少女と釣り竿
長旅になるとは解っているものの、いつまでも後ろを振り返るような、そんな別れは似合わない。
各々と軽い挨拶を交わし、すぐさま中央を出発した。
カイゼン工国までは大河を渡る必要があるとのことだったので、まずは船の出る王国東部のミージャン特区へと足を向けた。
「……割と栄えてるな」
交易の玄関口ということもあり、ザヌバ特区と違ってこちらは結構な数の人間が犇めいている。区内に入ると、筋骨隆々といった男達が、汗を光らせながら連れ立って歩いていた。水産業は力仕事が多く、こういった人員が集まりやすいらしい。
なるほど、今まで行ったことのあるどの土地とも趣が違っている。
さて、まずは船の日程を確認しなければならないが……その辺を歩いていた男の一人に、取り敢えず声をかけた。
「お仕事中すみません、船着き場の場所を知りませんか?」
「あん? 船着き場は幾つかあるぞ? 漁船と旅船とじゃ場所が違う」
それもそうか、全てを一か所にまとめる理由も無い。
改めて旅船の場所を聞き出し、男に小銭を握らせる。気を良くした彼は、船着き場近くの美味い食堂の情報を追加してくれた。
感謝を述べて、再び歩き出す。
単なる旅人と地元民との交流――余計な裏読みをしなくて良い他人というのが、心を軽くしてくれた。実際、最近の俺は荒んでいたのだろう。
上位貴族と張り合う必要も無いのに、分を弁えず振舞っていた。職人としての腕と、狩猟者としての強度。俺が人より優れているのはそれくらいのものだ。権力者に噛みついたって、何も良いことは無い。
ひっそりと、当たり前の人間として暮らしていこう。何より今は、モノ作りを見直したい。
今後の人生について思いを馳せていると、話のあった船着き場を発見した。ただ近くには小屋が点在しており、何処かで乗船料を払うのだと思うが、よく解らない。
誰に聞こうか迷った挙句、桟橋で河を眺めている少女を選ぶことにした。
「ねえ、ちょっと良いかな」
「なあに。あたし今忙しいの」
振り向いた顔が明らかに不機嫌そうだ。外れを引いたかと思いつつ、首を傾げて問う。
「ごめんね。俺、船に乗りたいんだけど、何処に行けば乗せてもらえるかな?」
「あそこ」
眉根を詰めたまま、素っ気なく少女は小屋の一つを指差した。青い壁の小屋で、神経質そうな男が何やら木箱を積み上げている。
なるほどアレか。
「ありがとうね」
「ん」
礼を言って小屋に向かうと、男が作業の手を止めて顔を上げた。近くで見ると、やけに二の腕が逞しい。ただの一般人の筈なのに、殴り負けそうな体格をしている。
男は額の汗を掌で拭うと、呼吸を整えつつ俺に向き直る。
「お客さんかい?」
「ええ。カイゼン工国まで行きたいんです」
「一番早いのだと、明後日の朝便だ。夜が明けたらすぐにここを出るんで、遅れないように来てくれ。支払いはその時にな」
ついでに市場やら宿の位置などをつらつらと述べ、男は再び作業に戻った。対応に慣れているのか、頗る話が早い。
「あー、すみません。幾つか教えてください。食事は自分で用意するってことで良いですか?」
「そうなる。まあ一日に一度は陸に上がるし、その時に飯を済ませたって良いぞ」
聞けば河沿いには宿場町が幾つかあり、そこで休憩を取るとのことだった。船そのものがあまり大きくないため、積み荷は選べとの注意を受ける。
金と使い慣れた道具があれば、どうにかなりそうだ。
準備する物を考えていると、男は思い出したように付け加える。
「ああ、もう一つ。最低限飲み水は確保しておいてくれ。毎回河の水で済まそうとする奴がいるんだが……腹を壊しても医者はいない。病気が怖いんでな、狭い船内で漏らすような奴は、そこですぐに降りてもらう」
「……なるほど、解りました」
男の目は本気だった。
まあ、河の水なんてどんな寄生虫がいてもおかしくはない。衛生環境が悪くなった所為で、船内に伝染病が広がったら大事だ。酷に思えても、そこは厳格にせざるを得ないのだろう。
しかし、水か……ふとした閃きが口をつく。
「水術を使えますが、船賃は安くなりますか?」
「樽一ついっぱいにしてくれるなら、安くしてやるよ。ただ、旅の前にわざわざ疲れる真似をせん方が良いとは思うぞ」
男が小屋の戸を開けると、中に空の樽が幾つか並んでいた。そこそこの容量はありそうだが、極端に大きな物ではない。慣れていない人間ならさておき、これなら楽勝だろう。俺は樽の栓を抜き、試しに一つを満たしてやった。
「どんなもんでしょう」
男は掌で樽の水を受け、徐に口をつける。暫く口を濯いでから、地面へと吐き出した。唇を曲げて暫し動きを止める。
「……やるな、坊主。因みに、どれくらいの数いける?」
「ここにある分くらいなら、全部やれますよ」
「カイゼンまでの金は要らん。樽を二つ持ち込んだとして、一つ空になる度に満杯に出来るか?」
「お安い御用です」
男は大きく頷くと、分厚い手をこちらに差し伸べた。
「お前を歓迎しよう。是非俺達の船に乗って欲しい」
差し出された手を強く握り返す。商談成立だ。
聞けば、カイゼンまでの運賃は大体三十万くらいが相場らしい。それがタダになるのなら、水を出すくらい大したことではない。お互いにとって有益な遣り取りだった。
あれこれ話している内に別の団体がやって来たので、邪魔にならないよう頭を下げて小屋から離れる。
ひとまずこれで良し。次は宿を押さえるか。
教わった道に戻ろうとすると、先程の少女が視界に入った。何かをくっ付けようとして、巧く行かずに地団太を踏んでいる。元々は釣り竿だったらしい、半ばから二つになってしまった棒を握り締めて、彼女は唸りを上げていた。
「折れちゃったのか?」
「うん。落とした」
忙しいのではなくて、困っていたのか。落としただけで折れるということは、素材が良くない?
「どれ、見せて」
釣り竿を借りて確かめる。子供用だからなのか、中は空洞だし素材も薄い。棒というよりは筒といった方が正しい造りだ。
なるほどこれは、落とせば割れるな。
欠片の一部は風で飛んで行ったらしく、補修は難しい。いっそ一から作り直したくなるが、中身が詰まったものにすると、子供の力では扱えなくなってしまう。これはこれで正しいのかもしれない。
どうしたものか。
「直る?」
「うーん……これは材料が無いと直せないな。新しいのだと駄目?」
「新しい方が良い!」
少女の目が煌めいて、俺は思わず苦笑する。確かに新しい方が良いよな。
俺は風に晒されている樹に近づき、枝を一本失敬した。振ってみるとよく撓り、簡単に折れる様子は無い。釣り竿として使えると判断する。
余計な葉や瘤を鉈で落とし、多少表面を削って軽くする。原始的な釣り竿だ。
「ちょっと持ってみて」
「ん!」
少女は釣り竿を手に取ると、そのまま思いっきり振り下ろした。風を切る音がして、竿の先端が地面を掠る。身長に対して少し長いか。
持ち手と先端を少し切って調整する。先端に穴を開け、糸を通してひとまず完成とした。
「これでどうかな」
少女は河へと竿を振り、飛んで行った針に興奮して鼻息を漏らした。満足してもらえたらしい。
「おっきいの、釣る!」
「頑張ってね」
子供らしい切り替えの早さで、彼女はもうこちらを向くことも無く釣りに没頭していた。まあ、そこそこの仕事が出来ただろう。こういう時間も悪くない。
独り言ちて少女に背を向けた瞬間、一際強い風が吹いた。砂埃に思わず目を細める。
――ありがとうね。
「ん?」
知らない人間の声。振り返れば誰もいない。
「は?」
何だ今の? あの子は何処に行った? まさか落ちた?
慌てて桟橋に駆け寄り、少女を探す。周囲への影響も考えず全力で探知しても、何も引っかからない。陸にはいない。河にもいない。
少女の気配だけが、何処にも無い。
「……何だそれ」
ちょっと待ってくれ、あの一瞬で俺の探知を抜けられる筈が無い。その辺にいる男達が、探知の魔力に驚いて硬直していた。
「な、なあ、アンタ等、ここにいた女の子を知らないか?」
身振り手振りで説明するも、男達は後退りながら顔を見合わせる。
「……女の子? この辺で子供なんて見たか?」
「いや……? 俺らはずっとここで作業してたけど、桟橋には誰もいなかったぞ?」
「釣り竿を持った子だ、解らないか?」
重ねて問いかけても、否定だけが返って来る。
どうやら全員、嘘は言っていないようだ。男達は俺の魔力に怯えているようなので、迷惑をかけないよう圧を引っ込める。頭を下げて詫びると、釈然としない顔付きで男達は作業に戻って行った。
俺だけが戸惑いを抱いたまま、河沿いをみっともなく右往左往している。
「ええ……?」
俺の知覚を上回る異能? 空間転移なんて実在するのか?
状況に置いて行かれている。何が何だか解らない。
少女が立っていた周辺を改めて探すと、先程の釣り竿の欠片が粉末になって散らばっていた。魔力を通してよくよく確かめてみれば、極めて粒の小さな魔核が山を作っていると解る。蟲から針でようやく取り出すような、普通は捨て置かれる物。俺にとっては宝の山でも、魔核職人以外にはゴミでしかないだろう。
これを持って行けということか?
お礼をされるほどのことはしていないが……何となく、これが仕事に対する報酬だと感じる。首を傾げながら丁寧に粉を集め、空の革袋に詰め込んだ。
取り敢えず使い道はあるし、ありがたくいただきます。
「……宿、探すか」
思考を放棄して歩き出す。考えても解らないことに拘ったとて、結論が出る訳もない。
何だか気力を持って行かれてしまった。
馴染んだつもりだったが、やはりここは異世界だ。俺の常識など高が知れている。そんなことを実感した。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。