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仕込みの時間

 出来る人間は違うものだ。

 色々と店に無理は言ったようだが、デニスさんは必要な物を揃え切って見せた。関係者全員で数量を確認した後、俺は諸々を木箱ごと凍結させ、船室の奥へと押し込んだ。船室の一部が冷えてしまうため、普段は扱わない生鮮食品もついでに積み込んでいた。

 まあ折角の機会なので、稼げるなら稼いで欲しい。

 俺達は何食わぬ顔で事を済ませ、後は努めて平静を保つことを誓い、航行を再開した。

 二日経ったが、誰かが腐臭を訴える様子は無い――今のところ順調だ。

 さて。

 うやむやになったとは言え、船に盾を取り付けることそのものは一考に値する。無理強いすることではないとしても、実現可能かを確かめておいて損は無い。

 俺は船の縁にしゃがみ込んで、盾を取り付けられそうな凹凸を探す。甲板は板材で出来ているため、手段を選ばなければ取り付けそのものは簡単だ。ただ、なるべくなら船体に穴を開けたりせず、状態をそのまま保持したい。

 腰を痛めそうな体勢を暫く続けていると、遠くから声がかかった。

「……何やってんすか?」

 顔を上げると、手が空いたらしいアイザンさんが汗を拭いつつ近づいて来る。お先真っ暗な状況から抜け出した所為か、前より顔色は良くなっていた。

「ん、お疲れ様です。盾の話がありましたからね、発注があるかは別として、やれるかどうかは見ておこうかと」

「ああ。あの二人なら、やっぱり欲しいって言うかもしんないすね」

「でしょう? ただ……甲板に取り付けるなら、何か取っ掛かりが欲しいですね。甲板に傷を付けるのもどうかと思いますし」

「その辺は本人達に聞いてもらわないと。この船はあの二人のもんですから」

 まあ、許可無くやることでもないし、実際に造るなら依頼主の意向は聞くことになる。現状はここまでとすべきか。

 一旦作業を打ち切り、アイザンさんと少し雑談をする。

「フェリスさんは、カイゼンに何をしに? あれだけの魔術が使えるなら、弟子入りとか?」

「いや、俺はあくまで職人で、師匠は既にいますけど……誰か有名な方でもいるんですか?」

「それこそ国境沿いに、水術の名士がいるっすよ。つい最近、世界十位になったんじゃないっけか……」

 ああそうか……最近ということは、ラ・レイ師が死んで繰り上がったということか。河沿いの町にいる、実力派の水術師というのは看板として洒落ている。

 顔を把握しておきたい気もするな。

「興味はありますけど、今回の目的は素材集めですよ。後はまあ、仕掛けというか機構というか……そういうのに関する研究が盛んということなんで、それについて学ぶつもりです。そう考えると、ある意味師匠というか、先生探しにはなりますか」

 アイザンさんは少しだけ笑い、河の流れを見詰める。

「学術院かあ。……ご存知かもしれませんが、首都って学術院が二つあるんすよ」

「へえ? どっちがお勧めとかあるんですか?」

「いや、片方は国の研究者専用の筈なんで、フェリスさんはそもそも入れないっすね。ただ、似たような名前なんでよく間違われるって聞いたことはあります。結構距離も離れてるんで、行く時はちゃんと確かめた方が良いっすよ」

「なるほど。参考にします」

 アイザンさんは名前までは覚えていなかったので、そこは現地で訊くしかないだろう。

 だらだらと話を続けていると、不意に船の動きが遅くなった。何かあったかと船首に目を向けると、どうやら河の中州を基準に、方向を変えようとしているらしい。横っ腹を晒すような形で、船がゆっくりと流されていく。

 こんな所に分かれ道か。

「真っ直ぐ下るんじゃないんですか?」

「まあどっち行っても着くには着くんすけど、こっから先は中州を基準にして、片側を下り、片側を上りにしてます。船を戻す道が必要っすからね。推船(おしふね)は国境の名物ですよ」

「推船?」

 曳船(ひきふね)ではなく?

 下流まで行き着いた船を、どのようにして上流に運ぶのか気にはなっていた。短い距離ならば船を人力で曳いて戻すものの、流れに従って三日も四日も移動しているのだから、そう簡単には戻せない。しかし、ある程度の労力で戻せないのなら、船便そのものが成立しない。

 身振り手振りを交えながら、アイザンさんは続ける。

「国境に推船師ってのがいましてね。水術で河の流れを逆流させて、こう……途中まで船を一気に戻すんすよ。で、そこからは魔術による補助を受けながら、縄で引っ張ると。道中、体格の良い奴ばっかだったでしょ? あれが曳船師って呼ばれる人らっすね」

 衝突の危険があるため、基本的に戻し作業は夜しかやらないらしい。

 なるほど、一般客は宿場町に泊まるため、現場を目にすることは無い訳か。

 話を聞く限り、非常に強引なやり方をしているような印象を受けるが……船を溜めておく訳にいかないことも、また事実だろう。

 魔術がある世界だからこそ生まれた仕事だな。

「フェリスさんなら推船師もやれるんじゃないすか? あの仕事はやれる人少ないんで、支払いは良いっすよ」

「カイゼンの金を殆ど持ってないんで、困ったらやるかもしれませんね」

 幾らかかるかも解らないのに、入学のために貰った資金には手をつけられない。元々持っている金もあるとはいえ、そこまで潤沢という訳でもない。新生活を迎えるために、出費が嵩むのは目に見えている。何処かで稼ぐ必要はどうしても出て来るだろう。

 噂の世界十位を確認がてら、少しだけ河沿いで稼ぐのも手かもしれない。

 何となく今後の展開をまとめていると、アイザンさんは背を伸ばして体を解し始めた。休憩も終わりのようだ。

「さて、俺は仕事に戻りますけど……こっから国境までは、もう一晩ってとこっす。なんで、そろそろ……」

 具体的なことを濁しながら、アイザンさんは船室の方に目を遣る。俺は黙って頷き、立ち上がった。

 さりげなく背を向けて別れ、周囲を探知する。荷物室に入ること自体、見られるべきではないだろう。

 誰の目も向いていないことを確認し、すぐさま影を纏って気配を殺す。身を低く沈め、足音を消しながら速やかに部屋へと潜り込んだ。

 船員は全員作業中。乗客は基本用足し以外、客室に籠ったまま。

 いける。

 念のため、部屋の入り口を凍らせて他者の侵入を防ぐ。奥にある木箱に駆け寄り、中を開く――再確認する。ゲンゲン、醤、壺。詰めた時と変わらない、材料は全て揃っている。

 壺が中で倒れないよう、地術で作った砂を隙間に流し込む。そのまま材料を次々に混ぜ合わせ、一気に陰術の『腐敗』を注ぎ込んだ。壺を軽く叩いてみると、中の液体が何処となくねっとりとした動きになっている。

 初日に見た物より、多少腐敗が進行した感じになった。出来映えとしてはこれで良し。臭いを感じるより先に封をし、木箱も密閉した。

 後は放置しておけば、先方が満足するものに仕上がるだろう。

 一仕事を終え、周囲の気配を窺う。

 ……誰もいない、今だ。

 床に溶け込むようにして、外へ飛び出す。何食わぬ顔をして甲板に戻り、帆の後ろで術を解除する。こういう作業はやはり、思い切りが大事だな。下手に躊躇うと機を失う。

 完璧に事を済ませ、大きく息をついた。

 一応誰かに状況を伝えておくべきと考え、船首へと足を向ける。櫂と風術の力で、岸をなぞるように船は河を進んでいた。こうして作業を見ていると、船員の強度の高さが目に付く。

 船上で外敵から身を守り、そして船を自在に操るため、自然と鍛えられていくのだろう。熟達した船員の力量は、地方の兵士と同等か、それ以上のものを持っている。アイザンさんが、一人で逃げるならどうにかなる、と言ったことも頷けるというものだ。

 俺は作業の邪魔にならない位置に陣取り、たまたま目が合ったザナキアさんに握った拳を示す。小さく頷き合い、そこで視線を切った。

 合図を決めていた訳でもないが、伝わりはしただろう。

 ……それはさておき、このまま行くと、俺の目測では中州に掠りそうな気がするが……どうするのだろうか?

 岸辺には三人の男達がおり、手を大きく振って方向転換を促している。ザナキアさんは彼らに向かって声を張り上げた。

「手ぇ貸してくれぇ! 風当てろォ!」

「あいよぉ! せえ……のぉ!」

 岸辺にいる男達――魔術師だったらしい――が、声に呼応して風を巻き起こす。巧い具合に帆が風を受け、舳先の角度が変わった。勢いの割に揺れは感じさせない、見事な操船だ。

 岸辺の男達は、両手を回して快哉を上げている。こちらの船員も両手を回してそれに応えていた。

 なるほど、船の方向を大きく変えるとなると、やはり衝突事故は起きるのだろう。彼らはそれを防ぐため、ここに控えている訳だ。

 あまり魔術に依存しない方法を研究しているように思っていたが、むしろ現場で使える要素をとにかく増やそうという発想なのかもしれない。そうだとすれば、個人的には好感が持てる。

 人にしろ道具にしろ、使えるものは使ってこそだ。そうでなければ発展など望めない。その貪欲さが、こうした旅をより安全で確実なものに変えてくれるだろう。

 ――しかし、風か。

 折角機会をもらっても、結局、ミル姉から風術はまともに教われなかったな。

 着色のため属性魔術を学ぼうとしたのに、それは時間が許さなかった。勉強は割と好きな方なのに、どうにも巧くいかないものだ。

 何をするにしても、俺は間が悪い気がする。

 今度は機会に恵まれると良いなと、ぼんやり行く末を考えた。

 今回はここまで。

 先週は体調不良のためお休みをいただきました。イレギュラーがなければ、次週以降はまた通常営業に戻ります。

 ご覧いただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] なんだかんだ、鍛えられた職人の技で発展する所からなんですよね。 標準化は、世界がそのレベルに達したときにでも。
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