伯爵家の男達
フェリスから話を聞き、まず最初に、話が大きくなりそうだと感じた。何せ私は当主とやり合って相手を殺している。こちらはあくまで被害者であり、暴漢へ至極当然の対応を取っただけではあるが、相手はそんなことを斟酌しないだろう。
「私じゃなくて、周囲を狙う可能性は高いでしょうね」
「まあ、俺よりも手負いのミル姉を警戒する気持ちは解る」
実際の所、手を出せば痛い目を見るのは私でもフェリスでも同じだ。仕掛けられたのなら無事で済ませるつもりは無い。とはいえそれはやられたらやり返すという話であって、被害を抑えることにはならない。
「しかし情報提供はありがたいとはいえ、その人……ガルドさんだっけ。大丈夫なの?」
「近衛だし、それなりの力量はあるだろう。ただ、上位貴族が相手だと、どういう搦手で来るか解らんからな」
状況によって逃げを選べるだけの判断力があれば良いが、近衛も色々と縛りの多い職業だ。こちらのことなど気にせず、自分の身を一番に考えて動いてくれることが望ましい。その方が、私達も気兼ねなく行動出来る。
「取り敢えず、父の伝手を頼るとしますか。私達が直接お願いに行くと目立ち過ぎるから……ミケラ、お願い出来る?」
「解りました。行く場所を教えてもらえれば問題ありません」
ヴェゼル達を巻き込む形になってしまったことが悔やまれる。本来ただの職人である彼らを、貴族間の争いに関わらせるべきではない。幸いなことは全員強度があるため、暴力に訴えられても問題無いことくらいだ。
しかしそういう意味では、セネス一家が目をつけられる可能性はあるのか。
「……クイン達はどうする?」
「今まで通りの付き合いをするしかないでしょうな。ある程度意識するにしても、過剰に反応して弱みだと取られるのも良くない。普通のご近所さんだと思わせるのが一番かと」
「そうね……取り敢えずそれくらいかしらね」
もしもクイン達が人質に取られたとして、助けられるようなら助けるとしても、こちらがあまりに不利になるのなら私は彼らを見捨てるだろう。距離を近づけない方がお互いのためだ。元々付き合いのあるヴェゼルにこの辺は任せよう。
さて、今の所は場当たり的で、特に斬新な手は打てていない。他に何がある。
前髪を掻き上げる。視界が確保されても、思考は明快にならない。
そして張り詰めた神経が、雑音を捉えた。
日も暮れた時間帯に、獣車の騒がしい嘶きが響く。もしかしてと考える間も無く音は近づき、この家の近くで止まった。
顔を見合わせる。
唇だけで、フェリスに隠れるよう指示を出す。フェリスは頷き、棚の後ろに溶けるように消えていく。
陰術を使った隠身か。この距離でもかなり注意しないと解らない。私が解らないのなら、来客にも解るまい。
「ミルカ様、上へ」
ヴェゼルが棒で天井を突くと、一枚の板がずれた。ちょっとした物置になっている空間に、ミケラが私を放り投げる。広い場所ではないが隠れる分には問題無さそうだ。
息を殺していると、やがて玄関が静かに叩かれる。ミケラが出て行くと、低い声の男と何やら問答が始まった。
「夜分に申し訳ございません。こちらはヴェゼル・バルバロイ殿の工房で間違いございませんか」
「そうですが、どちら様でしょう」
「私はヴァーチェ伯爵家の執事をしております、ディズム・チャスカと申します。こちらに、クロゥレン子爵家の方々がいらっしゃるとのお話を伺いました。主人が面会を切望しておりまして……お手数ですが、お取次ぎいただけますか?」
チィ――思った以上に真っ向から来た。これは後手に回った。
突然襲撃されるならまだしも、これは正規の招待だ。ミケラ達は平民である以上、何らかの配慮が要求される。
億劫そうな態度を露にしたまま、ヴェゼルも玄関へと出向く。
「話の途中に失礼しますよ、工房主のヴェゼルです。申し訳ありませんが、ご要望にはすぐにお応えしかねます」
「それは何故でしょう?」
「ミルカ様は先日負傷したばかりでしてね、今ちょうどお休みになられたところです。加えて、フェリス様も私用で外しております。主人らの意向も聞かずにこちらで回答は出来かねるのですよ」
僅かに沈黙が流れる。相手もどうしたものか考えているようだったが、再び話を続ける。
「それでは、こうした話があったことをお伝えください。ご了承いただけたなら、改めてお迎えにあがりますので」
「ええ。ではそのように」
ディズムは言うだけ言ってあっさりと帰って行った。貴族の関係者にありがちな横柄さも特に無く、淡々とした印象を受ける。
意図を伝えられていないのか、統制が取れているのか。後者の場合は厄介だ。
取り敢えず天井から降り、姿を現したフェリスと顔を見合わせる。
「どう思う?」
「口調は穏やかだし表情も崩れてはいなかったけど、仕事のために感情を抑えてるって感じだったな。思うところがあっても、職務には忠実なんだろう。ただ……敵意は師匠の対応の所為なのかクロゥレンに対して含みがあるからなのか、よく解らん」
隠れてろと言ったのに、顔を見に行ったな?
内心呆れはしたものの、判断材料が得られたのならまあそれは良しとするか。状況的に対応を迫られるのはフェリスだし、こういう場合に判断を誤る人間でもない。
「で、お呼ばれされた訳だけど、対応方針は?」
「出たとこ勝負になるんだろうなあ。いっそ仕掛けてくれたら、考えることも無くて楽なんだが」
心底嫌そうな顔で、容赦の無いことを呟く。
「最悪、何処かに逃げなさい。後始末は適当にやっておくから」
「取り敢えずどうなるか解らんし、クインの指の形だけでも作っておくか……。色付けは任せるかも」
受けた仕事に区切りはつけておくらしい。律儀なことだ。
フェリスは廊下に出ると何事かヴェゼルと打ち合わせをし、工房へと消えて行った。ミケラと顔を見合わせ、肩を竦める。
そう言えば、食事はどうしようか。
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もう考えるのが面倒になって、翌朝に早速伯爵家へ赴くことにした。久々の礼服に窮屈さを感じながら門の前に降り立つ。
ヴァーチェ伯爵家の屋敷は華美ではあるものの、落ち着いた佇まいをしていた。門からの通路に青く透き通った鉱石の雨避けがかけられており、海底を歩いているような気分になる。
硝子に似た素材があったのかなどと感心していると、先を行くディズムが俺に向き直って問う。
「如何なさいましたか?」
「いや、見事なものだと思いましてね。この雨避けは何で出来ているんです?」
「これは伯爵領で採掘されているスミ石を磨いた逸品です。やはり職人として、こういった素材は気になるものですか」
「そうですね。雨を遮りつつも明るさをある程度確保出来るというのが良い」
魔核で似たような物を作れないことも無いが、代替品はあって然るべきだ。正直自分用に少し欲しい。ただ、汚れているとすぐ解ってしまう分、掃除は多少面倒だろうなとも思う。
散歩気分で神秘的な道を行く。やがて見えて来た玄関先に、同じ顔をした二人の優男が立っていた。
一人は街中を巡回する兵士達と同じ装備をしており、表情には険しいものが覗いている。癖なのか、指先が長剣の柄を落ち着き無く叩いている。もう一人は小奇麗な紺色の服を着ており、対照的に穏やかな微笑を浮かべている。この場の景色も相俟って、随分と浮世離れして見えた。
雰囲気からして恐らくは伯爵家の血縁だろう。家族構成を予習してくる時間は無かった。基本を押さえていないなど、俺は非常に無学で失礼な客と言える。
初っ端からやらかした感を抱きつつ、なるべく平静を保って会釈をする。
「本日はお招きいただきまして、ありがとうございます。フェリス・クロゥレンです」
「やあ、ようこそ。伯爵家長男のヴィド・ヴァーチェだ。こっちは弟のラジィ」
「ラジィ・ヴァーチェだ。仕事明けなのでな、武装したままで失礼する」
夜勤が終わってそのまま来客対応か、ご苦労なことだ。
しかし、こちらの警戒心を外すかのような、普通の対応を取って来た。招待の段取りと言い、多少強引なところはあれど、無法な真似はしていない。探知をする限りでも、最低限の気配が感じ取れるだけ――俺なら伏兵を用意している。仇を前にして最短で殺りに来ていないのは何故だ?
少し気を緩めてみるか?
「お疲れ様です。魔獣はある程度駆除出来ても、まだ街中は騒がしいでしょう?」
「全くだ。どいつも気が立っているらしく、小競り合いが絶えん」
言いつつ、距離を詰めていく。
武装解除を求められた際、相手に自分の相棒を任せたくはないという理由で、鉈も棒も持って来てはいない。もうすぐ間合いに入るという段階で、長剣に触れるラジィの指先がより忙しないものになる。
多少斬られる程度なら『健康』で状況を戻せる。
後数歩。相手はやる気を隠し切れていない。これは抜くなと思った瞬間、ヴィドがラジィの腕を引いた。
「このまま玄関先で話を続ける訳にもいかないね。ラジィ、お客様の前なんだし着替えて来なよ」
「……そうだな、そうしよう。一旦席を外させていただく」
「お構いなく」
ラジィの背を見送りながら、ヴィドが意味ありげな流し目を寄越す。嫌味なほどに顔が良い。さぞや異性をざわつかせるだろうなと場違いなことを考える。
それはさておき、弟の稚気を解っていて止めたか。
まだ意図は読めない。というより、人によって対応がちぐはぐだ。統率が取れていないのではなく、取っていないように感じる。
子爵家の次男が不審死したところで、どうにでもなると思っている? いや、普通ならミル姉とジィト兄との対決は避けるだろう。手を引くにせよ出すにせよ、全員がまとまって動くべきだ。
狙いはなんだ。
「予想より大胆な男だね、君は」
「はて、どういう意味でしょう?」
思考の隙間を縫うように、ヴィドの口が開かれる。
「ラジィのことをどう見た?」
「……先程の遣り取りだけではなんとも言えませんが、多少お疲れのようだなとは。ただ、中央は現在不安定な状態にありますし、兵士として従事しておられるのなら、相応の気苦労はありましょう」
残っているのは蟲のような小物ばかりだとしても、平民にとっては充分な脅威だ。現場の混乱は易々と収まるものではない。
当たり障りのない言葉に、相手は僅かに苦笑する。
「どんな仕事にだって浮き沈みというものはあるさ。今は苦労しても、それがずっと続く訳じゃないだろう。そうだな……質問を変えようか。君はアイツを強いと思うかい?」
また答えにくい質問だな。
正直なところ、ラジィには脅威を感じなかった。俺が感じ取れないほど強いという訳ではあるまい。一般兵の装備だったし、突き抜けたものは持っていないのではないか。
「それこそ、戦っているところを存じ上げません。ただ、兵士という職務は惰弱な者には務まらんでしょう」
「惰弱ではないか。やり合えば勝てるかい?」
上位貴族と武器を持って切り結ぶなら戦争だ。一方的に殺すことは出来ても勝負にはならないだろう。
「無理でしょうね。やり合うなど畏れ多いことです」
ヴィドは目を眇めてこちらを見詰める。そして、ふと張り詰めた息を抜いた。
「クロゥレンの次男は凡夫と噂する者がいる。翻って君を確と見た上で、その才を絶賛した者もいる。やはり、噂など当てにならないということだね」
「……お褒めに預かり恐縮です」
柔らかく人好きのしそうな笑顔を、俺は飲み込めずにいる。同じ伯爵家でも、朴訥なビックス様と違って底が知れない。直情的なラジィの方が相手としては楽だ。
なるべく表情には出さないようにしているが、ヴィドはある程度こちらの内心を読んでいるように思える。
「そんなに緊張することは無いさ。さあ、応接室に移ろう。父上もお待ちになっていることだしね」
「ええ、よろしくお願いいたします」
互いに表面上は打ち解けた様子で、邸内へと入る。
目的は何なのか――妙な緊張感を強いられている。この面倒な男が敵に回らなければ良いが。
今回はここまで。
ご覧いただきありがとうございました。