カスリコ
日が落ちてすぐザナスン達と合流し、真っ直ぐ賭場へと向かった。
扉を開けると、噎せ返るような酒の臭いと、それに混じる香草や脂の臭いが鼻の奥を刺激した。だだっ広い倉庫の中で、男達が盃を片手に、汗を掻きつつ博打に興じている。
場末感とでも言えば良いのだろうか、あまりの空気の悪さに吐き気が込み上げた。思わず後ろを振り向けば、ヴェスとザナスンは不思議そうな顔で俺を見詰めている。
「酷え臭いだな。本当にここが賭場なのか?」
「ん、ああ。日中は解体やってる倉庫だからな、そもそも空気が逃げないようになってるんだよ」
ザナスンは手近な男から酒を買って、俺らに配りつつ答える。
……なるほど。解体した肉や血脂と、臭み消しの香草の臭いが染み付いているのか。そんな環境で大騒ぎをするものだから、色んな臭いが混じり合って、中は何とも言えない臭気で満たされている。遠からず、鼻が馬鹿になって何も解らなくなるだろう。
色んな意味で場が混沌としている。どいつもこいつも、よく平気でいられるものだ。
俺は受け取った酒を一口含み、その後すぐさま鼻の下に塗った。出来の悪い安酒だが、香りが強い分誤魔化しにはなる。
「酒はそういう使い方をするもんじゃねえぞ」
ヴェスが真っ当な苦言を呈する。とはいえ、こちらも好きでやっている訳ではない。
「お前が言ってることは正しい。でも、鼻が慣れるまではちょっと無理だ。勘弁してくれ」
顔を顰めつつ、周囲の状況を確認する。
一階では荒くれ者達が熱い夜を過ごしている。酒を飲んで笑い合う者もいれば、博打に熱中する者もいる。
気になるのは二階だ。衝立が並んでいて、しっかりとは見えないが……隙間から覗いている連中の身なりが良い気がする。少なくとも、下にいる奴等のように、土や樹液で薄汚れた格好ではない。
「……二階は何だ?」
「あんまり見ねえ方が良いぞ。アイツ等はこの国の有力者だ。あそこから誰が破滅するかを賭けて、楽しんでやがるのさ」
ヴェスは吐き捨てるように呟き、酒を一息で飲み干した。
あまりに素晴らしい趣味で、涙が出そうになる。こういう空気を知っていたから、師匠は治安を不安視していた訳か。
まあ愉快ではないにせよ、俺が本当に潰したいのは彼等ではなくて組合だ。観客まで敵に含めるつもりは、現状ではまだ無い。手を出されるまでは保留で良いだろう。
「……ヴェス、そろそろ行かなくて大丈夫か?」
「おう、そうだな。まあ適当に楽しんでいってくれ」
ザナスンの問いかけに頷くと、ヴェスは手を振って何処かへと去って行った。俺が首を傾げると、ザナスンは肩を竦める。
「ヴェスはここの従業員だよ。狩人よりもむしろこっちが本職だな」
なるほど、道理で狩人にしては弱腰な訳だ。手をちょっと怪我したくらいで引き下がったのは、荒事に不慣れな所為だった、と。しかし、狩人以外の荒くれ者まで集まりそうな場所で、アイツに相応しい仕事など何があるだろうか?
「あの性格で、客あしらい出来るのか?」
「どうせ客の大半も同業だしな。二階の機嫌を損ねなきゃ大丈夫なんだよ。まあ、遊んでりゃ顔を見ることもあるし、会場に行ってみようや」
別にアイツと同行したい訳でもないが……ザナスンの言う通り、今回の目的は博打だ。流れ次第ではあるとしても、まずは現場の感じを確かめねばならない。
先導に従って進むと、ザナスンは縄で仕切られた区画の前で足を止める。そのまま手近な男と何やら話し込むと、まとまった金を受け取っていた。あれが紹介料なのだろう。
ザナスンは受け取った金の一部を、そのまま俺に押し付けた。
「ほれ、これが約束の金だ。何から行く?」
「ふむ……」
数えてみると、五万カーゼあった。躊躇いなく渡して来たということは、これが初心者の慣らしに丁度良い額ということだ。組合もまずは獲物を引き込む必要がある以上、最初から毟りにかかるとは考えにくい。一晩くらいは遊ばせてくれるだろう。
ならば、初手は一番期待薄なものから行こうか。
「運試しに、色抜きをやってみようかね」
「解った。ならこっちだ」
区画の中は、ざっと見た限りでは五つに分けられている。的当て、藪荒らし、酒場……と、あれが金を貸す所か? あまり人気が無いのか、色抜きはその中の一番小さな場所にひっそりと存在していた。
「よう、空いてるか? ちょっと遊ばせてくれ」
「おう……どっちがやるんだ?」
顔見知りなのか、ザナスンは座卓の前で退屈そうにしている男へ話しかける。俺は笑顔で前に出て、厳つい顔の男に二千カーゼを支払った。
「一回五百カーゼだったか? 取り敢えず四回頼むよ」
「新顔だな、是非稼いでいってくれ。ヴァクチャの幸運を」
知らない神に祈られてしまった。さて俺に幸運はあるか?
差し出された壺は入り口が狭く作られていて、中は見えなくなっていた。狙って当てられるのか一応確かめるため、手を突っ込んで探知を巡らせる。流石に魔術属性による染色ではないらしく、色付きを特定することは出来なかった。暫く掻き混ぜてみても、指先の感触に違いは感じ取れない。
これは何の仕掛けも無い、単に分の悪い博打でしかなさそうだ。
まあ仮に攻略法があったとしても、一回で稼げるのは五万カーゼまで。同じ手が何度も使えないことを考えると、やはりこれで相手を潰そうというのは無理があるな。
勝ちを諦め、無心で石を引き抜く。予想通り、白石が受け皿には並んでいく……と思いきや、三つ目で赤い色が目に飛び込んで来た。
男もザナスンも驚いている。仕込みを疑うも、『観察』した限りでは二人に不自然な反応は無い。俺が何を引くかまでは操作出来ない筈だし、どうやら素で当たりを引いてしまったらしい。
「お、おおッ! すげえ、久々に見た!」
「おめでとう、大当たりッ!」
周囲にいた観客が、赤石に気付いて歓声を上げる。
今までの不運の反動なのだろうか? 嬉しいよりも先に、困惑している自分がいる。
「おいおい、もっと喜べよ」
「いや……当たると思ってなくて、正直驚いてる」
男から五万カーゼを受け取り、懐に仕舞い込む。
ザナスンから貰った金を調査に充てようとしていたのに、却って資金を増やしてしまった。目標額にはどうせ至らないのに、人目だけ引く形になったのは不本意だ。
こうなると相手からの印象を弱めるため、賭け額を増やして、勝ち過ぎないよう調整しなければならない。
計算が面倒になったことに頭を痛めつつ、礼を述べてその場から離れる。ザナスンは何処か呆れた調子で、鼻から息を漏らした。
「儲けたってのに、景気の悪い面をすんなよ」
「そういうつもりじゃないんだけどな。自分じゃ運が悪い方だと思ってるんで、裏があるのか邪推しただけだ」
「邪推って……どんだけ不憫な生活をして来たんだ、お前は。こういう場合、外れるようにってことならともかく、当てるようにはしねえだろ」
いや、そうとは限らない。儲けられないのに賭ける奴はいない。一度でも美味しい思いをしてこそ、人は博打に嵌るのだ。
だから恐らく、組合は今日、俺に多少勝たせるのではと踏んでいる。そして仕掛けてくるとしたら、如何様をし易い藪荒らしだろう。その機を読み切れたなら全額突っ込むし、読めなかったら相手の癖を読んで今日は撤退になる。
的当ては最後のお楽しみだ。最悪の場合に、全魔力を注ぎ込んで全てを崩壊させるための切り札だ。
覚悟を決めるべく、濁った空気を吸い込み、ゆっくりと吐く。
そろそろ本命と行くか。
「まあ、当たったことにケチをつけるつもりは無いさ。兄さんも幸運をありがとう、邪魔したね」
「なぁに、これで客も集まって来る。また来てくれよ」
手を振って彼に別れを告げる。敵ではあるものの、さっぱりとした良い男だった。
「ザナスン、次は藪荒らしに行こう。賭け額は最低幾らからだ?」
「あれは親が三人いて、誰を選ぶかで一口が千、万、十万と上がっていくな。上限は……二百万の勝負は見たことあるが、それから先を受けてくれるかは解らん。当たれば五倍で、選べる数字は一つだけだ。綺麗に遊ぶんなら、千カーゼから始めた方が良いぞ」
三人分の癖を読むよりも、相手は一人に絞りたい。ただし、俺がそこそこの金を持っていることはまだ伏せていたい。
なるべく勝ちは一発で決めたいところだし、ザナスンの忠告にひとまずは従うか。
「感じを掴みたいし、それで良いよ。場所は何処だ?」
「こっちだ、ついて来い。……因みに、酒のお代わりは要るか?」
「俺は要らんが、お前が飲みたいなら一杯奢ろう。さっき儲けたしな」
ザナスンが心做しか嬉しそうな顔を見せたので、俺は苦笑しつつ酒場へ連れて行くよう促す。貸し借りは出来るだけ避けたいし、酔って気が緩んでくれるなら好都合だ。
俺の相手でザナスンも疲れただろうし、ちょっと休憩が必要か。
熱くなるにはまだ早い。狭い通路を抜け、俺達は酒場を目指した。
今回はここまで。
因みにサブタイの「カスリコ」は賭場の下働きのことです。
ご覧いただきありがとうございました。
4/25追記
拙作「クロゥレン家の次男坊」2巻発売が決定いたしました。
2023年7月10日発売、本日4/25より予約開始しておりますので、何卒よろしくお願いいたします。
そして、コミカライズも2023年夏連載開始予定となりました。こちらについては詳細が決まりましたら、また改めてお知らせ出来ればと思います。
また嬉しいニュースをお届け出来るよう、頑張ります。