勝敗その一瞬
まず最初に姿を現したのは、細身の男だった。未だに名前すら知らない相手だが、少なくとも話の通じる人間ではある。
目が合ったので軽く頷いてやると、細身は口元を引き締めてこちらへと歩み寄った。先日のくたびれた格好とは違い、艶やかな光沢のある外套を纏っている。身綺麗にしていれば、何処ぞの優秀な官吏といった佇まいだ。
彼は眉根を寄せ、気難しげな表情で口を開いた。
「よく逃げずに来た」
こんな馬鹿げた集まりに、という注釈が聞こえてきそうだ。面倒な役割でも押し付けられたのか、細身は気が進まない様子を見せている。まあ、組合の提案が無理筋だと解っていた人間だし、上層部に含む所はあるのだろう。
とはいえ、共感するからといって手を抜くつもりは無い。勝負を持ち掛けて来た以上、自分が潰されることだって考慮している筈だ。
ならば敵である俺と、何を話したいのか――まずは前哨戦がてら、対話を受けることにした。
「ザナスンが言っていたよ、最後の勝負を存分に堪能しろとな。色々と仕込んでいたようだし、楽しませてくれるんだろう?」
「ハァ? そんなこと言ったのか? ……アイツ、人の仕事の邪魔してえのかな。どう思う?」
「本人にそのつもりはないんだろうな。でも、俺だったら大事な仕事は任せない」
わざわざ相手を警戒させるような奴に、案内を任せる方が間違っている。
だが、細身は気付いているだろうか? 実際のところ、アイツは組合にとって良い仕事をした。
奴隷落ちの条件は、勝負終了時点で多額の借金を抱えていること。賭けの最低額が五百万なのだから、三千万近い金を持つ俺が破滅するなんて、本来は有り得ない話だった。安全を確保したまま、勝負を綺麗に終わらせる見込みも充分にあった。
ただ、全戦全額で行くのなら、最終戦まで敗北は許されない。
何処まで意図的だったかはさておき、俺の負け筋を生み出したのはザナスンだ。アイツがああだったからこそ、俺は本気で挑むことにしたのだ。
その点だけは、味方が褒めてやるべきだろう。
俺のやる気に気付いたのか、細身は苦々しいものを顔に浮かべる。
「おいおい、あの馬鹿の発言を真に受けるなよ。過度な期待はするんじゃない」
「さてね。取り敢えず、アンタには少しだけ同情している。無能な味方ほど厄介なものは無い」
「……俺に優しい言葉をかけてくれるのは、今となってはお前くらいのもんだよ。今日はよろしくな」
眩暈を堪えるかのように、細身は頭を振って手を差し出した。握り返すと同時、掌に鋭い痛みが走る。
毒針か、本当に色々やるな。
『健康』で即座に毒を打ち消す。宣戦布告としては上出来だ、受けて立とう。
「……そういや、控室の食事はいまいちだったよ。茶はまあまあだが、肝心の肉がどうにもな。勿体無いんで全部食ったが、次があるならもっと考えた方が良い」
「ッ……参考にさせてもらうよ」
笑いかけ、ゆっくりと手を離してやった。細身は唇を引き攣らせ、逃げるように踵を返す。それと同時、残りの防衛陣がようやく登場した。
ふむ――細身を含め魔術師が四、武術師が六。数は良いとして、武術師連中は頭から爪先までを金属鎧で覆い、両手に大楯を構えている。今日までのやり方だと、出場者の攻撃に合わせた投擲なりで対応していたが……まさか自分の体で射線を塞ぐつもりなのだろうか?
確かに、競技上そうしてはならない、なんて決まりは無かった。とはいえ俺がどういう攻撃をするかなんて、相手は知る由も無い。無謀にも程がある。
「おいおい、死人を出す気か?」
当然の疑問に対し、誰も返答をしない。ただ、無数の敵意だけが俺に突き刺さった。
……まあ改めて考えてみると、力業が過ぎるだけで、障害物を配置すること自体は有効な手段だ。装備自体の品質も良さそうだし、相手なりに備えた結果ではあるのだろう。とやかく言う程のことではない。
俺は肩を竦めて定位置に立つ。それを確認してか、司会者が注目を集めるように手を挙げた。
「さあ、皆様お待たせいたしました! 先程お話させていただきました通り、本日は挑戦者と組合の精鋭十名がぶつかる特別戦となっております! 全三回の大勝負、どちらが勝つのか、皆様準備はよろしいですか? 因みに一戦目の勝敗予想は組合側が圧倒的に優勢、挑戦者が勝った場合の払い戻しは大きいですよ!?」
なるほど。お大尽の皆様も、勝敗で賭けをしているようだ。負けたら金が減る程度のことで、やけにザナスンが脅してきた理由がようやく理解出来た。結果次第では、馬鹿がとち狂って襲撃してくる、なんて未来もあるのだろう。とはいえそれについては、勝っても負けても有り得ることだ。
気にしたところで仕方が無い。やはりアイツは何処かしらずれている。
俺は取り敢えず一戦目に向けて、仕込みを始めることにした。魔核を針の束に変え、攻撃の時間を増やせるようにしておく。
的も見学時と同じもののようだし、まずは手堅く行こう。
賭けが締め切られ、係員が鐘を鳴らすべく槌を構える。司会は両手を挙げ、客を煽るようにして叫んだ。
「さて、まずは大事なところを教えていただきましょう。挑戦者、一戦目は幾ら賭けますか!?」
司会の誘いに乗り、俺も声を張り上げる。
「ご来場の皆様、本日は私の個人的な勝負のためにお集まりいただき、まことにありがとうございます! 折角ご来場いただいたのですから、決して退屈はさせません! まず一戦目の賭け金をお見せいたします!」
俺は持っていた鞄を引っ繰り返し、手持ちの金を全て床にぶち撒けた。初手から全額とは予想していなかったのか、司会が目を剥いて言葉を失う。
これくらいで驚いているようではまだまだ。全てを賭けなければ、お前等の喉首に届かないじゃないか。
「二千七百万……これが現在の所持金の全てです。私は三戦の全てにおいて、有り金の全てを賭けることをここに誓います! そして、手始めに一戦目を制してご覧に入れましょう! どうぞ白熱の試合をお楽しみください!」
一歩足を引き大袈裟に礼をすると、会場を喝采が包み込んだ。実に興行らしくなってきた。
息を整えていると、敵もそれに合わせて陣地を構築し始める。的の前方を塞ぐように、盾持ち六人が横三人縦二人で列を成す。そして、その角を囲むように魔術師が構えた。
体格の良い連中が並んでいる所為で、的はかなり狙い難い。普通に攻めても、弾かれて終わりだろう。素人が見ても隙の無い形になっている。
誰もが組合の守備を信じている。だからこそ勝機がある。
係員が床に積まれた金を確認し、司会へと合図をする。司会は周囲の勢いに押され、半ばやけになったように上役へと向き直った。
「大丈夫ですか!? 良いの? 本当に!? ……ええワタクシ、あまりの大金を目にして取り乱してしまいました。大変失礼いたしました。さて、双方準備が整ったようです。……それでは一戦目、開始ィ!」
司会の手が振り下ろされると同時、鐘が高らかに鳴り響いた。敵全員が警戒態勢を取る。大楯は前方に突き出され、魔術師陣は風壁を張って攻撃に備えた。
呆れるくらいに遅い。既に一戦目の結果は決まっている。
俺は握り込んでいた針を相手に見せつけ、勿体ぶった所作で床にそのまま落とした。敵の視線が針へと吸い寄せられ、僅かな疑問が生じたまさにその瞬間、終了を報せる二度目の鐘が鳴り響く。
「何処見てんだ、刺さってるぞ?」
俺が的を指差すと、敵が慌ただしく振り返る。守るべきそれには一本の針が生え、勝敗は誰の目で見ても明らかなものとなっていた。
一拍遅れた大歓声が、会場を震わせる。組合の誰もが、愕然とした顔で俺を見詰めている。
何をされたか解るまい。
初日の見学時、俺が的に触れることを――魔核を仕込む隙を許したのは、敵ながら本当に軽率だった。地精の少女から貰った魔核は粉末状で、一粒を目視出来るものではない。後は遠隔で魔核に接続し、的を内側から破ってやれば、防御など無いも同然だった。
混乱の最中、どうにか我に返った司会が場を進行させる。
「な、何が起こったァッ! 挑戦者、鮮やかに一戦目を決めて見せました! これは驚きです!!」
これだけの人数がいれば、組合も勝敗を誤魔化せない。配当を支払うべく、係員が台車を押して会場を巡るが、その表情は何処か陰っている。一方で大金を手にし満足げな者の中には、メズィナ氏も含まれていた。
勝ちを信じてくれたか、ありがたい。
目が合うと、満面の笑みを浮かべたメズィナ氏が、大はしゃぎで俺に手を振った。俺は彼のいる卓の中心へ針を放り投げ、気取った調子で返してやった。近くにいたご婦人が自分にもと催促するので、ついでに応えてやる。
稼がせてくれれば、国境など関係無い――お歴々は利益というものに敏感だ。組合が必ずしも勝てるとは限らない、ということは既に示されてしまった。勝ち負けが解らないことにこそ博打の本質はある。次戦以降の予想は割れるだろう。
さて、愛想を振りまいている間に、どうやら俺の番になったらしい。顔を歪めた係員が、手近な床に金を積み上げる。
二億七千万……流石にこれだけあると嵩張るな。まあ幾らあったところで、現状では競技に使う道具の一つでしかない。俺は『観察』で金額に誤りが無いことを確認し、係員を退かせた。
これでまずは一勝。
細身は唇を噛み締めて、俺を睨みつけている。
簡単に出し抜かれたことで、敵も本気になるだろう。ネタを見破られたとも思えないが、対応に備え、同じ手はもう使わない方が良いな。
策はまだ残っている。残り二戦、凍り付かせてやる。
今回はここまで。
来週は私用のためお休みです。再開は10/8を予定しております。
ご覧いただきありがとうございました。
9/25追記
書籍版3巻とコミカライズ1巻の予約が本日より開始いたしました。
書籍版が12/9、コミカライズが12/15発売となります。
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