38.お酒はほどほどにすべきです。
お読みいただきありがとうございます。
誤字脱字の報告も助かっております。
今回はいつもより長めです。
ではお楽しみください!
「ファンドール夫人!どちらにおいででしたの?探しましたわ。是非ご挨拶させて下さいませ」
ミュラエラ様と別れ再び会場に戻ると、すぐに数人のご婦人に囲まれた。
やはりあの殿下の態度を見て婚約者の座はネイリーンに決まりと大体の人が踏んだのだろう。
日和見的な立場にいる貴族達は自身の将来の安泰の為に、未来の王妃の母となるであろう私に取り入ろうと必死に擦り寄ってくる。
これが悪いとは言わないけれど、最初は遠巻きに私達を見てあれやこれやと好き放題言っていた口が、その舌の根も乾かぬ内にネイリーンや我が家を持ち上げてくるのは如何なものかと少し不快であった。
彼らは時勢が変わればあっという間に強い方へと流れていく。
味方に付きますよと言っても結局は根無し草だ。
いくら足場固めに社交に力を入れようとしている私でも、彼らに真摯に向き合う必要性は感じられなかった。
かと言って邪険に扱えばいらぬ禍根を生みそうなので、ここは取り止めのない事をいくつか話して上手く切り上げ、私はギルバートと彼に任せ切りにしていた子ども達の姿を探す。
本来なら人が溢れる会場内で特定の人物を探すのは一苦労なのだが、いかんせん子持ちはたった3組だけ。
ぐるりと見渡せばすぐに小さな影が3つくっついている長身の男の後ろ姿が見つかった。
ただやはり彼の周りにも私と同様にわらわらとたくさんの人が集まっており、離れた場所から見るその様子はあたかも落ちた飴に群がる蟻のようであった。
目に見える権力のない私ですら囲まれてしまうのだ。
今後王宮への復帰が確定したギルバートならば、より一層多くの人が集まってくるのは必然なのだろう。
今からこの中に入っていくのはちょっと気後れしてしまう。
ギルバートの隣が居場所の私には避けようがないことだとは知りつつも私の足取りは重かった。
あら?子ども達も疲れてきたのかしらね。
何だか全員の顔が曇っているような……
人垣に近づいて行くと先程は他の人の影で死角になっていたギルバートの右腕に、ピタリと寄り添う女性の姿が目に飛び込んできた。
あらあらあら、私がいないからと言ってあからさまにアピールを仕掛けてくる小虫がいるなんて…
私は自分の心の底からざわざわとした黒い塊が這い上がってくるのを感じた。
自領ではさすがに領主のお手付きになろうとする猛者はいなかったが、ここは有象無象の貴族社会。
いくら既婚者といえどその寵を求めて近づいてくる性悪はいくらだっているものね。
9年もの間、エンナントで隠居生活を送っていたので忘れられていたが、ギルバートはこの中に放って並べてみれば「公爵、有能、美形」の3拍子揃った非常に優良物件だった。
強かな女性なら今からでも奪ってみせると意気込んでしまうのも頷ける。
が、しかーーーし!
誰が許しても私は許しませ--ーん!!
妻がいるのを分かって近づいてくる奴に容赦など必要ないのである。
私は臨戦態勢とばかりに持っていた扇子をポンポンと手の平に落としながら、今まで以上に肩を張り近づいて行った。
冷静でありながらも怒りが頭を支配しているので、さっきまでの憂鬱な気分などどこ吹く風である。
ギルバートは後ろを向いているため、今どういった表情を浮かべているかは分からない。
そもそも私はギルバートが誰かとどうこうなるとは端から思ってはいない。
この怒りはギルバートにではなく、他人の物に手を出そうとしている不届き者に向かっている物なのだ。
きっと彼のことだから皆の手前上強く拒否すことも出来ず、いつもの貼り付けたよう顔を浮かべているか、それともエンナントで身に付けた余所行き用の笑顔を浮かべているかのどちらかだとは思う。
万が一鼻の下を伸ばしているとしたら、子ども達(特にネイリーン)から冷たい目線でも送られてくれればいい。
今更ギルバートが誰かに揺れるといった事はないとわかってはいるが、だからといって放置してもいいわけではない。
妻の目の前で旦那を狙う輩がいたならば、受けて立たなければ女が廃るというものだ!!
徐々に距離を詰めていくと、まずギルバートと対面しているどこぞの青年の一人が自分たちを見据えている私に気付き、一気にその顔色を変えた。
パクパクと金魚のように口を開け閉めさせながら、ギルバードにすり寄る女性に何か告げようとしているようだった。
青年の両隣にいた面々は明らかに不審な青年を不思議に思い、何を見ているのだと青年の視線を辿ると、その先にいる私を見つけ先程の青年とそっくり同じ動きを見せた。
3人の男性がパクパクと口を開けて並んでいる様子は餌待ちをしている雛鳥にそっくりで、私はギルバートまであと一歩と言うところで盛大に吹き出してしまった。
「!!!」
この声にギルバートを中心とした人垣が一斉に私の方へ振り返る。
ああもうダメだわ、おもしろすぎる!!
怒る気も失せてしまったわ。
幸い吹き出す瞬間、顔を扇子で隠していたので誰にも見せずに済んだが、必死に笑いを堪える私の目には涙が浮かんでいた。
「ステア!戻ったのか。体調はどうだい?」
念願の私の登場に、ギルバートは失礼だとは思いつつも勢いよく私の方に振り返り、女性を自分から遠ざけた。
その顔はどこか疲れていたので、私が予想した通り彼女の対応に困惑していたものと思われる。
「お、お待たせ致しましたわ、貴方。ごめんなさい、あまりにもこの方達の反応がおもしろくって…」
「!!!」
私の言葉に雛鳥3人衆の顔がカッと赤く染まる。
自分の行いの意味か何かを言いたいのだろうが、言葉を出てこないらしい。
また3人揃ってパクパクとし始めたので、再び私の腹筋が悲鳴をあげた。
もうやめて!
これ以上は耐えられないわ!
立派な淑女たるもの、人前で爆笑なんて許されない。
私はどうにか平静を保とうと、なけなしの根性と気合で噴き出しそうな口を抑え込む。
溢れそうな涙の雫を人差し指で拭い、一度大きく深呼吸をすると、何とか自分をコントロール出来るまでに感情を抑えることができた。
「もう…すっかり毒気を抜かれてしまいましたわ」
「えっ!毒??どこですか、お母様!!」
「ネイリーン…お黙りなさい」
殴り込みをするような気でいたのに、彼らのおかげで出鼻をくじかれてしまった。
ようやく落ち着きを取り戻した私は、何が起こったのかわからず固まっている方々の前に立ち、流れるようにゆっくりと裾を掴んで軽く頭を下げた。
「皆様、お騒がせしまして申し訳ございませんでした。ギルバート・ファンドールの妻、ステフィア・ファンドールと申します。以後お見知りおき下さいませ」
爪の先まで神経を張り巡らせた美しい挨拶は私の自慢。
作法の先生からも素晴らしいとお墨付きを貰っている代物だ。
磨き抜いた淑女の振る舞いは、力のない女性が場を制する武器であり防具になる。
“吹き出しながら現れた公爵夫人”という不名誉な烙印を押されそうになっていた私だったが、一気にこれで名誉挽回、形勢逆転だ!
逆に落差が大きいことでより鮮烈に私の挨拶は脳裏に焼き付いたことだろう。
その証拠に私に集まるその視線はボーッととろけているようだった。
よし!!危なかった!!
私としたことが、不意打ちを食らったとは言え王家の夜会で吹き出すなんて有り得ないわ。
まったく!それもこれも貴方のせいよ!!
またギルバートにくっつこうとしている小虫さん!!
雛鳥3人衆のせいで一度は思考から外れてしまったが、ここにきてようやく元々の原因であるギルバートにひっついていた女性の顔を拝むことができた。
私はわざと少し威圧的になるように伸びた背筋を更に伸ばして対面する。
もちろん、淑女たるもの睨んだりしないわよ。
にっっっこりと深ーい笑みで向き合った。
20代前半と思われるその女性は捕食者の部類にいるだけあってそれなりの美貌を誇っていた。
豊満な身体を惜しげもなく晒せるよう計算されたドレスは、悔しいがよく似合っている。
私がもし男でこんな彼女が腕にしがみいてきたならば、きっとドキマギしてしまうだろう。
そんな状況にいたはずなのに辟易としているギルバートはある意味すごいと思う。
しかし、それは彼女の顔を見ればそれもそのはずと頷けるものだった。
頬は熟れすぎたトマトのように赤くなり、目はうつろで同じように赤く潤んでいる。
そして何よりも閉じれない唇から漏れる息のキツい臭い。
一目見てわかる。
これは相当の酔っ払いだわ。
酔った勢いで公爵たるギルバートに馴れ馴れしく近づくなんて。
私は同じ貴族の女性として呆れるとともに、恥ずかしささえ覚えた。
どこの誰かは知らないが、必死に覚えたピートの資料からもパッと出て来る人物ではないので、きっと私達がいない間にデビューを済ませた地方のしがない貴族の一人だと思われる。
「お初にお目に掛かる方ですね。どちら様でしょうか?見たところ相当酔われているようですね。そのように誰彼構わず殿方にもたれ掛かっては外聞もよろしくありませんわよ。宜しければ医務室にご案内致しましょう。ねえ?」
彼女は振り払われたにも関わらず再び性懲りもなくギルバートの裾を掴もうとしていたが、私が凄むと自分の立ち位置を理解したようでパッと両手を上に挙げる。
そして目が全く笑っていない私の笑顔に睨まれるや否や、酔いも一気に醒めていったようでとろんとしていた目を白黒させた。
「い、いやだわ、私ったら。少しお酒を飲み過ぎたようですわね!ご心配をお掛けしました!少し風に当たって酔いを覚ましてきますわね。それではまたぁ~」
彼女はそう言うとまるで脱兎の如く素早い動きでこの場を後にした。
あまりにも早い展開に、ここにいる誰もが呆然と立ち尽くす。
はあー、まったく。
いつの時代も酔っぱらいは厄介なものね。
ましてや絡み酒なんて本当に迷惑なだけよ。
私は表に出さない深い溜め息をつくと、この場を取り成す為に自ら声を発した。
「いくらこの夜会のお酒がおいしいからと言っても飲みすぎはいけませんわね。皆様もお気を付け下さいませ」
私の言葉に皆が『ええ本当に』『そうですな』と続く。
よし!
とりあえずは流せたわね!
無事に場を流せた事に安堵していると前方から一人の青年が声を掛けて来た。
「ファンドール夫人。私の知人が公爵様に失礼を致しまして大変申し訳ありませんでした。誓って公爵様は露程も相手にされておりません。深酒をしたようでこちらがいくら制止をしても公爵様から離れなかったのです。本当に申し訳ありませんでした」
そう言って頭を下げるのは一番始めに私に気付いた青年だった。
「頭を上げて下さい。貴方が謝ることは1つもありませんよ。上手くあしらえなかったギルバートの力不足です。長らくこう言った場から離れていたものですから珍しい獲物を前に彼女の狩猟本能がうずいたのでしょう。まだ言い寄られるくらい魅力があると思えばありがたい事です」
私の言葉に青年は顔を上げたが、その顔はまだ申し訳なさそうに眉が下がっていた。
「申し遅れました。私はワイマール子爵家のダントスと申します。今年学園を卒業して今は第一騎士団に所属しております。今宵は子爵家の一員として招待されましたが、警備も兼ねて参加しております」
「ダントス様ですか。お若いのに第一騎士団所属なんて随分と優秀なんですわね。将来は近衛騎士か団長候補かしら?頼もしいですね」
我が国の騎士団は大きく四つの団に分かれており、トップはもちろん近衛騎士団。
そしてその下には第一、第二、第三と続き、数字の若い方がより責務を伴う場所の管轄をしている。
第一の中から近衛が選ばれると言っても過言ではないので、若いながらに第一に配属されるという事は、将来を期待されたエリートと思って間違いない。
ほうほう、未来の近衛候補生ってところかな?
ワイマール子爵家のダントス君ね。
ん?何だろう。
彼の名前にわずかだが引っかかりを感じるわ。
ワイマール子爵…ワイマール、ダントス…ダントス・ワイマール… ダントス?
私はこれまで溜め込んできた記憶の奥底から、このワードに関連する何かを必死に掘り起こした。
え、待って。
ダントスって言ったわね、いま。
そう、この件は今までにも何回も起きてきた。
私は溜め込んでいる記憶の中からその名前に引っかかる物を頭の中でいくつか並べる。
そしてその一番近い記憶にいたのは、ネイリーンの毒好きが発覚した瞬間にトリップして見た夢の中だった。
ゲーム上のネイリーンの最後のシーン。
ナイフで王子達を襲うネイリーンを拘束した人物。
宰相の息子のリオンと、近衛騎士の -ダントス。
今更ながら私は目の前にいる青年の姿をまじまじと見つめた。
全体的に少し長めの髪は赤銅色で、前髪は中分け。
そこから見えるのは形の良い額と凜々しい眉、そして人の良さそうな深緑の瞳だった。
騎士をしているだけあって逞しい体躯をしているが、決してゴリマッチョではなく、均整の取れた肉付きをしている。
何よりも目を引くのは長身のギルバートよりもさらに高い身長だ。
どこか純朴そうな雰囲気を纏っているが、この体で剣を振るうとなると相手は相当な恐怖を感じるだろう。
あー、そうだわね。
もう少し野性味を帯びさせれば確かにあの近衛騎士ダントスになるわ。
まだ騎士1年目なので溢れ出す騎士の覇気がそこまでないが、これからの5年できっと鍛えられていくのだろう。
まだ若いがよく見ればこれから王子の盾として、さらにシェリーの別ルートの相手としてゲームに出てくる近衛騎士、ダントス・ワイマール、その人であった。
前世の私がシャスティンルートごり推しだったのと、やはり年月を重ねて段々と思い出した記憶が薄れていってるのだろう。
名前を聞いてもすぐに記憶と直結しなくなっていた。
まさかこんな所で、こんな形でゲームの登場人物とお知り合いになるなんて、本当に貴族社会は思ったよりも狭いわね!!
しかし…この人がネイリーンを…
私の脳裏に夢で見た映像が思い起こされる。
ネイリーンを拘束した後、引き摺るようにして王子の前から連れ出したあの姿。
ネイリーンが憎くてしょうがないという目の鋭さを。
だけど同時に目の前にいる私を笑わせたダントスの優しげな瞳を忘れてはならない。
ゲーム上ではネイリーンの行いのせいで震え上がるほど厳しい振る舞いをしていたが、それは国の秩序を守る騎士として当然の事で、本来の彼の性質は今とそれほど変わる事はないのだ。
シェリーといる時の彼は、気遣いの出来る気さくな頼れる兄貴分であったのだから。
「ダントス様は騎士様なのですね。僕もいつかは強い騎士になりたいと思っているのですがどうやったらなれますか?」
突然ダントスに声を掛けたのは1番端でジュースを飲んでいたマルクスだった。
「おや、マルクスは騎士に興味があったのかい?」
ダントスと話したそうなマルクスをギルバートは自分の前に呼び寄せる。
「はい。僕は兄様や姉様のように勉強は好きじゃないし、剣や武道が好きなのです。騎士になるのは難しいですか?」
あ、やっぱり勉強好きじゃなかったのね。
元気いっぱい、チカラが有り余っているマルクスだもの。
納得だわ。
知らない間に騎士に憧れを抱いていたマルクスは、憧れの騎士であるダントスをキラキラした目で見つめている。
ダントスは初めこそ突然の質問に驚いていたが、自分に向けられる羨望の眼差しが嬉しいのか、マルクスの前に片膝を突くと目を合わせて答えてくれた。
「騎士になるにはまず入隊試験を受けて合格をしなければなりません。そして合格するには毎日欠かさず鍛錬をして、心も身体も鍛え抜く必要があります。毎日欠かさずです。これは簡単そうに思えてとても難しいことです。しかしこれを続けることが出来ればきっと、マルクス様が思い描く強い騎士にとても近づけると思いますよ」
現役の騎士のありがたいアドバイスにマルクスはうんうんと大きく頷く。
「貴重な意見ありがとう、ダントス君。君も何か困った事が起きたらいつでも言ってくれたまえ。出来る限り力になろう」
「いえ、大した事ではありません。未来の優秀な騎士に会えて私も嬉しいです。私の方こそ何かありましたら次こそお役に立って見せますので仰ってください」
「わかった。その時は頼むとするよ。マルクスも立派な騎士になりたいのなら頑張るんだぞ」
「はい!僕も今日…は無理だから明日からゾルディクスにでも頼んで鍛錬します!」
晴れやかな顔のマルクスの頭を嬉しそうにギルバートが撫でる。
そこにネイリーンやハリオットも近づいて、ダントスを含めた4人が和気あいあいと談笑し始めた。
その光景に思わぬダントスの登場で動揺していた私の心がすくい上げられたかのように軽くなる。
特にネイリーンとダントスが笑い合っている姿は、思い出したあの夢の光景を洗い流してくれるような気がした。
未来はわからないが、目の前の二人の間に冷たさは感じられない。
しかも我が家とダントスはこの一件で少なからず縁が繋がってしまったようだ。
何なら色んなルートに備えてガッツリと関係者に関わってしまうのもアリなのかもしれない。
家に戻ったらもう一度検証してみるかな?
そんなことを考えつつ私もあの輪の中へと進む。
「ダントス様。これからも親子共々よろしくお願いいたしますわね」
そう言って握手をしたごつごつの手は想像していた以上に温くて、彼がゲーム上でなく現実の血の通った人間なんだと私は安堵した。
彼女が知人というダントス。
鼻の下を伸ばしていたのかは謎です。
チラ見はしてそうですけどね。
ではまた次回~!!




