夕に願う
アヴェイラ・レイドルクの不始末が露見した際、状況を覆すことが難しいと判断したインファム・レイドルクは、複数の違う噂で真実を上書きしようと試みた。
家柄に傷が付くということもあれば、他家に弱みを見せるからということもあっただろう。ただ何よりも、インファムは父親として、アヴェイラの名誉が穢されることを嫌った。
死亡そのものを隠すことは出来ない。本人が勤務すべき場所に現れないからだ。
ただ、近衛兵隊長と副長がどれだけ真実を語ろうと、他人の耳にそれが届かなければ、加害者であるという事実を伏せられる可能性が残っている。
問題は、誰がその噂を流し、制御するのか?
鉱石の流通経路を握られている伯爵家は、その役割を押し付けられることとなった。
「アヴェイラと恋仲であったラジィを、どうすべきか私には解りませんでした。今でこそ少し落ち着いていますが、死んだという話を聞いた時点で、ラジィの狂乱振りは酷いものでした。レイドルク家の醜聞についての真実が流れ込んで来る中、身内に事実を伏せつつ、私は噂を操作せねばならなかったのです」
そしてそれが滞れば、鉱石の出荷量を絞られ領が苦しくなっていく。減った分の収益を補うために、中央での職務に拘らざるを得なくなる。
不安を抱えたままやるべき業務は増え、胃を悪くした辺りで、ガーダンは霞酒を頼るようになった。しかし、薬を飲むようになったところで状況は改善せず、徐々に体調も悪化していく。
中央にいられる内に、少しでも抱えている案件を片付けたい――フェリスが呼ばれたのは、そんな理由だったらしい。
なるほど、経緯は理解した。
「今はレイドルクに関する隠蔽はどうしているんだ?」
「以前と同様に続けております。ただ時間も経ちましたし、貴族間にもある程度情報は広まったでしょう。もう効果はほぼ無いのではないかと」
そうだろうな。
アヴェイラをどう判断したにせよ、もう各家の中での結論は出ただろう。続けたところで、別に連中の意識は変わるまい。やり切った時点で、ガーダンは破綻を感じつつも、終わりを引き延ばすしか無くなってしまった。
話を聞き、フェリスは心底悔やむように項垂れる。
「ああ……それさえ知っていれば、もっと別のやり方があったのに」
「フェリス殿、どうした?」
「……伯爵、インファムは既に死んでいます。怯える必要はもう無いのです」
インファムが死んでいる?
ブライに与していたことは把握しているが、その後の消息が不明となっているため、処断を恐れて逃亡しているものだと考えていた。そんな話は知らない。
誰もが驚きをもってフェリスを見詰めているが、当の本人は頭を掻き毟り、嘆きながら続ける。
「先の騒動ですよ。混乱に乗じ、インファムはアヴェイラの仇を討とうと私の姉を襲撃しました。姉が生きている以上、結果はお解りでしょう」
あの男なら、やりそうなことではある。そして、結果も意外なものではない。だが、何故事実が発覚しなかった?
ガルドが思わず口を挟む。
「あ……、いや、話は解ったが、亡骸はどうしたんだ? 中央には何の報せも入って来ていないんだ」
「戦闘後は治療院に運び込まれたから、そのままにした筈だ。多分、魔獣に持って行かれたんじゃないか」
中央近辺は魔獣の数が少ないとは言え、皆無ではない。食い出のある餌はさぞ歓迎されただろう。となれば遺品の回収も、今となっては難しい、か。
反乱の可能性が一つ消えた。差配を変える必要が出て来たな。
「別に隠してもいませんでしたし、そもそも知らないとは思わなかったのです。お伝えしていれば、流通に関してはもう少し対処が出来たのに……」
ガーダンは椅子から飛び跳ねると、跪いてフェリスの両手を取る。
「いや、いや、良いのだ。そんなことを言わないでくれ。こちらの内情まで把握している方がおかしい。君達は、ヴァーチェの苦難を取り除いてくれたのだ。どれだけ言葉を尽くそうと、私の感謝を表すには足りないくらいだ。……ありがとう、フェリス殿。これで我々は、領地の心配をせずとも暮らしていける」
枷が一つ外れたことで、ガーダンは歓喜の涙を浮かべていた。青白かった頬に朱が差している。
インファムが死んでいるのなら、流通を元の状態に戻しても、誰も咎める者はいない。家族全員を失い、一人で奮闘するウェイン・レイドルクにその余裕は無いだろう。
出荷の状態が戻れば、伯爵領が黒字転換するのは想像に難くない。
途中で道を外れそうになった感もあるが、領地については巧い具合に落ち着きそうだな。
とすると、残る問題は一つか。
「……ガーダン。ラジィ・ヴァーチェについてはどうするつもりだ? あの男はクロゥレン家を敵視していると聞く。ある程度の情報を開示しないことには、禍根を残すのではないか?」
「そう……ですね。何処まで話すかは迷わしい所ですが……クロゥレン家に対する隔意はどうにかしなければならないでしょう。当家の恩人に仇成すようであれば、貴族籍の剥奪も考えねばなりますまい」
貴族籍の剥奪と聞いて、フェリスが渋い表情になる。首輪が外れてしまえば、ラジィが次にどう動くかなど目に見えている。それはむしろ逆効果だ。
仕方が無い、ここは私が動いてやるか。
「いや、そうであるならば、本人を幽閉するか処断しろ。兵士としての職務に就いていた以上、あの男は戦える人間だ。強度のある危険思想の持ち主を野に放ってはならぬ」
どさくさに紛れて、自ら手を下すことを避けようという意識が透けている。ヴァーチェもレイドルクも、不出来な子を可愛がる悪癖は一緒か。
しかしフェリスの為だけではなく、ここで甘やかすと後で仕事が増える。
「お前にとっては子であっても、他人からすれば アレは立派な大人だ。好いた女が悪事を働いたからといって、わざわざ伏せるようなことではない。信じるかどうかは本人次第だろうし、本当に好いているのなら、短所も含めて愛すべきなのだ。お前はラジィを大切にする余り、本人の成長を妨げている」
フェリスの渋面がこちらへと向けられた。そんな顔をせずとも、自分でも小賢しい発言だということは理解している。ただ、そんな当たり前のことを、誰もガーダンに言わなかったのだ。誰も言えないのなら、立場がある人間が苦言を呈してやるしかない。
むしろ被害者であるクロゥレン家が、真っ先に苦情を出すべきだろうに。
……いや、言ってどうにかなる人間がいなかったか。
「まあ、良い。これからのことは当事者同士で決めるべきことであって、私が口を出すことではない。裁定について不満はあるか?」
「いえ、ございません」
「そうか。では、私は城に戻る。体を労れ、ガーダン。またお前の顔を見られることを祈っている」
伝えるべきことは伝えられただろう。
ガルドを伴って席を立つ。
有意義な時間だった。さて、人事をどうするか、何件か考えねばならぬな。
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面倒な奴がいなくなって、場の空気が軽くなった。ラジィが放逐されるという最悪の可能性も消えたことだし、俺としてはまずまずの結果だろう。
まあ……ダライを信用することは今後も無いにせよ、今回の件については評価しても良い。
なんだかどっと疲れた。肩の力を抜き、ようやく茶を口にする。
「はは、緊張したのかね」
「……そうかもしれません」
ダライが敢えて伯爵家の人間を暴走させて、刃を自分に向けさせるという可能性は、最後まで否定出来なかった。何をやるか解らない相手の監視という意味で、非常に緊張した。
伯爵の言は間違っていない。
とはいえ率直に言える訳もないので、話題を変える。
「ところで……何故、王子の来訪に対応出来たのです? 急な話だったので、私も慌ててここへ来たくらいなのですが」
「そんなことか。何、自分が機能していない以上、いつ肩を叩かれるか解らないからな。ダライ王子の外出があった場合、影がこちらに報せる手筈になっていた」
「……なるほど、それは良い備えでしたね」
伯爵家の諜報力を褒めるべきか、それとも城の警備を嘆くべきか。いや、あの男のことだ、穴はわざと作っているのだろう。
やはり油断はならない。
次の後継者が生まれることを願っていると、改めて伯爵は俺に頭を下げた。
「当家のことで、本当に面倒をかけた。何か返せる物があれば良いのだが、希望はあるかな? 可能な限り君達に応えたい」
先程から、酔っていない伯爵の態度が真っ当過ぎて、非常に違和感がある。
さておき、こちらの希望か……貴族間で貸し借りを作るとロクなことが無いし、素直に受けるべきなのだろう。ただ、権限を持たない俺が、勝手に決めるべきことでもないな。
取り敢えず、俺は依頼の代金さえ貰えれば良い。
「家同士の話であれば、一度持ち帰らせていただけませんか? 当主の意向もありますので」
「無論だ。ただ、我々も領地へすぐに戻ることになる。勝手ながら、あまり時間的な猶予は無いと思って欲しい」
「存じ上げております」
面会の時間さえどうにかなれば、後はミル姉が巧いことやる筈だ。恐らく鉱石の一部を融通してもらう辺りで、話は落ち着くだろう。資源に乏しいクロゥレン家としては、素材の提供があるだけでありがたい。
先のことを読んでいると、ふと、伯爵が思い出したように手を叩く。
「そうだ、頼んだ包丁はどうなったね? こちらの所為で期日が短くなってしまう」
ああ、そちらについては把握していなかったのか。考えてみれば、ヴィドとディズムにしか伝えていない。
「完成して、今こちらにお持ちしております。料理長が手隙であれば、すぐにでもお試しいただけますよ」
「それは僥倖。では、現物を見せてもらっても良いかね」
本来であれば使用者を待ちたいところではあるが……依頼はあくまで伯爵からのものだ。依頼主がお望みとあれば、俺が断る道理も無い。
俺は鞄から帯で封じた箱を取り出し、中を開いて見せた。
「では失礼して……こちらになります」
包丁は全体を硬質な黒一色でまとめつつ、刃の部分だけを銀色に輝かせ、鋭さを印象付ける見た目にした。ただ、包丁そのものの出来はさておき、鞘が白木の無骨な物になってしまった点が悔やまれる。時間的な余裕がもう少し欲しかった。
それでも、言えることは一つしか無い。
「最善を尽くしました。如何でしょう」
「ふむ……切れ味に自信は?」
「切れ味こそ、何よりも確かめていただきたい点です」
伯爵は笑みを浮かべると、長椅子の縁に刃を当てて横に引いた。木製の椅子が、刃を走らせた通りに削がれていく。
その後、柄で椅子を何度か叩いてから改めて刀身を眺めると、満足したのか伯爵は包丁を仕舞った。
「頑丈で良く切れる。素晴らしい出来映えだな」
「後は料理長に一度手に取っていただき、微調整をすれば完成です」
「なるほど。食卓が華やぐのは喜ばしいことだ。幾らだね?」
値付けか、幾らにすべきだろうか?
正直な所、作るのに必死であまり考えていなかった。バスチャーさんに作った包丁は四十万。ただ、懐が許すなら、もう少し出したいという話もあった。品質は以前より上がっているし、こちらの方が大きい分、手間はかかっている。
……良し、決めた。内心の緊張を隠して告げる。
「六十万で如何でしょう」
伯爵は俺の答えに溜息を吐くと、ゆっくりと首を振った。
ああ、吹っ掛け過ぎたか。
今から値段交渉は格好が悪いなと思いつつ、言葉を探す。しかし、伯爵は俺の言葉を遮った。
「フェリス殿、職人が己の腕を安売りしてはいかん。私は料理人ではないが、貴族として刃物は幾つも目にしているのだ。この出来なら八十万は取って良い。そうだな……切りが悪いし、百万にしよう。ディズムから後で受け取ってくれ」
予想よりも高値がついてしまった。嬉しい反面、疑問も生じる。前もこうだったということは、俺は値付けが下手なのか?
いや、迷惑料をある程度乗せているか。
「よろしいので?」
「構わんとも。これは先のお礼とは別に考えてくれ。仕事には正当な対価があるべきだ」
「……正直な所、そこまで出していただけるとは思っておりませんでした」
発言の内容は本音だとしても、評価まで本当かいまいち解らない。俺の内心を察したのか、伯爵は苦笑を浮かべる。
「裏を読もうとしなくても良い、素直な評価だよ。貴族が職人を志すと聞けば、道楽か気の迷いだと思われそうなものだが……君の作品には努力を感じる。謙遜することはない」
褒めてもらえること自体は、本当に嬉しい。ただ、ここ数日は加工に取れる時間が減っているし、その原因となっている人物に言われると複雑な気分になる。
でもまあ……良いか。
良いことにしよう。
依頼主に満足はしてもらえた。予想より稼げたし、クロゥレン領に利益を齎すことも出来た。素晴らしいことじゃないか。
「……そうですね。ありがとうございます、ご満足いただけたのなら幸いです」
この騒動も、これで決着だ。
帰ったら思う存分寝て、今度こそ職人仕事に邁進しよう。そう思うと気が抜けて、少しだけ笑いが込み上げた。
伯爵も唇を緩め、俺に握手を求める。
「君に仕事を頼めて良かった」
「こちらこそ、光栄です」
酒で浮腫んだ手を握り返す。
この手がまともになる頃には、ラジィも落ち着いているだろうか? ここまでやったのだから、そうなって欲しい。
夢を見過ぎだろうか。四阿に吹き込む風を浴びながら、穏やかな未来を祈った。
これにて本章は終了。
今回もご覧いただきありがとうございました。