小博打のススメ
適当な酒を一杯ザナスンに奢り、ついに藪荒らしへと挑む。
藪荒らしの区画はそこそこ広めに場所が取られており、賭け額毎に場が仕切られた造りになっていた。中に入ってしまうと、暗幕に遮られて隣の様子は伺えない。
「高い方も見てみたかったが……」
「邪魔しなければ観戦は自由だぞ? 一応、自分のことに集中しやすいようになってるだけだ」
「あ、そうなのか。なら良いや」
やがて挑むことになる相手の技量は、絶対に確かめねばならない。しかし、まずは一人目に『集中』せねばなるまい。
俺は鉄火場の隅に立ち、ひとまず賭けの流れを確認する。
一口千カーゼと最も低額な場を御しているのは、この場に相応しからぬ小奇麗な男だった。周りの暗さも相俟って、生白い顔が宙に浮いているように見える。張り付けたような薄っぺらい笑いが、却って感情の乏しさを感じさせた。
彼は細く鋭い目で客の様子を窺うと、一から九が書かれた札を全て衆目に晒し、それから裏返して卓の上で混ぜ始める。
「客に見えるように札は混ぜるのか?」
「公平性を保つためにも、客には全てを見せることにしている。まあ、目で追えるもんでもないだろうけどな」
確かに手捌きは華麗で素早いが……対象はたった九枚だ。どちらかと言うと、目ではなく記憶力の方が問題だろう。動きそのものは充分に追える。むしろ俺が心配しているのは、すり替え等の何かしらを見破れるかどうかだ。
札を混ぜ終えると、男は一枚を卓に伏せた。
「さあ、獲物は藪に伏せました。幾ら賭けますか?」
「三千!」
「こっちは五千だ!」
男を取り囲んだ客達が、思い思いの金額を叫ぶ。或いは黙って金を前に出す者もいた。そして、自分達の前に数字の書かれた札を叩きつける。
なるほど、客側も札で数字を当てるのか。見間違えていなければ、あれは七だと思うが……。
やがて各々の主張が終わると、男は微笑みを崩さないまま己の札に手をかける。
「では藪を刈ります。獲物は……七匹でした!」
二人の男が快哉を上げ、他の連中は口汚い野次を飛ばす。勝った分の金はその場で即座に支払われ、負けた分の金はそれ以上の速さで回収された。
ふむ……払いは五倍だから、最低限五回に一回当てなければ損をする、と。完全な運任せなら九分の八で外れる訳で……五回連続で負ける可能性は五割から六割くらいか? 親の方が有利ではあれど、そこまで極端な不平等は無い。ある意味では良心的な気さえする。
感心していると、胴元の目がこちらを向いた。
「お兄さんもやりますか?」
「もうちょっと見たらやります。初めてなもんで」
「なるほど。端の席が空いてますので、そちらを使っても構いませんよ」
お言葉に甘えて、砂被りで観戦させてもらうこととした。
男は滑らかな手つきで淡々と札を混ぜ、一枚を伏せる。客側はまた同じように金を賭け、大声を上げて一喜一憂する。子に二万を支払っても、親には三万六千の稼ぎが残った。
地味な展開だ。とはいえ、堅実に勝ちが積み上がる構造にはなっている。
二回確かめた限りでは、何処にも不自然な様子は無い。男は如何様無しで、普通に場を進行させているようだ。
何の異常も無く、次の賭けが始まる。
札の表が全て晒され、引っ繰り返される。『集中』と『観察』を起動し、全ての数字の行方を把握する。
男の手がその中の一つを伏せ、場に出した。
「二千」
参加を決め、賭け額を述べつつ三の札を提示する。俺の目が確かならあの札は四だ。
果たして――捲られた札は四を示していた。
合っている。合っているが、試行回数が少な過ぎる。まだ相手を見切るには早い。
「遊び方は解りましたか?」
「ええ、大丈夫だと思います」
「何か質問がありましたら、いつでもどうぞ」
「では一つ。賭け額の最高は幾らまでですか?」
男は作り物めいた笑みのまま、ゆっくりと目を細める。俺が敵になるかならないか、判断しかねるといった様子だ。ただ、こちらの質問そのものは別におかしなものではない。
僅かに間を置いて、男は素直に答える。
「ここは五万が最高となります。隣は五十万で、更にその隣は限度無しです。まずはここで感触を確かめては如何でしょう」
「ええ、そのつもりです」
男の言葉に愛想笑いで応じ、呼吸を整える。俺は賭け額を二千で固定し、ただ只管に回数をこなすこととした。六戦を一区切りとし、うち一回に勝ちを混ぜ、少しずつ金を目減りさせていく。
「なかなか勝ちきれんな」
「まあ、最初はこんなもんじゃないか?」
ザナスンが半笑いで俺をからかう。俺は僅かに肩を竦め、札に改めて意識を向けた。
三十戦を過ぎたところで、一度もすり替え等の如何様は無し。手捌きは常に一定で、遅くなったり速くなったりもしない。全て俺が見切った通りの数が場には晒されている。三万の勝負に出た客がいても、男は平気な顔で相手を勝たせていた。
細かい勝ちを拾いながら、時に大崩れしない程度に負け、客を盛り上げることを忘れない。賭場としては負けた所で端金だからなのか、工夫の無い真っ向勝負を延々と続けられる。進行役としては、実はかなり優秀な男なのかもしれない。最初の印象とは違い、好感を彼に抱く。
ただ――これなら狩り放題だ。一気にとは行かないまでも、稼ぐだけなら幾らでも稼げる。
だからこそ、この場で欲を出すのは躊躇われた。
俺の目的は入学金と素材の金を稼ぐこと、そして組合に痛手を与えることだ。前者についてはここでも達成出来るが、後者については無理がある。ここで張り切っても儲けは少ないし、真っ当な賭けを楽しんでいる連中の邪魔をするのも忍びない。酒を飲んで、笑って大声を出して、日々の憂さを晴らすことが出来る――ここはそのままの形であって欲しい。
負けが二万で収まるよう調整し、溜息を吐いて席を立った。
「楽しませてもらいました、ありがとうございます」
「またのお越しをお待ちしております」
差し出された手を握り返し、暗幕の外へ出る。凝り固まった体を伸ばしていると、見ているだけで退屈だったのか、ザナスンは欠伸を噛み殺していた。
「割と粘ったな。ちょい負けか?」
「そうだな。でも、楽しみ方は解ったよ」
賭けと遊びの違いとでも言うのか。別に場慣れしている訳でもないが、あれは間違いなく遊びだった。どうやら勝ち負け以前の問題として、あの場所は俺に相応しくない。
何故こうも殺伐としなければならないのか、少しだけ自問する。それでも不当に虐げられた挙句、身を伏せるような生き方は選べない。
疲労感の軽減のため、『健康』を起動し自分を落ち着ける。
「そろそろ逆転のためにも、一口一万の世界を覗いてみようかね」
「……本気でやるのか?」
「まあ数はこなせないな。貰った分が多少残る程度に遊んでみるさ」
一口十万の場で戦うには、全財産でも心許無い。今日の所は、貰った分が一万カーゼになるまで探りを入れ続けるだけだ。
俺はザナスンを黙らせるためもう一杯酒を奢り、そのまま隣の暗幕の中に入った。
周囲を一通り眺めてみると、先程よりも何処となく険のある顔が並んでいる。ある程度稼げている連中なのだろう、筋骨隆々で、荒事に慣れた雰囲気がある。
「……獲物が藪に伏せた。幾ら賭ける?」
客よりもずっと体格の良い男が、馬鹿でかい手で小さな札を扱っている。どうやら、丁度賭けが始まったところだったらしい。
額が大きい所為なのか、隣とは違って、全員が黙って賭けに集中していた。賭け額の申請も呟くような声で、勝ち負けに対する反応を意識的に抑えている感じがする。
とはいえ場が緊迫しているだけで、やることそのものは変わらない。一通りの金額が出揃ったところで、大男が札を摘まんだ。
「各々良いな? では藪を刈る。……今回は五匹潜んでいた」
勝った者は溜めていた力を抜き、負けた者は僅かに眉を顰める。精算が行われ、客の一人が顔を押さえて苦し気な呻き声を上げた。
……負けが限度を越したか?
訝っていると、短剣で武装した男達が二人、暗幕の中へ踏み入って来る。客は男達に両脇を抱えられ、その場から引き摺り出されていった。やはり、手持ちを全て失ったらしい。
二階からその様を眺めていたお偉方とやらが、楽しそうに手を叩いて笑っている。髭の生えた男が、如何にもといった貴婦人に大金を渡して悔しそうにしている。
騒ぎが一段落すると、何事も無かったかのように賭けは再開された。
眩暈のするほど趣味の良い光景だ。
鉄火場らしくなってきた。知らず、口元が吊り上がる。ここでなら、何に気兼ねをする必要も無さそうだ。
「私も参加しても?」
大男に声をかけると、相手は顔を上げ凄みのある笑みを浮かべた。咄嗟に戦闘を想定する――大丈夫だ、負ける相手ではない。
「歓迎するよ。空いてる好きな席に座ってくれ」
「よろしくお願いします」
程々に負けに来たので、手管を拝見させてください。
深呼吸と同時、『観察』と『集中』に魔力を回す。ここからは仕掛けがある筈だ、一瞬たりとも気を抜けない。
神経が尖っていくことが自分でもよく解る。まずは試行回数を増やすためにも、普通に当てに行く。大男が九の札を掴んだことを確認し、俺も九の札で合わせる。
伏せられた札を睨み付け、一万カーゼを乾いた手で握り込んだ。
今回はここまで。
前回のあとがきにも記載しましたが、拙作「クロゥレン家の次男坊」2巻発売が決定いたしました。2023年7月10日発売、4/25より予約開始しておりますので、よろしければお手にとっていただけると幸いです。
詳細についてはなろうトップページ下段の書報にもありますので、是非ご確認ください。
また、コミカライズも2023年夏連載開始予定となりました。こちらについては詳細が決まりましたら、改めてお知らせ出来ればと思います。
ご覧いただきありがとうございました。