ルーカス
シルイの街は医療施設が多いだけあって静かな街だった。帝国が征服戦争を続けていたのも八年前になる。エルロンド王国の散発的な反乱もなくなってけが人も出なくなったことから、病院の街から医療研究の街へと静かな変更を遂げてきているため人通りも少ない。
俺たちは無機質な建物が並ぶ一角にある石造りの建物に入った。病院も無機質な灰色の建物だったが、庭には患者の無聊を慰めるためか花が植えられている。
リアが二、三言話すと俺たちは中に通された。リアは何度か来たことがあるのか、迷うことなく進んでいく。
俺たちが向かったのは建物の中ではなく、庭の一角にぽつんと建つ離れの建物であった。腐っても王国大臣の孫としてのプライドのせいで帝国民と一緒の病室には入れないということだろうか。
離れは木造の小屋で、病院というよりは普通の家のようだった。リアはこんこんとドアをノックすると返事を待たずに入っていく。そして片手を挙げると、やたら明るい声であいさつする。
「おひさー! 元気してる?」
「……元気な訳ないだろ」
ベッドの上で寝ていた少年はぶすっとした表情で俺たちを一瞥する。彼は元から嫌そうな表情であったが、リアの横に見知らぬ人物がいるのを見てさらに嫌そうにする。
身なりは良かったが、白い肌に痩せた体つき、そしてやさぐれた目つきと不健康そうな印象だった。
そんな少年の反応にリアも唇を尖らせる。
「ちょっと、せっかく来てあげたのにそれはないんじゃない? というかずっとそうやって不貞腐れてたの?」
「何だよ、放っといてくれよ。というか誰だよそいつ」
とっさに俺の中をリアに身分を暴露されるのではないかという恐れがかけめぐった。
「彼は私を助けてくれた人だよ」
が、リアは俺のことを言わなかった。
代わりに俺に目を向ける。
「ねえ、君からも何か言ってあげてよ」
俺に水を向けられても困る。見ず知らずの人のお見舞いなんて何を言えばいいんだよ。
とりあえず一般的なことを口にしてみる。
「そんなこと言ってないでリハビリしろよ。怪我してしまったものは仕方ないんだから、今後の人生を生きていこうぜ」
「誰だか知らねえけど適当なこと言ってんじゃねえよ! 俺が治ったところでな、俺が仕える国はねえんだよ! どうせ俺はここで一生寝てるのがお似合いなんだよ!」
ルーカスはしきりに悪態をつく。何というか、本当にどうしようもない愚痴だ。とはいえ、気持ちは分からなくもない。彼も俺と同じように、過去を水に流して帝国民として生きていくのは嫌なのだろう。それだったら病室から出ない方がましということかもしれなかった。
が、そんなひどい言葉たちを聞いてリアの顔色がさっと変わる。
「ちょっと! そんな風に現実を嘆いてばかりいないでもう少し現実を変える努力をしたら? 大体仕える国がないとか言ってるけどあんた王国再建の努力をしたことなんて一ミリもないでしょ!?」
「は? そんなの今更出来る訳ねえじゃん。どうせお前は才能もあるし何だって出来るから言うことが違うよな。だから何とでも言えるんだよ。そうだな、お前がその剣で王国を再興してくれたらちっとは考えてやるよ」
そう言ってルーカスは鼻を鳴らす。
俺はルーカスの物言いに違和感を覚えた。確かにリアの剣技は一目見ただけで素晴らしいものに思えたが、彼が言っているリア像と俺が見たリアは違う。リアは神様に愛されたような何でも出来る少女ではない。
俺は思わずリアを見たが、リアは目で俺を制す。
「残念だけど私にそれは出来ないな」
「だろ? どうせ無理なんだよ」
ルーカスはえたりとばかりにせせら笑う。気持ちは分からなくもないが、その態度は本当にうざい。が、そんな彼にリアは淡々と答える。
「違うよ。私には私の目的があるからそれは無理ってこと」
「何だよそれ。どうせお前にとっては簡単なことなんだろ?」
「絶対に出来ないってことはないと思うけど簡単ってこともないと思うけどなー」
「何だよ、言ってみろよ」
ルーカスが喧嘩腰に尋ねる。すっとリアの目が据わった。
「アガスティアの皇帝を討つとか」
瞬時に室内の空気が凍りつく。
「……おい、それ本気か!?」
やや遅れてルーカスが叫ぶ。さすがのルーカスも目を見開いて呆然としていた。
俺は驚くというよりは困惑する。それは絶対に出来ないってことはないことではない。エルロンド王国が健在な時でも歯が立たなかった帝国に一人で何が出来ると言うのか。絶対に無理だ。
が、リアの表情は特に変わらない。それは真顔で冗談を言っているようにも、覚悟を決めている故の平静ともとれる。だが、俺は何となく後者であることが分かってしまう。そして分かってしまったがゆえに何も言えなかった。
沈黙を破ったのはルーカスだった。彼は努めて平静な口調で言う。
「急に言い出していいことと悪いことがあるぜ」
「だって私たちがやることは王国の再建か帝国への復讐か、二つに一つでしょ?」
そう言ってリアはちらりと俺を見る。リアの言う私たち、にはルーカスも入っているが俺も入っている。そんな気がした。むしろリアは大臣の孫に過ぎないルーカスよりも王子である俺に言っているのかもしれない。
そう思うと俺は無性に腹が立った。くそ、お前は俺に圧力をかけてくるのか。俺が王国のことを忘れて生きているのが気に食わないか。俺は王国の再建か帝国への復讐のどちらかを選べというのか。やはり俺は亡国の王子としての人生を送るしかないのだろうか。もちろん帝国が憎いという気持ちはある。しかしだからといって人生を賭して復讐したいとまでは思わない。
しばしの間、室内に奇妙な静寂が満ちた。周囲に決断を迫るリア。リアが本気か推し量るルーカス。そして何も決められない俺。
静寂を破ったのはルーカスだった。
「分かった……俺やるよ」
「そう、やっとやる気になってくれたんだ」
リアは友達が立ち直って嬉しい、といった様子で言う。
「嘘だろ!?」
「嘘じゃない。確かに俺も薄々分かってはいたんだ、こんなところで愚痴ばかり言っていても何の解決にもならないと。確かに王国を再興するのは難しいが、だからといって何もしなくていい理由にはならないよな」
ルーカスはリアの言葉に感動したように言うが、俺の視点では無謀な計画に加担する奴が一人増えただけなので当然喜ぶことは出来ない。
一体なぜルーカスはこんなにあっさり手のひらを返したのか。リアの無謀な計画に心を打たれてしまったのか。そんなルーカスをリアはほっとした表情で見つめる。
「良かった」
そして俺の方をちらりと見る。だが、俺はリアの求める答えを返す訳にはいかない。
「そうだな。しかし皇帝を討つなんて当てはあるのか?」
「ほら、もう少ししたらイレーネ姫の輿入れがあるでしょ? 結婚式は一般市民にも公開される。そこには皇帝も出席する」
姫の輿入れというのは俺が考えないようにしてきた出来事だ。王国の忘れ形見である王女イレーネは王都陥落後すぐに降伏し、残存勢力の降伏手続きに当たった。
その後、帝国の王国統治に積極的に協力しつつ、王国復興のため帝国に様々な政治的運動をしていたらしい。それが認められ、イレーネと第六帝子テオールの婚儀を条件にイレーネを女王とするエルロンド王国の復興が認められた。その結婚式が約一か月後に帝都で行われる。
俺がそれについて考えることを避けていたのは、何もしていなかった俺とその間目的のために努力を続けていたイレーネとの差がまぶしかったからというのが一つ。
そしてもう一つはこの復興が帝国の足を舐めることによって成ったものだということである。この結婚により誕生する新生エルロンド王国はイレーネが女王になるとはいえ、実際は帝国の属国になるというのがもっぱらの評判だった。テオールを通じて帝国が手綱を握るのだろう。俺は自分の国を滅ぼし、親族を殺した帝国の下につく形での復興にも釈然としなかった。だからといって俺がどうこうする訳でもないので、結局自己嫌悪に陥るだけだが。
「その期に乗じて帝を討つ」
「おお」
ルーカスはリアの熱にあてられ、共鳴しているようである。ルーカスという八年前に火を消された炭はリアの圧倒的な熱量によって再び点火された。
俺はその熱がこちらに伝わってくるのだけが嫌だった。燃えるのならば俺と関係のないところで燃えていて欲しかった。
「じゃ、そういう訳で頑張ってね」
そう言ってリアはひらひらと手を振る。ルーカスも少しだけ前向きな表情になり、リアに手を振り返す。
俺は一人だけ肩身が狭い思いで部屋を出るのであった。