侵入
「よし、城に逃げ込もう」
俺はリアに目配せする。
「そうだね、もし狼が突入してきたら怖いから城に避難しないと」
ちょっとわざとらしいがリアも俺の狙いに気づいてくれた。
俺たちが城に向かって走っていくと、城下は人で混み合っていた。慌てて帰宅する人、城に逃げ込む人、家族や知人の安否を確認しに行く人。俺は混乱をもっと大きくするべく叫ぶ。
「狼が壁を登ろうとしているぞ! 早く城に逃げ込め!」
それを聞いた人々のざわめきは大きくなる。今起こっているのが異常な現象である以上城壁の中の市街地にいても安全とは言い切れない。城内に入った方がより安全と言える。そのため城に近づくに従って、城に向かう人々が増えていく。道はますますごった返し、ちょっと歩くだけでぎゅうぎゅうと圧迫され、強引に通ろうとする人の手や足が当たり、とてもまともに歩ける状態ではない。
「ねえ、何とかならないのこれ」
さすがのリアも閉口した。人々が城内へ向かう以上、身を任せていればいつかは城内に入れるのだろうが、さすがに人が多すぎたらしい。まさか蹴散らす訳にもいかない。確かに最期の討ち入りがこれでは格好良さも半減である。
「仕方ない、ちょっと脇道にそれるぞ」
「うん」
俺はリアの手を引いて家と家の間を走る狭い路地に連れ込む。幸い、主要な道以外は人気はなかった。路地に入ると消耗しきったリアはほっと一息つく。
「うえ、死ぬかと思った」
「やめろ、お前が言うとしゃれにならない」
ふと、俺たちは落ち着くと同時にお互い手を握り合っていることに気づく。
「!?」
俺たちは慌ててお互いに手を離した。何でと言われると困るのだがお互いの間に気まずい空気が流れる。離してから思い返してみると、リアの手は柔らかくて温かかった。
「よ、よし、じゃあ城までは飛んでいくか」
「え、飛んで? それはいいね」
「とりあえず適当な屋上に登るぞ」
俺は翼を生やし、リアは超人的な跳躍でその辺で一番屋根が高い民家の屋上に登る。屋上からは城下が一望……というほどではないが、付近の情景がよく見渡せた。道路は人で満ち、城の出入り口も当然人でごった返している。城壁の外までは見えないが、城壁の中に狼が入ってきている様子はない。
「うへー、あの門をくぐらないといけないのか」
リアが城門付近の惨状を見て嫌そうな顔をする。
「さすがに城の仲まで飛んでいくと明らかに怪しいからな」
「仕方ないか」
「なら行くぞ」
俺はリアを抱き上げる。
「え、え、ちょっと急に何するの!?」
「な、何って、飛ぶんだよ」
単に運ぶためだったが、いわゆるお姫様だっこの形になってしまう。リアの反応も合わさって俺は顔が火照っていくのを感じる。
一人の人間のはずなのに、リアの体は羽毛のように軽かった。抱き上げられたリアとは思ったより顔が近くなる。不覚にも俺は鼓動が早くなるのを感じた。
「近い」
「こうしてみると、意外と頼り甲斐があるね」
リアは少し顔を赤らめて目をそらす。
「俺は人生に迷ってただけで意外と力はあるんだ」
「うん。そういえば私誰かに抱きかかえられるの、八年前以来だな。人生、剣に捧げてそういうの全然なかった」
リアは少しだけ寂しそうに言う。そうか、今更それが寂しいことだと気づいたんだな。
「着地するまでちょっとだけその気分を楽しむといい」
「はは、まあ君で我慢してあげる」
「うるせえ。最果ての地に住まう七つ首の龍よ、その暴風で我を吹き飛ばせ」
突如背後から突風が巻き起こり俺の体は浮き上がる。そして凄まじい勢いで俺たちは宙を飛んだ、というか吹き飛ばされた。
「うわあああああああ、さっきまでのちょっと甘酸っぱい雰囲気はどこ行ったの!?」
「俺もこんな感じとは思わなかったんだよ!」
目の前を帝都の建物が高速で通り過ぎていき、帝城が俺たちの方へ飛んでくる。俺たちは予想をはるかに上回る速度で吹き飛ばされていき、気が付けば城近くの民家の屋上が迫っていた。
「ちょっと、ぶつかる、ぶつかるって!」
そうは言われても俺は両手がリアで塞がっていてどうにもならない。
「もう馬鹿!」
リアの目が光る。リアはとっさに剣を抜くと目の前の民家の屋根に斬りつける。どういうことが起こったらそうなるのかはよく分からないが、俺たちの体は屋根にぶつかると建物が崩れる。俺たちの衝突と建物の崩壊である程度衝撃が殺されたおかげか、俺はものすごく痛いだけで済んだ。相変わらずでたらめな力だ。
気が付くと俺はリアを抱きしめたまま地面に横たわっていた。俺は気恥ずかしくなってリアを離す。
「すまんな、甘酸っぱい感じを体験させてやれなくて」
「……いや、これはこれで悪くなかったかも。さ、行こうか」
リアは何か満足げな表情で立ち上がる。それなら、すごく痛い思いをした甲斐があった。
俺たちは崩れた民家を出るとまっすぐに城門へと走っていく。そして城門前で混雑に巻き込まれた。
「狼は城壁で遮断されてまーす! そのため押したり抜かしたりせず落ち着いて整列して城内へお入りくださーい!」
そんな声が城門の方から聞こえてくるが、落ち着いている者は誰もいない。混乱が混雑を生み、混雑が混乱を生む。そんな訳で俺たちは波にさらわれるようにして城内に突入したのであった。
「避難民の方はこちらへどうぞ!」
城内に入っても周りは人ばかりであまり風景は変わらなかったが、門から入ってすぐは広場のような空間になっているようだ。兵士たちは板のようなものを持ってきて簡易通路を作っていたので人々の移動方向は制御されていた。つまり、この板さえ乗り越えれば城の中を自由に動き回れるということになる。
「行こうか」
リアが俺を見て短く言う。俺もここまでの付き合いでリアの性格は把握している。この行こうは指示を無視して城の奥に行こう、の行こうだ。
「ああ」
遠くで人の圧力で板が倒され、人々がどどっと押し倒される。
「落ち着いて!」
近くにいた兵士がそちらの交通整理に向かった瞬間、俺たちは近くの板を乗り越えて走った。問題は俺たちは結婚式会場の間取りは把握していても、普段帝や大臣がどこにいるのか知らないことだ。
しかもこういう非常事態だからなおさらよく分からない。俺たちはとりあえず近くの建物に入る。
「よく分からないけど、とりあえず城の中心に向かおうか」
「そうだな。その前に適当に帝国兵士の鎧を奪おう」
「いいこと言うね」
ちなみに帝国兵士は服装まで統一されている訳ではないが、鎧は支給品なのですぐに見分けがつく。兵士は値が張る鎧を買わなくてすむし、帝国も戦争の際、兵士の見分けがついて便利ということだろう。さすがの帝国も金属の鎧を配るほどの財力はないのか、一部の者を除いて革の鎧ばかりである。
俺たちは廊下を走っている。これが何の廊下か分からないが、周りにはいくつものドアがあり、床も壁も冷たい石で出来ている。雰囲気的に城の中心部ではなさそうだ。そんな廊下をいかにも狩ってくださいと言わんばかりに兵士が二人走ってくる。
「くそ、何で俺たちが一般人の面倒みないといけないんだよ」
「狼が城壁を越えて来るわけないっていうのに」
リアは鞘ごと剣を抜いてそんな二人の前に立ちふさがる。
「朗報だよ。君たちは一般人の面倒は見なくていい」
「ん? 誰だお前」
兵士たちの顔がさっと警戒の色に変わる。
「君たちはここで寝てるだけでいいんだから!」
「何だと!?」
兵士たちが剣を抜こうとするよりも早くリアの鞘が二人の顔を撃つ。それぞれ一撃で地面に倒れた。
「殺さずに昏倒させるだけなんて優しいんだな」
「違うよ、斬ったら鎧が血だらけになるでしょ?」
「確かに血だらけの鎧でうろうろしてたら怪しいな」
そう言えばリアは狼を乱入させようとしたやつだった。優しい訳がない。
俺たちは昏倒している兵士から鎧をはぎ取る。しかし鎧というのは普通脱ぎにくく出来ている。俺は丁寧にひもをほどいていくが、リアは倒れている兵士を表にしたり裏にしたりしてうんうん唸っている。
「……分からないのか?」
「だって私鎧なんて着たことないもん」
「まあ、相手の攻撃が当たることなんてなさそうだもんな」
俺は鎧の着脱が分かることにちょっとだけ優越感を感じつつ、自分の分の鎧をはぎ取るとリアの分の鎧もはぎ取る。
「ということは当然着られないってことだよな?」
「……持ってるだけじゃだめかな?」
「どこの世界に鎧を手で持って歩く兵士がいるんだよ」
俺は手早く鎧を身に着けると次にリアの鎧を着つけにかかる。
「悪いね」
「お、おう」
こうして鎧を着つけていると女の子の着替えを手伝っている気分になる。さっきもちらっと感じたがやはりリアも年頃の女の子だから、鎧とはいえ服を着せていると緊張してしまう。しかし本当に細いな。でも女の子の体だけあって柔らかい。
「あっ、ちょっとそこくすぐったい」
「うわっ」
リアが急に声を上げるから俺は驚いて鎧を取り落としそうになる。
が、当然そんな甘酸っぱいことをしていたら時間がかかってしまう。もたもたしているうちに、次の兵士が通りかかる。
「お前たち、そこで何をしている」
「混乱に紛れて入ってきた賊だな!?」
しかも今度は運の悪いことに数人。
「ちょっと鎧が脱げたんで着つけてたところです」
「そこに倒れてるやついるじゃねえか!」
たちまち兵士たちは抜剣する。が、今度の兵士たちは賢かった。目の前で倒れている味方を見て俺たちが手練れだと察したのか、一人がさっと後ろに走っていくのが見える。
「お、報告するんなら面倒な思いして鎧着なくていいよね」
リアがにやりと笑って剣を抜く。こいつはよほど面倒なことが嫌いらしい。
「面倒な思いしてるのは俺だよ……」