人を呪わば
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非常に助かっております。
取り敢えず、必要な準備は整った。
今日に備えてモナンさんの店でたらふく食わせてもらい、充分な睡眠を取り、体調を万全なものとした。久々に休養を取ると、やはり体の感覚が違う。命の遣り取りとは違った緊張感が、全身を包み込んでいる。
心が沸き立ち、僅かに汗が滲んでいる……真剣勝負に挑むには丁度良い具合だ。
賭場の入り口に目を向けると、最早お馴染みというべきか、ザナスンが俺を待ち構えていた。
「来たな」
「ああ、来たよ」
的当てに参加する訳でもないのに、ザナスンの顔は見るからに強張っている。まあ今日の結果次第ではとんでもない額の損害が出る訳だし、あれこれ考えてしまうのは仕方が無いことだろう。
実に結構。本気の勝負とはそういうものだ。
「さ、それじゃあ行こうか?」
「ああ。今は会場で客に経緯を説明をしてるんで、まずは控室に案内しよう。今日はお前のために、他の賭けは行わないことにしてある。一般客もお断りしてるんでな、最後の勝負を存分に堪能してくれ」
「そうだな、目一杯楽しませてもらおう」
皮肉のつもりなのかもしれないが、結果がどうなろうと実際最後の勝負なのだ。楽しむという言葉に嘘は無い。迎撃態勢を整えた十人を一気に相手取るなんて、そうそう経験出来ることではないだろう。
さて、どうなるか。
結局のところ、今日までに確認出来た防衛陣は六人。残る四人は組合が隠し通した取って置きということになる。戯れに飛ばした探知も弾かれてしまった――魔術行使に気付かれることも久し振りだ。
凡庸な人間が出て来ることなど有り得ない、か。
あくまで競技としての争いだからか、本番を期待している自分がいる。逸る心を落ち着けながら、ザナスンの案内に従って控室に辿り着いた。
「頃合いになったら声をかける。それまで少し休んでいてくれ」
言い置いて、ザナスンはその場を離れていく。部屋の中には小さな机と椅子があり、軽食と茶が用意されていた。器に触れてみると、まだ少し温かい。
……毒だろうか? 毒だろうな。
とはいえ多数の人間が集まっていることは確かだし、俺を殺せば試合が成立しないのだから、そう強い毒ではあるまい。真っ向から受けて立つべく、まずは茶を口に含んだ。
うん、やはりだ。口中に渋みが広がると同時、舌先が微かに痺れる。しかし、かつて取り込んだ穢れと比べれば無害なものでしかない。特に意識するまでもなく、『健康』は一秒足らずで影響を打ち消した。元々のお茶自体は良いものらしく、なかなかに美味しい。
続いては……タレを絡めた焼肉を葉野菜で包んだ料理。こちらは混ぜ物が悪さをしており、変な苦みが出てしまっている。お茶同様肉自体の質は良く、こんな形で提供されたことが残念でならない。
大した量でもなかったため、ひとまず全てを平らげる。体調に変化は無く、『健康』による魔力消費もいつも通りだった。本気で勝ちたいなら致死毒を使うべきだと思うが、組合も金持ちの接待をせねばならないのだろう。我ながら頑張り過ぎた感はあるにせよ、相手が優先している項目を知ることは出来た。
しかし……狩人という仕事に就きながら、口に入れる物を台無しにするとはな。毒を盛られたことよりも、そちらの方が不愉快だ。
この借りをどう返すべきかを考えている内に、穢れが腹の中で渦を巻いた。精気が巧く抑えてくれているものの、この力はどうにも感情に左右され易いようだ。あの美しい管理者の助力が無ければ、制御出来なかったかもしれない。
思考を研ぎ澄まし、いつも通りの自分を保つよう気合を入れる。穢れが暴れたのなら、それは意識が乱れているということ。勝負事は熱くなったら負けだ。
落ち着きを取り戻し、魔力を練り直していると、離席していたザナスンが部屋に戻って来た。
「……待たせたな、そろそろ出番だ。行こう」
「ああ」
ザナスンの視線が俺と皿を何度も行き来している。そこまで露骨に反応したら、仕込みを白状したも同然だろうに、何処までも雑な男だ。
組合内部ではそこそこの役職にあるようだが、最初から最後まで一貫して、ザナスンは詰めが甘かったな。ヴェスも含め彼等に要職を任せているようでは、組織としての格が知れる。
俺は努めて反応を見せないよう平坦な態度を取り、会場へと向かった。入場口からは、抑え付けたようなざわめきが微かに漏れ出している。始まる前だというのになかなか盛況のようだ。
如何にも重そうな扉に手をかけると、ザナスンが顎でその先をしゃくった。
「やれやれ、お前がどんな目に遭うか……お歴々も待ち切れないらしい」
「俺が誤射する可能性だってあるのにな」
「そん時は、敵対勢力が死んだ、って他の誰かが喜ぶのさ。まったく、どいつもこいつも狂ってやがる」
この期に及んで、まるで自分が当事者ではないかのような発言が飛び出した。どうにも意識がずれている……いや、だからこそ、端々でああいう態度を取るのか?
「まるで自分は違うとでも言いたげだな」
俺が眉を顰めていると、ザナスンは唾を廊下に吐き捨てる。
「そう言ってるつもりだが? 俺は連中と違って、程度ってもんを知ってるんでな。奴等は誰かが破滅するのを見届けなきゃ気が済まないんだ。悪趣味にも程があるね」
「……? すまん、本気で意味が解らん。あいつ等が悪趣味なのは認めるが、そもそも他人を破滅させるのは、組合が率先してやってることだろう。見物人だけに悪役を押し付けるなよ」
賭場を訪れた初日に、ヴェスも似たような主旨の発言をしていた。それについて当時は何とも思わなかったが、組合のやり方を知った今となっては、もう同じ感想は抱けない。
連中を悪とするのなら、それを生み出し永らえさせているのは組合だ。自分達で怪物を生み出しておいて、自分の手には負えないなんて顔をするのは、俺の中の道理に反している。少なくとも、自分達が主犯であるという自覚くらいはあって然るべきだろう。
折角抑えつけた奥底の穢れが、また蠢き始めている。ザナスンはこちらの内情に気付かず、おどけた調子で自論を返す。
「おいおい、俺らが悪ってのは筋が違うんじゃないか? 確かに賭場に引き込むのは俺らの仕事だ。ただな、負けを繰り返した挙句身を持ち崩すのは、そいつの勝手ってもんだろ? 俺らは遊びに誘っただけで、そこまで責められる謂れはねえよ」
まあ確かに、限度を超えた結果転げ落ちるのはそいつの所為ではある。勝ち負けは結局当人のもので、如何様だって見抜けない方が悪いのかもしれない。ただそれはそれとして、組合に責任が無いとは認められないし、当たり前の面で自分を正当化しようなんてのは癇に障る。
「……その遊びで負ければどうなるのか、俺以外の奴にも説明してたんなら納得してやっても良かったがな。人を嵌める流れを作っておいて、加担していないってのは無理があるね」
「だから命までは取ってないんだよ。俺らがやってるのはあくまで金の遣り取りであって、救済措置もあるだろう? でも、ここまで額が大きくなると、お前はどうなるかな」
奴隷落ちが救いか……つくづく響かない男だ。他人を喰い物にしておきながら、その意識にも欠けているとは。こうなれば最早理解ではなく、実感として体に刻むしかあるまい。
本当は一戦様子を見るつもりだったが、気が変わった。全戦全額で行く。
深く息を吸い込み、細く長く吐き出す。
「一生理解出来んかもしれんが、お前のさっきの発言には誤りがある。命ってのはそいつの時間の積み重ねだ。お前等は充分過ぎるくらい、他人の命を奪っているよ」
怒りに任せて陰術と『観察』を用い、感覚を切り替える。
ただでさえ薄暗い廊下が、更に暗く濁っていく。
かつて希望と夢を抱いて首都を訪れ、志半ばで散っていった者達の死霊が、そこら中を這い回っている。ろくに世間を知らないまま死んだのか、その誰もが若く幼い顔立ちをしていた。彼等はザナスンの胴や足首に絡みつき、必死に何かを訴えている。既に肉体が喪われているため反魂も出来ないが、その怨嗟だけは強烈に伝わってくる。穢れも相俟って、思考が攻撃的になっていく。
ああ、そうだろうな。どんな言い訳をしようと、死んだ被害者は恨むべき相手を知っている。
俺は彼等に微笑みかける。簡単には済まさないから、少しだけ待っていてくれ。
本気で俺を仕留めるため、あらゆる手を尽くそうという心意気は良かった。しかし、最後の最後で敵は詰めを誤った。ザナスン――せめてお前が、自分の行為に自覚的であったなら良かったのに。どんな主張をしようと、もうこの際関係は無い。今までお前達がしてきたことと同じだ、今度はお前達を喰い物にしてやる。
一度自分でも味わってみなければ、被害者の無念など解るまい。
こちらの雰囲気が変わった所為か、扉を開けようとした体勢のまま、ザナスンは戸惑い硬直している。俺は相手の反応を待たず、彼を押しのけて会場へ滑り込んだ。
品の良い歓声と拍手が響き渡る。俺は視界を通常のものに戻し、頭を垂れ恭しく声援に応える。周囲を見渡しても、まだ敵は姿を現していない。入場の段取りがあるのか、勿体ぶって俺を焦らしているのか。
もうどうでも良い。いずれにせよ肚は決まった。
メズィナ氏と交渉をしておいて良かった。彼ならば組合ごと売り渡したとしても、巧いこと処理をしてくれるだろう。無関係な国民にまで、被害を及ぼすつもりは無い。
俺は何の気兼ねも無く、ただ相手を磨り潰すだけで良い。
暴発しそうな魔力を、本番に備え整える。逸る気持ちを抑えながら、未だ見ぬ敵の顔を想像した。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。