不真面目な男
目的の部屋に辿り着き、扉の前で息を整える。周囲を窺うと、曲がり角の先で待機している男がいるものの、こちらに来る様子は無い。
……作業中に騒がれると厄介だ、申し訳無いが少し眠っていてもらおう。
魔核を廊下に放り投げる。男は反射的に武器を抜いて、音の方へと顔を向けた。そうして棍棒を慎重に構え、状況を確認すべく動き出す――魔核を拾うために屈んだ。
ここだ。
曲がり角から飛び出し、誰何の声が上がる前に『昏睡』を直接打ち込む。抵抗も出来ずにあっさり倒れた男を、元居た場所に寄りかからせた。これで数時間は起きない、多少は時間が稼げるだろう。
状況が安定したところで、改めて辺りを見回す。ここに立っていた男は、どうやら奥にある倉庫の警備に当たっていたらしい。ただ、倉庫内部には誰もおらず、膨大な量の積み荷が整然と並べられている。
……検品前か? 後か?
前であればこれから人が来てしまうし、後であれば石が無いとバレている筈だ。いずれにせよ、悠長にはしていられないということになる。
こうなれば、とにかく中に入ってみるしかない。幸い壁は石で出来ており、穴を開けるも塞ぐも思いのままだ。人目につきにくい足元から、部屋の中に首を突っ込んだ。
まず目に映るのは、地べたに座り込む船員達の姿。知っている顔よりも、知らない顔の方が多い。その向こうでは棍棒をぶら下げた男が二人、険しい顔でザナキアさんを取り囲んでいる。
尋問中……と思われるが、全員に聞こえる場所でやるのか?
取り敢えず、全員が取り調べに注目して、俺のことには気付いていない。影を纏って室内に侵入した。
いざという時のため、魔力を溜めながら話を聞く。
「ザナキアさんよ、もう一回確認させてくれ。今回の積み荷はあれで全部なんだな?」
「ああ、その通りだ」
内容的に、尋問は始まったばかりのようだ。男の一人が棍棒を掌に打ち付けながら、首を傾げる。
「おかしいんだよなァ……頼んだ物が一部足りねえんだ。何処かに隠したりしてねえか? 軍は昔っからのお得意様じゃねえか、正直に教えてくれよ?」
「何も隠しちゃいない。船だって調べたんだろ?」
「ああ、まあな。けどなあ、届く筈の物が無いと、俺らも困るんだよなあ?」
石が無いことは、やはり調べが済んでいるか。アイザンさんは醤漬けが大事と言っていたものの……考えてみれば、それを重要視しているのは極少数になるだろう。腐った魚より、石の方が一般的な価値は高い。
暴力をちらつかせている点はさておき、積み荷の行方を調べるのは、まあ通常の職務の範疇だ。まだ止めるには早いな。
ザナキアさんはまるで臆することなく、淡々と対応を続ける。
「何が不足しているかはっきりしてくれ。積み込んだ荷物の一覧表と、船から出した荷で欠けがあるか? 無いなら、最初からそんな積み荷は無かったってことだ」
「確かに表には記載されてねえな。けど、表を作るのはそもそもお前等だろ? どうにでも出来るじゃねえか」
「表の作成を義務付けてるのは軍だろう。それが信じられんなら、今後の提出は不要と見做すぞ」
おお、尤もなこととはいえ、武器を持った相手に結構言うな。反論出来なかったのか、棍棒を持った男の顔色があからさまに変わった。
俺は魔核を一つ針に変え、いつでも投げられるよう握り締める。
ザナキアさんと男は暫く睨み合っていたが、やがて、もう一人の軍人が溜息混じりに役目を代わった。
「あー……一応、俺からも確認させてくれ。表は積み込みを予定されていたものではなくて、実際に積んだ物を記載してるんだよな?」
「その通りだな。軍からの指定もそうだった筈だ」
「いや、たまに勘違いしてる奴がいるんでな。そうか……じゃあ、載せなかった物は何かあったか? 表に無いってことはそういうことだろ?」
話が通じる人間が出て来たことで、空気が少し柔らかくなる。ザナキアさんも肩に入っていた力を抜く。
「出発する時、積み荷を引っ繰り返して乗るのを諦めた商人はいたな」
「荷は載せなかったってことか?」
「ああ、本人が持ち帰った。表の最後にゲンゲンの醤漬けがあるだろ? それのことだ。行先がアンタ等の大将だってんで、アイザンが気を利かせて自腹で追加したんだよ。本来なら載せられない荷物だってことは、アンタ等だって知ってるだろう? 密閉する箱まで用意して届けたっつうのに、こんな真似をされるとは思わなかったね」
「む……。載せなかったのはそれだけか? 他には何も?」
「それ以外は知らんよ。醤漬け塗れの箱の中に、手を突っ込んだりはしないんでな」
……巧い。
自分達の行為を正当化した上で、相手を咎める立場に回った。
今後の見せしめとするため、船乗り達と一緒の部屋で尋問を始めたのだろうが、軍も賄賂の内情に関しては暴露されたくないのだろう。だから軍人達は、何が足りないという具体的なことを伏せたまま話を進めている。
示威行為など考えず、船員を個別に呼び出して事情を聞けば良かったのだ。下手に人がいる所為で、軍人達は迂闊な発言が出来なくなっている。この流れで船員が消されれば、残された連中はどうしたって不信感を抱くだろう。
俺が出しゃばるまでもなく、アイザンさんの延命は出来そうだな。
――そう考えて半ば気を抜いた瞬間、背筋を悪寒が通り抜けた。
部屋の扉が開く。話に集中していたとはいえ、気配を感じなかった。ということは、相手は俺を超える力量か、認識を阻害する異能を持っている。
完全に失敗した、国境沿いに配置されている軍人を侮っていた。廊下には男を転がしたままだし、敵がいることはもう悟られている。しかし今更どうしようもない。
「お疲れ様ァ~」
間延びした声が響き渡る。扉をゆっくりと押しながら、上半身が裸の男が顔を覗かせる。
一目見て、思わず唾を飲んだ。
何だ、何かとんでもない奴が来た。アレが噂のゲンゲン好きか?
満面の笑顔で現れた男は、逆立てた髪の右半分を茶、左半分を青に染めていた。唇には紅が差され、胸には何やら黒い模様が描き込まれている。
武装もしていないのに、ただならぬ雰囲気だ。前世ならばさておき、今世では染髪やら男の化粧といった文化は無いと思っていたが……久々に奇抜な人物を見た気がする。
「どしたの、時間かかってるねェ?」
「ジャーク様! はっ、いえ、荷物に一部不足が見られまして……」
ジャークとやらに肩を掴まれ、軍人達の顔に緊張が走る。ザナキアさんは状況に気圧されつつも、どうにか反論を絞り出した。
「不足はしてねえよ。表に書いてある通りだろ」
「……って、彼は言ってるよ? 何が足りないの?」
「いえ、その……」
男達の反応が明らかに鈍い。恐れか、或いは……上官を通さず賄賂を受け取っていたのか?
ジャークの笑みが深まる。
「足りない物があるんなら、はっきり言ってごらん? 言わなきゃ船員さんだって解んないよねェ?」
「ああ、一覧表と積み荷に差は無い。確かめてくれ」
「どれどれ? ……うん、さっき見て来たけど、全部あったよ。しかし注文したボクが言うこっちゃないけどさ、よく醤漬けを持って来れたねェ? 表に載ってるってことは、こっそり持ってきたんじゃないんでしょ?」
この男、密輸の首謀者であることを隠さないんだな。まあ知られたところで食い物だし、大袈裟なことにはならないのか。
格好もさることながら、会話も独特で内心が読めない。顔を顰めつつ、ザナキアさんは返答する。
「最初に商人が持ち込んだ物は、液漏れを起こしてたんで積み込みを拒否した。今回持って来れたのは、乗客の協力があったからだな。臭いが漏れないよう箱を密閉してくれたんで、たまたま持って来れただけだ。次は無いと思ってくれ」
「そっかぁ、残念だなァ。……でも折角持って来てくれたんだし、ちょっと味見させてもらおうかな?」
言いつつも目線が俺を向く。長い腕を垂らすようにして、ジャークが腰を曲げた。
床に潜ると地下に落ちてしまうため、いつもの手段が使えないことが仇になった。影を覆っているだけなので、見る人が見れば流石に不自然だと解るだろう。
已むを得ず立ち上がる――ただし、術は解除しない。存在は知られても、容貌まで知られなければまだどうにかなる。
針を握ったまま、半身で向き合った。
……おかしな立ち姿だが、圧が強い。武術強度はやはり俺より上か。
「あら、逃げないんだねェ? これは失敗したかなァ」
間延びした声とは裏腹に、目つきは鋭い。
不意に相手の腕がぶれ、鼻先に拳が飛んで来る。顎を引き額で受けながら、針先で手首を引っ掻いた。
俺はよろけ、ジャークの血が床に散る。言葉通り、味見だったから救われた。相手が本気なら術式を維持出来なかった。
だが、次は取れる。
相手は眉を跳ね上げ、口元を引き締めた。
「おやおや、これは……。ねぇ君、やっぱり止めようって言ったら、止めてくれるかい?」
構えを解き、後ろに下がりながらジャークが問う。間合いが読めないため気は抜けないが、やりたくないのはこちらも同じだ。
俺は針を袖口に仕舞いつつ、壁際へ跳ぶ。
「ああ、話を聞いてくれる人で良かったよ。ちょっと、君とやり合うのはしんどいねェ。別にこれは、命を賭けるほどの話じゃない。そうでしょ?」
首肯して返す。俺も船員達を守りながら、軍人三人を攻略するのはしんどい。相手が退いてくれるなら、その方が楽だ。
ジャークは両手を挙げて喜びながら、問いを続ける。
「因みにだけど、君は王国の暗部だったりする?」
首を振って否定する。
「じゃあボクの部下を殺したい……いや、違うか。船員達を保護したいのかな? 書類上、届けられた品に不備がある訳じゃないから、彼等のことは解放するよ。ちゃんと仕事はした訳だし。商人が荷物を持ち逃げしたからって、彼等に責任を問うのは無理筋でしょ?」
言われて腑に落ちる。
意味の解らない物を密輸しようとしていたから、いまいち流れが見えていなかったが……あの商人は賄賂を持ち逃げするために、わざと醤漬けの管理を甘くしていたのか。
中身が零れてしまえば、当然船員から指摘が入り、箱を持ち帰ることになる。後は殊勝な態度で船を見送り、悠々と石を回収して行方を晦ませば、そこそこの金が手に入るという訳だ。
なるほど。別に難しい話でも何でもなかった。
内心で納得していると、軍人の一人が大声で喚き始める。
「待ってください、積み荷をちゃんと届けてこその仕事でしょう! 少なくとも、しっかりとした説明をしてもらわないことには……ッ」
ジャークが振り向き様の裏拳で、男の下顎を吹き飛ばす。血の泡を撒き散らしつつ、男は白目を剥いて床に転がった。
どうにか生きているようだが……あれは時間の問題かな? 軍属でありながら上官に逆おうとは、馬鹿な真似をしたものだ。
「見苦しいよォ? 私腹を肥やすなとは言わないけどさァ、駄目だったんなら諦めなよ。そんなことしてるから、余計な問題を呼び込むんだ」
溜息を吐きながら、ジャークは扉を手で開いたままにする。船員達は何処か怯えながら、周囲と顔を見合わせた。
「積み荷の検査は済んでるだろうから、もう行って良いよ。で、お前は負傷者を連れて行ってちょうだいな。あ、船員の皆さんは一応、今日ここで見たことは黙っててくれるようお願いしま~す」
迫力のある笑みに、船員と軍人は我先にと部屋から逃げて行った。ザナキアさんとアイザンさんは最後までこちらを気にしていたが、残られた方が逆に困る。諦めて出て行った姿を見送り、むしろ安堵した。
部屋には俺とジャークだけが残される。
「はぁ……人の上になんて立つもんじゃないね、参っちゃうよ。……で、君はどうする? 捕まえたりはしないけど、ちょっとお喋りしていく? 相互理解って大事だよォ?」
話すことなど無い。ただ、不覚を取る可能性があるため、迂闊に目を離すことも出来ない。相手を刺激しないよう、慎重になっていると自分でも解る。
しかし、お互いが本当に戦闘を避けたいのなら、相手の一線を知ることには意味がある。
「……良いだろう。こっちだって、別に殺し合いたい訳じゃない。なるべくなら、円満に終わりたいもんだ」
「そうそう! じゃあ、邪魔が入らない場所に移ろうか」
ジャークは朗らかな笑顔を見せると、背を向けて俺を手招きする。
妙な流れになったものだ。倉庫へと向かう背を追って、俺は静かに歩みを進めた。
今回はここまで。
余談ながら、旅情編はフェリスが作った物をサブタイとしていますが、本章が終わったらサブタイは変えます。現状はちょっと良い案が浮かばなかったので、仮につけているものとお考えください。
ご覧いただきありがとうございました。