長いお別れ
誤字脱字のご指摘ありがとうございます。
助かっております。
祭壇に戻り、すぐさま横になる。冷たい石の感触に、火照った体の熱が奪われていく。
緊張から解放されたからか、すぐさま眠りは訪れた。式場全体が微かに脈動していることが、安心感に繋がったのかもしれない。
体内の魔力がうねる。
ああ、そんな気も無かったのに接続されてしまう――瞼の裏で、河底の光景が延々と流される。あまりに同じ物を見たからか、今更ながら、何故景色が高速で繰り返し流れるのかを理解した。
なんてことはない、再生速度の調整をする機能も壊れているだけだ。そう考えると、まともに活きている機能の方が少ないのかもしれない。
術式を何度眺めても、欠落が目について泣きたくなるだけだった。
奇跡を期待したが、やはり祭壇の修復までは無理のようだ。祭壇さえ直れば、全てが解決するというのに。
……いや、直ったところで死んだ者達は蘇らない。むしろ取り返しのつかない現実に直面し、苦しむことになったか。
自分の中で区切りをつける。俺は最善を尽くした。なるようにしかならなかった。
それだけだ。
ゆっくりと目を開く。単なる状況の再確認でしかなかったからか、悪夢というには淡々としていた。精神的には落ち着いており、調子は悪くない。
「……やはり、無理にでも貴方を遠ざけるべきだったでしょうか」
監視者が小さく後悔を漏らす。俺はそれを鼻で嗤う。
「結局は自分で選んだことです。段取りという面では最悪でしたがね」
「貴方が選んだ、とは言い切れませんよ。受託者は引き寄せる者でもありますから」
「は?」
何だか非常に気になる発言があった。領地を出てから確かに色々あったが……あれは、一つの大きな流れに巻き込まれてしまっただけではないのか。
監視者は俺の上体から半分だけ抜け出し、口付けるような距離で続ける。
「受託者は、上位存在が問題を解決するため世界に送り込んでいる存在です。貴方達は状況を正しく認識出来るよう、いずれ問題となるであろう要素へ近づくように出来ているんですよ」
「……馬鹿な。偶然ではない、と?」
「気付いていなかったのですね。厄介事に巻き込まれやすいと感じているなら、それは貴方がそう造られているからです。ただ……私は、仕事には対価があって然るべきだと考えます。報酬の無いお役目など、無視しても罰は当たらない」
伏せられた瞳に憂いが見える。場違いなまでに美しい容姿に、却って頭が回り始める。
「待ってください。ここに至るまでの間、確かに幾つも問題は起きました。ですが特区で見た託宣の一覧に、見知った名前はありませんでしたよ」
時間が無かったため、あそこで全てを確認出来た訳ではない。見落としたと言われればそれまでだ。しかし体感として、世界的な脅威となるような、大袈裟な事件は今回が初めてだ。
監視者は俺の頭へと縋りつくように手を回し、答えを返す。
「記載があるかどうかは解りません。無かったとしても、危険性がまだ明確になっていない案件は、解決すべきものとして掲載されていないというだけの話でしょう」
反論は、出て来ない。それだけの材料を持ち合わせていない。
感情を巧く整理出来ない自分がいる。
かつて喪われた自分の命を再度繋いでもらった以上、返せるものは返すつもりではいる。それだけの恩義は受けた。しかし、己の人生まで操作されるつもりは無い。
世界に対し、微かな不信感が生じる。この感情すら自分のものか疑わしい。俺は何に基づいて生きている?
監視者の手が俺の頬を包む。
「言うべきではありませんでしたか」
「いや……黙っていられるよりは良かったんでしょう。本当に気に入らなければ、危機から目を背けることだって出来る」
俺の意思は俺のものだ。たとえ誰に与えられ、用意されていたとしても、俺だけのものだ。
ふと、至近距離で監視者との視線が絡む。不意に唇を塞がれ、体内に活力が注ぎ込まれた。
「……旅に出る前に、消耗してどうするんですか」
「貴方は命の恩人です。救ってくれた方に対し、謝意を示したいと思うことはおかしいでしょうか?」
止めておいた方が良い。まるで俺みたいだから。
けれどそうと口には出来ず、あまりに美しい顔から目を逸らした。
体が熱い。恥じらいによるものではなく、与えられた精気を持て余している。穢れによって痛んだ内臓が、機能を取り戻していく。
水精の力を感じる――仕事には対価があって然るべき、か。
祭壇の魔力も相俟って、急速に肉体が強化されていく。死なぬように、危機に立ち向かえるようにという、監視者なりの配慮なのだろう。
「どれだけ拒否しようと、今後も数多の困難が貴方へと吸い寄せられていくでしょう。余計なことと思われるかもしれませんが、貴方を死なせたくはない。どうか受け入れて下さい」
「貴女が善意からこうしていることくらい、解っていますよ。俺だって好き好んで死にたい訳じゃありませんし、備えはあった方が良い」
いよいよもって俺の機能が常人離れしていくものの、厚意そのものは素直にありがたい。ただ、色んなことの整理がついていないだけだ。
改めて礼を述べようとすると、不意に監視者は俺の中へと戻った。何か妙な音をさせながら、気配が近づいてくる。
振り向けばどれだけ欲張ったのか、大きな革袋を四つも引き摺って、アレンドラを背負ったジャークが姿を現した。
「……随分持って来たな……」
「ん? ああいや、一つはそっちのだよ? 御使い様だって、物資あった方が良いでしょ」
「俺の分かよ。いやまあ、もらえるなら確かにありがたい」
俺がすぐ礼を述べたからか、内側で監視者が不満そうにしている。別に彼女を蔑ろにした訳ではなく、言葉にする前にジャークが来ただけなのだが。
……機を逃してしまったな。
ジャークは俺に袋を手渡すと、アレンドラを横に寝かせて旅の支度を始めた。手渡された袋を開いてみると、食料や薬、後は硬貨がとにかく乱雑に詰まっている。入っている物の説明を聞きつつ、こちらも中身を整理する。
お互い作業に没頭していると、ふと、質問があったことを思い出した。
「……そういやジャーク、首都ってどっち方面にあるんだ?」
「首都? 街を出て北東方面に道なりに進めば着くよ。この国は狭いし、歩きでも一か月はかからないくらいかなァ。用事でもあるの?」
「ああ、ちと学びたいことがあるんだ。学術院は、絡繰について教えてるんだろ?」
俺の回答にジャークは手を止め、鞄の中から硬貨を掴み出す。
「他国の人間が学術院に入ろうとすると高いよォ? 一千万くらいかかるけど……そんなには取って来なかったなァ」
「いや、お前はお前で金が必要になるだろ。俺に寄越さなくても良い」
俺の手持ちと、軍部から取って来たものを合わせても五百万程度。どうせ全く足りないのだから、他人の金に頼ろうとは思わない。
無いなら無いなりに、何処かで金策するしかないだろう。
「首都なら他国の人間にも仕事はあるか?」
「それこそ学術院の近くなら、研究者がしょっちゅう雑用を募集してるよ。後は、人が多いから狩りも結構需要があるかな」
「なるほど。まあ地道に行くしかないな」
すぐに結果が出ない、なんてことには慣れている。いざとなれば、ある程度の期間集中して稼ぐしかあるまい。最悪の場合、授業に黙って潜り込むという手だってある。
行ってみるしかないということを再確認し、一旦支度を終える。ジャークも荷造りは終わったらしく、革袋を腰紐に結ぼうと悪戦苦闘していた。アレンドラの背に一つ、ジャークの腰に二つ……あまりにやり辛そうなので、俺も手を貸す。腰に魔核で留め具を作ってやり、引っ掛けることでどうにか対応した。
「ちょっと窮屈か?」
「行軍の時に比べればまだ楽だよ、アレンドラも軽いしねェ。……じゃあ、そろそろお願いしよっか」
「解った」
ジャークは体を回し、アレンドラの背中をこちらへ向ける。
深呼吸をしてから、本気で『集中』する。俺は祭壇へと慎重に魔力を流し、監視者と地脈の接続を切った。監視者は俺の胸から抜け出すと、こちらへ丁寧に頭を下げる。
そして、アレンドラの体内へと潜り込む直前、監視者は目を細めてもう一度俺に口付けをした。あまりに真っ直ぐな好意で、思わず硬直する。
こんな感情をぶつけられるのは、今生では初めてかもしれない。
「……入ったぞ」
顔を取り繕えない。ここが暗い式場で良かった。
どう反応すべきか答えを出せないまま、ジャークへと作業の終了を告げる。
「了解。……全然重さは変わんないねェ」
「そりゃそうだろうな」
事に気付かなかったらしく、ジャークは何度か体を前後させ、アレンドラの位置を調整している。俺も手荷物をまとめ、誤魔化すように一つ伸びをした。
「じゃあ……そろそろ行くか。後は頼む」
「うん、頑張るよ。御使い様も元気でね」
長々とした別れなど俺達には似合わない。軽く手を挙げ、お互い別々の出口を目指す。
しかし……最後の最後にしてやられた。経験不足が如実に出てしまった。もう少し巧く、何かを返せれば良かった。
己の態度を後悔していると、不意に明るい声が耳元で響く。
――ありがとう!
声でふと振り向けば、少女が笑って俺に手を振っていた。こちらも手を振り返し、消え行く彼女を見送る。
何とも言えない感情が込み上げた。
出来ないことばかりだったが、後悔だけでもない。少なくとも彼女らを救えたなら、働いた甲斐はあった。
苦笑が浮かぶ。悪くない気分で、式場を後にした。
これにて本章は終了。
本にサインを書く作業があるため、次週は人物紹介のみとなります。
ご覧いただきありがとうございました。