あの男再び
何はともあれ一度ガルドと会って、情報を交換しなければならない。
日が暮れるより先に、城に辿り着くことは出来た。門番に家紋入りの短剣を見せて用向きを伝えると、そのまま近衛の詰所まで案内される。
先の一件で出払っている人間が多いのか、城内の警備が多少手薄な気がした。この城を落としたいなら、主力の大半を失っている今が攻め時だろう。遠大な自殺未遂の結果がこれかと思うと、馬鹿馬鹿しいという感想しか出て来なかった。
訓練場でぶつかり合う兵士達を横目に、詰所の中へと移動する。椅子を勧められ、言われるがままに待っていると、平服のガルドが遅れて姿を現した。
「悪いな、仕事中だっただろう?」
「いや、今の時間なら構わん。俺の勤務は大体夜明けから昼までだしな。……何か進展でもあったか?」
「そうだな。俺がどうこうするより先に、あっちから接触して来たよ」
誰に聞かれるか解らない。具体的な名称は避けつつ、今までの流れをガルドに説明する。一通り聞き終えて、彼は腕を組み唇を下げた。
「あまり情報提供の意味は無かったな」
「そんなことは無い。心の準備ってものがあるし」
「お前がそう思うならそれでも良いが……じゃあ取り敢えず、あちらさんをあまり意識はしなくても良いな?」
「まあ何かの弾みで情報が入ったら、くらいで構わないよ。結構相手にも迂闊なところがあるから、俺らが何もしなくても下手を打ちそうな気もするし」
何をしでかすか解らないが、いちいち構っていられない、というのも本当のところだ。ラジィを殺さない理由はジェストに対する義理でしかないし、それだって自分の身には代えられない。どうしても邪魔をするなら、処断するという結論になってしまう。
ともあれ伝えるべきことを伝えたので、今度は相手からの話を促す。
ただ、ガルドが探ってみた結果は予想よりも厄介で、ラジィが街で仕事にあぶれた荒くれどもを集めている、というものだった。
「まあ、手勢の大半を家に押さえられてるから、外部の人間を利用するってのは解るんだが……ガルドが把握してるってことは、国の上層部だって把握してるよな?」
「そりゃあな。この状況下なんだから、上だって暴動を警戒してるよ。今は単に人を集めてる段階だし、まだ行動に出てないから泳がされてるだけだ。いざという時は、相手が固まってた方が楽だしな。……でも、そろそろ時間の問題だと思うぞ。折角集めた手勢なんだ、使いたくなるのが人情ってものだろう」
鼻から溜息が漏れていく。そんな情は要らない。
思った以上に相手は軽率だ。下手をすると、一族ごと連座で処刑という流れも有り得る。ヴィドの抑止がどれだけ続くかも解らないし、時間はあまり残されていないと見るべきだろう。
「……穏便に済まそうとしてるこっちが馬鹿みてえじゃねえか」
「被害者側が下手に出るから、相手が増長するんじゃないか?」
「あっちは自分が加害者側だってことすら理解してないよ」
頭を掻き毟って、鬱憤を紛らわす。
全く以て嫌になる。こうなったら、とにかく事を急がなければならない。
気乗りしなくとも、やはり俺に取れる手は一つということか。
「……なあ、ガルド。近衛に限らず、ダライ王子には各部署に対する人事権があるよな?」
「そうだな」
「今から謁見出来ないか? 無理なら執務室へ忍び込む」
伯爵家を丸ごと領地へ戻そうとするのなら、気の毒であってもまず伯爵本人を引き摺り下ろさなければならない。仕事を奪うなら、人事権を持つ人間と交渉するのが一番早い。
あの馬鹿と対面するのは苦痛で仕方無いが、上位貴族の首を飛ばすつもりなら、取れる手段は限られる。
俺の発言に、ガルドは目を丸くして固まってしまった。
「取り敢えず忍び込むのは止めろ、流石に庇い切れん。……今日はこれから時間あるか?」
「特に用事は無いな」
少し考え込んでから、ガルドは続ける。
「王子は夕食後、近衛からの定期報告を受けることになっている。当番を代わってもらうから、隠れてついて来い。隠身は使えるんだろう?」
「勿論」
魔術を使い、なるべく静かに床へと溶け込む。こんなことばかり巧くなってしまった。
ガルドが息を飲む音が聞こえる。
「目の前にいるのに、全然解んねえ……」
「そんなに大層な業じゃないよ」
地術で床に穴を開け、陰術で蓋をする。ラ・レイ師が最期に見せた異能を再現した結果、こんな形になっただけだ。優れた魔術師なら、すぐ違和感に気付くだろう。
ただ俺の知る限り、ラ・レイ師やミル姉に並ぶ腕の持ち主はこの城にはいない。急場凌ぎでも通用する筈だ。
「これで問題無いよな? 王子と話が出来るなら、いくらでも待つよ」
「そうか。今からだと、最低でも三時間はかかるが……そうだな。暇潰しに、ちょっと訓練に付き合ってくれんか?」
「我侭を聞いてもらうんだし、構わんよ」
男二人で、黙って個室に籠っている訳にもいくまい。
最近は運動もしていないことだし、鬱憤も溜まっている。少し遊んでいくことにした。
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フェリスの方が、腕は上だということは解っている。牙薙を前衛無しで処理出来る男が、俺より下の筈が無い。
ただ、どんなことにでも万が一というのは有り得る。お互い怪我をするのも馬鹿らしいので、無手でやり合うことにした。
同僚達の好奇の視線を浴びながら、訓練場の隅で向かい合う。
「良し、やるか」
「どうぞ」
準備は良いようなので、そのまま始めてしまう。
足を広げ、両の拳を軽く握って構える。フェリスは両手を下げたまま、半身でこちらを窺っている。的を絞って小さく見せる、どちらかと言えば守備的な立ち方だ。
どう攻めるか――悩んだ瞬間に、フェリスの腕がぶれた。
「――んむッ!?」
情けない音とともに、鼻っ面が叩かれる。手首のしなりを利用した軽い打撃だが、反応が間に合わなかった。
「顔面空けたまま足を止めるなー」
気の抜けた緩い声が響く。確かに、今のは俺が悠長だった。敵の前で考え込むなど愚かしい。
「すまん、ちゃんとやる」
一度体から力を抜き、棒立ちにならぬよう意識する。痛めつけるより、まず当てることを優先に戦術を組み立てる。
やり直し。
左の突きで距離を測りながら、小刻みに体を揺らし続ける。時折相手から放たれる打撃が、体の芯からずれた箇所に当たるようになった。直撃が無い分、先程よりは良くなっている筈だ。
一方、フェリスは俺のような忙しない真似はせず、摺り足で最短を滑るように移動していた。左右どちらかの足を軸にして回り、攻撃の範囲から体ごと脱している。開け閉めされる扉のような動きだ。
しかし、知らない技術体系だな。中央で広まっている流派なら、大体見たことがあるのだが。
「どこの流派だ?」
「ん、何が?」
「珍しい歩法だなと思って」
フェリスの顔に苦笑が滲む。
「歩法というほどのもんじゃない。ミル姉やジィト兄が相手だと、半端に逃げても無意味だからな。大袈裟に避ける癖がついてるだけだよ」
「いや、自己流だとしても、悪くはないんじゃないか? 俺からすれば、その動きは結構厄介だ」
突きを読まれて綺麗に避けられると、大体フェリスは俺の側面にいる。訓練だから肩を小突かれる程度で済んでいるが、実戦なら脇腹を刺されて終わりだろう。
三回に一回はこちらの攻撃を外されている。次第に、反撃ではなく先手を取られるようになってきた。フェリスの動きが速いという感じはしないのに、俺の動き出しが遅れている。何が悪いのだろうか。
「……俺、もしかして鈍いのか?」
「何だ急に」
「一方的にやられるようになってきてるだろう」
フェリスは俺の発言に手を止め、少し考え込む。やがて体を横向きにし、空中に軽く突きを放った。
「ガルドが悪い訳じゃなくて、訓練だからだろう。良くも悪くも、人を倒そうとすれば手に力が入る。兵士なら尚更倒そうという意識が出る。でも、力を入れると引き手が遅くなるから、次手が間に合わなくなるんだな。俺は倒す気が無いから適当に打ってるけど、実戦なら相手を倒した方が早いし、そのやり方で間違ってないと思うよ」
そう言って、フェリスは力の入れ方による突きの違いを見せてくれた。
足を踏み込んで打つ、強く当てて倒すための突き。肩から先を使う、速さを重視した当てるだけの突き。交互に見れば違いはすぐに理解出来た。
こうして比べてみると、当てるだけの突きも使えて損は無い。むしろ、当てる場所によっては簡単に人を倒せることもあるだろう。これは面白い。
感謝を述べると、フェリスは諦めたような穏やかな顔で、首を横に振った。
「一応言っておくが、本当に強い奴は俺みたいな小細工はしてこないからな。ジィト兄とかファラ師とか」
そんな、人類の上澄みに立ち向かう予定は無い。
「やんねえよそんな連中と。全力で走って逃げるわ」
「走って逃げられるような相手なら良いけどな。まあでも、確かに普通はやらないし、それが正解だ」
何処となく遠い目でフェリスが呟く。そう言えばコイツ、隊長とやり合ったんだったか。口振りと関係性からして、あの『剣聖』ともやり合ったことがあるんだろう。
……よく生きてるな。
それだけで驚嘆と尊敬に値する。
詳しく聞きたい気もするが、内容が内容なので、敢えて深く突っ込まないことにする。むしろ話を戻し、体の動かし方を尋ねることにした。一部の隊員が、こちらの会話をそれとなく探っているのを感じる。
基本として脱力を教わっていると、俄かに周囲が静かになった。フェリスが目を細めて俺の後ろを見遣る。
振り返ると、ダライ王子が予定も無いのに訓練場に姿を現していた。その視線が、真っ直ぐにこちらへと向けられている。
「……何故ここを、部外者が利用している?」
そう大きな声でもないのに、やけに場に響く。言われてみれば確かにそうだ。内心焦りながら、どうにか言葉を探す。
「申し訳ございません、私の客です。待機しながら応対出来る場所が思いつかず……」
我ながら理由としては弱いと思いつつ、跪いて回答すると、ダライ王子は黙したまま僅かに頷いた。畏れ多くも、フェリスは立ったままで返答を待っている。しかし、ダライ王子は俺達を咎めることをせず、むしろ手近へと呼んだ。
「まあ、相手は貴族家の人間だし、身分は保証されているからな。許可はするが、次からは上官に申請をするように。そうだな……丁度良いか、少し聞きたいことがある。二人ともこちらに来い」
「畏まりました」
「ご随意に」
最敬礼で以て応じ、詰所へと向かう背中を追う。横目で見れば、会いたいと言った癖に、フェリスは心底嫌そうな顔をしていた。ダライ王子も、常とは違った表情だった気がする。
話からすると、ダライ王子はフェリスが貴族であることは知っていた。いや違う、ブライ王子の任務を思えば、フェリスのことが王族に知られていることはおかしくない。
そうではなく……俺達が中央を離れている間に、何か遣り取りがあったのか?
互いの関係性が見えないまま、詰所へと足を向けた。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。




