生真面目な男
緩やかに減速しながら、船が岸を目指す。乗客が船室から自分の荷物を引っ張り出し、下船の準備を始めている。到着は間近らしい。
俺も周囲に倣い、鞄と武器を身に着けた。冷静な表情を保ちながら、上陸を待つ最後尾に並ぶ。
やがて船の動きが止まり、乗客が陸地へと進んでいく。
甲板の縁に手を掛け、外の様子を窺う。背の高い柵が各所に張り巡らされ、周辺が大きく囲われている――岸の何処に接舷しても、決まった場所を通らねば入国出来ないらしい。いかにも物々しそうな建物が柵の出口を塞いでいて、手前にいる男が人を順番に案内している。
このまま行けば手荷物検査や入国審査がある、か?
気配からして、中の人員はそう多くない。別に後ろ暗い物は持っていないが、いざとなれば突破は可能だ。
棒を握る手に力が入る。
密輸や賄賂が常態化しているのなら、何か仕掛けられる可能性はある。物品や金銭の押収が、まず第一に有り得るか。傍から見れば、俺が経験の浅い小僧であることはすぐに解ることだ。どんな難癖が来てもおかしくはない。
どうなるか想像がつかず、少し緊張してくる。
俺の後ろでは、船員達が積み荷の整理をしている。凍結は解除してあるので、いずれは臭いが立ち込めるだろう。俺自身のこともそうだし、彼らのことも気にかかる。
まずは様子を見るしかない。
さりげなく、あまり露骨にならないよう『探知』を発動する。建物へ案内されている人間の気配を読み取る限り、時間はかかっても大体はそのまま外に出されている。たまに二階やら地下やらに向かっているが、これは搬入作業を行っている可能性が高い。ひとまず、部屋があるとだけ記憶する。
前に並ぶ人間の数が減っていく。俺は後ろに視線を遣り、積み荷の状況を確かめる。ザナキアさんが軽く頷いて、台車に箱を並べていた。
段取りを考える――俺自身の入国を速やかに済ませ、積み荷の検査が無事に済むか見届ける。醤漬けを作るまでが仕事とはいえ、船員達が無事でなければ意味が無い。場合によっては、彼らを建物から脱出させるくらいまでは必要だろう。
一度外に出たら、すぐさま気配を消して戻るしかないな。
人の動きで建物の構造を読んでいるうちに、俺の順番になった。重い扉を開け、中に入る。
殺風景な部屋の真ん中に大きな机があり、その前には頬のこけた男が直立していた。姿勢に乱れはなく、神経質そうな眼差しでこちらを見据えている。国境沿いには軍事基地があるということだったし、彼も軍人ということになるのだろうか。
少なくとも、雰囲気はある。
「こちらに来たまえ。早速だが、机の上に持ち込んだ荷物を並べてくれ」
「はい」
印象そのままの低い声。無駄口を叩く人間ではないらしい。圧迫感があるものの、真面目なだけならそれで構わない。
さてどう出るか。
最初に、既に見られている棒と鉈を置く。続いて鞄の中から金や薬、携帯食料等、当たり障りの無い物を順番に並べていく。魔核は大半を隠しているため、不自然でない程度の量を出した。そして最後に組合員証と、家紋入りの短剣を添える。
男はまず、一番解り易いであろう組合員証を手に取り、記載内容を確かめる。
「フェリス・クロゥレン……職人。証は本物と」
証を眺めていた男が、不意に眉を顰めた。机を指先で叩きつつ、俺を上から下まで再度眺める。
「君の年齢は?」
「十五です」
「成人したばかりか。年齢と所有している技能に不整合が見られるな」
そういえば、特区でも怪しまれたな。かといって、正規に取得した資格を抹消する理由は無い。煩わしくとも、いちいち説明するしかないか。
「証の偽造は出来ませんよ」
「知っている。通常考えられるのは、これが他人の物であるか、或いは組合が君に対して何らかの配慮をしたかだ」
写真も発明されていない世界で、俺と証の結びつきを疑われてはどうしようもない。本人しか持ち得ない物を持っているのであれば、本人として見做すのが当たり前だ。
そして、組合が技量の無い職人に対して階位を与えることなど有り得ない。実際に仕事を任せた時、問題が起きる可能性が高いからだ。
疑わしく思うこと自体は否定しないが、流石に難癖が過ぎるだろう。
どう対処すべきか考えていると、男は静かに証を戻す。
「記載されているこの中の、どの技術でも構わない。この場で何かを作り、職人であることを自身で証明出来るか?」
「材料は持ち出しですか?」
「ご覧の通り、ここには他人に任せられるような材料が無い。そうだな……この関所では、入国時に一律で五万カーゼ徴収している。身分証が適正であると判断された場合、その金額と一部相殺しよう」
一方的に取り上げられるかと思いきや、意外に公平な話で来た。金額として適正なのかはさておき、納得はして良い範囲だ。
ただ相殺ということは、そう高額な物は作れない。超えた分を支払ってくれるか期待は出来ないし、この場合は相手の予算限度が五万カーゼだと捉えるべきだ。
簡単に出来て、そこそこ役に立ちそうな物……。
うん、決めた。
俺は魔核を手に取り、長方形の平たい板を作り上げる。ある程度の厚みを持たせた上で、四隅に脚をつけて床に置いた。
手で押すと揺れる……少し脚の長さが合っていない。各部の水平と平行を確認し、調整する。がたつきが無くなった時点で、材質を強化すべく魔力を流し込んだ。
何の工夫もせず、ただ完成までにかかる時間だけを重視した。細部に拘っていない分、安く仕上がってもいる。
「どうぞ、踏み台です」
「……仕事が早いな」
出来映えを確かめるべく、男は踏み台に足を掛けた。雑な仕事とはいえ、実際に使えないような物では意味が無い。余程重い人間が乗らない限り、年単位で使える筈だ。
何度か乗り降りを繰り返して満足したらしく、男は一つ頷いた。
「少なくとも、君が魔核職人であることは確認出来た。惜しむらくは踏み台を使う機会がそう無いことだが、物としては悪くない。三万カーゼを相殺しよう」
「踏み台を使わないなら、脚を長くして椅子にしますか?」
背もたれ無しなら、大して手間は変わらない。俺の提言に、男は少し迷ってから首を横に振った。
「いや、このままで構わん。あくまで今回の件は君の力量の証明であって、私の個人的な注文ではないからな」
まあ本人がそう言うなら、敢えてこちらで強いるほどのこともない。机しか無い、この寒々しい部屋はどうかと思ったまでだ。
早く終わるならその方が良い。
すぐさま切り替えて、俺は話を先に進める。
「他に何か確認することはありますか?」
「……持ち込んだ物に、規制されている物は無いな。組合員証が本物であれば、後は注意事項の通達のみだ。短剣を見る限り、君は貴族であるようだが……当然のことながら、カイゼンでその身分や権力は通用しない。違法行為があった場合、王国貴族は例外無く強制送還され、以後一族全員が入国禁止となる」
貴族であれ何であれ、必要とあらば殺しても良いと俺なんかは思うものの、カイゼンはかなり配慮をしてくれているらしい。まあ一国が俺と同じ意識では困るし、戦争になれば工国側が不利だ。対応としては已むを得ないか。
数十年前に戦争があった際は、王国と工国間での明確な勝敗がつかないまま終わったそうだが、その辺で何か取り決めがあったのかもしれない。
どうあれ、俺に事を荒立てる気は無い。言われたことにはそのまま頷いておく。
男はそれを見て、初めて眉間の皺を緩めた。
「どうやら君は、貴族よりも職人としての考えが強いようだな。なるべくなら、貴族的な態度はそのまま控えておきたまえ。年配の人間の中には、未だに王国への恨みを持つ者が多くてな。迂闊な真似をしなければ、そうそう問題は起きない筈だ」
残念ながら、そういった巡りについて俺は自分を信用していない。決して望んでいないのに、揉め事に巻き込まれるなんて多々あることだ。
ただ男が言う通り、避けられる問題は避けたいところではある。忠告はありがたく受け取ることにした。
「現地の方と揉めるのは、こちらとしても本意ではありません。自衛に努めますよ」
「そうしてくれたまえ。……さて、それでは支払いをしてもらおう。踏み台の分を差し引いて二万カーゼだ」
身構えていた割に、審査はあっさりと済んでしまった。この男が例外なのか、それともアイザンさんの取引相手が悪質なだけか。
取り敢えず、船で現金を調達しておいて良かった。指定の金額を払い、俺は荷物をまとめる。
男と別れる前に両替商の場所を教えてもらい、部屋を出て廊下を進む。街へ出る方の通用口は解放されており、玄関先に兵は二人だけだった。武器を収めたまま、雑談を続けている――警戒心は感じられず、完全に気が抜けている。
俺が立ち止まったまま外に出ようとしないことに、全く気付いていない。これならいつでも戻れるな。
物陰に移動し、建物内の気配を探る。どうやら船員達は、船着き場近くの部屋に固まっているらしい。ザナキアさん達以外にも多数の気配があるということは、別の船の人間もいるのか?
まあ、個人ではなく船ともなれば、積んでいる荷物の量が違う。確認作業にも時間がかかるし、待機中といったところだろう。
今のところは予定通りだな。
床に穴を開け、地下へと潜り込む。警備が手薄な経路を選び、目的地へと走った。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。