天啓
街をうろつき、推船の作業を一通り確認してから祭壇まで戻る。
まあ……他にも見るべきものはあるのだろうが、相手の戦力は概ね把握出来たことにして良いだろう。集会所を覗いた限りでは、アレンドラとジャーク以外に突出した戦力は無い。ただ、突出していないだけで弱いとも感じなかったため、二人がいなくとも苦労はするだろう。
やり合うなら、やはりこの場でなければ安心出来ない。
この街で祭壇の使用権を持っているのは俺だけだ。ここでなら祭壇を盾に相手の魔術を封じつつ、自分は魔力の補充をすることが出来る。間違いなく泥仕合になるが、外で戦うより勝率は上がる。
他に何か手は……出入口を幾つか塞ぐか? やらない手は無いな。
侵入経路は少ない方が楽だ。使ったことの無い通路全てを瓦礫で埋め、更には『集中』を起動して丁寧に押し固める。警戒すべき方向を絞り込んで、奇襲に備えた。
緊張からか、いつになく疲労感が強い。
とはいえ、ゆっくり休みたいという気持ちがあっても、この状況下で宿を使う訳にはいかない。部外者の出入りを調べられたら、身元を確保されてしまう。それに、無関係な人間を巻き込まずに済ませる自信も無い。
暫くは硬い石畳で寝るしかないか。
溜息をついて、干し肉を口に含む。それとほぼ同時、知った気配が近づいているとかろうじて気付いた。
呼吸を落ち着け、影を纏う。
「……ジャークか」
「お疲れ様~。吃驚させようと思ったのに、よく気付いたねェ?」
「自分でもそう思う。お前が本気だったら、また違ったろうが」
魔術行使のため『集中』を起動していたことも助けになった。強化された異能の対策も必要か、何処までやれば万全になるやら。
内心で嘆息していると、ジャークは俺の前に腰を下ろし、深く頭を下げた。
「何だ、どうした?」
「今日はお別れを言いに来たんだよ。……アレンドラはもう、ここには来れない。ボクも、これが最期になるだろう。待ちぼうけをさせるのも、申し訳無いからねェ」
いつもの薄ら笑いとは違う、妙に落ち着いた表情でジャークは言う。瞳が澄んで、芯にぶれが無い――これは、死ぬことを覚悟した人間の表情だ。
「何があった」
「大したことじゃない。……一族はアレンドラの処刑を決めたよ。こんな事態に陥った責任を取ってもらい、御使い様に許しを乞うんだってサ」
上役は責任を取るためにいる。だから、アレンドラが追及されること自体はおかしくはない。こういうご時世であれば、命で贖うなんてのもありがちな話だ。
しかし、アレンドラを使い潰すでもなく、ただ殺すのか? 俺の対処をしない?
ああ……職務は放棄する癖に、下手に河への信心が残っている所為で、俺を大きく見積もったのか。それは裏目だ。
「いや、確かにこの状況は彼女が招いたものだが……命までは求めてないって話はしたのか?」
「そんな釈明はさせてもらえなかったんじゃないかなァ? ボクは話し合いに参加させてもらえなかったからね、解らないよ」
相手の表情が全く変わらない。声は抑揚が無く平坦だ。
これは――感情が振り切れてしまっている。あまりに静かな在り方に気圧され、こめかみを汗が伝った。
それでも、怯んでいる場合ではない。
「にしてもだ。河守は彼女のお陰で、それなりに良い思いをしたんじゃないのか? その点は評価されても良いだろうに」
「アイツはアイツなりに全力を尽くしたけど、やっかんでる奴もいた、ってことなんだろうねェ。自分よりも上の立場にいる小娘を蹴落とすなら、今が好機でしょ?」
「自分らで上に据えたんだろうが。大体アレンドラだって、何でもかんでも素直に従う必要は無いだろう。抵抗するのは簡単だ」
一族に何かしらの恩義はあるのかもしれない。とはいえ、無抵抗で命を捧げるだけのことか?
俺の疑問に、ジャークは首を横に振る。
「アイツにとっては一族が全てなんだよ。幼い頃から、いずれ当主として一族を統べるため、ずっと教育されて生きてきたんだ。それ以外の生き方なんて知らないんじゃないかなァ。……それに、過ちを正さずにいられる性格でもない。自分の命で贖えるなら、と思ってしまったんだろうねェ」
理屈としては理解出来る。
理解出来るが……不快だ。アレンドラは相変わらず妄信的で視野が狭く、一族はそれに甘え自身を省みることをしない。関係性が歪過ぎる。愛されない、愛されたい子と愛さない親のような――傍から見れば、まるで拘る必要の無い繋がりを、後生大事にするような。
正直、馬鹿げているし気持ちが悪い。
「……なるほどね。まあどういう決定をしても、河守の問題だし俺が口を出すことじゃないんだが……アレンドラを殺しても無意味だぞ」
「と言うと? 処刑も排除にはなるでしょ?」
「ちょっと前に判明したことだが、託宣が出たのは、推船の作業でアレンドラが式場の術式を削った所為だ。排除はあくまで祭壇の崩壊を先送りにするためのもので、河守どころか街の存亡すら疑わしい」
だからアレンドラを殺したって、何の解決にもならないと俺は告げる。
ジャークは暫し目を閉じると、手で口元を押さえた。やがて石畳に倒れ込み、堪え切れずに手足をばたつかせて笑い転げる。
「アハッ、アッハハハッ! そっか、そうだったんだ! ハァ、いや、良いことを聞いた!」
「どうする? 彼女の想いはさておき、アレンドラが責められること自体は真っ当だ。贖罪が必要だってのもそうだろう。ただ、殺したところで河守にとって意味のある行いでもない」
「ボクのやることは変わらないよ。これで安心して動けるってだけさ」
笑い過ぎで滲んだ涙を拭いながら、ジャークは身を起こす。
安心するだけの要素は何も無い……いや、あるな。ジャークが一族を相手にして、道半ばで倒れてしまったとしても、連中の終わりは決まっている。敵の全滅を狙う必要が無くなる分、作業が少し楽になるのか。
後は、アレンドラを翻意させられるかどうかだけになるな。
ジャークは改めてやる気を漲らせたようだし、邪魔になりそうな勢力を削ってくれるなら、俺にとっても意味はある。少しくらい可能性を上げてやるか。
「行くなら少し待て。拳鍔を作るから手を見せろ」
手技で多数を相手にするなら、拳の保護は必須になる。
懐から魔核を取り出し、返事を聞かずに魔力を込め始める。魔力は祭壇に溢れているため、消費を気にせず、どんどん作業を進めていく。
差し出されたジャークの手をよくよく『観察』し、握り込んだ時にずれたりしないよう形を整えた。
「アハッ、止めないんだねェ?」
「男が女の為に命を懸けるんだ、言うだけ無粋じゃないか」
指の起伏に沿って、薄い鋼板のように伸ばした魔核を張り付けていく。そうして指輪を一繋ぎにしたような形状を作り、徐々に厚みを持たせていく。手をある程度自由に開閉出来るくらいで止め、手の甲から革帯を巻き付けることで補強した。これで少しは衝撃を受け止めてくれるだろう。
ジャークは空中に向かって突きを何度か放ち、具合を確かめる。悪くはないようで、一つ頷いた。
「……君、意外と人間臭いよねェ。御使い様はもっと冷淡な存在だと思ってたよ」
「まあ、俺も立場はあるけども……祭壇が絡んでなけりゃ、素直にアレンドラを応援したよ。一族の利益を考えられる人間なんだから、当主の資質はある。他者を慮り、導くことが出来る人間は尊いんだ」
俺は、そういう役目からは降りてしまった。他人の人生など背負えないし、責任なんて持てない。人の上に立てるような人間ではないから、より相応しい人間に全てを任せてしまった。
だから、アレンドラが過ちを犯したとしても、それを憎もうという気にはなれない。
「……そっか。そう評価してくれる人間がいるんなら、アイツも少しは報われる」
呟き、ジャークは立ち上がる。俺もそれに倣い、最後に拳鍔へと魔力を乗せた。
「拳鍔は魔力を込めれば外れるようにしてある。手が不自由だと感じたら破棄してくれ。……思う存分やって来い」
「面倒事に巻き込んで悪かったねェ。……ありがとう、君のような人が御使いで、本当に良かった」
ジャークは俺に頭を下げると、不意に景色へと溶け込んでいった。
最後にして唯一の河守が去って行く。
一族を皆殺しにするとして、ジャークが本気でかかれば半数は殺れるだろうか。魔力量は少ないようだったし、異能が維持出来なくなってからは運次第になりそうだ。それとも、アレンドラの元へ一気に侵入して、まずは説得を試みるだろうか? いずれにせよ障害は多い。
今後のことを考えていると、ふと、一つの思い付きが生じる。
河守が終わる。これは確定事項だ。
――ならば、この街の住人が全滅するのを防げる、か?
急速に思考が回転し、浮かんだ筋道が実行可能かを計算し始める。必要なものは覚悟だけで、やるべきことは単純だ。
……いけるんじゃないか? 可能性はあるよな?
巧くいけば、懸念することが一つ減る。事を成すための条件は、ジャークやアレンドラも含めたすべての河守が、この街からいなくなることだ。
となればジャークと足並みを揃え、一緒に打って出るべきだった。
気付くのが少し遅かった。それでもまだ間に合う筈だ。
武器を掴んで走り出す。
別に河守に恨みは無いが、罪の責任を問うのであれば、それは一族全員に取ってもらおう。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。