沈思黙考
冷たい石の上で、うんざりするくらい眠ってやった。眠りの中で、何度も接続と切断を繰り返し、祭壇への理解を深めた。
そうして体内の痛みに耐えられなくなったところで、諦めて起き上がる。
食料は無くとも、魔力だけは充分にある。『健康』の起動と飲料水の生成のため、祭壇の魔力を拝借する。穢れを集めようとしなければ、内臓の痛みはすぐに治まった。
穢れそのものを完全に打ち消すことはしない。敢えて一部を体に留めることで、体を少しずつ慣れさせる。
祭壇を訪れるということは、浄化装置と接触するということだ。対象が正常に機能していない場合、今回のように穢れを浴びる可能性は考えられる。耐性を上げておかなければ、命を落とすことも有り得るだろう。
それに、穢れは陰術の増強にも使える。取り扱う毒の種類が増えたと捉えても良い。
さて――どうするべきか。
回復が終われば、現実と向き合わざるを得ない。祭壇の修復が出来ないならば、俺には他に何が出来る?
穢れは祭壇に集まる。ならば、暫く上流は安全ということだ。王国より工国が破滅する方が早いのだから、それを合図に、王国側に避難を促すしかないか? 流石に街一つが亡んだら、呑気に構えてはいられないだろう。
しかし本当にそれで良いのか。
王国を活かすために、この街の民を見捨てる覚悟が出来ない。
やらかしたのは奴等だ。俺じゃない。悪いのはアイツ等だ。俺が背負い込むことじゃない。自分達の行動の責任を、当たり前に取ることになっただけだ。
考えたって、何も出来ることなんて無い。
……そんなことは解っている。そうと知っていて、割り切れていないだけだ。
俺に出来ることは何だ。何が残されている。
河守の長を引き摺り下ろそうとしている俺が、この街に縁の無い俺が、住人の信頼を得ることは出来ないだろう。稼ぎが増え始めた人間に、その仕事を止めてこの地を離れろと言ったって聞く筈が無い。当たり前の説得が叶わないということだけは解っている。
何だったら出来る?
待て、監視者の延命くらいはどうにかならないか? 祭壇との繋がりを巧く切り離すことが出来れば、彼女は少女と一緒にこの地を離れてくれるのではないか?
必要なものは何だ?
切り離すだけであれば、祭壇で術式を探して改変すれば済む。監視者は受託者への説明役でしかなく、必ずしも必要な存在ではない。しかし、祭壇からの魔力供給が途切れれば、結局彼女は存在の格を保てなくなってしまう。
まず、魔力を補充するための物が必要だ。そして、今や実体を保てぬ彼女を留めるための器もだ。
前者であればどうにかなる。あの少女であれば、やり方を教えれば監視者への魔力供給くらいはこなしてくれるだろう。ザヌバ特区まで逃げてくれれば、あちらの空間を利用して存在を維持することは出来る。
問題は後者だ。あの監視者を、ザヌバ特区まで保たせるだけの品質を持った器となれば、それはもう生半可なものではない。義腕もまともに造れない人間が、急にそんな物を造れる筈が無い。
……どうにかならないか? 高純度かつ多量の魔力を押し込めておける器を、どう用意する。
何か、惜しいところまで来ている気がする。
監視者と改めて話したいが、まだ考えがまとまっていない。
頭を掻き毟る。
水球を上に放り投げ、全身に冷水を浴びる。こびりついた血を念入りに洗い落とすと、少しだけすっきりした。
闇雲にあれもこれもと手を伸ばすべきではない。まずやりたいことは、監視者の延命。やるべきことは、アレンドラの処遇を決めること。この地の民については……可能な限り足掻くにせよ、見殺しになる可能性が高いと、そう念頭に置いて動く。
まずはここを出よう。
魔力を放ち、外の気配を確認する。ジャークの気配が船着き場の近くにあるということは、いつも通り仕事をしているということだろう。アレンドラはかなり遠くにいて、複数の気配に囲まれている。長老衆とやらと会議でもしているのかもしれない。
どう動くことになるにせよ、この街の地理も把握していないようでは、いざという時に不利になる。ザヌバ特区で得た権利は行使出来そうにないし、実際に見に行くしかあるまい。
アレンドラ達がやって来た方向に踏み出し、暫く歩く。出口が幾つかあり、一つを勘で適当に選んだものの、一本道であったため迷うことはなかった。暗く長い道を抜けて、久し振りに強い日の光を浴びる。
出た場所は、街を望める小高い丘のようだった。祭壇への入り口は茂みで覆われ、すぐにはそれと解らないようになっている。鳥や小型獣の気配はあるが、特に脅威というほどの存在は感じ取れない。
散歩に丁度良さそうな、穏やかな土地だ。この安寧が終わるかもしれないなど、誰も考えてはいないだろう。
溜息を吐く。気分が下がっていると自覚した。
嘆いていても仕方が無い。重い体を引き摺って、街中に入った。程なくして屋台通りを見つけ、手近な一軒の前で足を止める。
……何か腹に入れておくべきだな。
「すみません、お勧めをください」
「うちは一種類しか無いよ。それでも良い?」
店主が指す鉄板の上には、薄切り肉にタレを絡めて焼いた物が広がっている。脇にあるゆで卵をそれで巻いて提供しているらしい。
唾が滲んでくる。食欲をそそる匂いがする。
「じゃあ二つください」
「あいよ」
一個の大きさは子供の拳と同じくらいで、そこそこ量はありそうだ。葉皿に盛られた料理を受け取り、金を払う。会計は三百カーゼと、お手頃な価格だ。
その場で口に放り込む――少し辛さのある、甘じょっぱい味付けに唇が緩んだ。臭み消しに使われている香草が解らないものの、馴染みが無いだけで悪い感じはしない。初めての他国料理だが、食べられないだとか、趣味から大きく外れるといったことはなかった。
まともな食事に、強張っていた体が解れるのを感じる。すぐさま平らげ、空いた皿を店主に返した。
「いやあ、美味かったです。ついでに教えて欲しいんですが、この街の水場って何処にあります?」
「ん、喉でも乾いたかい? 通りを出て左に曲がればすぐだ。行ってみれば解るよ」
「ありがとうございます」
口を濯ぎたいだけなので水術を使っても良いが、色んな場所を巡ることも目的だ。言われた通りに進むと、確かにすぐ水場に行き着いた。
何処かから流れ込む水を綺麗な石で囲い、そこから支流を二つ作って片方を洗い場、片方を飲料水にしているようだ。何人かが近くで腰を下ろし、休憩している。
水源を探すため、さりげなく流れを探知で追えば、アレンドラ達のいる方向へと魔力が伸びて行った。河守の気配が集まる所で、感覚は急速に下へと落ちていく。地下からの湧き水か。
念のため喉を潤してみるものの、穢れの影響は特に出ていない、普通の飲みやすい水だった。
水利権は河守が押さえているのだろうか? この地のために長く尽力していることは確かだし、おかしくはないが、それで収入が少ないというのも馬鹿げている。稼ぐだけなら、やり方は幾らでもあった筈だ。
……何か引っかかるな。
河守がどうこうではない。それとは違う、別の何かを一瞬閃いた気がする。
「どうした、坊主? 具合でも悪いのか?」
暫く硬直していたらしく、近くにいた男に話しかけられる。俺は手を振って取り繕い、笑みで返す。
「すみません。さっきここに着いたばかりで、暫く水を飲んでいなかったんですよ。因みにここって水代は?」
「なんだ、外から来たのかい? ここは水が豊富なんだ。タダだから幾らでも飲みな、遠慮は要らんぜ」
安心したのか、男は明るく笑った。人好きのする顔だ。
……地元民のようだし、少し探ってみるか。
「ありがたい話ですね。美味い水ですが、河から引いてるんですか?」
「河の水も使ってるけど、飲み水は別だよ。詳しい場所までは俺も知らんが、ここを上っていくと水が湧いてる場所があるらしくてな。こういう水場は全部そこから引いてる筈だ」
住民が把握している水源は一箇所、と。河の水はやはり用途が限られているようだ。
なるべく顔を作って、穏やかに質問を続ける。
「へえ……どんな場所なんです?」
「河守って連中が管理してるんで、俺にも解らん。多分現地までは入らせてもらえないと思うぞ」
「なるほど。水源に近い方がもっと水が美味いかと思いましたが、仕方無いですね」
「悪戯されると困るからな。変なことは考えないこった」
「無理して入ろうとまでは思いませんよ。ここだって充分良い水です」
まあ、街の重要な場所から部外者を遠ざけるのは、当たり前の措置だろう。そういう意味では、河守はちゃんと仕事をしている。
暫く雑談を続け、お互い何となく話に区切りをつけその場を離れた。
賑わう通りを歩き、逃走経路を記憶しながら、そのまま河守達の気配を目指す。今すぐ仕掛けようとは思わないが、相手の拠点と規模は把握しておきたい。御使いが俺だと知られていないうちに、街中での調査は済ませる必要がある。
長老衆とやらがどういった考えなのか、俺には解らない。ただ、経験の不足するアレンドラを当主として据え、責任を押し付けている辺り、思慮深い相手ではないだろう。
恐らく――河守達と衝突する可能性は、かなり高い。
異能を失うことを恐れ、託宣に従うというのは有り得る。しかしそれとは別に、穢れについて知る者が残っていると、彼等にとっては不都合だ。自分達の過失を握り潰すため、俺とアレンドラの両方を排除しよう、と考えるのが自然な流れではないだろうか。
何をどうしたところで異能は守れないし、この街の破滅も避けられそうにないが、現状それは俺しか知らないことだ。あちらさんは、どうにか事態を解決しようとするだろう。
……頭の中で、何かがまとまろうとしている。だが、まだ何かが足りない。
取り敢えず、やれることを一通りやっておくしかない。まずは対アレンドラの策を幾つか練っておかないと、街よりも俺の命が危なくなる。
損な役回りになったものだ。やることは多いし、余裕も無い。
幾つかの対応を頭で練りながら、日差しに顔を顰めた。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。