不吉なことは何も
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長い夜が明けた。
帰ってそのまま昼過ぎまで眠り、もうこれ以上は眠れないという状態になってようやく、地表へと這い出した。完全に昼夜が逆転している。
まあ、今後は賭場に通うこともない。普通に生活していれば、自然と元に戻るだろう。
俺は保管しておいた肉を焼き、簡単な食事を済ませる。茶を啜って一息吐いていると、また護衛も無しにメズィナ氏が現れた。
「お疲れ様です」
「そちらこそ、お疲れ様。いやあ、実に素晴らしい勝負だったよ! 年甲斐も無く興奮してしまった。儲けも充分過ぎるくらいに出たことだし、最高の夜だった!」
「お楽しみいただけたようで何よりです」
メズィナ氏は感謝を示すと、俺に抱き着いて大袈裟に背中を叩いた。まるで口付けでもしそうな勢いに、思わず一歩身を引いてしまう。
まあ、儲けてくれたこと自体は喜ばしい。
相手が落ち着く頃合いを見計らって、俺は気になっていることを質問した。
「全てお任せしてしまいましたが、勝ち分は無事回収出来ましたか?」
「勿論だよ。あれだけの量だから時間はかかったが……金額に誤りが無いことも確認済だ。本当に、全て買い物に回すということで良いんだね?」
「必要な人材を得られるなら、こちらとしては構いません。使い切れない分はご自由にどうぞ」
「間違いなく余るね。君こそ私のヴァクチャだ」
以前も聞いた名前だ。幸運の神か何かだろうか?
さておき暫くの間、俺達は目的に見合う人材の条件を話し合った。学術院を卒業するような人間は、やはり一般的な奴隷よりも高値がつくらしい。それでも一人一億前後ということで、まず欲しいだけ手当たり次第に確保することとした。
メズィナ氏から一覧表を受け取り、中身を確かめる。……機構の研究者一名とその部下二名、金属加工の専門家、元カサージュの加工業者。この五人は絶対に欲しい。ああ、そういえば、他にも揃えたい要素があった。
「メズィナ様。技術者とは別に、算術や事務仕事が得意な者も何名か購入出来ませんか? 故郷に人手を送ってやりたいのです」
「そうか、君は王国貴族だと言っていたね。しかし、他国の奴隷を採用して問題は無いのかな?」
「貴族と言っても、領地は開拓中ですからね。しっかり働いてくれる人間であれば良いのです」
むしろ今なら、奴隷であっても文官への道が開かれている。多少の縛りはあるにせよ、当人らにとっても悪い話ではないだろう。
何か引っかかることがあるのか、メズィナ氏は僅かに考え込んだ。
「……年齢は問わず、ということであれば在庫があった筈だ。ただ、このままでは大人数になってしまうな。王国までの移動はどうするつもりだね?」
「陸路を使う予定です」
多少大回りにはなるが、渡河だけが移動方法ではない。推船を使えない以上、獣車で移動することになるだろう。
メズィナ氏は何やら頭の中で計算すると、すぐさま結論を出した。
「うん、解った。御者と護衛も含め、人員を十五人で絞ろう。あまり人が増えると統制が取れなくなる。王国までの道を、君一人で引っ張っていくことは難しかろう?」
「そうですね。ご配慮いただき、ありがとうございます」
道中のことは後で頼むつもりだったが、出来る商売人は対応が早い。金を任せる相手がメズィナ氏で良かった。
二人であれこれ調整した結果、十五人の枠はすぐに埋まった。物資や素材の手配もしてもらい、双方にとって大変有意義な遣り取りとなった。
「……こんなところですかね。いや、久々に充実した買い物をさせていただきました」
「こちらこそ。十億も余らせてしまって、却って申し訳無いくらいだ」
「いえいえ、私が持っていても仕方の無い金です。そちらで活かしてください」
目的の無い貯蓄をしても仕方が無い。金は溜め込むためではなく、使うためにあるのだ。まして、再び訪れるかも怪しい他国の金であれば猶更だ。
雑談を楽しむ内に、話題が移り変わっていく。
「そういえば……メズィナ様はコアンドロ氏の所在をご存知ですか? 的当てで私が何をしたか、説明に伺うと約束したのですが」
「ああ、そんな話をしていたな。コアンドロさんのご自宅なら、街の北側にある大豪邸がそうだよ。他に目立った建物は無いから、すぐに解る筈だ。お得意様でもあるし、こちらから連絡を取ろうか?」
「そこまでお願いして良いのですか?」
「勿論だとも。君の滞在中は、何でも任せてくれたまえ」
アレをお得意様にするとは、メズィナ氏もなかなかの傑物だ。
正直俺としては、コアンドロ氏とあまりお近づきになりたくないのだが、あの金は手品の説明と引き換えということになっている。儲けを失う訳にもいかないし、最低限の義理は果たすべきだろう。
ただそもそも、あの爺さんは何者なのだろうか?
「……因みに、コアンドロ氏についてお伺いしても?」
「ははは、フェリス殿といえど、流石にあの方が相手では緊張したかな? そう心配することはない、コアンドロさんは気の良いお人だよ。元々は退役軍人でね、恩給を元手に商売を始めたらそれが当たって、今や街の顔役だ」
軍人――だとしたら、どれだけ多くの人間を手にかけたのか? あれだけ濃密な死臭の持ち主は、お目にかかったことがない。強度とは無関係なところで、体が相手を拒否している。
恐らくそう深い関係にはなるまいが、訪問時には備えが必要となるだろう。少なくとも、敵に回すことがあってはならない。
「二十七億を遊びの一言で済ませる相手ですし、粗相があってはいけないでしょう。手土産は……こちらの国ではどういった物が好まれますか?」
「まあ酒か菓子が無難ではあるね。ただあの方に普通の物を贈っても、喜ばれないと思うよ。大体の贅沢は知っている方だし」
それはそうだ。ああいう人間に対しては、俺も含め周りが気を遣う。色々な人間が色々な物を彼に贈ったことだろう。
さて、どうするのが最適だ? 他国人なので習慣を知らない……ということにしても良いが、あまり適当にしたくもない。あの手の輩は、隙を見せると何をしてくるか解らない。
ここは一つ、原点に立ち返るべきか。
「それでは、こういった物は如何でしょう?」
俺は魔核を取り出し、小さな銀色の花を一本拵える。そうして茎の部分を敢えて曲げ、装飾品として身に着けられる形に仕上げた。
お洒落を勧めたい訳ではない。自分の魔力で作った物なら、遠くからでもすぐ解る――俺は猫に鈴をつけたいだけだ。あの老人に対しては、幾ら備えても不足ということはあるまい。
メズィナ氏は飾りを慎重に摘まみ上げると、何処かうっとりとした溜息を漏らす。
「可憐な造りだ……色合いも落ち着いているし、様々な場面で使えそうだね。ただ、少々女性向けの嫌いがあるかな?」
「まあ、参考として適当に仕上げたものなので。取り敢えず、掴みとしては悪くないようですね」
「良い出来だと思うよ。君にとっては手慰みかもしれんが、それも残しておいて、男性向けと一緒に進呈するのはどうだろう?」
なるほど、それは良い考えかもしれない。あまり沢山贈っても不審だが、発信機は一つより二つあった方が良い。やはり地元の有力者の発言には示唆がある。
基本的な路線はこれで決まった。あと、注意すべきことは……まだ大事なことが残っているな。
「……あの方は、退役軍人ということでしたね。あの状況では何を言う余裕も無かったでしょうが、王国民についての感情はどうです?」
俺が今まで触れてきた悪意は、陰湿ではあっても苛烈なものではなかった。差別はあくまで慣習のようなものであり、強い憎しみと密に結びついていない、という気がした。
しかし……直接戦争をしていた人間も、果たして同じ感覚だろうか?
阿る訳ではないにせよ、どれだけ丁寧な対応を心がけようと、最初から嫌われていたなら話が変わってしまう。用件がほぼ済んでいる以上、この国を脱出するまで波風は立てたくない。
メズィナ氏は腕を組み、大きく首を捻る。
「うーん……戦争があの方にとってどういうものだったかは、私には解らないな。兵器開発の部署にいて、前線には出なかった、という話を聞いたくらいか。まあ、今やあの方は商人だからね。普通に考えれば、君と敵対するだとか、自分が損をする真似はしない筈だよ」
本当にそうだろうか? 道理ではそうだと解っていても、俺の頭がそれに納得してくれない。あの爺さんは容易く他人を処分出来る人間だ。アレは損得を超えたもののために動いているという確信がある。
ぼんやりとした、不透明な忌避感――何が理由だ?
俺が思う人物像と、メズィナ氏の語る人物像はまるで一致しない。親しい人間にも見えない何かがある。漠然とした不安が警鐘を鳴らしている。
とはいえ、やらなければいけないことがあるのに、怯えてばかりもいられない。
「……うん、大変参考になりました。ありがとうございます」
「礼なら構わないよ。慣れない国で要人に会うことになったのだから、注意し過ぎるくらいの方が安心だ。君に関してはあまり心配していないがね」
相手が相手なので、いつも以上に慎重に立ち回るつもりではある。とはいえ、現場ではもう流れに任せて祈るしかあるまい。
俺に出来ることはその前の段階――装飾品を作り上げることだけだ。決して気に入られず、かといって不満を抱かせる訳でもない、絶妙な按配が求められる。
若干不本意な形ではあれ、久々の創作だ。せめて少しくらい、過程を楽しむこととしよう。
今回はここまで。
利き手加療中のため、暫くは二週間に一度の更新になると思われます。ご了承ください。
ご覧いただきありがとうございました。