夜に潜む
あらすじにもちょっと書きましたが、書籍化することになりました。
詳細はあれこれ決まり次第、また別途ご案内させていただければと思います。
詰所の中に入り、ダライと向き合って椅子に腰かける。横にいるガルドが所在無さそうにしていた。まあ、俺達の間のいざこざを知らなければ、そんな反応にもなるか。
「城には近づかないものだと思っていたよ」
背もたれに体を預けながら、ダライが呟く。俺だって今回のことが無ければ、城に足を踏み入れる真似はしなかっただろう。しかし、他に手が浮かばなかったのだから仕方が無い。
遜ることはせず、率直に始める。
「まあ、お互い仲良し小好しって訳でもないし、そんなもんだろう。……今日はちょっと話があってな」
「ほう? お前が私にか?」
意外そうに眉が跳ねる。
ダライはどの程度話を読めているのだろうか。仰々しい態度が鼻についた。
「研究塔のガーダン・ヴァーチェ伯爵は知っているな? 彼を役職から外して欲しい」
「あの男か……最近職場に出仕しないという報告は上がっているな。そろそろ様子を見るべきかと思っていたところだが」
まあ、あの調子では出仕どころか外出すら怪しい。当然の流れだな。
「家で酒浸りになっている。……俺が見る限りでは、そろそろ限界だ。治療のためにも、彼を領地に戻してやりたい」
「そうか。ならば調査を急がせよう。数字に強い、有能な男だったが……惜しいな。お前が代わりをやるか?」
「お断りだ」
たとえどれだけの利権が転がり込もうと、絶対にこの男の下にはつかない。ルーラ・カスティが道を踏み外したのはコイツの所為だ。
俺の強い否定を、ダライは噛み殺すような笑いで受け入れた。ガルドは目を剥いたまま、対応に困っている。心配ご無用だと目線を遣ると、浮かしかけた腰を戻していた。
ダライは腕を回して骨を鳴らすと、俺に問いかける。
「しかし、ガーダン・ヴァーチェが限界だと言うなら、敢えてお前が動かずともいずれは罷免されていたろう。事を急がせる理由があるか?」
「ラジィ・ヴァーチェの人間性に難があるからだな。もういっそ、家族をまとめて領地に押し込めた方が良いと判断した」
ダライは思案気に天井を眺め、沈黙した。少ししてラジィのことを思い出したらしく、納得したように手を叩く。
「ああ、ヴァーチェの次男が破落戸を集めている件か。そちらも報告があったな。……お前なら全員まとめて相手をしても、物の数ではないだろうに。わざわざ配慮する必要があるか?」
当然の疑問だが、俺も理由を見失いつつあるところについて、あまり突っ込まないで欲しい。
「ラジィ・ヴァーチェについてはさておき、伯爵本人と長男のことはそれなりに気に入っているんだ。下位貴族への態度が真っ当だったからな。関係者を積極的に殺そうとは思っていない」
結局のところ――甘いのは俺も同じなのだろう。殺さずに済む余裕があるのなら、それを選ぶことも悪くないと思ってしまう。
いい加減に認めよう。きっと、俺は殺意の抱き方が下手だ。
ダライは探るような目を俺に向けていたが、やがて諦めたように視線を切った。
「いずれは手を下していただろう案件だ、お前の提案には乗っても良い。ただ、伯爵家を封じたところで、集められた人間が消える訳ではないぞ。連中は結局処分するのか?」
「それはちょっと悩ましいところだな。何人くらい集まってるのか、把握出来てる?」
ガルドに話を振ると、慌てた首肯が返って来た。数が多いのか、何やら指折り数えている。
「ええと……昨日時点で三十人行かないくらいだな。色んな地区から引っ張ってるらしい」
「それなりの数だな。暴徒予備軍とはいえ、まだ事を起こしていない連中をそれだけ殺すと周りが煩いだろうし……何か人手が欲しい事業とか無いか? あまり頭は使わない、単純な仕事」
「あるにはあるぞ」
ダライの話を聞く限り、今中央では清掃業の需要が高まっているらしい。先の騒動で壊れた建物等も多く、撤去に時間がかかっているようだ。
真面目に働くかが解らないものの、力が有り余っている連中だろうし、それに就かせるのが早い気がする。
「大人しく従うなら俺への暴行未遂は不問にするってことで、倉庫の辺りを片付けさせたらどうだ? 賃金も少しだけ与えてさ。あそこ、まだ作業が全然進んでないようだったけど」
「強制労働か……予算より少しは安く出来るな。良し、ならばガルドを含め、近衛を三名出す。死者無しで連中を無事に捕縛したのなら、ラジィ・ヴァーチェの目論見については最大限考慮するとしよう」
三十人近い人間を殺さないで捕縛?
一般兵では数に負けるため、近衛を出すという点は理解出来る。だが、暴徒の鎮圧は俺の仕事ではない筈だ。何故俺に回す。
質問より先に、答えが告げられる。
「ガーダン・ヴァーチェは犯罪者ではないため、通常の流れに沿って処理する。だが、ラジィ一味については犯罪者の刑罰を軽くするという話だ。口を挟むだけでは取引になるまい」
流石に無理筋だったか? いや、もう少し粘る。
「元々、倉庫街の一件はお前等が原因だろう。俺は尻拭いの方法を提示してやってるんだ」
「事後処理のための予算は既に組んであるし、こちらは別にラジィ・ヴァーチェの命に興味は無い。……お前はあるべき形を捻じ曲げようとしている。行動には責任が伴うものだろう」
お前がそれを言うのか。
死んだ者達の顔が瞼の裏に浮かび、脳裏に殺意が過る。反射的にダライの首に手をかけそうになり、どうにか自制した。
……これは誘いだ。乗ってはならない。こちらを窺うダライの唇が、這いずるような嗤いを浮かべている。
クソが。
俺と本人が一番よく解っている。あるべき形――ダライ・デグラインは、やはり死ぬべきだ。生かした俺の所為ということか。
深呼吸を一つ入れる。軽率に動かぬよう、『集中』で内心を保つ。
「落ち着いたものだな」
「まさか。……だがそうだな、お前の言う通り、行動には責任が伴う。こっちが言い出したんだから、全てを人任せにする訳にもいかないよな」
そうだ。ラジィを生かしたいのはヴィドの我侭で、それを他人に強いているのが俺だ。そこを間違えてはならない。
――ああ、苛々する。
ラジィを咎めずにいるのも無理がある。殺さないまでも、処遇については考慮すべきだろう。
「戦力は要らない。大量の人間を運ぶことになるだろうから、力がある奴を寄越してくれ」
視界の端でダライが頷く。言い捨てて、俺は感情のままに席を立った。
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帰って来るなり、フェリスは音を立てて腰を下ろすと、髪の毛を水で覆い始めた。頭を物理的に冷やそうとしているらしい。
眉間には深い皺が刻まれ、今までに見たことが無いくらい荒れている。大体のことは飄々とこなす印象が強いため、年相応とも取れる態度がむしろ新鮮に思える。
「何、どうしたの?」
「国のことなんて全部無視して、あの王子を殺してやりたい」
随分と剣呑な発言が飛び出した。
聞けば散々に挑発された挙句、伯爵家の余計な揉め事の処理を押し付けられたらしい。
別に付き合ってやる義理は無いし、王子だって殺したければ殺しても良かったのではないかと思うが、それは主義に反するのだろう。優しいのではなくて、単に甘いだけという気もする。
「で、どうするの」
「ここまで来たら、乗っかってやる。クロゥレンの為に動いてくれたジェストには、どうしたって報いてやりたい」
「まあ、それについては同意しましょうか」
面倒な手続きをすっ飛ばして、邪魔者を一人排除してくれた恩がある。彼は最初から最後まで友好的な態度で、クロゥレン家へと尽力してくれた。
フェリスの友人ということもあるし、ジェスト君のためなら動くのは構わない。
問題はこれからどう動くのか、ということだ。
「方針はあるの?」
「次の集まりは三日後らしいが、そこまで待っていられない。近衛はラジィの協力者全員の身元を把握していた。詳細は教えてもらったし、逃げられる前に、個別に潰していくべきだろう」
ガルド殿に依頼して、連中が門外へ出られないように手配も済ませてあるらしい。ならば単に手間がかかるというだけで、そう難しいことではない。単純作業ばかりで飽きそうだ、というのが一番の問題か。
「まあ下っ端の処理はどうにでもなるとして……伯爵家の方は?」
「今回の一件が片付けば、伯爵は領地へ戻されることになる。ヴィドはそれに同行する形だな。ラジィについては……死罪は避けるように頼んだが、中央に余計な混乱を招いたことはもう明確だし、どういう処分が下るかね。正直、やっぱり死罪にするって言われてもおかしくはないんだよな」
そればかりはダライの気分次第か。
「ま、そこは考えても仕方が無いってことね。先送りにすることでもないし……今から早速行きましょうか?」
「……一緒に来るつもりか? 何で?」
「アンタの働きぶりを見るため。父上も母上も、口にはしないけど気にしてるみたいだしね。まあ、満足したら帰るから」
フェリスが領地を離れてから、随分と時間が経った。強度を聞く限りでは成長が著しいが、こういうことは自分で確かめるに限る。
多少微妙な表情を浮かべたものの、最終的にフェリスは反対をしなかった。認められたということで、腕を引っ張ってもらい立ち上がる。
さて、何をするにも準備は必要だ。
フェリスは黒い外套を肩に引っ掛け、更には黒い布を顔に巻いて正体を隠した。私は装備が無かったためミケラの作業着を借りて、顔だけでもフェリスと同様にした。
「んじゃ、行くか」
「ええ」
外は曇り空の所為で真っ暗だった。誰かが私達を見ても、誰なのか判別することはかなり難しいだろう。
抜かりは無い。
ふと視線を感じて探知を発動すると、遠くで知らない気配が引っかかった。王家の影だろうか、協力者が既に待機していたらしい。
フェリスは通りの向こうに光を当てて、何者かに合図をする。それから相手の反応を待たず、私の手を引いて夜道を走り出した。頭の中に道筋が完全に入っているのか、僅かな逡巡も無く進んでいく。
足が速い。自分の体が酷く鈍っていることを自覚する。
やがてフェリスは街角にある古びた一軒家の前で足を止め、私を手で制した。物陰での待機を指示されたため、黙ってそれに従う。
これからどうするつもりなのか――お手並み拝見。
フェリスは足音を殺して真っ直ぐ玄関に近づき、扉に手をかけた。鍵がかかっていることを確認すると、魔核を押し当てて一瞬でそれを開錠し、内部へと滑り込む。
突破までが早過ぎる。
慌てて後を追えば、三人の男が突然の侵入者を前に硬直していた。全員体格は良いが、武器は持っておらず動きも悪い。ただの素人の集まりだ。
「こんばんは」
「なッ」
敢えて声をかけ、機先を制する。誰何されるより先に、フェリスは敵の懐へ入り相手の顔を一撫でする。陰術による『昏睡』の三連打――瞬きの間に、男達は全員床に倒れ伏していた。
フェリスは呼吸を整え、改めて光による合図を出している。遥か遠くで協力者が困惑していた。
「……手慣れ過ぎてて気持ち悪い」
「……別にそんな大袈裟なことしてないだろうに」
いや、一つ一つの行為の意味は解るし、その辺の破落戸が相手にならないことも知っている。当たり前のことを当たり前にこなしただけの話だろう。
散歩のようにさりげなく近づいて、挨拶のように何気無く意識を刈る。
考えてみれば、魔術強度の低い人間は、フェリスの陰術による状態異常に抵抗が出来ない。接近戦で正面から暗殺を仕掛けて来る魔術師など、悪い夢のようなものだ。
格上に通じる業ではないとはいえ……弟はおかしくなってしまった。
フェリスへの評価を持て余し、私は結局話を戻すことにする。
「この調子で進められたら、運び出すのが間に合わないんじゃない?」
「朝まで絶対起きないよ。時間も無いし、次に行こう」
まあ、急げば朝までには終わりそうだが……どれくらい走らされるかによっては私が足手纏いになる。普段使っていない筋肉が、明日辺り悲鳴を上げる気がする。
躊躇っていると、急かすように無言で入り口を指差された。一緒に行くと言ったのは私だ。諦めて、大人しく家を出る。
――翌朝、無数の荒くれ者が姿を消していることに気付いた城下では、人攫いの怪人が噂されるようになっていた。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。