届け物はなんですか
客室で歓談しているうちに、最初の宿場町に着いていた。
大きな揺れも、チージャが船に突き立つような音もほぼ無かったため、船員が到着を告げるまで誰も気付かなかった。
道中が穏やかで、客としてはありがたい限りだ。
流石に船員達は汗だくで息を切らしていたものの、表情には満足げなものが浮かんでいる。
「それでは、本日はここで停泊いたします。明日の出発まではご自由にお過ごしください」
船員の一声で、各々が散り散りに町中へと向かって行く。俺もまずは宿を探すべきか。
さて何処に行こうと考えていると、デニスと呼ばれていた男が俺を手招きしていた。
「おう少年、空いてたらメシにでも行かんか? ザナキアが魚料理してもらうって言ってるぞ」
ということは、チージャが獲れたのだろうか?
地の物は美味いと相場が決まっている。誘ってくれるのなら、味わっておくべきだろう。
「よろしければ是非」
「来い来い。お前には働いてもらったしな、メシくらい出すさ」
吐きそうになっていた時と違い、デニスさんは張りのある声を上げる。数時間に及ぶ仕事の後だというのに、まだ体力は充分らしい。
先導に従って歩いて行くと、食堂と言うより広い小屋といった風情の建物に辿り着いた。軒先に食卓と椅子が乱雑に並べてあり、屈強な男達が酒を片手に飯をがっついている。すぐ近くでは店主と思しき人物が、魚を焚火で炙っていた。
串に刺さった魚の脂と、焦げた漬けだれの匂いが食欲をそそる。
「おう、こっちだ」
ザナキアさん達が手を挙げて俺達を呼ぶ――が、船員が全員揃っていない。そして卓上には酒ばかりで、誰も食事を摂っていない。
「お待たせしましたか?」
「いや、別に? まあ座れよ。適当に頼んでおいたから、もうちょいしたら飯も来る」
「ありがとうございます」
勧めに従い席に着くと、デニスさんが周囲を見渡して疑問を口にする。
「……ゴーマとガッツェは?」
「娼館に行った」
「飯も食わずに?」
ザナキアさんは黙って頷く。まあ重労働の後に酒が入ると、その気になるより先に眠くなってしまう。割り切って性欲を取ったのだろう。
「アイツ等のことは放って置け、朝までには帰って来るだろ」
「いや、追っかけようとまでは思わんけどな。で、アイザンはどうした」
もう一人の船員であるアイザンと呼ばれた男は、何処となくぼんやりしたまま、酒を少しずつ啜っていた。暗がりではっきりとはしないが、どうにも顔色が悪いように見える。
彼は包帯を巻いた腕を叩きながら、掠れた声でぼやく。
「チージャ相手に不覚を取ったんすよ。ちょっと自己嫌悪です」
「ああ……アレか。最初の一発は仕方無え。むしろ、その後が悪かったな」
デニスさんの話によると、死角からの突撃を防いだら反対からもう一匹飛んで来て、背中に直撃したらしい。体勢を維持出来なくなり、最終的にアイザンさんは腕を犠牲にしてその場を凌いだそうだ。余談ながら、受けきれない時はいっそしゃがんで的を小さくした方が、生存率は上がるとのこと。
顔色が悪いのは、出血が多かったからか。
「出血の後は、魚や貝を摂ると良いですよ。体が血を造るための素になります。それと、余計なことかもしれませんが、やはり防具が必要なのでは? 厚手の長袖を着るだけでもかなり変わって来ると思いますよ」
本人達は今までのやり方に慣れているだろうし、半袖が動きやすいことは事実だとしても、それは無傷でいられてこその話だ。俺なんて自分の未熟を嫌と言う程知っているため、半袖から遠ざかって久しい。強度が上がれば肉体も強くなるとはいえ、露出している肌が弱点であることに変わりは無い。
それこそカイゼンには強い繊維があるのだから、良い防護服が作れるだろうに。
防具について話し込んでいると、横合いからすっと盃が差し出された。思わず目線を上げると、女性店員が笑顔で酒を置いて、手を振って去って行く。
……これ俺の分か?
怪訝そうな表情を察したのか、デニスさんは自分の盃を手元に引き寄せながら俺に言う。
「この店は、何も頼まなくても最初の一杯は勝手に出て来るぞ。どうせ皆飲むからな」
「なるほど」
話が早い、と言うべきなのだろう。きっと。
酒が嫌いという訳でもないし、ありがたくいただくことにした。
飲み物も揃ったところで各々が器を手に取り、まずは乾杯する。肩肘の張るような挨拶は無く、何となくで始まる辺りが気楽で非常によろしい。
遅れて食事も提供され、全員が喉を潤したところで、ザナキアさんは話を戻すべく懐から額当てを取り出した。
「さっきの防具の話なんだが……こういう小さめの板金を、腹や背につけたような上着を作れないか? 腕さえ空いていれば、盾の動きには影響しないだろう」
「一種の鱗鎧ですか。板金は作れるとして、服は自信がありませんね。裁縫を頼める業者はいませんか?」
出来ないとは言わないにせよ、正直な所、あまりお勧めしたい代物ではない。板金一枚につき魔核を一つ使うと考えると、消費が激し過ぎるし値段も上がる。
やらない方が双方にとって良い。
遠回しに拒否すると、ザナキアさんも当てが無いのか、微妙に困った表情を浮かべる。
「業者を探すなら特区に戻るか、カイゼンまで下るしかねえんだよな。あー……じゃあいっそ、発想を変えるか。甲板に設置出来るでかい盾だったらどうだ? 攻撃の方向を絞れるだけで、かなり楽になる」
作業場に陣地を作ってしまうのか。それなら複雑な工程も無いし、まだ現実的だ。揺れのある船上で、盾を固定する方法さえあればやり様がある。甲板の状態を再確認する必要があるな。
「後で設置したい場所を教えてください。盾そのものは造れるとして、衝撃に負けて倒れたんじゃ意味無いですから」
「お、やれそうか」
詳細について詰めていくうちに、ザナキアさんとデニスさんは、船の新装備に早くも目を輝かせ始めた。酒が回っていることも相俟って、やたらと楽し気だ。
一方、アイザンさんは酒が悪い入り方をしたのか、どんどん表情が暗くなっていく。目は虚ろで口数も減り、反応も鈍い。
元々は彼のような負傷を減らすための話し合いなのだから、自分の感情はさておき、もっと参加すべきではなかろうか。いやそれ以前に、体調が回復していないか?
「アイザンさん、大丈夫ですか? 調子が悪いなら、無理せず休んだ方が……」
声かけでこちらを向いた瞳に、涙が滲んでいる。
……なんだ、泣き上戸か?
何が来るのか身構えていると、震えた唇がようやく開かれる。
「……俺のために色々考えてくれることはありがたいす。でも無駄な金がかかるし、止めてください。二人もそんなの無くたって、普通にあそこを突破出来るでしょ」
「なんだ、そんな気にしてんのか? 確かにうちは稼いでる方じゃねえけど、職場環境のための金くらいは出すぞ?」
ザナキアさんの慰めに、アイザンさんはただ首を横に振る。何か覚えのある――いつぞやのクインのような、思い詰めた表情だ。
俺は厄介事の気配に、『健康』を起動して酔いを打ち消した。酒で頭が鈍っていたとはいえ、ここまで来れば、アイザンさんが言いたいことは大体察しがつく。
慣れているであろう作業を、失敗してしまう理由。
「あー……密輸の失敗は、命に関わるんですか?」
「おい、フェリス!」
「ザナキアさん。止めなくていいすよ」
大の男が泣きそうなくらい落ち込んで、何も手につかなくなるような理由が、俺にはこれくらいしか思いつかなかった。
わざわざ暴く必要はないかもしれない。ただこうでもしなければ、話が進みそうにない。
果たして、アイザンさんは観念したように頷いた。
「俺だけなら、逃げちまえばどうにでも。ただ、カイゼンには家族がいるんすよ、見捨てる訳にはいかんでしょう……。俺は多分、今回の責任を取らされます。だから……だから、装備は要りません」
告白は、嗚咽に変わっていた。
認めたことで、ザナキアさんとデニスさんの顔色が変わる。俺は二人を宥めつつ、声を抑えるよう注意する。内容が内容だ、大っぴらに話すようなことではない。
何をどうしたものかと悩んでいると、怒りで赤くなったデニスさんが、盃を握り締めながら声を絞り出す。
「……お前なあ、そんな事情があるなら言えよ! 言ってくれりゃ、こっちだって何か考えたよ! 何で石を返したんだ!」
「違いますよ! アイツが本当に欲しいのは醤漬けの方だ!」
ん? 醤漬け?
反論に、全員の動きが止まる。
「石は……いや、石も必要なのかもしんないすけど、本当に必要なのは醤漬けの方っす。嘘じゃありません」
「いや、だって……腐ってるだろ? あれ届けてどうすんだ?」
ザナキアさんの疑問は尤もだ。上流でも鮮度を保てていないのに、下流まで待ったら状況はもっと悪化する。
何か他の使い道でもあるか? 蟲なら寄って来るかもしれないが。
アイザンさんは歪んだ顔を両手で覆い、項垂れた。
「喰うんすよ。笑いながら、美味そうに喰ってましたよ。最高だって。俺には解んねえ」
常軌を逸している。そんなの俺らにだって解らない。
知る人ぞ知る珍味と言うには、如何せん無理がある臭気だった。アレを口にしようと思うことすら出来なかった。
ああそうか、素直に考えれば良かったのか――何の捻りも無しに、本当に醤漬けの密輸を狙うとは。
先入観に囚われていたな。
家族の身柄を押さえられている以上、アイザンさんは命令に従うしかない。とはいえ、物が無ければ処分されるとしても、状況は最悪というほどでもない。材料があれば醤漬けは作れる筈だ。
「お二方。この宿場町で、ゲンゲンと醤は手に入りますか?」
「デニス、どうだ? お前この町詳しいだろう」
「……手に入るとは思う。ただ、あんな臭いのする物を船内で保管し続けるのは無理だ。船室に籠ってる客は絶対に気付く」
密輸が明るみに出るのも拙いし、道中耐え続けるのも地獄だ。しかしそれについては、俺に策がある。
「デニスさん、材料を集めて下さい。物さえあればどうにでもします」
勿体無いと思いつつ、俺は卓上にあった魚の切れ端を掌に載せ、陰術を流し込む。あっという間に魚は変色し、独特の臭いを放ち始めた。周囲の迷惑になるため適当なところで冷凍し、地面に埋める。
こっそり水で手を洗うものの、また臭いがついてしまったことが少し悲しい。
三人は驚いたように俺の手を見詰め、固まっていた。
「勿論お代はいただきますけどね。材料を凍らせておいて、到着間近になったら全部まとめて腐らせましょう。今回の一件が終わったら、アイザンさんは家族と一緒に逃げればよろしい。これでどうにかなりませんか? 船員は減ってしまいますが……続けられた方がむしろ危険ですよね?」
「そうだな。人材は惜しいが、命を賭けろとまでは言えん。俺は知り合いの店を当たってみる。……少年、お前がいてくれて良かった」
デニスさんは燃えるような目付きで酒を飲み干し、自分の食事を口いっぱいに詰めて席を立った。ザナキアさんはすぐさま会計を済ませ、アイザンさんの腕を取って体を引き起こす。
「アイザン、船に金はあるな? フェリスにちゃんと金を払えよ」
「助かるんなら安いもんすよ。全財産、持って行ってください」
一応幾らあるか聞いてみると、百五十万カーゼあるらしい。
そんなには要らない。
「逃げた後も金は必要でしょう。材料費込みで五十、即金で貰えれば構いませんよ」
職人ではなく魔術師としての仕事だが、実入りとしては悪くない。
アイザンさんは頭を下げ、泣きながら礼と謝罪を繰り返していた。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。