弟の出来
グラガスとジィトが戻ったという知らせが入った時、私は自分の執務室で質問事項をまとめていた。隣合っていながら、今まであまりやり取りの無かった伯爵家との交渉だ。やはり最初は円滑に進めたいものだし、今後友好的な関係になるよう働きかけていきたい。フェリスがついていた以上、そうおかしな話にはなっていないとは思うが、話は聞いてみなければ解らない。
こじれていないといいけれど。
あれこれと思考を巡らせていると、扉が控えめに叩かれた。
「どうぞ」
「失礼します」
扉の向こうから聞こえてきたのは、グラガスの声だった。真っ先にやって来そうなジィトの気配は無い。不思議に思って魔力を広げてみると、屋敷の奥でどうやら母と一緒にいるらしいことが感じ取れた。
帰って早々、報告もせずに何をしているのか。
「ジィトは何をしているのかしら?」
「ジィト様は……その、何と言いますか……治療中です」
歯切れの悪い返答に、眉を跳ね上げる。あれだけの強度を持ちながら、何故怪我をして帰ってくるのか。
「伯爵家の方々と腕試しでもしたのかしら?」
合同演習に当たって、腕前を披露する可能性はあり得る。とはいえ、伯爵家の家臣団の中にはそこまでの強度の持ち主はいなかったように記憶している。あそこは官ではなく民の方に武力が偏っており、守備隊よりも組合の方に猛者が多い。大事なものは自分で守る、というのが考え方の根本にあるらしい。
まあ、私も現場を直接知っている訳ではないし、在野に及びもつかない才が眠っていた可能性はある。いずれにしたところで、怪我をして帰ってくるな、という点に変わりはないとしても。
「伯爵家では、特に何事もありませんでした。その……相手はフェリス様です」
「……何故?」
口に出しておきながら、理由は察している。どう考えても私とフェリスの決闘に触発されたのだろう。問題なのは、それによって何か伯爵領に悪影響が出ていないかだ。他人を巻き込んだり、モノを破壊していたり、そういった不都合が起きていないかと胸がざわつく。
グラガスは何度か口を開け閉めし、やがて溜息交じりに白状した。
「何故かはもうお解りでしょう。ジィト様の抑えが利かなかっただけです。滞在最終日に、ジィト様がフェリス様に決闘を強要した形ですね。私とあちらのご子息であるビックス様が、見届人としてその場に立ち合いました」
「あっ、何かしら、急に眩暈がする。不思議。私当主を続けられそうにない」
「……先に進めていいですか?」
もう絶対ろくなことになっていないと予想出来るので、続きは聞きたくない。打ち合わせの結果だけ教えて欲しい。
それでも、グラガスは話を続ける。
「最終的に、陰術を展開中のフェリス様の意識を奪う形になったので、辺り一面が毒で侵されてしまいました。恐らく目覚めればフェリス様が対応するでしょうが、どういう形であれ、補填が必要になります」
こういう発言をするということは、グラガスでは解消出来ない規模の魔術だったのだろう。フェリスが意図的に被害を出すとは思えないので、そうせざるを得ないほど、ジィトが追い詰めたということだ。
こじれることを心配していたが、それ以前の問題だ。
「で? フェリスをそこまで痛めつけた馬鹿は、優雅に自分の治療をしていると?」
「優雅ではないですな。……信じられないかもしれませんが、結果は相打ちでした。ジィト様は今自力で行動出来ません」
「うぇ!?」
驚き過ぎて、変な声が出た。
いや、私相手に粘りを見せた以上、そう簡単に負けはしないだろう。それでも、最終的にはジィトが勝つと思っていた。
流れが想像出来ない。
「え、何、どういう展開?」
「序盤はフェリス様が巧く凌いでいたんですよ。わざと障壁を切らせて毒を蒔く等、勝負になっていたのですが、それでも勝負を決めるほどのものではありませんでした。……途中、終わるのが惜しかったのかジィト様が遊び始めまして。戦闘を長引かせた挙句に剣を腐食で折られ、丸腰で毒に突っ込んでいくしかない状態になりました。最後には首をへし折ろうとした腕を針で刺され、毒水に埋もれて失神です。展開を作ったフェリス様は確かに見事でしたが、被害が広がってしまったのはジィト様の所為だと、私は思っています」
「本気で殺そうとして、返り討ちにあってる気がするんだけど」
「それで合っています」
そこまで追いつめられるのも馬鹿だし、本気で殺そうとするのも馬鹿だし、どこから突っ込んだものか……。
本人を責めようにも、治療中とあってはそれも出来ない。感情の行き場を作れず、頭を掻きむしる。
「ジィトに言いたいことは山ほどあるけれど……フェリスは快挙ね」
「色々と工夫して、鉈で一撃当てたんですよ。あれは素晴らしかった」
魔術ではなく武術で一撃か。それは本当に素晴らしい。しかし、家を出ると決まって実力を隠さなくなったからか、フェリスは今後について期待感を煽るようになった。魔術師・武術師としての順位は単独強度で決められているが、強度ではなく純粋な強さで比べた場合、フェリスは世界で百位以内に入るのではないだろうか。
思えば、ヴェゼル師も順位を持たない強者だった。あの師弟は解りやすい肩書を持たないのに、異様に腕が立つので性質が悪い。
「何年か経てば、私も負けちゃうかしら?」
「それはどうでしょう。ミルカ様がどれだけ研鑽を続けるかによるのではありませんか」
「今の状況で、それが叶うと思う? ……そろそろ、人材育成にも手をつけるべきだとは思っているのよ」
クロゥレン家は元が商人でありながら、外敵から身を守るために武力偏重でやって来たという、歪な経歴を持っている。その所為なのか、文官の数があまり揃っていない。人手がなければやれる人間がやるしかなく、グラガスのような武官が駆り出されることになる。
当主である私はさておき、文官と武官の領分は分けるべきではないかと、かねてより考えていた。
「正直、私たちがその辺の魔獣に負けることはもう無いでしょう。他の領地から攻められる可能性も低いし、仮にそうなったとしても私かジィトのどちらかがいればなんとかなる。だからいい加減、文官を増やしたいのよね……出来れば、外部の人間を招聘するのではなく、領内の人間を使えるようにしたい。早く環境を作らないと、いつまで経っても現場に出られないしね」
本来の流れで行けば、私は現場から離れて管理に回るべきなのだろう。武力に頼らなくても良い状況が増えている以上、より穏便で稼げる事業に手を付け、領地を豊かにしていくべきだ。
だが……自分が前に出る必要が無いと知ってはいても、私は現場に執着がある。後進に道を譲りたいだとか、そんな綺麗ごとではない。私はただ、当主の仕事から手を離し、再び前線に戻るために、文官を必要としている。
自分を錆びつかせるのが嫌で嫌で仕方がないのだ。
「領内で募集をかけてみましょうか? 人が育つには時間がかかりますし、動くなら早い方がいいでしょう」
「そうね、まずはそこから始めてみましょう。そういえば話は戻るけれど、伯爵家への補填については先方から何か希望はあったの?」
「演習については魔術師を多めに動員してほしいということでしたが、補填の話は何も。というより、決闘については私とビックス様の間で話を止めてしまったので」
「伯爵本人には話が行っていないと?」
それで帰ってきてしまったのは、かなり拙いのではないか?
内心に冷や汗が滲む。
「ジィト様とフェリス様の両方が死にかかっていたので、ひとまず措いておくことにしたのです。先程も言いましたが、毒そのものはフェリス様が自分でどうにかするでしょうから、こちらとしてはジィト様が暴れた分の誠意を見せる必要があるかと」
「なら、そうね。今回の演習はジィトには療養してもらって、私が直接ご挨拶に伺うことにしましょう。因みに敵は?」
「小型魔獣が多数ということです。果樹園を傷付けないように、加減が出来る人間が必須でしょうね」
守るべき対象に合わせた戦術が必要なのは、言うまでもないだろう。そうなると、私が出ることはそう過剰な判断でもない。言い訳も立つし、丁度良いだろう。
どうお詫びすべきか、誰を出すべきかとあれこれ悩んでいると、グラガスはそういえば、と言葉を足す。
「交渉の結果ですが、参加者は余っている作物を無償で持って行っていい、という形になりました。フェリス様はこの結果なら多分文句は出ないと言っておりましたが……どうされました?」
「それを早く言いなさい。私が行くわ、全力で」
そんな大事なことを黙っているなんて、グラガスは悪い男だ。そして、フェリス。やらかしたのはどうしようかと思っていたが、そういう形で話をまとめてくれたのなら、私は全てを許そう。
上々の着地点だ。この案件は絶対にしくじれない。
手を握りしめ、気合を新たにする。ともすればにやける唇を引き締めた。
ああ、心が躍る。
これだから、現場仕事は止められない。
今回はここまで。
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