駒鳥は何故死んだ
翌朝、ウィジャさんとクインは連れ立って家にやって来た。
クインはミル姉の指導を受けるために外へ出て行き、俺はウィジャさんの解析結果を聞くため相手に向き直る。俺の気が逸っているのを見透かしたのか、ウィジャさんは愉快そうに口元を緩めた。
「急なお願いをして申し訳ありません、何か解りましたか?」
ウィジャさんは瓶を俺に返しながら、説明を始める。
「解るというか、まあ扱ったことがあるよ。こいつは痛みを霞のようにする――霞酒と呼ばれているもんだ。本来は傷口の洗浄と鎮痛作用のある塗り薬として使用されるんだが、内臓の痛みを緩和するために飲むって地方もあるらしい。材料が決まっている訳じゃないから、漬ける果物や薬草によって効能は微妙に変わる。鎮痛作用のある酒を、一部の薬師がそう呼んでるって感じかね」
なるほど、感覚を麻痺させて痛みを鈍らせる訳か。だから舌がおかしくなるんだな。
「出来としては?」
「まあ薬としてはそこそこ良い出来だよ。たださっきの話で言えば、コイツは塗り薬として使うべきだと思うね。腹痛が収まらんとか、そういうことでもない限り飲み続けるもんではない。却って内臓の機能を鈍らせちまう。扱いを間違えなけりゃ、死ぬようなことはないがね」
「そうですか……」
薬としては真っ当な物、ということか。まあ毒と薬は表裏一体で、何事にも適正な量があるというだけだ。毒殺の可能性は未だ消えずに残っている。
翻って効果を知った上で飲んでいる、或いは飲ませているとすれば、症状として胃痛や腹痛があるということか。外部からの重圧で、胃を悪くする人間は結構いるからな。
「常飲してる奴でもいるのかい?」
「ええ。その人と会った時に勧められた酒がこれだったんですが、口に含んだら舌がおかしくなりましてね。もしかして毒でも飲まされたのかと」
「ああ、知らなきゃそう思うだろうよ。その様子ならアンタが嵌ることは無いだろうけど、麻痺する感覚を楽しむような馬鹿もいるからね。体を悪くするから止めておきな。胃痛が原因なら、普通に医者を紹介した方が良い」
俺もそれが正しいとは思うが、伯爵が医者にかかっているのかはよく解らないため、曖昧に頷くに留まった。そもそもこのご時世に、依存症の治療は体系化されていないのではないか?
「ウィジャさん、飲むなと言っても酒を飲んでしまう人っているでしょう」
「いるね」
「そういう人が酒に依存しないよう治療した話とかって、聞いたことあります?」
俺の質問に、ウィジャさんは口元に手を当てて暫し考え込んだ。
「いや、聞いたことは無いね。そもそも病だとは思われていないから……でもそうか。確かに言われてみりゃ、病気みたいなもんか」
感じ入ったように、ウィジャさんは何度も頷く。
「考え方は面白いね。じゃあ、病気だとしたらどうやって治す?」
俺は医者ではない。
ただ、調合の階位を持っている人間として答えるならどうだろう?
人を害してばかりいる俺が、人を救いたいと言うのなら――ここをまず真剣に考えるべきだ。
「……何が原因で酒を飲んでしまうのか、まずそこを理解すべきだと思います。味が好きで飲んでしまうのであれば、酒精の入っていない似た味の飲み物を用意すれば、徐々に治るのではないでしょうか」
回答に対し、ウィジャさんが満足げな笑みを浮かべる。
「うんうん、なるほどね。じゃあそれ以外の原因なら? 例えばそうさね、憂さ晴らしで酒をたらふく飲んじまう、ってヤツも多い。これならどうする?」
恐らく今回の例がそれに当たる。そんな伯爵を治療するとしたら。
「憂さ晴らしってことは、何か嫌なことがある訳ですよね。根治させようと思うなら、そこを取り除かなければならない。仕事か、家庭か、或いは他の理由もあるでしょう。結局は相手のことを掘り下げなければ……回答は出来ませんね」
大きく頷いて、ウィジャさんは膝を叩いた。
「うん、良いね。肝要なのはそこだよ、相手と向き合って理解を深めることだ。患者一人一人、似ているようでも症状は違うからね。アンタ良い薬師になれるよ」
「……俺はそんな立派な人間じゃありませんよ」
ジェストのことが無ければ、伯爵を助けようとは思わなかっただろう。ウィジャさんは発言を謙遜と取ったようだが、あんなややこしそうな状況、普段なら距離を置いている。
まあウィジャさんの心証はどうあれ、躍起になって否定するほどのことでもない、か。
結局のところ、今後の展開は俺がどうしたいかによって変わっていくのだ。
「まあその人とは今後も遣り取りはあるので、様子を見つつ話してみますよ」
「それが良いだろうね。……まず気楽にやってみなよ。本人に治したいって意識が無けりゃ、どうにもならんもんさ。アンタが重く考えるようなことじゃない」
「ええ、そうですね」
これには同意する。
だからまずは、頼まれた仕事を確実にこなすことから始めよう。
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なるべく音を立てぬよう、静かに扉を開ける。中では想像通り、父上が机に突っ伏したまま眠りこけていた。飲み干してからどれだけ時間が経っているのか、酒杯にはねっとりとした黄色がこびりついている。
睡眠時間によっては起きてしまうかもしれない。もう少し早めに来るべきだったか?
不安が頭を過ぎる。……いや、家人が眠るまでは軽々に動けない。やはりこれで正しいとすべきだろう。
後ろを見張るラジィを手招きし、執務室への侵入を果たす。
「……手短に行こう。一時間だ、どうあれそこで区切る」
「解った」
執務室の資料を抜き取っては目を通していく。配列を乱すことのないよう苦心しながら、目当ての情報を注意深く探す。資料の数は膨大だ。無関係なものに当たる可能性の方が高い……というより、関係のあるものには未だ出会っていない。
何故、アヴェイラは死んだのか。
死んだ事実は耳に届いても、具体的な情報がこちらに入って来ない。最後の公的な記録はフェリス君の裁きにおいて傍聴人として登録されていた、というもので、そこから何故死ぬことになったのかは不透明なままだ。死因が病死となっているが、持病があったら近衛として取り上げられている筈が無い。
それに、死んだこと自体はまあ納得するとしても、アヴェイラの死が何故伯爵家の不利益に通じるのかも曖昧なままだ。話を理解していなければ対応も出来ないのに、父上はその点を頑なに伏せようとする。
結果として今あるのは、何だか解らないのに他家に侮られ、父上が酒に溺れるという現状だけ。
アヴェイラにご執心だったラジィは、真相――自分にとって都合の良い――を把握するため、半ば正気を失っている。
不審なことばかり起きている。
伯爵家は壊れつつあり、何処かで誰かが歯止めをかけなければならない。
そのためには、欠けた要素を埋められる人間が必要だ。
可能ならば、差し向かいでフェリス君と遣り取りがしたい。ラジィは同席したがるだろうし、何を仕掛けるか解らないため、落ち着いて二人きりで話がしたい。
ラジィをどうにか出来ないか。
考え込んでいると、ラジィが囁き声で僕に語り掛ける。
「ヴィド。次にフェリス・クロゥレンが来るのはいつになる?」
「まだ解らないね。影からも連絡は来ていない。存在には気付いているだろうから、用があればあちらから反応があると思うよ」
「あの盆暗が影に気付くか?」
「フェリス君が気付かずとも、ミルカ様が気付くさ。……迂闊なことをすると影が殺される、軽々しく動くなよ」
実際には、両者ともに間違いなく気付いているだろう。
僕の危惧を余所に、ラジィは鼻で軽く嗤う。彼我の戦力差をまるで把握出来ていないことが、酷くこちらを落胆させる。
「悠長なことだな」
「お前が性急なんだ。勝てない相手を挑発するのは止めろ」
今中央にある伯爵家の全戦力を集めたところで、負傷したミルカ様を仕留め切れるか怪しいものだ。武術強度が多少高い程度のラジィが、接近戦に持ち込める可能性すら無いと思う。
弱腰と取ったのか、ラジィからは改めて鼻息が漏れただけだった。
……何も解っちゃいない。
フェリス君は刃圏に身を晒してラジィの敵意を釣り出していたが、それにも気付いていないのだろう。弱い奴が不用心に近づいて来た、くらいにしか思っていないかもしれない。抜いたとしてもフェリス君が死ぬ想像は出来ないし、斬ったとしたら、全てが終わっていた。
アヴェイラに拘ったとて何になる。
僕は家を守りたいからアヴェイラの死を探っているだけで、彼女自体に執着は無い。クロゥレン家に仔細を尋ねたいとは思っても、勝てない相手に向かうつもりは無いのだ。
ラジィのこともあって不審がられてはいるようだが、フェリス君にはこちらを斟酌するくらいの度量はあると見た。敵対行動を避け、粘り強く交渉を続ければ、敢えてこちらに対抗してくることはしないだろう。
「……ん」
声を漏らしそうになり、咳払いにして誤魔化す。ラジィを盗み見ても、こちらを気にした様子は無い。
並べられた資料の陰に、書簡が一枚横倒しになって潜んでいることに気付いた。無関係な資料を手に取りながらそれを一緒に抜き出して、ラジィから見えないよう目を通す。
ウェインから父上に宛てたものだ。息を殺し、努めて冷静を装いつつ中身を確かめる。
……別の書簡があるのか肝心の経緯について書かれてはいないが、アヴェイラが獄中死し、ジェストが行方不明になったことが報告されている。
いや、ジェストは一度こちらに来た。日付からすればあれはアヴェイラの死後だった。そうでなければ包丁が届けられる筈が無い。特におかしな様子も無く、いつも通りの態度で父上と会い、用事を済ませて去って行った。
どんな遣り取りがあった?
そもそも何故、単なる傍聴人だった筈の人間が獄中死する? フェリス君の裁きは詐欺に関してのものだったと聞いたが……アヴェイラは共犯だったのか? 近衛による粛清?
得体の知れない何かに触れた感覚で、背筋に冷や汗が伝う。
詳細を把握しないまま、クロゥレン家に圧をかけなかったことは幸いだった。事は慎重を要する。一度頭を冷やす時間が欲しい。
書簡を袖口に隠しつつ、父上に目線を遣る。まだ起きる気配は無い、出るなら今の内だ。
「……そろそろだな、出よう」
「チッ。まだ何も見つかってないぞ?」
何も見つけられていないのはお前だけだ。場合によってはこの書簡も処分する必要がある。
「下手を打って領地に飛ばされたらどうする。情報を集めるなら中央にいた方が良いだろう」
まだ捜索を続けたがるラジィの背中を押し、部屋を出る。
頭の中で段取りをまとめる。
恐らくアヴェイラは、レイドルクとヴァーチェの急所に突き刺さる形で死んだ。嫌な予感はあったが、思った以上に状況は悪いのだろう。
……やはり父上には早急に当主を退いてもらわねばならない。周りを気にし過ぎる父上が、中央政治を続けようとすることに無理があったのだ。
さてそうなると、ラジィをどう遠ざけるか。
フェリス君の作業を待たず、すぐにでも工房へ出向くことに決めた。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。
8/27追記
視点表記を元に戻しました。
今後はなるべく解り易い描写を挟むことで対応していくつもりです。