ぐに伸ばした。
「さて、先日の件についてだが……狩猟組合については、もう聞いているかね?」
「いえ、特に何も伺っておりません。彼等の処遇は決まりましたか?」
「ああ。その所為もあって、面会に時間がかかってしまってな」
少しだけ楽し気に、コアンドロ氏は説明を始める。
有力者達で経営状態を確認したところ、あんな勝負に出ておきながら、組合の現金は約十五億という体たらくだったらしい。そして赤字こそ出ていないが、食肉についてはほぼ独占という立場にも拘らず、純利益があまりに小さいことが判明した。
食肉の取得量等の履歴を追ってみても、数字としては安定している。他方で販売はどうかというと、人口の増加に伴い多少の値上げが見られるものの、変動は常識的な範疇に収まっている。現場は最低限、必要と思われる作業をこなしていた。
ならば原因は何処にあったのか。
狩猟組合はあくまで狩猟と食肉加工を主な業務としているものの、収益の大半を賭博や性風俗から生み出していた。主業であれ副業であれ、より稼げる方に資金を投入したくなるのは人の常だ。将来的な回収を見越して、組合は多額の設備投資を行った直後であった。
やっていることそのものは、何も間違っていない。ただ、経費が増える時期だった故に、組合は現金を失うことに対し過敏になっていた。
だから賭場で発生した損失を認められず、滅茶苦茶な賭けに出てしまった。
「……何とまあ、運の悪いことで」
「運が悪い者が賭けをする時点で、間違っているとは思わんかね」
「それは仰る通りですね」
不思議なことに、博打は負けられないと躍起になっている時ほど負けるものだ。そんな時は身を伏せて耐えている方が損失は少ないのだが、我慢出来ない者というのは往々にして存在する。
結果的に、組合は俺に大敗を喫した。
「そうなると、経営陣は刷新ですか?」
「そうだな。まあ時間さえあれば、今回出した金は回収出来るだろうが……我々が待ってやる理由は何も無いのでな。支払いを拒否するなら取引を停止すると言ってやったら、連中も諦めよったよ。そもそも組織の上に立つのであれば、致命的な痛手を避けられるよう備えておくのも仕事の一つだ。そういう意味でも、責任は取って然るべきだろう」
「まあ、軽率であったことは否めませんか」
愚かなことだと、二人で苦笑し合う。
結局、不足分の金額は二十人が奴隷落ちすることで補填。加えて、不在となった経営陣の中に優秀な人材を送り込み、組合を半ば乗っ取る形で話は落ち着いたらしい。
手際が良過ぎる感はあるが……敢えて口にすることではあるまい。きっと偶然だ、迂闊な言動は控えよう。
俺が曖昧に濁していると、コアンドロ氏は艶の消えた瞳をこちらへ向けた。
「そうそう。奴隷を欲しているようだが、組合や賭場に欲しい人材はいるのかね?」
不意の問いかけに心臓が跳ねる。
まさか、メズィナ氏から情報が流れている? ……いや、違うな。あの金額を奴隷商にそのまま預けたのだから、当然の流れか。
ともあれ金を出した上に、人材までこちらに提供する理由は無い筈だ。コアンドロ氏の意図が読めず、俺はひとまず素直に答える。
「どうしても、というだけの人材はおりません。まあ強いて言えば、藪荒らしの親を担当していた細目の男ですかね。最初こそ取っつきにくい印象でしたが、彼だけは客を長く楽しませることに終始していました。接客に向いているんじゃないかと思います」
「ああ、あの男か。こちらも彼は使えると評価したが、残念なことに奴隷にはなっておらん。そもそも、君が与えた損失に彼は絡んでいないしな」
確かにあの場では軽く遊んだだけで、大した遣り取りはしなかった。あの男が難を逃れたなら、後は特に拘るような相手はいない。
そう告げると、コアンドロ氏は何故か体の強張りを緩めた。
「どうしました?」
「いや……実のところ、もう奴隷の処遇は決まっていてな。君が目をつけている者がいるのなら、面倒になるかと思ったのだ。何も無ければそれで良い」
「そういうことでしたか。持ち主の意向が優先されるべきですから、こちらのことはお気になさらず」
むしろ、俺に配慮する理由の方が解らない。ただこういう言い方をした以上、奴隷は何か手遅れな状態になっているらしい、ということだけは察せられた。
まあ、今まで彼らが生み出した敗者達と、同じ道を辿ったというだけの話だ。死霊も少しは気が済んだだろう。
俺は顛末に満足し、抱えていた手土産の箱を差し出す。
「お話ありがとうございました。先のお礼というには些少ですが、こちらをどうぞお納めください」
コアンドロ氏は箱を受け取ると、中身を確認し目を細めた。
「はっは、年の割に世慣れているな。こんな爺を相手に、そう丁寧な対応をせんでも良い。若い内は多少無礼なくらいが好ましいものだ。とはいえ……なかなか洒落た物を持って来てくれる」
反応が大袈裟なものではないことに安堵する。
最終的に、装飾品は女性用が花、男性用が葉の形で一組になるように工夫した。野営地に咲いていた名も知らぬ花だが、造形は我ながら良い出来だ。代わりに、全体を敢えてくすんだ銀色にすることで、華やかさは抑えられている。
手は決して抜かず、それでいて高評価を避けるという、完全に自己満足の世界だ。それでも満足の行く仕事は出来た。
「お気に召していただけたなら幸いです。メズィナ様が飲食物はあまり喜ばれないのではないか、と話しておりまして……私もこの街の名産を把握しておりませんでしたので、こういった形を取らせていただきました」
「まあ、この年になるとあまり色々食えんのは事実だよ。客人に気を遣わせてしまったな。……どれ、ここで立ち話を続けるのもなんだ、皆が待っている部屋に移ろうか」
「畏まりました」
無防備な背を向けるコアンドロ氏に従い、暗い廊下を歩いて行く。外が明るすぎる所為で、却って屋内の影が濃く感じられる。やがて辿り着いた部屋からは、何とも言い様の無い空気が流れていた。
扉一枚隔てた向こうにある、何とも言えない強い圧力。
……人の気配はある。奇妙なことに、すぐには数えきれないだけの人数が犇めいている。しかし、何かが動いている様子が感じられない。人の形をした物が、ただ並んでいるような――
「さあ、入り給え」
「……失礼します」
コアンドロ氏が扉を開け、先に中へと滑り込む。唾を飲み込み、俺は指示に従う。
感覚に違わず、応接室には四人の老人が控えていた。右側に男が二人、左側に女が二人と綺麗に横一直線に座っており、まるで面接でもするかのような配置になっている。全員が別人の筈なのに、誰もが同じ表情で固まっているように見えた。
そしてその足元には、奴隷落ちしたと思われる連中が、体のあちこちを刳り貫かれた状態で転がっている。ヴェスやザナスンも含め、知った顔が何人か混ざっていた。出血が無いということは、処置してそこそこの時間が経っているらしい。
呼吸音も聞こえるし、生きてはいる、のか。
呆気に取られていると、老人達の顔が同時に笑顔になった。
「ようこそ」
「ようこそ」
三日月のように割れた唇から、歓迎の声が染み出している。しかしそれは響きだけで、感情の乗ったものではなかった。
彼等はそういう発言をするだけの装置だ。
部屋の様子を見て、何故コアンドロ氏が俺に声をかけたのか、そして何故俺が彼等を忌避するのか、否応無しに理解する。
「……汚染、されている……?」
違和感の正体はこれか。人間を素材にした、穢れの保存容器――あまりに作りが良過ぎて、今に至るまで感知出来なかったのだ。
口を開いた所為で、彼等の呼気からはうっすらとした穢れが漏れ出している。取り込んだ量は俺ほどではなくとも、抵抗力が低かったため、侵食に耐えられなかったらしい。
では、コアンドロ氏は?
慌てて振り向けば、彼は親し気に俺の肩に手を置き、満面の笑みを浮かべた。
「はっはっは、驚いてくれたかな? ようこそ、我々の集いに。まあ、今となっては儂以外まともな会話は出来んがね」
「……的当ての話は建前でしたか」
「いいや、興味があるのは本当だよ。ただ、本題ではないだろうと言われれば、否定はしないといったところか」
穢れを抑えることを止めたのか、コアンドロ氏の穴という穴からも穢れが滲んでいる。常人なら発狂してもおかしくない状態で、彼は明らかに自我を保っていた。
只管に不気味ではあるが、不思議と敵意は感じられない。それが猶更、噛み合っていない印象を与える。
「どういったご用件か、お伺いしても?」
「なぁに、お互いにとって得な話さ。君は尋常じゃない濃度の穢れを浴びながら、それを抱え込んで平然としている。何故なのか興味が尽きなくてね、是非とも情報交換をしたいんだ」
回答に内心で舌を打つ。まことに遺憾ながら、かなり魅力的なお誘いだった。
やっていることが非人道的であるからこそ、コアンドロ氏はきっと色々なことを試している。その知識には、長年に渡る蓄積があることだろう。一方、俺は祭壇のことを知っているだけで、穢れそのものに対する理解が不足している。
情報を引き出したいなら、これはもう誘いに乗るしかない。
已むを得まい、個人的な感情は棚上げする。俺は表情を取り繕って、相手の提案に頷いた。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。