45.小会議室の尋問 3
いつもお読み下さりありがとうございます。
誤字の報告も助かっております。
さて、尋問編の続きです。お楽しみ下さい!
まだ幼い少女が、この国の頂点を相手に得意気な顔で相対しているなんて場面、一体誰が想像したかしら。
窓の外にはたくさんの優しい明かりが灯っている。
城内のあらゆる建物から漏れ出す光や、歩道を照らすオレンジ灯、そして巡回にあたっている警備兵に手元で揺れるランプ。
今夜は夜会が開催されていたので、普段よりも多いのだろう。
暗い夜空に煌めく星を臨むことは出来ないけれど、顔を真っ直ぐ前に向ければほんのひと時だけ、美しい灯りの揺らめきが私を癒やしてくれるのです。
ええ、とてもじゃないけれど、そこ以外に目を向けていられないわ。
もう少しだけ、せめて名前を呼ばれるまではこの美しい外の景色で、直視したくない現実を忘れたっていいじゃない?
『不敬』と誰からか声が上がるやも知れないこの状況を、今しばらくは忘れていたいのよ‥‥
左隣に座るギルバートも私と同様、彼の真正面に座るベスパーバを超えた窓の外に意識を飛ばしているに違いない。
ギルバートのさらに奥にはこの国を担う御仁が3人鎮座していて、その彼らの視線は今、目を合わせられないでいる私達夫婦を飛び越えた先で一人得意気に立ち上がっている娘に注がれてた。
一時停止をしている暴走特急娘は、皆の沈黙に何を思っているのだろうか。
ネイリーンの弾丸トークに耐性のない面々の表情を確認する勇気を私は持てない。
「ネイリーン嬢。貴方に1つ聞いてもいいだろうか?」
ここに来て思いも寄らぬ御仁から声が上がる。
この国の頭脳であり王の右腕と言える人物。
2大派閥の宰相派を統べるドベルスキー様だ。
まさかドベルスキー様が声を掛けるなんて、何を聞きたいのだろうか。
窓の外に飛んでいた視線も、自然に声のする方へと誘われた。
眉のラインで真っ直ぐ切り揃えられた短めの前髪のおかげで、銀縁眼鏡の奥に光る琥珀色の瞳がよく見える。
さすがミスター冷静沈着。
いきなり始まったネイリーン講習に呆気にとられていたであろう彼だったが、一度付け入る隙間が空けば、直ぐさま立て直しは可能らしい。
『氷の宰相』の名に相応しい、見つめられたらカチンと固まってしまうような冷え冷えとした顔でネイリーンを見つめている。
「はい、何でしょうか?何でもお聞き下さい」
そう答えたネイリーンの声色はドベルスキーに合わせて落ち着いているが、まだいくらでも語っていたいという興奮は身体に残っているようで、目だけは爛々と輝やいていた。
「客観的に見て、貴方はこの事件をどう思われますか?犯人像や動機など貴方が思う事をお聞きかせください」
てっきり蜘蛛についての質問と思いきや、意図していない質問だったのだろう。
この問いにネイリーンは手を頬に当てコテッと首を傾げ少しの間だけ考え込む。
「--あの蜘蛛を選ぶあたり、ミュリエラ様に蜘蛛を放った方は相当な蜘蛛通か、全く適当な方かどっちかだと思いますわ」
「その理由を聞いても?」
ドベルスキー様は眼鏡をクイッと掛け直し、興味深そうに瞳を細めた。
「ええ。今回放たれたヴァスパリアはいたずらや嫌がらせであった場合に非常に有効な蜘蛛だからです。無毒とはいえヴァスパリアは私でも噛まれるの躊躇するくらいの激痛を伴います。あんな大勢がいる場で絶叫するのがわかりきっているあのこに噛まれるなんて、御令嬢にとっては恥以外ないでしょう。泣きたくなりますわ。さらに、あのこ達は一見すると完全に毒を持っているような理想的な容姿をしているので精神的なインパクトも強いです。蜘蛛が嫌いな方には相当きついと思われますわ。犯人がこれらを考え、意図して数ある蜘蛛の中からあの蜘蛛を選んだとすれば、その方は相当な知識を持った方でないと無理です。しかも、ヴァスパリアは先程も申しましたが有毒のヴァスパリウスと間違えやすいので、きちんと見分けられる自信がないと普通は手を出さないと思いますの。もしヴァスパリウスと間違えてしまったら結果は全く違うモノになってしまいますから。でしたらもっとわかりやすい蜘蛛を選ぶ方が得策です」
ネイリーンは軽く腕を組みを、うんうんと自分の答えに納得をする。
確かに一理あると思った。
嫌がらせをするのに、見分けが付きにくく特性の異なる蜘蛛を使うのは難しいだろう。
大勢の人の目に晒されたこんな王宮で事を起こすのだ。
相手がどんな反応を示し、どういう行動を取るのか、ある程度の予測はしていて当然だろう。
予測不可は自身の首を絞めることにるのだから。
「ネイリーン嬢、貴方は今『いたずら、嫌がらせの場合』と限定していたが、毒蜘蛛を使った殺害の可能性は考えたりはしないのですか?」
ドベルスキーの質問にネイリーンはフッと笑みをこぼして答える。
「ありえませんわね。仮に殺害を目的とし、間違えて無毒のヴァスパリアを放ってしまったとしても、本来放つはずだったヴァスパリウスが持つ毒では弱すぎるのです。あのこが持つ毒は人を殺害できる毒ではありません。なのでヴァスパリウスの毒を狙って使おうとしたしても、それは解毒を見越しての嫌がらせにしかなり得ないのです」
毒の強さまで知っているからこそのこの説明は理に適っていたので、その見解に一同がほぅと感心した。
ネイリーンは大人達の反応を確認すると続けてこうも話す。
「ただ皆様には知っておいて頂きたいのですが、いくら弱くても毒は毒ですの。命の危険はないとはいえ患部が腫れ上がる以外にもめまい、吐き気、人によっては高熱にうなされることもありますわ。また複数回噛まれればアナフィラキシーショックに陥り、最悪命に関わる場合もございます。決して弱いと言っても侮ってはいけないのです。ですので、嫌がらせ目的とは言え、安易に毒を用いる事は思いもよらない結果を引き起こしかねないのだと肝に銘じて下さいませ。幸い大体の毒には解毒薬がございますので的確な治療をすれば基本問題ありません。なので!もし皆様が噛まれた際は是非!わたくしの所までいらして下さいませ!!きっちり、かっちり介抱させて頂きますわ!」
せっかく途中までは為になる注意喚起をしていたのに、どうして最後にいつもいらないことを付け加えてしまうのは何故なのかしら。
『研究させてね!』と後ろに吹き出しが見えるような態度では、まだまだ安心して身を預ける事はできないわよ。
「話が逸れてしまいましたが、あともう一つ考えられる犯人像は、王家の夜会内で狼藉を働こうとする割にはその手段をきちんと把握せず、行き当たりばったりで蜘蛛を用意するような適当な人物ですわね。蜘蛛について詳しいわけでもなく、大方見た目だけで適しているものをと捕まえてきたのでしょう。もしくはこの2種の蜘蛛の特性は知った上で毒で苦しむか、噛まれて苦しむかどちらでもいいと後先を考えずに動く大雑把な性格の方かもしれませんわ」
なるほど。
後先を考えない適当なお馬鹿さんてことね。
ネイリーンの考える犯人像を思い浮かべてみると、ここでもまた1つの違和感が生まれた。
確定はしていないけれど、蜘蛛を放ったのはミュリエラ様自身であると私は踏んでいる。
ただ生粋のご令嬢である彼女が自分で蜘蛛を捕まえに行くなんて事は有り得ないので、蜘蛛の用意は信頼できる侍女などに頼むであろう。
しかし自分の身体に触れさせるモノを適当なんかに済ませるかしら?
私なら詳しくなくても何の蜘蛛にするか位は調べるはずだわ。
皆の目を引きつつも実は害のない蜘蛛を用意する。
大衆の前で絶叫し気絶してしまうような蜘蛛なんて嫌だもの。
そもそもミュリエラ様も、いえ、ネイリーン以外の女性なら誰しも蜘蛛なんか自分に這わせたくもないから、騒ぎを起こすにももっと違う方法をとりそうなモノだけれども‥。
「では今回の動機はミュリエラ嬢のみにだけ向けた嫌がらせだと言うことで宜しいかな?」
私がそんなことを考えていると、ドベルスキー様がまるで何かを探るような含みのある言い方で再びネイリーンに尋ねた。
この質問に今までは即答してきたネイリーンの口が重くなる。
「‥‥あとは‥私‥‥を陥れたいという‥可能性もあるかと‥」
今までにない低いトーンでネイリーンが呟く。
考え込まずに返答できたあたり、なんとなくそんな気もしていたがわざと気付かないようにしていたのかも知れない。
さすがのネイリーンも、自身に対して向けられた悪意の可能性を考えて言葉が詰まってしまったようだった。
それもそうだろう。
聡明そうに見えてもこの娘はまだ9歳の幼い少女なのだ。
初めて赴いた夜会で、自分を犯人に仕立て上げようと画策されていたかもなんて考えただけで恐ろしい。
いずれは様々な所で受けるであろう貴族社会の複雑な駆け引きだが、なにもこんな幼さで、さらに初めての社交場で晒される必要はないはずだ。
私はわざと誰もいない方向へ顔を向け俯くネイリーンを不憫に思った。
口元を手で押さえ沈んでいるネイリーンを慰めたくて、その小さな肩に大丈夫だと手を置こうと右手を上げかける。
だかしかしその時、予期せぬ言葉がネイリーンから発せられた。
「‥いえ、もしかしたらご自分の蜘蛛知識を見せつけたかった線も捨てきれませんわね。私への挑戦状的な?お前達にこの蜘蛛が分かるのかといった謎解きかしら?もしそうならば私もっと研究に励みませんといけませんわね」
私の心配をよそに、最後になってぶっとんだポジティブ思考を付け加えるネイリーン。
両の手をお腹の前で握りしめながら謎の気合いを自身に注入する姿を見て、上げかけた手がストンと落ちたのは言うまでもなく、さらに呆れて顎が抜け落ちそうになった。
どこをどうして自分への挑戦状だと思ってしまうのか。
蜘蛛知識を比べるためにここまでの事をする理由があるわけないじゃないか。
ついさっきまで私が心配していた時間を返して欲しい。
「それだけは違うと思いますよ」
何を言っているんだと思う面々の中、皆を代表してドベルスキー様が的確なつっこみを入れてくださった。
さすが宰相様!!
おかしな方向になりそうな流れを読んで、キッチリと話を断ち切ってくれる。
「そうですか。-でしたら私からは以上ですわ」
自分の言い分は全て言い終えたらしいネイリーンは、スッキリとした顔でドベルスキー様に微笑む。
ドベルスキー様はそれを受けると、今度は陛下に視線を合わせて『こちらは大丈夫です』という様に軽く頭を下げた。
「他にネイリーンに聞きたいことはある者はないか?なければもう子どもには遅い時刻ゆえ、下がらせるが‥」
陛下は一度全員の顔を確認したが、誰も口を出す者はいなかった。
「ネイリーン、遅くまでご苦労であった。王宮内に部屋を用意させてあるので今夜はそこで休んで行くといい。ギルバートとステフィアも用が済み次第、其方のいる部屋に向かわせる」
「えっ?研究室に戻らなくて良いのですか?」
この後、研究室に戻れると思っていたのであろうネイリーンは、恐ろしくも陛下のご厚意に素直に従わず言葉を返した。
黙りなさいっ!!ネリイイイイ!!
私の血管が瞬時にピキピキと張り詰める。
「もう十分だ。また機会があればゆっくり案内させるので今日はもう休みなさい。初めての夜会の後で疲れもあるだろう」
「‥わかりました。それでは下がらせて頂きます」
ありがたいことにネイリーンの口答えに嫌な顔をせず、逆にこの部屋に入って以降、厳しく締まっていた顔を少しだけ緩めて陛下がネイリーンを諭してくれた。
ただ、ファンドールの屋敷に帰すのでなく王宮内に部屋を用意するあたり、完全にネイリーンが容疑者から外れている訳ではなく、いつでも確保できるよう監視下に置いたのだという意図が窺え、改めて抜かりのない方だとも思った。
陛下の意図など読み切れないネイリーンは研究所に少し後ろ髪を引かれる思いもあったようだが、次回の約束を取り付た事で満足し、今度こそ素直に陛下の指示に従うようだ。
私は一人で部屋に通されるネイリ-ンを案じて席を離れようとするネイリーンに顔を向けると、ネイリーンも同様に私を覗き込んでいた。
しかし、その顔はまるで、『では先に行って待ってまーす』と自宅の寝室へ駆け込むような明るい表情だったので、この場に呼び出された心労や心細さの心配は大丈夫そうだなと安堵した。
王宮付きの侍従に伴われ出口へと進むネイリーンは、扉の前まで行くとこちらに向き直り、
「それでは皆様、お先に失礼致します」
と模範的な礼をして出て行った。
よかった。
とりあえず細かい事は後にするとして、この場で叩き切られるような状態にならなくて本当に良かったわ‥
パタンという音と共に扉が閉まりネイリーンの姿が見えなくなると、私とギルバートは途端にガッツリ背負っていたプレッシャーから解放され、二人して大きく息を吐いた。
しかし一難去ってもう一難とはこの事だろう。
嵐のネイリーンと入れ替わるように、神妙な面持ちの侍従が滑り込むようにこの部屋に入ってきたのだ。
その侍従の手には押印の押された封書が握られていた。
気の向くまま書いているので、更新がいつも不定期になってすみません。
早く尋問編が終わるよう頑張ります。
ではまた次回!!




