昼に語る
前章までの末尾に、名称がある登場人物の一覧を配置しました。
簡単なものですが、よろしければご確認ください。
ヴィドにはあれこれと言ったが、俺に戦闘をするつもりは無い。そもそもラジィの納得を求めていないし、対話すら必要無いと思っている。
こちらは粛々と結果を押し付けるだけで、後は家族の問題だ。手順としては、破落戸を相手にした時と似たような流れで構わないだろう。
「先にお伝えしておきますが、奇襲を仕掛けます」
驚いた様子で、ヴィドが俺に向き直る。やはり、まだ迷いというか甘さが残っているか。
ラジィからすれば、策を潰された直後に、その相手が手の届くところにいるという状態なのだ。万全ではないと承知の上で、絶対に俺を殺りに来る。こちらに理解を示してくれる筈が無い。
「全員で生きて領地に戻るつもりなら、これが一番簡単でしょう。仮に決闘になったとしても構いませんが、私に一般的な貴族の作法を求められても、応えるつもりはありません。無傷では済みませんよ?」
ヴィドは何度か口を開け閉めし、反論を探していた。しかし状況が見えているだけに、それが無意味だと悟ってしまい、結局は俺の案を認める。
そう、今は時間が惜しい。とにかく状況を改善しなければ、ラジィだけでなくヴィドの首すら怪しいのだ。
足の鈍るヴィドを引き摺って、ラジィの部屋まで案内させる。やがて目当ての部屋の辿り着き、俺達は互いに呼吸を整えた。
対面に備え、静かに魔力を練り上げる。
準備良し。目配せをすると、ヴィドが扉を叩く。
「ラジィ、ちょっと良いかな」
「どうした?」
扉が開く。隙間からラジィの顔が覗いた瞬間、毒霧を吹きつけた。
「ぐぅっ!?」
顔を手で覆って、ラジィが室内へと下がった。すかさず扉を蹴り開け、更に足を払って転ばせる。そのまま魔核で作った枷を四肢に嵌め、身動きを封じた。
「貴様……ッ、フェリス・クロゥレン! どういう……ッ!」
がなり立てる口に、濃い目の毒を一滴。
ラジィは虚ろな目で天井を睨むだけで、暴れる力を失った。意識はあるものの、魔力を練ることも出来なければ、立ち上がることすら出来まい。これで無力化に成功した。
噂の『騒音』が少し気になったが、まあ、風術で遮断すれば防げる異能だ。そう大した脅威ではない。
これで後はダライとの遣り取りを穏便に済ませて、今回の一件は終了だな。
「……な、……にを……」
首だけこちらを向いたラジィが、かろうじて声を発している。これで意識を失わない辺り、想定よりも抵抗力が強いようだ。真面目に兵士として鍛え続けていれば、優秀な人材になったろうに。
延々と唸り続けるラジィに対し、ヴィドは優しく語り掛ける。
「不満そうだね。お前がフェリス君を害そうとしたことは解っている。命を狙っておいて、反撃されるとは思わなかったのか?」
流石に、ラジィもそれを想定していなかった訳ではあるまい。強いて読み違っていたとすれば、ヴィドが自分の味方だと思っていたことだろうか。
まあ、単にラジィが冷静な判断を出来ていなかっただけのことだ。これで伯爵家がこちらを侮り、足並みを揃えて命を狙っていたら、後腐れ無く全てを終わらせていただろう。ヴィドは他者を害することではなく、家の存続を考えていたから、真摯な対応を取ってくれた。
伯爵家は極めて低い可能性を、どうにか掴み取れたということだ。
ヴィドの眼には悲哀が浮かんでいる。
「それでも、お前は運が良かった。このまま寝ていろ、命まで取られることは無い……」
ラジィの眼に力が戻り、ヴィドを睨み付ける。ヴィドは黙ってそれを受け止めていた。
……怒りによる魔術抵抗、か。気を抜いたつもりも無いが、殺さないように加減した毒では弱かったらしい。ラジィはこの状況下でも反撃を考えている。
不意に思う。
たとえばこれがミル姉やジィト兄であれば、実際にアヴェイラを殺していたとしても、襲撃にまでは至らなかったのではないだろうか。俺がこうも絡まれるのは、俺自身が目立つことを嫌った結果、侮られやすい状況を作っているからではないか。
力を誇示することは好まないとしても、容易く勝てると思われることそのものが、貴族間では害悪に当たるのかもしれない。
俺も肚を決めるか。
「……ラジィ様。もしも望むなら、貴方と戦っても構いません。ただし」
練り上げた魔力を解放し、本気で相手を威圧する。瘴気が身体から溢れ、部屋を満たしていった。
「やるからには、全力でお相手します。貴方を殺すことに対して、こちらには何の躊躇いも無い」
二人が息を飲み、呼吸を止める。
僅かに漂う瘴気に触れたことで、ラジィの全身が震え、眦に涙が浮かんだ。ヴィドもこちらを見詰めたまま、硬直してしまう。制御されていない粗雑な魔力でも、魔術強度の低い人間にとっては恐ろしいものだろう。
「ラジィ様。その気が無いようでしたら、今日はこのまま部屋に籠っていただきたい。仕事があるようでしたら、こちらで担当部署に連絡しますよ?」
上から顔を覗き込む。
ラジィは俺から逃れようとするも、巧く体を動かせず、どんどん表情を歪めていく。
「そ……その力で、アヴェイラ、を?」
振り絞った問いかけに、知らず眉を跳ね上げる。
命の危機に晒されているこの状況下で、それでもアヴェイラのことが気になるのか。初めての女に浮ついていただけかと思っていたが……想い自体は本物だと。
なるほど、これなら目も曇る。伯爵が事実を伏せた理由も解るというものだ。
それほどまでに拘るのなら、少しは情報を開示しても良い。
「……信じるかはお任せしますが、私がアヴェイラを殺した訳ではありませんよ。良い感情を抱いていなかったのはまあ事実としても……私の敵意を問うのなら、何よりも貴方が死んでいなければ話が通らない。そうでしょう?」
普通に考えれば伯爵家より侯爵家の方が、敵としての規模が大きい。侯爵家の人間を殺せるなら、それより格が落ちるラジィを殺せない理由が無い。
「端的に申し上げて、私はアヴェイラに価値を感じていなかった。敵ですらありませんよ」
あれはあくまでジェストの獲物だ。鬱陶しくはあっても、俺の相手ではない。
さて、少し親切にし過ぎたな。もう時間が残されていない。
俺は跪いてラジィの頬に手をかけ、先程よりも強く威圧する。今度は抵抗する暇も無く、あっという間に意識が落ちた。
「ラジィ様の枷は、ひとまずこのままにしておきましょう。ダライ王子がいらっしゃいます。すぐにでも支度を」
「あ、ああ」
ヴィドの腕を取って引き起こし、部屋を出る。
これから何食わぬ顔でダライと合流して、またここに来るのかと思うとうんざりする。
しかし、それももう少しの我慢だ。間も無くこの馬鹿騒ぎも、終わりを迎える。
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柔らかい椅子から立ち上がり、一度背筋を伸ばす。そのまま詰所へ行き、控えていたガルドに声をかけた。
「少し早いが出るぞ。ガルド、ついて来い」
「畏まりました。……しかし、フェリスは?」
「恐らくもう伯爵家に着いているだろう。行くぞ」
午後に行くと言っておけば、フェリスは昼までに事を済ませようとするだろう。合流と言ったところで、時間通り城に来るとも限らない。伯爵家とどういう遣り取りをしたのかは解らないが、同席を拒むような雰囲気だった以上、素直にこちらを待つことはしない筈だ。
他意無しで時間をやると言ったものの、そういった配慮をフェリスは好むまい。
まあ、それならそれで用事が早く終わってこちらも楽だ。
ガルドを護衛として伴い、ヴァーチェ伯爵邸へと歩いて向かう。入り口の門前に、フェリスとヴィドが並んで立ち、我々を待っていた。
「うお、本当にダライ王子を無視した……ッ」
ガルドが小さく呟く。
別に無視した訳ではなく、互いが互いを読んだ結果こうなっただけのことだ。想定の範囲内に収まっているので、いちいち指摘する真似はしない。
「ヴィド・ヴァーチェだな。既に用向きは聞いているか?」
「はい、伺っております。当家のことでわざわざご足労いただき、申し訳ございません」
「構わん。ガーダン・ヴァーチェは長らく我が国に貢献してくれた。今暫くその力を振るって欲しかったが……まあ、今ここで話すことではないな。案内を頼む」
「畏まりました。ではどうぞ、お入りください」
そう告げたヴィドが私を敷地内へ招くと、門の影から一人の男が姿を現した。仄かに甘い匂いが鼻を突く。襲撃に備えるべくガルドが立ち位置を変え、私はそれを手で制した。
噂で聞いていたよりも、顔が青白い。
「……体調に大事は無いか、ガーダン」
「ええ。……ご無沙汰しております。天気も良いことですし、お話は庭園で如何ですかな?」
「任せよう」
「それではこちらへ。ヴィド、ここはもう良い、お前は中に入っていろ。フェリス殿は……折角だし、同席するかね? 美味い菓子を用意しよう」
「お誘いいただけるのなら、是非」
フェリスは微笑んで、綺麗に一礼した。中央に数多いる貴族より、所作が堂に入っている。ガルドが気味悪げな視線を投げていることが、少し面白い。
さておき、全員で景色を楽しみつつ会場へと移動する。誰もが今後の結末を半ば知っていながら、雰囲気は和やかだ。
惜しむべきことではあれど、悲しむべきことではない。誰一人として死ぬことなく、この騒動を終えられるのなら――伯爵家としては、悪くない結末だろう。
「む、あれか」
「ええ。茶をお持ちするので、少々お待ちください」
四阿が視界に入る。
私の正面にガーダン、右手にフェリス、左手にガルドといった位置関係で長椅子に腰かけた。微風が通り抜け、汗ばんだ肌に涼しさを与えてくれる。
程なくして執事が茶を持って来ると、まずガーダンは深々と頭を下げた。
「私事でご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございませんでした」
「うむ。まあ、大事に至る前で良かったと言うべきだな。お前も理解しているだろうが、今後について話そう」
酒が半ば抜けた頃合いなのか、ガーダンの態度は落ち着いている。取り乱すようなことは無いだろう。
フェリスは目を眇めてこちらを窺っている。
「お前のような優秀な人材を失うのは惜しいが、出仕出来ない日が続いているとなれば仕方が無い。体調を鑑みて、現在の職務を解くこととした。あくまで今回の異動は休職という扱いであり、失職には当たらない。一度領地に戻り、体調を整えると良い。復職を希望する場合は、こちらの派遣する医師の診断を受けてからの判断となる」
伯爵家を取り巻く状況を思えば、かなり甘い裁定になる。しかし次男の不始末を加味しても、ガーダンの能力が惜しいというのは本音でもあった。
帳簿も見ずに研究塔の歳入を全て諳んじられるのは、この男くらいだろう。この男の記憶と帳簿に齟齬が見られるのなら、帳簿の方が誤っていることさえある。ガーダンがいなければ業務が回らないような環境ではないが、いれば圧倒的に作業が楽になる人材ではあった。
「寛大な処置をありがとうございます」
「構わん。お前に貸しを一つ作れるなら、そう悪くはない」
茶で喉を潤す。
ここまでは、双方予定通りの遣り取りだ。そんなことより、ガーダンについて気になっていることがあった。
「ただ、最後に教えてほしい。私はてっきり、レイドルクの関連で他家の圧力が強くなったのかと思っていたのだが……調べた限り、ヴァーチェ伯爵家はさほど周囲に敵視されていなかった。事情を知り、むしろお前に同情する者もいただろう。何をそんなに苦にしていたのだ?」
問いかけにガーダンは一度動きを止め、周囲の気配を確認した。落ち着かない手が胸元を這う――酒を探しているのか?
フェリスの顔つきが引き締まり、庭に目線が向かう。
「不審な気配でもあったか?」
「いえ、周囲に敵意のある気配はありません。伯爵、こちらには王家の近衛も控えております。ご自宅なのですから、思うままにお話ください」
念のため、探知をしただけだったらしい。ガルドが物言いたげな目でフェリスを見詰めるが、敢えて誰も反応しない。
促されても、ガーダンはなかなか口を開こうとしなかった。たっぷりと間を置かれるうち、全員が自然と居住まいを正す。
やがて覚悟を決めたのか、重苦しい口が開かれる。
「私に……当家に圧をかけていたのは、他ならぬレイドルク家です」
フェリスが諦めたように天を仰ぐ。
そうして、ガーダンは抱え続けていた苦悩を、少しずつ吐き出し始めた。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。