準備する力
大金を稼いだ興奮も醒め遣らぬまま、颯爽と賭場を出る。このまま帰って眠りたいところだが、まだやるべきことが残っている。
陰を纏い、地中から再び倉庫へ侵入する。
あの場にいた客や俺が手を下されることは考え難いが、損害を出した大男が粛清される可能性は高い。
……俺の中で、あれは如何様も有りという条件下での真っ向勝負だった。勝敗に無関係な第三者が、敗れた者を害する展開は本意ではない。あの男の進退がどうなるのか、一応確認しておく必要がある。
未だ騒がしい廊下を抜け、職員の控室らしき場所を目指す。中では予想通り、大男が偉そうな中年から詰められていた。
「……全く、やってくれたな。この穴をどう埋めるつもりだ?」
「さて、どうしますかね。あの坊主がいる限り、俺にはちと難しい話になりますな」
中年が幾ら躍起になっても、体格的に負ける要素が無いからか、大男は落ち着いた口振りだった。だからこそ中年はより燃え上がり、罵詈雑言が増えていく。危惧していたほどの状況ではないものの、話がだらだらと長くなりそうだった。
背後から中年に昏睡を打ち込み、大男の前へと顔を出す。
「お疲れ様です」
「おッ、おう! ……お前か。どうした、こんな所まで?」
中年を相手にしている時より、あからさまに腰が引けている。俺は苦笑いを浮かべ、外を指差した。
「放置していると、貴方が奴隷商にでも売られそうでしたのでね。警備が来る前に出ませんか?」
ここにいたところで、殺されるか売られるかの二択しか選択肢は無い。大男は暫し逡巡していたものの、この賭場に執着しても仕方が無いと判断したらしく、素直に頷いた。
「じゃ、行きましょう。私物の類は?」
「大した物は置いてねえし、奴等が処分するだろ」
ならばと中年を部屋の隅に寄せ、廊下へ出る。今回の一件で打ち合わせでもしているのか、人の気配は二階に集中していた。俺達は隠れることもせず、堂々と出口を目指す。
仕事を終えた従業員が帰るだけの、当たり前の行為だ。
しかし、当たり前の顔で歩いていると、出口の前に二人組の男が並んで俺達を待ち構えていた。一人は遠目に見たことがある、的当てに従事していた細身の男。そしてもう一人はよく知った顔――ヴェスだった。
「おいおい、随分仲が良いじゃねえか。お前等内通してたのか?」
不思議と強気な態度で、ヴェスが前に出る。その物言いが癇に障り、混ぜっ返してやろうという気持ちになる。
「何言ってんだよ、俺に賭場の情報を流したのはお前だろ?」
実際、この場を紹介してくれたのはヴェスとザナスンだ。余計な色気を出して俺を陥れようとしなければ、賭場は平穏だっただろう。だから、この発言も強ち嘘とは言えない。
細身は仕事明けで疲れているのか、青白い顔で全員を見回していた。一方、ヴェスは顔を赤く染めて声を荒げる。
「お前と仲良くした覚えはねえ!」
「恥ずかしがるなよ、家にまで押しかけて来ておいて」
「テメェ……ッ」
ヴェスが簡単に茹で上がったところで、細身が眉根を寄せる。と、そのままいきなり、後ろからヴェスのケツを蹴りつけた。景気の良い音が響き、場の空気が引き締まる。
肩を怒らせたヴェスが叫ぶより前に、細身はそっと言葉を挟み込んだ。
「そんなに騒ぐなよ。簡単にムキになるのが、お前の悪いところだ」
これには反論出来なかったのか、ヴェスは握った拳を震わせつつも下ろした。
……乗ってくれなかった、か。
これで相手が殴りかかってきたら話が早かったのに、良い所で外されてしまった。藪荒らしとは競技性が違うとはいえ、細身の彼もまた勝負師だ。迂闊な真似をしてくれない。
むしろ賭場の幹部であり、一口十万の藪荒らしを管理するヴェスが、一番考え無しというのも皮肉なものだ。
まあ彼等の人となりはどうあれ、嵌められなかったのなら俺の負けだろう。後は勝負を避けるだけのこと。
「わざわざ待ってたのに申し訳無いが、話があるなら後にしてくれ。今ちょっと急いでるんだ」
「ヴァリアンの身柄のことか? ……まあ確かに、出て行くなら今しか無いか。お前がここに残ってくれるなら、そいつは行かせても良いけど」
俺の足止めさえ出来れば、面目は立つと細身は言う。
大男――ヴァリアンは俺を横目で見ると、僅かに表情を歪めた。
「俺だって元々は狩人だ。戦えなくはねえぞ?」
「いや、手を痛めます。商売道具は大事にするもんです」
荒事はあくまでヴェスを潰すための手札であって、ヴァリアンを巻き込むものではない。戦って切り抜けられないこともないが、騒ぎが大きくなれば追手が増えて不利になる。やはり細身はこちらの嫌がることを解っているようだ。
これはあちらが上手と認めるしかあるまい。周囲の気配からして、すぐにヴァリアンを追える人間はいないし、敢えて乗る方が利はあるな。
「已む無しか。……俺は残るんで、逃げてください。船で王国に移動するのは避けてくださいね」
「それは構わんが、お前はどうするんだ。何故俺のためにそこまでする?」
「いや、別にそんな身を張ってるつもりもないんですが……相手の話にも興味はありますし、これはこれで良いんですよ。俺のことはお気になさらず」
ここまでやり合った以上、事が簡単に終わるとも思えない。どうなるにせよ、お互い何らかの決着は必要だ。
ヴァリアンは躊躇っていたものの、そんな余裕が無いこともよく解っていた。一瞬で思考を切り替えると、相手の脇を抜けるように走り出す。
「チッ、すまんが行かせてもらう。死ぬんじゃねえぞ!」
「死にませんよ。御達者で」
遠ざかる背を見送る。発言通り、二人はヴァリアンを止める真似はしなかった。まあ、俺から目を逸らせば攻撃があるかもしれないし、気を抜けなかったのだろう。
さて、ここまでしてどんな提案があるのか……俺は鉈の柄に指を這わせ、次の展開を待つ。
細身はヴェスを少し下げると、呆れたように呟いた。
「随分と落ち着いたガキだな。手出しされないとでも思ってんのか?」
「思ってるけど? 今俺を消せば、賭場の評判が悪くなる。お前等だって殺しは止められてるんだろ、言葉の割に殺意を感じないよ」
「……なるほど。チッ、馬鹿共が。相手も見ずに喧嘩を売りやがったな」
どうやら聞いていた印象と実物の俺の間には、結構な差があったらしい。
細身は廊下に唾を吐き捨てると、口元を拭った。疲労で喉が渇くのか、咳払いをして掠れた声を誤魔化している。
「ハァ……一応伝えなきゃなんないんだろうな。今回の一件で、組合はお前を敵と見做した。俺かヴェスのどちらかが勝負に出て、勝ち金を回収するよう指示が出ている」
俺は最初から組合に痛手を与えるため動いていたというのに、今更敵だとは悠長な話だ。それに、必要な分の金を稼いだ今となっては、損を避けたい気持ちもある。
有体に言って、誘いに乗るだけの魅力が乏しい。
こちらの反応が微妙なことに気付いているのか、ヴェスは嘲笑を浮かべる。
「何だよ、怖気づいたのか?」
「んー……まあそう、かな? 賭けの性質上、藪荒らしでお前に勝つことは難しい。俺だって厳しいし、やりたくはないね」
今まで探りを入れた感じだと、ヴェスは技術ではなく異能によってすり替えを行っている。数字を指定した後に平気で札を入れ替えるため、通常の手筋で勝つのはまず不可能だろう。
短慮で視野が狭く、常にお目付け役を要するヴェスが重用されているのは、親として最強の男だからだ。そんな相手と真っ向勝負など、とてもとても。
「因みに……やれと言うならやっても良いが、俺はまず最初に、お前の魔力回路か利き腕を破壊するよ?」
「ッ!? な、何てことを言いやがる。そんなのはまともな勝負じゃねえだろ」
「いや、そうでもしなきゃすり替えが防げないからな。勝ちに徹するとはそういうことだろう」
俺の反論に、ヴェスはあからさまに狼狽える。細身は嘆息を漏らして振り返ると、ヴェスの腰を再度蹴りつけた。
「お前な、本当もう黙っててくれ。……その言い方だと、的当てなら付き合ってくれるのか?」
「敢えて藪荒らしを選んで、ヴェスを潰すという手もあるが」
「止めろよ、面白そうだろ」
どちらからともなく視線を合わせ、僅かに苦笑を交わす。
ただ――冗談で言いはしたが、本気で潰すのも良い気はしている。ヴェスは組合が他国人を嵌めるために用意した尖兵だ。命令に従っているだけだとしても、排除した方が世の中は平和になるだろう。
敵意が腹の奥で、穢れと結びつく。溢れそうになる呪詛を宥めすかし、俺は問いかける。
「……流石に、条件も聞かずにやるとは言えない。どういう決めで行く?」
「勝負は三回、賭け額の上限は無し。下限は五百万とする。通常の的当てと同様、攻撃を的に当てるか、或いは破壊すれば賭け額を十倍にして返す。妨害担当は最大の十名だ。後、普段は二階にいるお歴々が、特別に一階で観戦をされる」
細身は淡々とした表情で、勝負の条件を開示する。
何一つとしてこちらに得の無い一方的な話だが、本気で言っているのだろうか? いや、細身はただ上の意向を代弁しているだけか。
話している本人もおかしいと気付いているだろうに、おつかいも大変なものだ。
「一応の確認だが……上はそれで飲むと思ったのか?」
「まあ、言わんとすることは解る。でも、お前は飲むしかないんだ。お歴々はもう、お前を調査する段階に入ってるようだしな」
ふむ。もしかして、メズィナ氏も本当は狩りではなく、賭場の関連で俺に接触したのだろうか? いずれにせよ、勝ち過ぎで余計な人目を集めてしまった訳だ。
逃げればお偉方が俺の行動を妨げる……買い物すら制限されそうだな。まったくもって面倒な。
「自分で招いた事態だしなあ。仕方が無い、そこまで流れが出来てるなら乗ってやろう。ただ、俺にも都合ってもんがある。やるのは三日後にしてもらうぞ」
「それくらいなら、俺の方で通しておくさ。他は何かあるか?」
「そうだな……ああ、もう一つ。俺は的に当てることしか意識しない。どんな被害が出ようと考慮しないから、観客の安全はお前らでどうにかしろよ」
直接俺と向き合っている細身ですら、警戒心に欠けているくらいだ。組合は猶更こちらの強度を甘く見ているだろうから、事故が起きる可能性は充分にある。そして、力量のある人間が本気でぶつかり合うのだから、被害が出る時は想定より大きなものとなるだろう。
何処まで本気で捉えてくれるだろうか。まあ、本気で捉えなかった場合の責任は彼等にあるのだし、俺が心配することではないか。
その後、時間帯や会場等の細かい点を詰め、俺は息を吐いた。
「取り敢えず、これくらいで良いよな? お互いもう寝る時間だろ?」
「そうだな。同じ話を二回した気がする」
それは当たっている。だからこそ、もう限界と判断した。これ以上、建設的な話は出来ないだろう。
手を振って彼等と別れる頃には、すっかり外は明るくなっていた。目に突き刺さるような日差しに顔を顰める。
的当て、的当て……対策は後で考えよう。
道中で適当に飯を食ってから帰ることにした。
8/24にコロナEXにてコミカライズがスタートすることになりました。
担当は白川祐先生です。よろしければそちらもどうぞ。
今回もご覧いただきありがとうございました。