身に余るもの
あけましておめでとうございます。
なかなかペースの上がらぬ本作ではございますが、本年もご愛顧いただきますよう、よろしくお願いいたします。
まだ慌てる時間ではない。まず相手のことを知らなければ、話を進めることも出来ない。
「取り敢えず、アレンドラはどういう人間だ?」
「……アイツを殺るのかい?」
「いや、殺れるのかすら解らんからな。指示をこなそうにも、無駄死には流石に」
順位表に載るとなれば、単独強度9000超えといった辺りだろう。敵であると認識させることすら避けたい。
いや、よくよく考えてみれば、指示は抹殺や殺害ではなかった。排除ということは、直接の戦闘以外にも何らかの手段が選べる。たとえばこの地から遠ざけることも、排除と言える筈だ。
「……戦闘以外の手を探した方が早いか?」
「うん? ああ、排除だから殺す必要が無いって?」
「そう。適当な言い訳をつけて、遠くに連れ出すとか」
ジャークは少し難しい表情をしたまま、動きを止める。
「それで認められるのかねェ?」
「解らん。でも、自信を持って勝てるとは言えない相手だろう? 次善策が必要だよ」
「そらァそうだねェ。と言っても、アイツは結構な有名人だよ。この辺では珍しい女当主で、今は推船師をしてる。夜になったら船の戻し作業があるから、時間が合えば魔術を使ってる姿は見れるけど?」
「一般人でも見られるのか?」
「まあ外でやる作業だし、隠せるようなものじゃない、ってのが本当のところかな。最近だと、わざわざそれを見に来る客もいるって聞いたよ?」
必要な作業を利用して、観光地化を進めているのか。土地に金を落とすという意味では有効だが、祭壇の意味を考えればやはり望ましい状態ではない。
ただ、船のような大きな物体を長距離動かすとなれば、それなりに気合が入った魔術を使うことになる。戦わずして実力の一端を確認出来るなら、俺にとっては好都合だ。
「良し、なら後で張り込んでみよう。順位持ちに真っ向から挑むのは無理があるしな」
「経験があるような口振りだねェ?」
「不本意ながらな。死にかかった記憶しか無いが」
「御使い様でも彼等を相手にするのは厳しいかい?」
「奇襲なら少し可能性がある、ってところだな」
ラ・レイ師には勝ったものの、あれは彼女が消耗しきっていたからだ。まともにやれば普通に負ける。というより、戦闘時の順位持ちは人の形をした別種の生き物であり、立ち向かうべきものではない。
苦い記憶が蘇る。
「……まあ、俺の昔話はどうでも良いんだ。人となりはどうだ? 今回の一件を直接話し合えるような相手か?」
「周りに一族の人間がいなければ、割と普通に聞いてくれるんじゃないかなァ。好戦的な奴じゃないし、いきなり襲い掛かって来るってことは無い気がする」
「ふうん。……有事の際には金と、自分と、一族と……どれを守ると思う?」
「多分一族だろうねェ……だから不適格だと、ボクは思っちゃうんだよ。直系の親族だからって、アイツがやんなきゃいけないことじゃない」
ジャークの言い分には同意せざるを得ない。若輩であるのなら、直系に拘らないという選択肢だってあっただろう。それでも頭に据えるのならば、周囲が彼女を助け、導いてやらなければならなかった。
それを一人に押し付けた結果がこれだ。解らないなりに、良かれと思って動いた結果が裏目に出ている。知識が無いと、こういう時に恐ろしいのだ。
一族を思う感情が人として真っ当であるからこそ、彼女は前例を踏襲しなければならなかった。生活を向上させたいという当たり前の欲求が、却って皆を苦しめることになる。
それとも、或いは――解った上でやっているのか?
異能を手放す覚悟さえあれば、新しいことに挑戦が出来る。推船が良い例だ、異能の代わりに強度を鍛えることで、より多くの収入を得られる可能性はあるだろう。俺の立場で勧められることではないが、河守はむしろ河守であることを捨てた方が、幸せになれるかもしない。
どれだけ考えているのかによって、俺が取るべき手段が変わるな。
「もう一つ。河守は、自分が持ってる異能をやはり特権的なものだと思ってるのか?」
「便利なものが多いし、そうじゃないかなァ。先代達が苦労してきた分、優遇されるのは当たり前とも捉えてる感じがするよ。借り物はあくまで借り物でしかないのにねェ」
「随分と冷静に見るな?」
「自分の戦力を客観的に評価出来ないと、軍人としてはやっていけないよォ」
それもそうか。
……強くて冷静。格好は奇抜でも、軍人としては本当に優秀だな、コイツ。
さて、整理しよう。
流れとして最悪なのは、アレンドラとジャークの双方が敵に回ることだ。現状に危機感を抱いているとはいえ、ジャークはアレンドラに対して同情的でもある。使命と個人、どちらに天秤が傾いてもおかしくはない。そして俺自身、託宣を果たしたくはあっても、身の安全を確保しておきたい気持ちはある。
やはり敵対路線は避けた方が無難だな。
「話を聞いている分には、悪人という訳ではなさそうだ。当主を入れ替えて河守を再編出来るなら、敢えて殺し合う必要は無いと思うが……明日以降、アレンドラと会えないか?」
ジャークは腕を組み、少し考え込む。
「構わないけど、なるべく急いだ方が良いとは思うなァ」
「何でまた?」
こちらとしては、会う前に少しでも戦力の把握をしておきたい。むしろ、それをしないまま会うのは避けたいところだ。
状況は解っているだろうに、ジャークは頷いてくれない。
「今であれば、長老衆が不在なんだよね。これを逃すと、次がいつになるかちょっと読めない」
「遅れれば、連中が帰って来てしまうか」
「そうなんだ。逆に言えば、話し合いに持ち込むなら今だねェ」
……悩ましいところだ。
状況を操作するため、ジャークが嘘を言っている可能性もある。河守の異能が失われることを考えれば、すぐにでも事を進めたいという感情はあるだろう。さっさと片付けたいという思いはこちらも同じだが、そうするためには踏み込む覚悟が必要だ。
命を賭けるだけの案件ではない。ただ、立場というか上位存在への恩はある。
こうなったらやるしかないか?
頷く前に、一つ大きく呼吸した。
「……好機と言うなら、已むを得ないだろう。場所はどうする?」
「それならここが良いんじゃない? 一族の人間でも、軽々しくここには来ないから」
ふむ。大規模な魔術を防ぐ意味でも、ここであれば都合が良いな。
「なら、連絡を頼めるか。俺は相手の顔を知らんしな」
「良いけど……そんなこと言ったら、君はいつ顔を見せてくれるのかなァ?」
俺はまだ、術を解除していない。姿を隠したままだ。
答えを返さず、ただ手を振ってジャークを追い払う。苦笑しながら、彼は式場の奥へと消えて行った。あちらにも出入口があるのだろう。
まだ安全が確保されていないのに、正体を晒すことは出来ない。ジャークは自らも法を犯しておきながら、部下をあっさりと切り捨てられる男だ。信頼関係が構築出来るかは今後に懸かっている。
取り敢えず……いつまでかかるか解らない相手を、黙って待っていても仕方が無い。この澱んだ空気をどうにかしてしまおう。
大きく息を吐き、そして体を弛緩させる。自然体で立ち、周囲に漂う澱みを己へと引き寄せる。まだ薄い段階の穢れをゆっくりと取り込み、体の変調を『健康』で無効化する。穢れを消している訳ではなく、自分に溜め込んでいる形なので、いずれは決壊するだろう。しかし、対症療法としては悪くない。時間稼ぎくらいにはなる。
暫く吸収と無効化を続け、疲れて来た辺りで休憩を挟んだ。祭壇の魔力を含んだ穢れはやはり人の身には重く、油断すると吐きそうになる。ただその分、陰術が急速にこなれていく感覚もある。陰術は人前で大っぴらに鍛錬が出来ないため、丁度良い機会なのかもしれない。退屈な作業も、有意義であればやる気にもなる。
何時間経ったのだろうか。空気清浄機の真似をしていると、遠くから足音が聞こえた。やけに背の高い女性の手を引いて、ジャークが駆け寄って来る。相変わらず笑顔が絶えない。逆に女性の方は、俺を見てあからさまに顔色を変えていた。まあ、祭壇の真ん前で黒い塊が動いているのだから、不審ではあるだろうな。
「ごめん、待った~?」
ジャークが朗らかに言う。俺は返事に迷う。
「……逢引きかよ」
「ある意味そうじゃないの?」
「……それもそうだな」
人目を憚って異性と会うんだから、一種の逢引きだった。
しかしお目当ての彼女は、俺達の遣り取りを見てすっかり硬直している。いや、何処か驚きを孕んでいる?
何故か気圧されていた様子だったアレンドラは、やがて俺を睨み付けて身構えた。
「式場をこうも穢すとは不届きな。何者だ!」
ああ、俺が場を汚染しているように見えるのか。まあ、確かに中心にいるのは俺だし、知らなければそう思ってしまうな。
「穢した訳じゃない。俺が来た時点で、ここはこうだったよ。むしろ俺はアンタの尻拭いをしているだけだ」
理解してもらえるよう、先程までの行為を再現する。穢れを引き寄せて己の身に取り込んだ瞬間、内臓に鋭い痛みが走った。そろそろ陽術で打ち消すなりしないと、許容量を超えてしまう。
苦痛を堪えていると、アレンドラは顔を歪めて魔力を練り始めた。
「……貴様、本当に人間か……?」
「ジャークから説明を受けてないのか? 俺は、お前等が御使いと呼ぶ存在だよ。河守が使命を果たさないから、已む無くこうしてるんだろう」
「馬鹿な。こんなもの、人間に耐えられる訳がない!」
「いや、そういう状況に自分がしたんだって理解してくれよ。こっちだってやりたくてやってる訳じゃねえよ」
強くなっていく痛みに、口調が荒くなる。
こちらには余裕が無いというのに、状況の所為でアレンドラが暴発しそうだ。一瞬にして練り上げられた魔力が巨大な水塊となり、俺を狙っている。
「落ち着け、魔力を解放しろ」
「近寄るな。このくらいで貴様を殺せるとは思えんが……それでも無傷とはいくまい」
確かに、俺を殺せるかは五分五分といった感じではある。ただ、そういう問題ではない。
「祭壇を吹き飛ばすつもりか? 流石にそこまで面倒は見切れんぞ?」
「止めときなよ、アレンドラ。それは流石に駄目だ」
ジャークがアレンドラの肩を掴み、揺さぶる。アレンドラは迷いを見せていたが、やがてその言葉に従うように水が床に落ち、魔力が静まった。
あくまで反射的なものであって、本腰を入れて術式を組んだ訳ではないようだ。それでこの圧力ということは、やはり真っ当な勝負が出来る相手ではない。
冷や汗が背中を伝う。祭壇を盾にした形とはいえ、ジャークも制止してくれて助かった。
しかし……視野が狭いというか、どうにも軽率だな。この性格では、責任者を任せるのは無理がある。
「アレンドラ。受託者、或いは御使いとして言わせてもらうが……上位存在はお前を不適格だと判定した。古の契約に基づくなら、河守にも間も無く影響が出るだろう。一族で、異能が弱体化している人間がいるんじゃないか?」
心当たりはあるらしく、アレンドラは露骨に狼狽える。唇を噛み締めて、こちらを睨み付けた。
「……いや、そんな人間はいない。契約は果たされている」
「ボクはちょっと調子悪い感じがするよ? 別に隠すことじゃないでしょ」
「人間誰しも好不調はある。ジャークの言う不調が祭壇に起因するかなんて、解らないじゃないか……」
外部の人間に弱みは見せられないか。長としては当たり前の返答でも、経験の浅さが露骨で、却って気の毒に見える。
俺としても、別に彼女を苛めたい訳ではない。
「認めようと認めまいと、祭壇からの指示はお前を排除すべしというものだ。ただ、俺自身は別に、お前を殺す必要は無いと思っている。河守を辞してこの地を離れるのなら、一族から力が失われることはあるまい」
「本当にそうなる保証があるとでも?」
俺の発言は推察であって、確たる証拠がある訳ではない。そこを突かれると少し困る。
「保証と言えるだけのものは、正直無い。ただ、託宣は排除であって殺害という形にはなっていなかった。託宣を守り、一族が生業を元に戻せば、上位存在に許しを請う機会くらいは作れるんじゃないだろうか」
提案を聞き、アレンドラは悩んでいる様子だったが、悩んでいる時点で結論は出たようなものだろう。彼女は一族に不利益となる行為をしないし、ジャークも彼女が降りることを望んでいる。
話が通じる相手で本当に良かった。後は覚悟を決めてくれれば、全てが穏便に終わる。
「周りも絡む話だし、今すぐに答えを出せとは言わない。行く当てが無いなら、仕官先を紹介することだって出来る。俺はここで暫く祭壇の浄化をしているから、数日中に回答をしてくれれば良い」
泣きそうな表情を隠しもせず、アレンドラはただ立ち尽くす。
それでも、最悪の結果になった訳ではない。まだ希望は残されている方だろう。
俺は祭壇の前に腰を下ろし、体内の穢れを少しずつ打ち消す作業に取り掛かる。話が終わったと見て、ジャークはアレンドラの肩を抱き、彼方へと消えて行った。
それを見届け、一度息を止める。
「ぐ、かっはッ」
喉奥から、どす黒い血が大量に溢れ出す。
『健康』で誤魔化せる限界を超えてしまった。意識が明滅し、体表を覆っていた影が消えていく。
どうすれば浄化が進められるのか、ぼんやりと考えながら血の上に倒れ込んだ。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。
2023/1/10 追記
拙作「クロゥレン家の次男坊」、TOブックス様より2023年3月20日発売となります。
本日より予約開始しておりますので、書籍版も何卒よろしくお願い申し上げます。