河守
倉庫に並べられた木箱に腰掛けて、ジャークと向かい合う。取り敢えず来てはみたものの、別に俺から話題がある訳ではない。誘いをかけた以上、相手には何かあるのだろう。
ジャークは木箱の一つを抉じ開けると、見覚えのある壺を引っ張り出した。封を破り、手をそのまま中に突っ込んで、醤漬けを掴み出す。
「ふぅん……何処で作ったヤツだろ? 漬かり具合がいつもと違うねェ。どれどれ」
大口を開けて顔を上げ、ジャークは醤漬けを頬張る。黒く濁った汁が唇から垂れ落ちるのも気にせず、目を細めてじっくりと魚を堪能している。
……なるほど、アイザンさんが彼を恐れるのも解る気がする。
本人の強さや圧もさることながら、とにかく異様で、何をしてくるか読めないのだ。
その読めない男が首を急に傾け、俺に醤漬けを差し出す。
「食べる?」
「いや、結構」
「それは残念……ちょっとしょっぱいけど、美味しいのに」
仕込んだのは自分だからよく解る。塩加減はさておき、醤漬けは発酵ではなく腐敗に傾いている。普通の人間が食えば、間違いなく腹を壊す代物だ。
だというのに、どうやら本心でジャークは美味いと言っているようだ。もしかしたら実際美味いのかもしれないが、どうしてもその気にはなれない。
「腹は減ってないし、味が濃いのは苦手でね。……で、何か用があるんじゃないのか? それとも単なる暇潰しか?」
「いやいや、まさかァ。ちゃんとした歓迎が出来ないのは申し訳ないけど、そんなつもりじゃあないんだ。御使い様相手に、そんな真似はしないよォ」
御使い様?
俺が何の使いだと?
急な話を巧く飲み込めず、首を傾げていると、ジャークは苦笑いを浮かべる。
「ゴメン、王国だと呼び名が違うんだった。そっちだと受託者って言うんだっけ?」
思わず体が硬直する。
俺が受託者だと知る者は、死んだラ・レイ師とブライだけの筈だ。コイツは何を知っている?
問い詰める前に、ジャークは指についた汁を丁寧に舐め取り、話を続けた。
「この地域には河守って一族がいてねェ、ボクもその一人なんだけど……御使い様が使う儀式の場を管理してるんだ。さっき君から一発喰らって解ったよ。あ、この人そうだな、ってさ。当たってるでしょ?」
殴られた俺はいまいち解らなかったが、ジャークには感じるものがあったらしい。
他人が知る由の無いことを知っている以上、相手の言葉に嘘は無いのだろう。上位存在が絡むのなら、話を聞かざるを得ない。
「まあ、俺が受託者であることは否定しない。まだ日が浅いけどな」
「アッハッハ、そこは経験を積むしかないねェ。……それで、君を呼んだのはさ、実はお願いがあるからなんだ」
「……叶えられるかはさておき、聞くだけ聞こうか」
その前に、醤漬けで汚れたジャークが気にかかる。
俺は大き目の水球を一つ作り、宙に浮かべる。ジャークは嬉しそうに手を洗い、口を濯いだ。
「うん、ありがとう。お願いってのはね……儀式の場を教えるから、ボクに託宣の内容を教えて欲しい、ってことなんだ。残念だけど、関係者ってだけじゃ託宣は見れないからさァ」
確かに、あの空間は有資格者でなければ使えないという感覚はある。与えられる利益が大き過ぎるため、むしろ制限されて当たり前とも言えるだろう。
しかし関係者であるとはいえ、ジャークが託宣を知る意味が何処にある? 受託者以外が使命を果たしたとして、報酬が与えられるのか?
「王国が不利になるような中身じゃなければ、託宣を教えることは出来ると思う。ただ、それを知ってどうする? 何か気がかりなことでもあるのか?」
「あるんだよねェ、これが。河守の一族は、お役目に従事する代わりに異能を強化されてるんだ。でも最近、その感覚に翳りがあってねェ……。心当たりもあるんだけど、それが正しいかどうか確認出来ないかな、って思ったんだよ」
恐らく、ジャークの体感は正しい。上位存在が手をかけた異能は、一般的な人間が持つそれとは違い強力なものになる。その機能に衰えがあるということは……、
「河守が使命を果たせていない可能性が高いのか」
「と、ボクは感じてるね。時間があるなら今からどう? 結構近いんだ」
今後カイゼンの祭壇を利用するかはさておき、場所は把握しておきたいところだ。そうしないと定期的にザヌバ特区まで戻って、託宣を確認しなければならなくなる。
取引としては悪くない。
「託宣に、お前が知りたいことが書いてあるかは解らないぞ?」
「その時はその時かなァ。御使い様を案内するのも仕事の一つだろうから」
「そうか。アンタが納得してるならそれで良い。行こうか」
俺が頷くと、ジャークは心底嬉しそうに笑う。いそいそと醤漬けを片付けると、壁に向かって歩き出した。
「式場までの入り口は幾つかあるんだけど、一つはここにあるんだ」
ジャークは自然体で立ち、細く息を吐く。吐き切ったところで止め、左右の連打を壁目掛けて放った。
数秒続けると、壁の一部がゆっくりと奥に倒れて行く。壁と同じ一枚物の石材で、入り口を塞いでいたようだ。
中に入ると、装飾の無い真っ直ぐな道が続いている。
「じゃ~行こっか。ちょっと走るよォ」
小さな光球を幾つか生み出し、ジャークが先を行く。二歩後ろを、離されないよう付き従う。
平坦な道を軽く走っているだけだが、見ているだけでジャークの質の高さがよく解った。肉食獣に似たしなやかな筋肉と、足音がほぼ聞こえない足取り。武術強度はあちらが上で、武器有りならどうにか渡り合えるといったところか。
いる所にはいるものだ。
割と平穏な日々が続いていたため、少し緩んでいたかもしれない。争いを好まないことと、自らを鈍らせることは違う。やり合うかどうかは別として、対抗するだけの力を維持することは必要だ。
「速くない? 大丈夫?」
「これくらいなら大丈夫だ」
領地で走り込みをしている時と、感覚的にそう大きな差は無い。とはいえ俺もそこまで足の速い人間ではないため、本気を出されたら、すぐに追いつけなくなるだろう。
まあ置いて行かれる筈もないし、今の内に疑問を解消しておくか。
「さっき河守の能力が失われることについて、心当たりがあると言ったが……それは訊いて良いのか?」
「う~ん……正直身内の恥だから言いたくはないねェ。でも、いずれ解ることかァ……」
まあ受託する案件の中に入っていれば、聞かずとも解る話ではある。ただ、上位存在が単純に河守を見限っただけの場合、何の依頼も出ていないということも有り得る。
祭壇が使えるかどうかに関わるので、事情は押さえておきたい。
「河守は結構歴史のある集団で、この街が出来る前から存在してたんだよ。で、式場を守ることと引き換えに得た力で、土地を開拓していった」
街の興りとしてはありふれている。俺は先を促す。
「そうして一族は繫栄し、この土地の有力者としての地位を確立しました、で終われば良かったんだけど……発言力が増しても、河守は慎ましい生活を続けてたんだ。そりゃそうだよね、河守の仕事をしたって、誰からもお金貰えないんだから。だから、河についてのご意見番として働きながら、周囲と足並みを揃えて生きてたんだ。そしたら、クッソしょうもない理由で先代の当主が死んでさ」
笑みを絶やさなかったジャークが、初めて怒りを覗かせる。あまりに忌々しげに吐き捨てるので、何があったか訊いてみたところ、酔っ払った状態で河に落ちて溺死したらしい。
本当にどうしようもない話だった。それはこんな態度にもなる。
口調に怒りを残したまま、ジャークは続ける。
「急な話だったから、充分な引継ぎがされてないんじゃないかって僕は睨んでるんだ。或いはそうでなくても、今の当主には問題があるから、どっちかだろうなァ」
「難がある人物なのか?」
「うんにゃ、ボクは嫌いじゃないねェ。優しい奴だよ。ただ、実績の無い若造が人を引っ張るためには、成果を急がなきゃいけないでしょ? 手っ取り早い方法として、現当主は一族の資産を増やして見せたんだ」
「へえ? どうやって?」
「簡単簡単。河守の仕事の一部を止めて、普通の仕事に就かせたんだ。現金の力は偉大だよ、周りはすぐにアイツを認めた」
個々人の持つ優れた異能を活かすことで、当主は一族全体の所得を増やしたらしい。一般的な当主であればそれで充分秀でていると言えるのだが、上位存在に従う立場の人間が使命を投げ出すのは失着だろう。
いや、しかし……この口振りでは、河守は上位存在と接触する機会を持っていないのか? 実感のない恩恵を、いつまでも信じられる方がおかしいのかもしれない。
「そんな状況でアンタはどうしてたんだ?」
「ボク? ボクは式場の入り口を守るのが仕事。止める訳にはいかないし、お金も欲しかったからさァ。軍に入ったのは、両立が出来るからなんだよ」
……思いの外器用に生きているな。ただ、そう出来る人間は少ないだろう。
「才覚があって良かったな」
「全くだねェ……でも、他の奴等はあっちもこっちも、という訳にはいかなかった。それも本当のことなんだ」
「もう少しどうにかならんかったものかね……一部の人間を出稼ぎに行かせるとか、方法はあったろうに」
一族の長が、一族の生活を向上させたいと願い、そして実行すること自体は理解出来る。これに関しては、上位存在があまり人間のことを考えていない所為もあるだろう。ただ、異能が弱体化すれば、結局はその稼ぎも減っていく。もう少し考えるべきだったな。
溜息を吐いた辺りで、視界の先に立ち並ぶ石柱が見えて来た。目的地が近いようだ。
が、立ち込める空気に、思わず足が鈍る。
「これは拙いな」
不快感――かつて体感した、あの穏やかな雰囲気とは程遠い。濁った魔力が少しずつ漏れている。
「ん? 何かあった?」
「解らないか? 恐らく、場が正常に機能してないぞ。空気が瘴気に近づいている」
一瞬止まったジャークの足が、力強く床を蹴る。俺もそれに倣い、石柱をすり抜けるように全力で祭壇へと飛び込む。
中央にある台座の上には、かつて見た物と同じ、一冊の本が置かれていた。俺がすぐさまそれを手に取ると、ジャークは訝しげな表情を浮かべる。
本そのものが見えていない。やはり河守は、祭壇を利用出来ないらしい。
緊張しつつ開いた中身には、ただ一文のみが記載されている。
「アレンドラ・ズ・キセインを排除せよ。……誰だ?」
「……河守の現当主。魔術師の世界十位だねェ」
噂の水術師か!
順位表に載る人間を相手にする? 俺とジャークでやれるか? いや、自分の一族の主を、同族がやれるとは限らない。しかし俺一人ではまず無理だ。
揃って天を仰ぐ。嘆きに満ちた言葉が、どちらからともなく零れた。
「どうするよ、コレ」
今回はここまで。
年末は立て込むため、本年の更新はこれで最後となります。次回は1/7を予定しております。
ご覧いただきありがとうございました。