44.小会議室の尋問 2
お読み頂きありがとうございます。
誤字脱字報告も本当に助かっております。
後半に虫の話が出て来るので苦手な人はサラーっと流してくれ呼んで下さいね。
ではお楽しみ下さい。
―小瓶に見覚えはあるか?―
その問いに、気が緩んでいたベスパーバに緊張が走ったのが分かった。
来たか、と思っているんだろう。
まさか問われるとは!とは思っていないよね?そこまでお馬鹿さんではないわよね?
「小瓶‥ですかな。ええ、どこにでもある普通の小瓶でしたな」
弱冠だがベスパーバの声が上擦る。
「そう、普通の小瓶だ。ただ、ここに来る前にこの瓶についての裏付けはすでに済んでおってな。私が何を言いたいのか、わかるな?」
「…なんの、ことでしょうか?」
大蛇の睨みと対峙しながらしれっと白を切るベスパーバに感心もするが、この状況では分が悪すぎるだろう。
陛下は小物の抵抗など意も介さないかのように余裕の笑みをフッと浮かべ続けた。
「あの小瓶、其方の屋敷のもので間違いないそうだ。ギルバートが指摘したロット番号末尾にある文字についてシリナルス商会に直接問い合わせた結果、『ベスパーバ侯爵家行き』を表しているという証言が取れている」
「……」
「となると、あの瓶の所有者の可能性が高いのはミュリエラになるな。もちろん、其方や夫人の可能性もあるだろがな」
陛下がチロリと夫人の方に目をやると、夫人はまるで雨に濡れた子猫の様にフルフルと震えながら首を振り「違います…」と聞き取れないほど小さな声で呟いた。
その隣のベスパーバは私からは確認出来ないがきっと膝の上で拳をキツく握っているいるのだろう。
肩から上腕に掛けて小さく震えているのが確認できた。
「どうしたのだ、ベスパーバ。私はただ、あの場に落ちていた瓶が其方の家の物だと告げただけだ。あの小瓶はまだ調査中で中身がなんだったのかはわかっていない。…しかし、仮にあの小瓶から蜘蛛の痕跡が発見された場合、其方は一体どう説明するつもりなのか、私は気になるのだよ」
―『何か申して見よ』―
そんな声が聞こえてきそうな迫力で陛下はベスパーバを見つめている。
その顔には子どもを困らせて楽しんでいるかのような、この後ベスパーバがどう動くのかを期待しているような、意地の悪さが滲んでいた。
「…あのような場で我が家から持ち出された物が見つかるのは誠に遺憾です。私にとって最悪の結果がもたらされないこと切に望んでおります」
さすがに気まずいのかベスパーバは苦々しく答えながら陛下から視線を逸らした。
そしてその逸らした視線の先にはベスパーバが与する派閥の主、ルベリオス殿下の姿があった。
自身の直属の部下が兄陛下に尋問されているというのに、ルベリオス殿下は援護する様子もなく黙ってジッとこの場を見ている。
立ち上げた金の短髪に意思の強さを感じる太めの眉。
陛下と顔立ちは似てはいるが、やはり全体的に色気があるというか、男くさい。
陛下の横で腕を組んでどっしりと構える様子は、さすが王族と言った雰囲気を醸し出していが、細められた王家の血筋を表すアメジストの瞳は、目の前の光景をただ映しているだけで何の感情も読み取ることができなかった。
視線を合わせているベスパーバに対しても憤っているのか、心配しているのか、それとも一切何も思っていないのかわからない。
私はその掴み所のない無表情のルベリオス殿下に、得も言われぬ恐怖を覚え身が竦む思いがした。
ただ、ベスパーバの方はそんなルベリオウス殿下に、懇願するような切実な視線を送っているけれど。
――コンコンッ
緊張が高まったこのタイミングで再び扉がノックされる。
「ネイリーン様が到着致しました」
「入れ」
陛下が許可すると開かれた扉の奥にネイリーンの姿があった。
夜会会場から出て行った時と同じ翡翠色のドレス姿なのだが、介抱で動いたせいだろうか?
少し見ない間に随分と皺が寄った気がする。
「失礼致します。お呼びとのことで参りました」
ネイリーンは一歩部屋に入るとドレスの裾を持って丁寧な挨拶をした。
この部屋に漂う空気の悪さは感じているだろうに、平然とやってのける娘は私が思う以上に大物だ。
「ステフィアの横に座るがよい」
陛下に促されネイリーンは私の隣まで来ると、着席する瞬間にチラリと私を見た。
そしてネイリーンと目がばちりと合った瞬間、私は今までとは違う、ある意味で陛下達が醸し出すモノよりももっと強い恐怖に駆られたのだ。
それは、ほんの一瞬。
ほんの一瞬だがネイリーンが「見てくれ!」と言わんばかりのご満悦の表情で私に笑いかけてきたからだ。
その笑顔を見た途端、私の額からじわりと汗が滲む。
なぜなら、あの表情をする時のネイリーンを私は知っている。
何度も何度も見たことがある表情だったからだ。
時には食事中に、またある時には入浴中と人の都合など一切考えない。
来客時にはナナリーが必死に扉を死守しましたと報告が上がって来るほどだった。
そう、あの顔をした時のネイリーンの頭の中は、ビッチリ毒という名の推しでいっぱいになっていて、それを誰か(主に私)に語り尽くしたくてしょうがなくなっているのだ。
なぜ今その表情しているのよ!!
何があったていうの?ここは王宮よ?
って、あああああ!!!
瞬時にこうなってしまった原因に辿り着いた私は、しくじったと見えない舌打ちを何度もする。
そうよ!ネイリーンはさっきまで王宮に研究所で蜘蛛を調べていたのよ。
毒を有しているのか、有していないのか。
毒があるならば血清などの治療薬の準備もしなくていけなくなる。
毒好きネイリーンにとってはパラダイス!
パラダイスでしかないのだ!!
ミュリエラ様に対しての真摯な態度で見過ごしていたが、研究所なんて楽園にあの娘を放ってはいけなかったのだ。
私はもてる全力の母の力を使って、ネイリーンに『今はやめなさいよ!!』と威圧をかけた。
この場で暴走が始まってしまったらなんて、想像をするだけでも吐きそうになるわ。
お願いだから、後でいくらでも聞くから、い・ま・はっ!!やめてっ!!!
あまりに必死な母の形相はさすがの娘にも通じたようで、不気味な満面の笑みの力を抜いて普段の顔に戻ってくれた。
だからといって安心はしきれない。
しかし、とりあえず初撃を回避出来た私はフゥと小さく安堵のため息を吐くと、私から漏れ出す凄まじい気迫は隣にいるギルバートにも伝わったようで、どうしたんだという目を向けられていた。
口を開くことが出来ない代わりに、ちらっと目をネイリーンに向けるとそこはギルバートも長年一緒に暮らしてきた父親だ。
なんとなくネイリーンがやらかしそうなのは伝わったらしく、ピクリと顔がひくついた。
「さて、ネイリーン。幼い其方をこのような場に呼び出すのは忍びないのだが、少し話を聞かせてもらう。まず先に言っておくが、この場で嘘を申した場合は幼い其方も虚偽罪として法に則り処分の対象となる。私が聞く事にはどんな事も正直に答えると誓えるか?」
鋭い口調ではあるが、やや棘を抜いた声で陛下がネイリーンに問う。
「はい、誓います」
私のまだ渦巻くモヤモヤとは裏腹に、すでに頭を切り替えたネイリーンが真っ直ぐ陛下を見つめて答えると、陛下は満足そうに「うむ」と頷いた。
「では聞こう。ミュリエラに毒蜘蛛を放ったのは其方か?」
「いいえ」
ネイリーンはきっぱりと否定する。
「其方が近づいてすぐミュリエラの腕に蜘蛛が湧いたそうだ。其方がやったのではないとすれば、その場にいて何か気づく事はなかったか?今一番疑わしいと思われているのは其方なのだ」
「私は拾ったハンカチをミュリエラ様に手渡しただけです。そもそも今日初めて会った方に蜘蛛を差し出す理由が見当たりません。あんな貴重な蜘蛛を放ってしまうなんて考えられませんわ」
「……」
最後の一言はいらなかった。
いらなかったわよ!ネイリーン!!
ほら、陛下の眉がピクリと動いたじゃない。
何を言っているんだって思われているのよ!
ネイリーンと陛下のやり取りはやはり綱渡りだ。
いつあの娘の導火線に火が着くか考えるだけで私は気が気じゃない。
ネイリーンの、そして我が家の一大事に関わる事にも関わらず、私の心配事は今一つ、みんなと違うベクトルを向いていた。
「……そうですわね、あの時に気になる事があるとすれば……ハンカチを受け渡し時に一点、不思議に思ったことがありました」
「!? なんだ?申してみよ」
「はい。私が拾ったハンカチをミュリエラ様がお受け取りになられた時、片手だけでお受け取りになられたのです。ミュリエラ様のような方があのような粗雑な素振りをされた事に少し驚きました」
ほほう、ネイリーンからのまさかの指摘である。
確かにこの世界の貴族は、人から何かを受け取る時は両の手で受け取るのが正しいマナーとされている。
砕けた場でなら多少許されるだろうが、今夜のような社交の場では片手で『ほらよ』とはあげないし、もらう方も最低限片手は添えるだろう。
幼い頃から王妃教育を詰め込まれてきたであろうミュリエラ様が、そんな事を大勢の前でするとは思えない。
何かそう出来ない理由がない限りは―。
例えばそう、何かを手に持っていたりとかしない限りは‥‥
「嘘を申すなっ」
「黙れっベスパーバ!!今は余が話しておる!!」
ベスパーバの横やりを稲妻を落とすように陛下が断ち切る。
ぐぬっっと小さくうなりながら口を噤んだベスパーバだが、怒りの灯った瞳でネイリーンを睨み付けた。
「失礼したな。今申した事、嘘ではないな」
「はい」
「そうか…」
落ちていたベスパーバ家の小瓶に、不自然な動き。
まだ点と点ではあるが、段々と真相に近づいているように思えた。
あともう一つのパーツが嵌まれば、きっとここにいる人が今、頭に思い浮かべた疑念が事実だと辿り着くのではなかろうか。
それを口に出来ないでいるのはまだ、あくまで想像でしかなく、これだといえる決定打に欠けているからだった。
「そういえばネイリーンは今までミュリエラに付着していた蜘蛛の特定をしていたそうだが、それは済んだのか?」
!!!
最も恐れていたキーワードを陛下が口にされ、私に衝撃が走った。
陛下っ!!地雷を踏み抜いておしまいなの?!!
寝た子が起きてしまうのを恐れた私は、体裁を保つにも忘れてガバッと勢いよくネイリーンの方へ振り返る。
!!!!あ…なんてこと…
脳内中はすでにけたたましいアラート音が鳴り響いていた。
ああ、まずいわ…どうしてなの?陛下。
なぜそんな危険なワードを投げかけておしまいになったのですか。
アレについての回答をネイリーンにお求めになるなんて、空腹で気が立ったライオンの前に骨付き肉を放るようなものなのに!!
目の前のネイリーンの顔がみるみる紅潮していく。
さっきまでスンっと平静を保っていたはずの瞳にはすでに、興奮を隠せないギラついた炎が灯っており、それを確認してしまった私は膝から崩れ落ちるような感覚に襲われた。
もうカウントダウンは残りわずかだろう。
一度口を開いてしまえば、何人たりとも気が済むまでネイリーンの話は止まらない。
ああっ!唯一やんわり道筋を作って上手く操縦してくれるハリオットを家に帰してしまったのが悔やまれるわ!
心の私が泣いている。
間もなく開催される、果てしないネイリーンの毒談義に…
終わりかもしれないわね、私もファンドールも。
権力御三家にこの娘の本性がバレてしまうわ。
うう、ごめんなさいね、ピート、マーサ、ファンドールのみんな。
「陛下っ!!聞いてくださいますの?!」
キタアアアアアアアアアア――――!!!!
「ええ!ええ!!私はまず研究所でミュリエラ様から捕えた蜘蛛の種類の特定を行いましたの。やはり当初からの予想通りあの蜘蛛はヴァスパリアという品種で間違いありませんでしたわ。ヴァスパリアはこの王都ヴァーパス近郊の森でしか採取できない珍しい品種なんですの!私が王都に来た目的にこの蜘蛛の採取がありましたので、こんな時に不謹慎とは思いますがラッキーでしたわ!!」
堰を切ったように早口でネイリーンは陛下にその熱い胸の内を語り出す。
出だしから絶好調のようで、もはやこの部屋に張りつめていた空気などお構いなしだ。
一気に溢れだしたネイリーンの言葉に、私、ギルバートは頭を押さえ、その他の人達は固まる以外選択肢などない。
どこでスイッチが入ってしまったのかわからないので皆、呆けるしかないからだ。
けれどもネイリーン列車はそんな彼らのことなど無視で、決して走ることをやめはしなかった。。
「このヴァスパリアの最も大きな特徴は対となる種があることなのですわ。黒色の長毛種でずんぐりむっくりのこのフォルム。また2センチほどしかない手頃なサイズ感もたまりませんわね。ああ、あの可愛らしい姿はいつまででも眺めていられますわ!でもこの姿とほぼ同じ姿の亜種がいるのです。名もヴァスパリアに対してあちらはヴァスぺリウス!一目で見分けるのは困難と言われるくらい似ているんですわよ。ではどこで見分けるのか気になりますでしょ?こちらを見分けるにはまず蜘蛛の体をひっくり返してお腹を見ますの。蜘蛛の体は大きく分けてお腹、つまり腹部と頭、こちらは頭胸部と呼ばれますが足の生えているところですわね。このちょうど境目にうっすらと線が入っているか、いないかの違いがあるのですよ!この違いだけ!!この違いがあるかないかで大きくその性質が異なる蜘蛛になるのです!!」
「ほ、ほう…」
勢いよく言い切ったネイリーンの圧の強さに、あの陛下がためらいがちにだが相槌を打ってくれた。
もう止まって!ネイリーン!!
お願いだから、せめて、普通のテンションで話してちょうだい!
そして蜘蛛のパーツを言われるとそれを想像してしまってちょっと気持ちが悪い映像が流れるから、詳しくは説明しないでちょうだい!!
私は暴走列車に少しでもブレーキを掛けようとそっと、いえちょっと強めにネイリーンの膝を叩いたが、何を勘違いしたのかそのサインをGOサインと解釈したネイリーンはさらにいい笑顔で頷いた。
あああ、まだだめなの?終わらないの??
「そうですよね、ここまできたら聞きたいですわよね?!この対なる蜘蛛の性質の違いを!」
ネイリーンはさらに加速をし、ガタンとその場に立ち上がる。
もう私とギルバートの眩暈も止まらない。
「一番の違いは有毒か無毒かなのですわ!!」
この言葉に引き攣っていた面々の表情に鋭さが戻る。
しかしネイリーンはそんな事などお構いなしで次の句を続けていった。
「ヴァスパリアは毒を持っておりませんが、逆にヴァスパリウスは弱い方ですが毒を有しております。命を奪うほどの毒ではありませんが厄介ですわよね!なんせすぐに判別がつきませんもの。ミュリエラ様に付着していたのはヴァスパリアでしたので毒の心配はございませんから安心なさってくださませ」
今さらっと重大な事実を言いましたよね?
ミュリエラ様を噛んだのは無毒のヴァスパリア。
となると命の危険はまず回避されたってことね?
「え?あんなに叫んでいらっしゃったのに?」
また私の悪い癖でポロっと考えていたことを口に出してしまっていた。
するとネイリーンはそんな私の言葉を拾い、「そう思いますでしょ?!!!」と手をがっしり掴まれ顔を近づける。
「実はこの蜘蛛達、ちょっと性格がひねくれてますのよ!そこも魅力の1つなんですけれどもね!なんとこのヴァスパリアは毒がないくせに噛まれると物凄く痛いんです!毒がないからこそそうやって攻撃をするのですが、顎の力がとても強くて噛まれたその痛みで失神する人が後を絶たないのです。ミュリエラ様が倒れてしまったのもそのせいですわ!逆に有毒のヴァスパリウスは噛まれたのが分からないくらい優しく噛むのです。ですが毒は気付かれない分しっかり注入されているので、結局時間差で苦しむことになりますけど。ただどちらも噛まれた患部はかなり腫れて熱を持ちますので、きちんと手当をしなくてなりませんのよ」
ようやく一息つける停車場まで辿り着いたのか、ネイリーンはふふんと得意気に笑いながら私から顔を離し、再び陛下に顔を向けた。
とうとう覚醒ネイリーンを書けました。
まだしゃべり足りないと思うので次回もいってくれる‥‥と思いますよ。
ちょっと強引な切り方になってしまいましたがまた次回!