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クロゥレン家の次男坊  作者: 島田 征一
ミズガル領滞在編
12/222

我を忘れる


 ――人の噂も当てにはならぬ。

 目の前にある光景に対して、真っ先に抱いた感想がそれだった。

 聞きしに勝る技前で、ジィト殿がフェリス殿に迫る。油断すれば見失うほどの速さと、受けごと断ち割る勢いの一撃。自分であれば、まず初手で首が飛ぶであろう猛撃を、フェリス殿は凌いでいる。

 勇名を馳せるだけあって、ジィト殿の強さはこちらの理解を超えるものだった。そして……凡夫と称されていたフェリス殿も、私の遥か先を行っていた。

 自分が武に秀でていると己惚れたことはないが、曲がりなりにも伯爵領の守備隊長を務めているのだ。最低限のものは持っていると思っていた。

 だが……自分が、伯爵領が、クロゥレン家に打ち勝てる可能性が、見えない。

 ジィト殿一人だけで、ミズガル家の全兵を切り捨てることが出来るだろう。我々は恐らく、ジィト殿の影すら踏めない。

 圧倒的な才とは、こういうもののことを言うのだろう。そして……これに食らいつけるだけの能力を持ちながら、それでもなお凡夫扱いを受ける子爵領の異常さが恐ろしい。

 比較対象がおかしいのであって、フェリス殿も世間的に見れば充分傑物と言えるだけの力量はある。

 武術の腕は私より多少上程度だが、魔術の腕は国内でも上位に入るのではないか。あの動きに対応出来る魔術の展開速度、そしてその効果と威力。魔術師との戦いはいかに距離を詰めるかが要点であるのに、接近すればこちらが終わるという一種の悪夢。

 領地を守るという、貴族としての責務を果たすためには、確かに強度が必要だ。それは認めよう。だが、そもそも貴族はある種の司令官であって、前線で戦い続けなければならない役職ではない。ああも過剰な戦力を要求されるような地位ではないのに、子爵領では何故それを当たり前に要求されるのだろう。

 私には、才ある若者が環境に潰されているように感じられる。

 クロゥレン家の在り方に言いようのない疑問を覚えながらも、決着を見逃すまいと、私はただ目に力を入れた。


 /


 己の打つべき手が判断出来なくなった時、目に映ったのはジィト兄の長剣が赤錆びて劣化していく様だった。麻痺は『操身』で対処することが出来ても、腐食を浴びた剣はそうはいかない。あの剣は間もなく使い物にならなくなる。

 それに気付いて、ふと剣道三倍段という言葉を思い出した。

 槍や薙刀に対して剣で戦う場合、段位で言うなら三倍の力量が必要という意味だ。では相手が無手ならばどうだろう?

 こちらの人間は脚力だけで姿を消したりするので、前世と同じようには言えない。ただ、間合いを制するという面で、長柄武器には利点がある。

 棒術の心得だけでどれだけ食らいつけるのか、格上相手に試してみようじゃないか。

「シィッ」

 剣の間合いの外からの横薙ぎは、当たり前に躱される。だが、闇を纏わせている分、正確な間合いは読めていないらしい。いつもより大袈裟に、ジィト兄は距離を取った。

 しかし、後退は一瞬。俺の腕が伸び切ったことを悟り、相手は逆に踏み込んで来た。左手首の辺りを狙った突きが走り、慌てて体ごと避ける。

「思い切ったな。でも、さっきよりはマシだ」

 余裕の顔は崩れない。

 長剣がもう少しで腐り落ちることには、流石に気付いているだろう。多分、剣が無くても俺には勝てると思っているだけだ。剣聖などという称号を持ってはいるが、彼は武器が無くとも充分に人を殺せる。

 何せ、強さの理由が極めて解りやすい。動きが速くて力持ち、これだけだ。しかも毒による行動阻害も効かない。単純であるが故に、対応は困難。

 それでも、武器破壊は狙っていく。

 闇による目晦ましと同時、魔核で針を生成する。下半身を狙った飛針は、動作を読まれて避けられるだろう。

 では、投擲以外の挙動が無ければ?

「ふっ」

 振りかぶって、投げる。そして、そのままの体勢で棒に魔力を込め、腕を斬り飛ばすように伸ばす。

 武器も軌道も見えない一撃ならばどうだ。

「お、っと!?」

 ジィト兄は予想通り針を避けたが、肝心の薙刀を受け損ねた。直撃には至らないものの、手の甲の肉が血と共に飛ぶ。

「いいねいいね! そう、そういう工夫だよ!」

「チッ」

 ジィト兄が本気で嬉しそうにはしゃぐ。

 せめてもう少し深手を負わせるか、武器が壊れることを期待していた。二度は通じないであろう技だったのに、効果が薄い。

 相手の武器の状態を確認する。錆びはどんどん広がっているが、完全に腐るまではまだ時間がかかるだろう。

 ならば、もう少し粘る。

 回避しづらい下半身への攻めを軸にする。膝、脛、足首……棒を曲げ伸ばしし、挙動と間合いを常に変化させる。しかしジィト兄はゆらめくような独特の歩法で、決定打を許さない。

「いい加減、に、当たれェッ!」

「ははは、まだまだァ! もっと来い!」

 笑い声が響く。俺は脅威足り得ない。

 自在流、未だならず。己の未熟を嘆く。それでも手は止められない。

 土壁を生成し、背後と左右を塞ぐ。動きの幅は狭まるとしても、あの状態の剣で土壁を斬ったら、その時点で武器は壊れる。だからジィト兄は無茶をしない。ただ、斬る能力が無い訳ではないので、相手を視界に収める必要はある。

 唾液で喉を潤し、前に『集中』する。

 下段攻めを繰り返した後で――実体の無い影だけをこめかみへ向かわせる。そして、薙刀で足首を狙いつつの、本命は水弾による鳩尾。

 的を散らした三点同時攻撃に対し、ジィト兄は影を仰け反って避けると同時、後ろへ跳躍する。一瞬で振り抜かれた剣によって水弾は斜めに断ち割られ、遠くへ消えて行った。

 呆れを通り越して感心する。

「よくもまあ……」

「冷や汗が止まらん! いやあ素晴らしい、フェリスやるねえ!」

 挑まれることが久しく無かったジィト兄は、今、受けることを楽しんでいる。あれが許されるのは、圧倒的な強者だからこそだ。

 ――その余裕こそが、自分を追い詰めていると気付いているだろうか。気付いていなければ、俺にもまだ目はある。

 水弾を斬った衝撃で、剣に罅が入っている。折れることを祈ったが、どうにも結果に結びつかない。水弾ではなく毒弾を撃つべきだったか? いや、見えにくい水弾だったからこそ、あの攻めには意味があったはずだ。

 焦りが迷いを生む。揺らぐな。もっと『集中』しろ。

 薙刀を肩に担ぎ、振りかぶる。両手両足に力を込め、相手を睨みつける。

「ミル姉といいジィト兄といい、格上相手だと本当に攻撃が決まらねえなあ」

「楽に決めたいってのは一種の逃げだぞ?」

「そりゃあ解ってるというか、そもそも、逃げていいならもう逃げてるんだよ」

「確かにそうか」

 会話で時間を稼ぐ。

 そうだよな、長い間待ったんだ、楽しい時間をすぐに終わらせたくないという感情は解るよ。だからこうして乗ってくれる。これくらいで優位は失わない、そう思ってるんだよな。

 剣の罅が広がり、目に見えて根本ががたつく。

 ――でもな、アンタ、素手で俺の毒に触れられるのか?

 待ち侘びた瞬間が訪れる。毒の鎧を可能な限り全力で強化し、薙刀を振り下ろす。

 大振りの攻撃はあっさりと避けられる。ジィト兄は反撃を加えようとするも、限界を超えた剣は振り切る前に砕け散った。

 薙刀を地面に叩きつけ、反動で切り上げに変える。これもどうせ当たらない。己の腕の影で、柄を握り締めたまま殴りかかってくるジィト兄が見えた。

 顎を引き、歯を食い縛る。『健康』に回す魔力も充分、さあ来い!

「せやぁ!!」

 咄嗟に身を縮めたのが功を奏したのか、拳は顔には来ず、鎖骨に叩きつけられる。衝撃で膝が崩れ、骨折の痛みに呻きが漏れた。

「離れ、ろ!」

 石槍を生み出し下から突き上げる。ジィト兄は身を回転させてそれを捌き、おまけとばかりに顔面へ肘を入れてくる。薙刀から手を離し、どうにか腕で防いだ。

 拙い、脇腹が空いた。

 見逃してもらえず、強烈な左鉤突きが肝臓の辺りに刺さる。敢えて踏み止まらず、吹き飛ばされることで距離を作った。

「ぐ、おぇ」

 膝が震える。唾液が口から垂れ、喉は詰まり、巧く呼吸が出来ない。

 しかしそれでも、糜爛の毒を付与することには成功した。ああ、でもここから勝ちに持っていくには、また持久戦だ。

 涙で滲んだ視界の隅で、ジィト兄の姿が消える。やりそうなことは解っている。腕を交差して金的を防いだ。だが姿勢を維持出来ず、俺は宙へと蹴り上げられる。

 確かに、速攻で俺を仕留めようというのは正しい。しかし、触れたら毒を浴びるという状況で、少しくらいは怯まないものか。

 落下しながら、追撃に備える。空中でも身動きが取れない訳ではない。水弾を連射し、その反動で体勢を整えた。ジィト兄も弾幕を突っ切っては来れず、足を止める。

 ただでさえ攻撃の為に無理をしているのだ、爛れた腕での防御は出来まい。相手の受けが無くなると、やはり随分楽になる。

「ッ、ア、うぇ」

 強い毒を使うことが躊躇われるなら、弱い毒を活かす道を考える。吸い込むと咽る毒霧を、なるべく広く流していく。

「く、げほっ、チィッ」

 魔術が巧く練り上げられない所為で、霧には多少ムラが出来てしまう。ジィト兄は隙間を縫うようにして、低い位置から俺に迫った。勢いを利用した水面蹴りが、俺の足首を払う。避ける余力など無く、俺は地面に転がる。

 いかん、倒れたら終わりと解っているのに、立ち上がる力が無い。

 水壁を作り、追撃に来たジィト兄ごと己を包む。更に、水へと毒を混ぜ込み、相手の状況を悪化させてやる。

 歪んだ視界の中で、なお攻めを緩めないジィト兄が、俺の首へと手を伸ばしたのが見えた。

「ァ、ッ――」

 喉を締め上げられ、組み上げた魔術が霧散していく。それでも糜爛だけは切らす訳にはいかない。俺が窒息するのが先か、ジィト兄に毒が回り切るのが先か。

 意識が遠くなっていく。

 何か、何か出来ることはないか。ああ、一つだけ。

 手首に隠している魔核が、指に触れる。針状にしたそれを、ジィト兄に突き刺す。もう目は見えていない。どこに刺さったのかは解らない。

 ただ、首へ込められた力が強まり――骨が軋みを上げた。

 自分の口からもう、気泡が漏れていないことに気付いた。

 今回はここまで。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] どうせやるなら殺すくらい本気でやらないフェリスが悪い 毎回勝負が中途半端な結果で終わるのはストーリーを優先するためで、結果の読める勝負はつまらない
[一言] 誰一人気持ちよく旅立たせてやる人がおらず、痛めつける事しか考えていない狂った家族
2022/08/15 18:08 退会済み
管理
[一言] 「手首に隠している魔核が、指に触れる。針状にしたそれを、ジィト兄に突き刺す。もう目は見えていない。どこに刺さったのかは解らない。ただ、首へ込められた力が強まり――骨が軋みを上げた。自分の口か…
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