蓼を喰らう
前話にも書きましたが、視点表記を元に戻しました。
ご意見をいただいた方々、ありがとうございました。
以降はなるべく誰視点なのか解り易い描写を挟むことで対応したいと思います。
久々に腰を据えてフェリスの作業を見るが、加工が随分と巧くなった。
両手から放たれる魔力に澱みは無く、魔核はすぐさま細長い筒状へと形を変える。横にはもう一つ、件の料理長が握って型を取った魔核が添えられている。その凹凸を真似るように、筒をこねくり回していくつもりらしい。
「取った型はそのまま使わないのか?」
「それが一番楽なんですが……場合によってはもう一本作らないか打診して、時間稼ぎをしようかと」
「なるほどな。まあ受けてもらえれば金になるし、良いんじゃないか」
俺もフェリスもあくせく働く性質ではないが、目的があるのなら仕方があるまい。作業は増えるとしても、ここは可能性を上げる一手だ。
しかし……包丁か。個人の希望に合わせて物を作ることはしても、握りまで合わせる職人は今までいなかったのではないか。従来の直線的な握りで、そもそも不自由を感じる人間は少ないだろう。
コイツはこういう所の目端は利くんだよなあ。
「さて、まずはこんな感じですかね」
成形が終わった柄の部分を受け取り、見本と比べる。角度を変えて確かめても、俺の目で差は感じられなかった。
合格を出すとフェリスは柄を硬化させ、格子状の溝をつけていった。滑り止めなら粗目の革でも巻くものだが、この歪な形状に合わせて切り出すのは無理があるか。なかなか工夫している。
「あの小僧が成長したもんだ」
「いつの話ですか。まあ、出来が良くなかった自覚はありますが」
「そうでもないぞ? 物作りの方はさておき、魔術については最初からある程度の力量があったしな。そこまで手がかかった記憶は無い」
弟子などフェリス以外に取っていないが、周囲の職人達が話すような苦労を俺はしていない。強いて言えば、こいつの頭の中にある完成形と実物がなかなか一致せず、何をしたいのか解らないことが多かったくらいだろうか。それでも人格的な問題が無かった分、俺は楽だった。
フェリスは俺の感想に少しだけ作業を止め、やがて溜息をつく。
「……問題起こしてないだけじゃないですか?」
「何言ってんだ、それだけで充分過ぎるだろう」
「まあ、高望みしても仕方無いかもしれませんね」
現実を見ていないガキの世話なんて真っ平だ。組合の無理強いが無ければ、或いは貴族として真っ当なクロゥレン家の人間でなければ、フェリスを採用することは無かっただろう。
奇妙な縁もあったものだ。
感慨深さに浸っていると、フェリスは魔核の長さを変えながら俺に問いかける。
「そういや、ミル姉ってクインの教育ちゃんとやってます?」
「ああ、風術を使った部屋の換気を教えてたぞ。お前が言う通り、クインは出力がいまいちでも持久力は悪くないな。時間がかかっても作業はやり切っていた」
最初はもどかしさもあったが、丁寧に根気強く作業を続ける様子を見ている内に、その感覚は消えていた。あれは指導者がちゃんとしていれば伸びる。
フェリスも読みが当たったことが嬉しいのか、満足げに頷く。
「ですよね。最初から魔術師として鍛えれば違ったのかな」
「まあ、それでも平均的な武術強度は必要じゃないか。単純に体が弱いってことだしな」
「兵士としてじゃなくて、周囲の見る目ですよ。子供だと何か一つくらい、自慢出来るものが欲しいじゃないですか」
「守備隊に侮られてたお前が言うかね」
成人前から周囲にとかく馬鹿にされていたフェリスが、子供とは、と話すのも何か違う気がする。どうもコイツは年齢の割に年寄り臭いな。
俺の嘆息に対し、フェリスは苦笑で応じた。
「周囲に自慢したいってのは、相手に認められたいってことでしょう? 俺は守備隊に認められたい訳でもないし、その必要も無いと思ってましたよ。俺が鍛えてたのは、貴族の義務を最低限果たすためと、安全な一人旅をするためですから」
職人仕事に就くためには、むしろ強度という価値観は邪魔だった。フェリスはあっさりとそう言ってのける。それもある意味では本音にせよ、姉兄の手助けをしたいという気持ちだってあっただろう。
ただまああの二人なら、大体の脅威は自力で何とかしてしまうか。
助けるも何も無いな。
「……ん、ちょっと曲がってないか?」
「あれ。やっぱ話しながらだと駄目ですね」
包丁を伸ばしていった先が、僅かではあるものの斜めに逸れている。本来なら敢えて指摘するまでもなく、検品で本人がいずれ気付く筈の箇所だ。
技術はもうだいぶ身に付いている。元々発想に秀でていることもあって、あまり口を挟む余地が無い。後はとにかく依頼を受けて、経験を積み重ねていく段階だな。
「フェリス。その気になったら、もう第六階位の試験は受けて良いぞ。十回やれば七回は受かる」
「自分ではよく解りませんが、良くなってますか?」
「ああ。魔力の扱いが巧くなって、雑な箇所が減った。組合の試験はたまに課題設定を誤ってることがあるから、そういうのに当たらなけりゃ大丈夫だろう」
魔核は形と硬軟を自由に調整出来ることが強みではあるものの、弄れば弄るほど魔力を使う。やたらと複雑な構造の物を造らせて、時間切れや魔力切れで合格者無しという例を何度か見たことがある。そういう例外を引かなければ受かるだけの力量が、フェリスにはついたと言って良い。
しかし、フェリスは微妙な表情を浮かべて首を横に振った。
「やるんなら、抱えてる仕事を終えてからですね。階位を上げたって依頼が終わる訳じゃないでしょう」
「そりゃそうだ」
少しずつでも手をつけなければ、仕事は終わらないものだ。
そうして作業を眺めながら雑談を続けていると、俄かに玄関口が騒がしくなった。聞いたことの無い声だが……フェリスは意外そうな表情で手を止める。
「……ラジィ、いや、ヴィド・ヴァーチェか?」
「あん? 何でまた、伯爵家の令息がうちに直接来るのかね」
普通なら格下を呼びつけるのが普通だ。昨日は実際にそうしていた。そうしないということは、本人が直接来なければならない用事があるということだが……思い当たりがあり過ぎて、逆に読めない。
「……会ってみるしかないでしょうね」
「お偉いさんを呼べるような家じゃねえんだけどな……」
玄関先で立ち話という訳にもいくまい。取り敢えず、散らかっている居間を多少なりとも片付けることにした。
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唐突な訪問になってしまったため、玄関先で少し待つこととなった。ミケラ嬢は酷く恐縮しながら奥へと消え、何やら物を引っ繰り返すような音が幾度か響いた後、ようやく中へと招かれた。
これに関しては先触れも無しに訪れた僕が悪い。案内をするミケラ嬢を労い、居間へと入る。
座卓の前では、フェリス君が湯を沸かしながら僕を待っていた。
「申し訳ございません、準備に手間取りまして」
「いや、こちらが非常識だということくらいは理解しているよ。畏まることはない。……ちょっとラジィ抜きでフェリス君に訊きたいことがあってね、気が急いてしまった」
ここまで言うと、フェリス君は得心したように頷いた。
「ああ……レイドルク家での裁きのことですか」
「そう。実のところ、僕とラジィは詳細を把握出来ていないんだ。恐らく、父上は僕達にあまり裏の面を見せたくないんだろうが……家のことともなると、そうはいかないだろう?」
それは優しさでも気遣いでもない。いずれ継承するであろう立場について無知であることは、何の利益にも繋がらない。
フェリス君は表情を変えることなく、僕に席を勧める。僕は素直に応じ、彼と向き合う。
「話すこと自体は構いません。ただ、私自身はあの裁きに参加していませんので、姉のミルカを同席させた方が早いかと存じます」
「そちらが良いのであれば、是非そうして欲しい」
返事を聞くと、フェリス君は外に向けて水の塊を飛ばした。少しして、静かに居間の戸が開く。
その立ち姿を見て、一瞬呼吸が止まった。
……至宝とは魔術ではなく美貌であったか。そう思わせるだけの女性が、不思議そうな表情でフェリス君を見詰めている。直接会うのは初めてだが、死んだ第三王子が彼女に執着していたという噂は嘘ではあるまい。
「呼んだ? 訓練中なんだけど……」
完全に気が抜けているらしく、僕とフェリス君の間を視線が往復する。そして、僕の正体に思い当たる節があったのか、顔が僅かに引き締まる。
「初めまして、ヴィド・ヴァーチェと申します。訓練のお邪魔をしてしまい申し訳ございません」
頭を下げると、ミルカ様は僕の傍らに膝をつき綺麗な挨拶を返した。
「こちらこそ失礼をいたしました。ミルカ・クロゥレンです。本日はどのようなご用向きで?」
改めてミルカ様に用件を伝えると、彼女は一瞬眉を顰め、すぐさま表情を戻した。フェリス君もそうだったが、普通にしているだけなのにクロゥレン家の人間は警戒が早い。
何をどうすれば素直に言葉を引き出せるものか。まず護身用の短剣を座卓の上に投げ出し、両手を床について頭を下げる。
「クロゥレン家に敵対するつもりはありません。この場におけるどんな言葉も態度も、一切を問いません。ただ、僕はアヴェイラが何をしでかしたのかを知りたいのです」
頭上で彼らはどんな顔をしているのか。
数秒の沈黙が過ぎ、ミルカ様がふっと息を抜いた気配がした。
「頭を上げてください。……そういった物言いをするということは、何かアヴェイラに対して思うところがあるのですか?」
「ウェインが父上に宛てた書簡を見ました。傍聴人が獄中死するということは、事件への関与が認められたということではありませんか」
「関与……というか……言ってしまえば、判決を不服として私に襲い掛かって来たのが、捕らえられた最大の理由ですね。その場にはファラ・クレアスとジグラ・ファーレンも揃っていましたし、家の問題として襲撃を誤魔化すことは出来なかったでしょう」
耳にした言葉の意味を把握するまで、かなりの時間を要した。そして、把握しても……やはり意味が解らなかった。
愚かどころの話ではない。何とも形容し難いものが頭の中を駆け巡り、体から力が抜ける。
父上が僕達に事実を伏せたがることも無理はない。そして事実を知った他家の貴族が、こちらに侮りを見せることも仕方が無いというものだ。
自分の内側から出ている筈の声が、やけに遠い。気力を振り絞る。
「……因みに、実際に関与はあったのですか?」
「本人はあくまで明言をしませんでしたが、発端となった職人の妻を唆したのはアヴェイラのようですね。……私からもお訊きしたいのですが、よろしいですか?」
「僕が知っていることであれば」
迷惑をかけた償いにはならないとしても、縁者としては応じるべきだろう。
「ラジィ・ヴァーチェは何故、アヴェイラに固執するのでしょう? 状況をまとめようとしている貴方からすれば、クロゥレンに固執する彼の動きはむしろ邪魔なのでは?」
悩ましいところを突かれる。どう言い繕っても、僕が無能であることの証左でしかあるまい。
「それについては仰る通りです。僕としてもラジィは仇討ちに拘ることなどせず、自分の生活を大切にして欲しい。しかし――余程のことが無ければ、僕もアイツを止められそうにないのです」
何をどう説明すべきか。
言い訳を探す僕の前に、フェリス君が茶の入った湯呑を差し出す。反射的に受け取ると、指先が熱で痺れた。火傷しそうな感覚で、少し落ち着きを取り戻す。
「……十歳くらいの頃、僕とラジィのどちらかをアヴェイラと婚約させるという話が出ました」
湯呑の水面が揺れている。
アヴェイラが絡まなければ、アイツはもっとまともな人間でいられた筈だ。僕は今更になって、何故弟があの話に乗り気になってしまったのか、納得出来ずにいる。
「自分達よりも上の身分で、貴族間でも天才と称される異性に、ラジィは夢中になりました。身内が余りに持て囃す所為で、尚更魅力的に見えたのかもしれません。アヴェイラも熱心に言い寄られて、悪い気はしなかったようですね。……最終的に派閥の問題で婚約は流れたものの、二人の関係は切れませんでした」
だから、もう拘るなと言っても、アイツは諦めないだろう。
「今は詳細を伏せることで、軽々しい行動を取らないよう抑えています。ただ、今日の話を聞いて、どうすれば良いのか……」
長い時間を一緒に過ごした兄弟なのだ、ラジィのことを手にかけられる筈もない。
それでも、家を守ろうとするのなら。
結論を出す覚悟を持てない僕を、二人は黙ったまま見詰めている。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。