或る敗因
誤字脱字報告、まことにありがとうございます。
なかなか気付けず、お手数をおかけしております。
予想通りと言うべきか、次戦の開始前に的は入れ替えられることになった。まあ手品のタネが理解出来ずとも、疑わしい要素は排除しておくべきだ。対処としては、何ら間違っていない。
さて実のところ、必勝の策は後一つしか無いが……その手札を切るのはまだ早いだろう。消極的になれば勝ちは遠ざかる、次の一戦は賭けに出るべき時だ。
口惜しいことに、防衛陣はまだやる気に満ちている。最終戦をより確実なものとするために、可能であれば相手の迷いを誘いたい。
「準備は済んだか? 満足したなら、そろそろ次に行こうか」
「……そうだな。お客様もお待ちだ」
細身の魔力が鋭く収束していく。肌の表面が刺激されるような圧――こんな所で腐らせるには惜しい力量だ。
しかし、それではまだ足りない。侮っていた小僧に出し抜かれ、今更やる気を出しているようでは、評価に値しないのだ。
俺は口元を歪め、次戦のために新たな針を拵える。加えて持ち込んだ鞄から、切り札となる石礫を取り出した。
さあ、次の手品は攻略出来るかな?
司会は怯えを滲ませながらも、懸命に場を進行させる。
「ご来場の皆様、大変お待たせいたしました。只今より二戦目の勝敗予想を受付いたします。一戦目は挑戦者が見事な勝利を見せてくれましたが、果たして次戦も同じように行くでしょうか? 注目の一戦です! えー……決まりですので一応訊きますが……挑戦者、金額の設定は?」
「無論、全額です。二億七千万で」
歓声が沸き上がり、俺は大きく手を振ってそれに応える。殺気だった防衛陣の体に、緊迫感が走ったことが見て取れた。
挑発により相手から冷静さを奪い、まともな勝負を徹底的に避ける。次の一手を打つには、大胆さが不可欠だ。今のうちに煽れるだけ煽れ。
「おいおい、どうした? どいつもこいつも、肩に力が入ってるじゃないか。もっと朗らかに行こうぜ?」
「……その手には乗らん。これから先、俺達は勝ちに徹する」
だから、それでは遅いんだよ。
勝負の方法を決めるのは組合なのだから、俺なら挑戦者側が絶対に勝てない設定にした。人間で壁を作っても良いのなら、もっとえげつない方法は幾らでもあった筈だ。たとえば、的当てと言いつつ的を隠してしまうだとか、条件は幾らでも厳しく出来ただろう。
見栄えを気にして手を狭めるのは、勝ちが決まってからするべきことだ。
思わず溜息が漏れる。
「はは、お前もザナスンも随分と悠長だな。組合そのものの体質かね?」
「ああ?」
「だってそうだろう? 二千万を惜しんで温い勝負を仕掛けた挙句、億の被害を出したのがお前等だ。そもそも単なる世間知らずのガキが、長年機能していた仕掛けを破った時点で、警戒しようとは思わなかったのか?」
まあ現実としては、細身は単なる的当ての担当者に過ぎず、俺への妨害工作に対して指示を出せる立場ではないのかもしれない。彼はどちらかと言うと、上に嫌々従っているだけのようにも見える。ただそれでも、本番前に相手を揺さぶることには価値がある。
細身は目を瞑って深呼吸をすると、押し黙ったまま的へと歩みを進めた。そうしてこちらを鋭く睨み付け、的に背を預ける。
なるほど、今度は自分自身を盾にすると。
「ふうん……いよいよ前衛が信じられなくなったか?」
「いいや? 前からの攻撃は武術師が止めてくれる。信じているからこう出来る。……コイツ等で止められないのであれば、その責任は俺が取るってだけだ」
細身の声は静かでありながら、やけに通って聞こえた。発言に鼓舞されたか、防衛陣の目に強い意志が漲る。全員が一個の生き物であるかのように、俺を打倒すべく決然と顔を上げる。
表情に自信が戻ったか。双方に信頼関係がある……良い部隊だ。感動的で実に素晴らしい。
俺には熱狂も興奮も要らない。ただ勝つべくして勝つだけだ。
さて、程良く場も盛り上がったことだろう。そろそろ勝負に入るよう、俺は司会に目配せをする。上役が合図を出すと、司会は頷いて声を張り上げた。
「それでは皆様、只今を持ちまして、二回戦の予想を締め切らせていただきます! 現状は六対四で組合が若干有利、といったところです! さあ、勝敗はどうなるか……行きますよ!? 二戦目、開始ィ!」
鐘の音が鳴り響く。
俺はまず石礫を高らかに放り投げ、敵の視線を上に誘導した。それと同時に身体強化を発動し、握り込んだ針を全力で振りかぶる。
「……ッ、前!」
誰もが宙を見上げているまさにその時、細身だけが俺を注視していた。気付きは瞬時に伝わり、武術師達はこぞって盾を掲げる。
囮作戦は失敗。五本中三本が盾に弾かれ、残り二本は風壁によってあらぬ方向へと飛んで行った。
もう次の備えは無い。勝ちを確信した細身が吼える。
「これで終わりだ!」
収束した魔力が激しく渦を巻き、小規模な嵐となって細身の手を離れる。万物を打ち砕く猛威が空中へと広がり――そして、石礫は何事も無かったかのように的へと着弾した。
単に放り上げただけの石は、当然的を貫くことなど出来ず、大きく跳ねて細身の足元へ転がっていく。
「……は?」
事態を飲み込めない、誰かの呆然とした声が聞こえる。
握り締めた拳を天井へと掲げ、俺は敵に現実を伝える。
「二十七億」
観客席のメズィナ氏が、何故か泣きそうな顔で拙い拍手を始めた。それに引き摺られるように、一つ、また一つと拍手が増えていき、最後には客の全員が俺を称えた。
今更のように心臓が暴れ出し、転げ回りたい衝動に駆られる。
危ない賭けだった。魔術なんて使わず、細身が石を手で払っていたら、それで終わっていた。目的のために誰もが役割に徹し、長所を活かすことを考えたからこそ勝てた。
「な、そんな……馬鹿な、有り得ない! 小僧、貴様ァッ! そこを動くなあ!」
発狂した上役が柵を跳び越え、唾を飛ばしながら会場を走る。そのままこちらに殴りかかってきたため、敢えて額で受けて拳を潰す。
「ああっ、ぐああーッ」
「何がしたいんだコイツは」
あまりに邪魔なので隅っこへ蹴り転がすと、急所に入ったのか、上役は白目を剥いて天井を仰いだ。唇を戦慄かせた細身が、代わりに前へ出る。
「……やってくれたな。一体、何をしたんだ?」
「答えてやっても良いが、支払いを先に済ませて欲しいもんだな」
何てことはない、アレは特区にある祭壇の入り口を隠していた、魔術を弾く謎の石だ。俺の全力の探知すら弾いたのだから、細身の魔術も当然のように無効化して、そのまま的へと落ちただけのこと。もう使えないネタなので、種明かしを惜しむつもりは無い。
細身は暫く黙り込んでいたが、やがて手の甲を掻き毟りながら、関係者へと指示を飛ばす。しかし、振られた当の職員は、鼻水を啜りながら首を横に振った。
何となく察する。さては、現金が足りなくなったな?
二千万を取り返そうとしたのは、俺が憎いというより、組合にとって痛い金額だったからかもしれない。全部で幾ら保有しているかは不明だが、二十七億が払えない団体にとって、二千万が占める割合は小さいものではないだろう。
必勝策――最終戦で全魔力をぶつけるため、可能な限り消耗を抑えていた訳だが……どうやら無駄に終わったか。
溜息が漏れる。地術で椅子を作り、余裕ぶってそれに腰掛けた。
「ほら、どうした? 早く清算してくれよ」
「……少し待て。金額が金額だ、時間がかかる」
「ハッ、そっちの段取りの悪さまで斟酌しろと? 三戦勝負を持ち掛けたのはお前等だ、金が用意されるまで最終戦には入れねえな」
「全額賭けるのであれば、支払いは最終戦の後でも構わないだろう」
あまりに言い訳が苦しい。その場凌ぎであることは明白だ。
俺はその提案に乗らず、改めて金を要求する。
「いいや構うね、すぐに清算だ。支払いの保証も無いのに続けられる訳がない。日付が変わるまでに金が用意出来ないなら、お前等の身柄で支払ってもらうしかないな」
「……そんな真似が出来ると思ってんのか?」
「出来るさ、他ならぬお前等がやってきたことだろう?」
低い声での脅しに対し、俺はここで初めて、残しておいた魔力を解放する。穢れの発露も相俟って、細身の顔色が急激に悪化する。
順位表に載るような傑物がいるなら、的当てに参加している筈だ。今の防衛陣に俺を止める余力は残っていない。
さあどうする。支払えなければ、ここで勝負が終わってしまう。不戦敗では金どころか、資産家達からの求心力すら失われるだろう。しかし支払ったとしても、後の被害が大きくなるだけ。
何とも締まらない話だ。最終戦を待たずして、勝ちが確定してしまった。
細身は杖を握ったまま、必死に足を奮い立たせている。
「な……ッ、お前は何なんだ、一体!?」
「デグライン王国子爵家、フェリス・クロゥレンだ。支払うか、奴隷になるか……ああ、それとも拒否するか? その場合は王国貴族を売り払おうとしたってことで、外交問題に発展させてやるよ」
俺はお前等とは違い、勝ちが決まってから選択肢を絞る。命と引き換えにするのなら、金は諦めてやっても良い。
最初から組合は詰んでいたのだと、細身は今更気が付いたようだ。視線が救いを求めて、職員の間を彷徨っている。
「選べ、時間は無いぞ?」
漏れ出した魔力が死霊と結合し、呪詛の形を取ろうとしている。
夢と命を絶たれた者達が、応報せよと言っている!
「――まあ待て、少年。金は用意したよ」
禁呪を使おうとしたまさにその時、知らない声で制止が入った。
誰何のために振り向けば、金を積めるだけ積んだ台車の群れが、入り口で渋滞を起こしている。その先頭では、胡散臭い笑みを浮かべた爺さんが、背筋を伸ばしてこちらを見詰めていた。
爺さんは会場に入り込むと、職員に指示を出して金を平積みにさせた。俺は念のため魔力を場に流し、贋金ではないことを確認する。
「……まさか本物とはね。貴方は?」
「コアンドロ・ス・オイン。さっきまで勝負を楽しんでいた、単なる客の一人だよ」
「単なる客でありながら、組合の負債を背負うと?」
勝っておいてなんだが、二十七億は決して小さい額ではない。それをこの短時間で搔き集め、しかもあっさり手放すのか?
疑問が顔に出ていたらしく、コアンドロは唾液で糸を引きながら、粘ついた口をゆっくりと開いた。
「勿論回収はするさ、一カーゼの不足も許さず、きっちりとね。ただ……今ここで支払いを済ませないと、疑問がそのままになるだろう? このお金は、君が何をしたのか訊きたい者達からの、質問分の代金だと思ってくれたまえ」
悪意を煮詰めたような笑み。直感――敵対は避けるべきだ。
そういうことなら、大人しく受け取らせてもらおう。俺は金の山を地術で覆い、厳重に封印する。
それから、第二戦で使った石礫を拾い上げ、コアンドロに手渡した。
「記念に差し上げましょう。有志の方々には後で説明に伺いますので、その石は取って置いてください」
「ほっほっ、こんな貴重な物をいただけるとは、役得役得。君は気前が良いな」
「恐縮です」
声だけは穏やかなものを含んでいるが、この爺さんからはとんでもない負の気配を感じる。無数の恨みに身を包みながら、それを当たり前とする後ろ暗い臭い。まあ、組合がこれで乗っ取られようと、人材が磨り潰されようと、俺には関係の無い話だ。
今後の展開は、きっと優しいものではない。
「……因みにですが、最終戦まで背負うご予定は?」
「泥船で航海は楽しめまい、これ以上だと流石に遊びでは収まらないよ。……おい、司会の兄ちゃん! 組合側が支払い限度を超えた、これで終わりだ!」
第三者によって勝敗が明示されてしまった。これで終戦だな。
俺は死霊に引っ込んでもらい、強張った体から力を抜く。
細身はようやく敗北を認め、膝から崩れ落ちた。
今回はここまで。
利き手の関節の調子がまた悪くなってきているので、暫く更新ペースが安定しないと思われます。
申し訳ございませんが、ご了承ください。
お読みいただきありがとうございました。