朝に駆ける
真夜中まで破落戸を寝かしつけていた所為で、却って眠気が飛んでしまった。一方、すっかりくたびれてしまったミル姉は、着替えもせずにそのまま寝てしまった。
まあ、病み上がりで体もあまり動かなかっただろうし、ゆっくり休んでもらおう。
俺には俺でやることがある。
作りかけだった包丁を仕上げ、いつでも渡せるようにしなければならない。急ぎはするが焦らずに作業を進める。『集中』と『観察』を全開にして、慎重に刃付けを済ませた。
後は料理人が実際に使ってみて、微調整をするだけだ。
夢中でやっていた所為で、時間の流れをあまり感じなかった。間もなく夜が明ける。
……ダライはもう起きているだろうか? 報告は既に届いていると思うが。
仕上がった包丁を丁寧に梱包し、そのまま部屋を出る。この時間に正門に行っても、取り次いではもらえまい。水路から王族の脱出経路を逆に辿り、ダライの私室を目指す。
さっさと終わらせてしまいたい。
今回の一件でよく解った。その気も無いが、俺が暗部に就くことは無理だろう。
人目を避け、隠れるように職務をこなす――誰に褒められることも無い。喝采を浴びるとまでは言わずとも、せめて仕事に対する納得は欲しい。ジェストはこんなことを続けていたのだろうか? だとしたら、抜けて正解だ。こんな仕事、誰が報いてくれるというのか。
王族や上位貴族の顔を思い出して、苛立ちが募る。
探知で周囲の気配を確認すると、ダライは自室にいることが判明した。何人かの警備が廊下をうろついているが、あまり仕事に集中しているようには見えない。念のため陰で自分を覆い、部屋へと侵入する。
ダライは椅子に座って書類を読んでいるところだった。こちらに気付く様子が無いので、背後から忍び寄り肩を叩く。
「ッ!?」
驚きで大声を上げかけたダライの口を、掌でそっと押さえる。少しして俺の正体に気付いたようだったので、解放し距離を取った。
「……警備を突破したのか」
「まだ門の受付が始まってなかったからな。報告は受けたか?」
「ああ、今読んでいるところだ。仕事が早いじゃないか」
素直な称賛に、少し鼻白む。王族の割に偉ぶっていない。本人の願望がどうしようもないだけで、人柄が悪い訳ではない点が、何より悪質だ。
勧められた椅子に腰かけ、俺はダライが書類を読み終わるまで待つ。
「……ふむ。連中はいつ起きる?」
「もうちょっとすれば、だな。遅くとも、昼前には動き出すだろう。それまでに兵を用意して囲んでおくことだ」
後は逃げられなければどうにでもなる。大きく頷いて、ダライは書類を机に投げ出した。こちらの仕事に満足したらしい。
「さて……お前が依頼を果たしたのであれば、私も応えねばなるまい。ラジィ・ヴァーチェの処遇に対して希望はあるか?」
痛い目を見せてやってくれ、と思うが、口にすればラジィの首と胴が離れてしまう。ひとまず不満を押し殺して、考えを述べる。
「最低限死罪を避けられれば、というところだなあ……。理想を言うなら、領地に引っ込んで出て来ないで欲しい」
ラジィと今後会わずとも、何も影響は無い。俺がヴァーチェ伯爵領に行かない限り、問題は起きないだろう。
ダライは暫し考え込んでから、腕を組んで呟く。
「今回の件を咎めないとは言ったものの……ラジィ・ヴァーチェに職務を続けさせる訳にはいかない、とは思っている。お前が言う通り、適当な理由をつけて領地に飛ばしてしまおう。ガーダン・ヴァーチェについては療養が終わったのなら復職も可とする、という辺りが落としどころだろうな」
数字に強いという話は聞いたが、この一件があってなお復職を認める辺り、伯爵の手腕は随分と評価されているらしい。中央に戻れるかはさておき、この男が褒めるくらいであれば、領地に戻ってもやっていけるだろう。
ひとまずこれで……伯爵家については、終わりが見えたな。
そろそろ帰って、少し休みたい。
頭の中で段取りを考えていると、ダライが俺に問うた。
「伯爵家へはもう通達して良いのか? この際だし、お前の都合に合わせるが」
「今日明日中に、一度伯爵家に行くつもりでいる。その後であればいつでも良い」
「ふむ? 同席はしないと?」
別に同席までは……いや、待て。
大量の逮捕者を出したこの状況だと、俺を目にしたラジィが暴発する可能性がある。それを関係者に見られたら、流石にお咎め無しとはいかなくなってしまう。
むしろ同席は避けるべきなのか。
なるべく平静を保ちつつ、返答する。
「依頼されている件があってな、先にそちらを済ませたい。伯爵達が行ってしまったら、遣り取りが出来なくなる」
「ならば、通達の前に時間をやるから同席しろ。お前が持ち込んだ案件だ、顛末は見届けるべきだろう」
やはり人前に出ているだけあって、この男は弁が立つ。昨日もそうだったが、微妙に反論しづらい切り口で詰められてしまった。
必死になって否定すればするほど、却って怪しく思われるだろう。
「……どれだけ時間がかかるか解らんが」
「構わんよ。短く済ませたいなら、むしろ私が直々に通達をしよう」
本気か。コイツと一緒に行くのか。
話し合いの結果、訪問は午後となった。うんざりとした心持ちのまま、一度家へ戻ることにした。
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昼食前の、微妙な時間帯。今後のことをどうすべきか頭を悩ませていると、ディズムが部屋の扉を叩いた。
「ヴィド様、お休みのところ失礼します。フェリス様がお見えになりました。依頼の品が出来上がったとのことで……お会いになりますか?」
思わず日付を確認する。
告げられた日程より早い。いざとなれば伯爵家から身を引けるよう、仕事を急いでくれたのだろうか?
何であれ、物が出来たのなら支払いをしなければなるまい。
「会おう。それと、料理長が手隙か確認してくれないか。使うのは彼だからね」
「左様ですな。それでは、少し外します」
「頼んだよ」
上着を一枚引っ掛けて、すぐさま部屋を出る。ラジィに見つかるより先に応接室へと向かった。
部屋に入ると、心做しか顔色の悪いフェリス君が、ぼんやりと天井を眺めている。
「……お疲れのようだね」
「ああ、申し訳ありません。考え事をしておりました。……ヴィド様、早速ですが一点ご報告が」
「どうした?」
声をかけると、瞳に力が戻る。しかし、唇には躊躇いが感じられる。
こういう言い方をするということは、かなりの厄介事が待ち受けているということだ。フェリス君は絞り出すようにして、僕に告げる。
「昼過ぎに、ダライ王子がこちらへお見えになります。伯爵の進退に関する件です。私も同席することになっておりますが、備えが必要かと思い、こうして先に伺わせていただきました」
ついに来たか。
口の中の唾液が喉に落ちて行かない。
緩く息を吐き出しながら、どうにか椅子に腰を下ろす。
「……知らせてくれてありがとう。しかし、何故フェリス君が王子と同席することに?」
僕の問いに対し、フェリス君は顔を歪めながら説明をする。
フェリス君が父上の体調について奏上したこと。父上が職場に出なくなったことにより、当家に調査が入る寸前だったこと。
そして――ラジィがフェリス君を討つべく、戦力を集めていたこと。
幸い、集められた面子は全員が捕縛されており、暴動が起きるようなことはないが……、
「ラジィがしでかしたことは、既に王子に把握されている、ということだね」
「そうなります。元々、先の騒動で王家は城下に目を光らせていました。そんな中、自国の兵士が破落戸を集め始めれば、嫌でも目立つでしょう。私が動くまでもなく、鎮圧は時間の問題でした」
「そうか……」
愚かだとは思っていたが、ここまで堕ちていたか。
力が抜ける。今日が伯爵家の終わりになるかと思うと、寂しいものだ。
しかし、フェリス君は静かに首を横に振った。
「まだ嘆くような状況ではありません。伯爵は領地での療養を勧められ、中央での居場所は無くなるかもしれませんが、それはお望みの通りでしょう? 問題はラジィ様です。暴徒の鎮圧と引き換えに、ラジィ様は死罪ではなく中央からの追放で済ませると、ダライ王子には確約してもらいました。……ただし、これ以上の恩情は望めません」
目を瞑ってもらえるのは、一度だけということか。ダライ王子と言うより、これはフェリス君からの最大の恩情だ。
「何故、ここまで尽力してくれる? 伯爵家が君に対して、何かしらの恩恵を与えられたとは思えない」
「ジェストには借りがあります。それに、ヴィド様や伯爵を見限るのも忍びない。先日お話したでしょう。希望に沿うようにする、と。ただ、ラジィ様の犯行は想定外でしたので、私に出来る配慮はこれが限界です」
ここまでされると、僕はどう感謝を示せば良いのか解らなくなってしまう。今すぐ足元に平伏して、彼を崇めたいくらいだ。
しかし今のラジィが、状況を理解出来ているとは思えない。
そして、二度目の粗相があれば、ラジィだけではなく伯爵家が今度こそ終わってしまうだろう。フェリス君も僕と同じ危機感を抱いているようだ。
「ラジィをダライ王子と会わせるのは拙いね」
「ええ。今すぐラジィ様の身柄を確保出来ませんか? 処遇が告げられてしまえば、どうせ拒否は出来ません。ラジィ様に機会を与えずに、事を済ませなければ」
逆らえば前言は翻り、約束など無かったことになるだろう。となれば、手段を選んではいられない。
「この期に及んで申し訳無いが、手を貸してもらえないか? 僕一人ではラジィを止められない可能性がある」
「お供しましょう。因みに、ラジィ様に戦闘系の異能は?」
「アイツの異能は『剛力』と『騒音』と『根気』だね。一番厄介なのは『騒音』なんだけど……戦闘時に搦手を使う手合いではない。力任せに斬りかかって来ると思えば良いよ」
『騒音』は両耳を塞いでいても耐えられないような音を出す能力だが、本人が剣に拘る所為かあまり使われない。
フェリス君は暫し考え込むと、魔核を取り出して魔力を流し込んだ。出来上がった、小さくて丸い塊をこちらに寄越す。
「耳栓です。戦闘になるようであれば嵌めてください。いざという時、手は空けていた方が良いでしょう」
「そうだね。……じゃあ、行こうか」
連れ立ってラジィの部屋へと向かう。
道すがら、袖口に仕込んだ細剣に触れつつ考える。
どうしてだろう。これでもまだ、ラジィを殺す覚悟が出来ない。
行かなければと思う気持ちと、行きたくないと思う気持ちとが鬩ぎ合っている。
「……緊張することはありませんよ。必要とあらば、なるべく穏便に済ませますから」
フェリス君は穏やかな微笑を浮かべている。彼の感情が初めて読めず、僕は、恐怖を抱いてしまう。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。